11月 10th, 2016 Posted 12:00 AM
ボブ・ディランがノーベル賞を快く受け入れました。
自分にとっては、アレン・ギンズバーグの方がという思いが残っています。
しかし、いわゆるホメロス以来の叙事詩の歴史が集大成したロックにまで
そのコンテクストが連鎖していることを明確に確認することができました。
特に、Back to the futureがタイトルとまでなった映画どころか、
ハリウッドには、ホメロスの叙事詩・オデッセイにまでその哲学をみます。
「将来は我々の目の前には無くて、実際は自分で見ることができない」、
「背中に背負っている」ということになります。
そして、日本でも民俗的には、
人それぞれは一生分の水を背負っている、という考え方があり、
それで寿命があるといういずれも未来は目の前に広がってはいないのです。
デザインは未来を創成していく実務です。
それゆえに、明らかにデザイナーは未来・将来は目の前には無いということを
Back to the futureを徹底的に認識すべきだということです。
ホメロスは紀元前8世紀の人物であり、彼の存在すら確かめられません。
しかし、吟遊詩人の心の声がロックにまで繋がっていることは、
人間の一つの大きな進化であったのかもと、言わざるをえません。
それだけに、デザインが未来創成を語るとするなら、
目の前には未来が無いことを
Back to the futureにしっかりとデザイン発想をのせるべきだと思います。
吟遊詩人の叙事詩は、それこそ、アレン・ギンズバーグから、
ロックミュージックにまで大きな変革を与えたのです。
ボブ・ディランが見事に、一つの集大成にしたのでしょう。
* 「アクロバット演奏ゆえに試聴可能」
* 「アレオパジェシカから遊離した表現の自由」
* 『デザインのようなデザインという大誤解の現実がある』
* 『難問解決の大ヒントは「素材」開発デザインの美です』
* 「フリーランススタートの頃」
Tags: Back to the Future, アレン・ギンズバーグ, オデッセイ, コンテクスト, タイトル, ノーベル賞, ハリウッド, ボブ・デュラン, ホメロス, ロック, ロックミュージック, 創成, 叙事詩, 吟遊詩人, 将来, 未来, 民俗的, 目の前, 紀元前, 背中, 連鎖, 集大成
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
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1月 1st, 2011 Posted 12:00 AM
卯年
あけましておめでとうございます。
卯年ゆえ、ウサギをひとまず象徴。
世界的に「月」との関連性があります。
なぜこれほど見事な世界的にも民俗的なシンボルが「ウサギと月」なのでしょうか。
「月」を見つめる一年にしたいと思います。
ひとまず、この21世紀も11年目になりました。
果たして、この一年もこのブログを連日書き続けられるかどうかは不安です。
しかし、まっすぐに時代を見つめて本音をたとえ批判されようが編年体的な記述をめざします。
ともかく、体調大事に昨年同様に「行学」の精進と修練は果たしていく覚悟です。
なんとしてもやり遂げたい「かたち」に向かっていきたいと思います。
それが、私の「きもち」と「いのち」をつないでいるという信念があるからです。
おそらく、このブログでは変わらずの独り言を、
まずは「自分のため」を書かさせてください。
そして、読者諸兄の皆さんにも何らかの「日常的思考のヒント」と「かたちからデザイン」を
読み取っていただく動機になるよう心がけるつもりです。
なんとしても「幸運」な年にしたいと願っています。
きっと、「月」を見つめて信念の確認ができるのではと思う年にしたいと考えています。
合掌
元旦
Tags: いのち, ウサギ, かたち, かたちからデザイン, きもち, 卯年, 幸運, 日常的思考のヒント, 月, 民俗的, 行学
Posted in 062 「2011正月」, 資本主義から逃走せよ!
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3月 16th, 2010 Posted 1:56 AM
Ethnomethodology
「エスノメソドロジー」という学域を知ってから、
すでにどのくらいでしょうか。
人間が無自覚でも、認知と行為の接点ということを、
ミクロな社会学という観点は、デザインサーヴェイでしょう。
私はそうした接点を「Point of Contact 」と呼びます。
しかも、認知と行為を「会話」という関係論で、
ということは、まさに、Point of Contact=ケータイです。
「会話」は確実に、
人間関係=社会学的な存在関係を決定しています。
そのツールであり、メディアでもあるケータイを定義可能です。
現代、「無くてはならないモノ」がケータイであり、
「無くても一向に構わないモノ」もケータイといわれています。
つまり、日常生活での、関心と無関心との両面性あるモノです。
しかし、すでに現代人にとって、ケータイの存在は、
明らかに、自分の人間関係はもちろんですが、
PC機能も統合化されて、
自分の能力の支援すら果たしてくれるモノとなってきました。
● 実在性
● 機能性
● 構造性
● 象徴性
これは、ケータイが日常生活に登場し「実在性」となり、
さらに「機能性」の拡大が始まりました。
今ではすっかり、認知と行為の「構造性」が、
Smart Phoneに進化していると考えることができます。
今では、「どこのケータイを使っているか」という、
その使用者の「象徴性」に至ろうとしているモノなのです。
作法性
それだけに、モノとしての形態から、
所有性と使用性への、認知と行為、すなわち「作法性」は、
現代の民俗的意味性、「エスノメソドロジー」という社会学、
その代表的な対象になってきています。
したがって、ケータイの形態という意味性は重大です。
Tags: Ethnomethodology, PC機能, point of contact, Smart Phone, エスノメソドロジー, ケータイ, ツール, デザインサーヴェイ, ミクロ, メディア, 両面性, 人間, 会話, 使用性, 存在, 定義可能, 実在性, 形態, 意味性, 所有性, 接点, 日常生活, 構造性, 機能性, 民俗的, 無くてはならないモノ, 無自覚, 無関心, 現代人, 社会学, 統合化, 行為, 認知, 象徴性, 資本主義からの逃走, 重大, 関係論
Posted in 017「ネットワークとコンテクスト」, 資本主義から逃走せよ!
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