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Posts Tagged ‘武士の魂’


『資本主義からの逃走』
 「金融資本にとって、デザインは阻害要因」


   


     2月 18th, 2010  Posted 10:00 AM

阻害要因

金融資本=経営要因です。
金融資本は、まず儲けること=金欲そのものと、
断言することができます。
しかし、金欲への倫理性が経営者の器を決めています。
経営者としてその倫理性、
その有無が実際は、その人がどう生きたかを示します。
さらに、その倫理性を根底で支えているのが美学です。
美学は、まさに、イノベーションとシンボルを、
経営の中核にしているかを決定づけています。
隠喩としての日本刀
日本刀が「武士の魂」であったことにつながっています。
すなわち、現代の経営者が携える「日本刀」の隠喩性です。

現代の経営者には、
携えている隠喩としての「刀」が無い、ということが、
現代経営者の魂を空白・無知・痴呆にしているのです。
真に、美学ある経営者は、唯一、一人いました。
いづれ、その人のことを書きたいと思っています。
無論、経営での成功がその人の美学をさらに磨きます。
反対に、デザイナーのセンスや、デザインの需要性を、
平然と無視する経営者をどれだけ見てきたでしょうか。

そして、
そうした経営者の末路も見てきました。
「倒産」に至る経営者には、美学が皆無です。
デザイナーは喧嘩師であれ
したがって、
私の「デザイナーは喧嘩師であれ」には、
意味が二つあります。
美学無き経営者とは、果敢に喧嘩をすべきです。
そして、その勇気は、
「自分」相手に喧嘩をすることができるか、です。
デザイナーは、
企業に「隠喩としての日本刀」を
きっぱりと差し出す役割があります。
金融資本しか見えていない経営者には、
美学も倫理もまったく欠落しているのです。
となれば、デザイナーの提言などは、
金融資本にとってデザインは阻害要因でしかありません。
されど、こうした経営者に
教条的デザインでの美学論理を押し込む必要があります。
現在、これほど凋落している、
日本の経営は、経営者に倫理性、その源、
「美学」=隠喩としての日本刀が見あたらないのです。


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『資本主義からの逃走』
 「*棒鞘の日本刀・日本の美学*」


   


     2月 17th, 2010  Posted 1:00 AM

棒鞘
1300年中期、南北朝の時代です。まさに、戦国時代。
後に始まる鉄砲、それが無い時代ゆえ、武器は日本刀のみ。
日本刀といっても、まだ、洗練される以前の形態。
北陸には京からドロップアウトしてきた刀匠がいました。
その中に、千代鶴国安(二人説もあり)がいました。
「越前打刃物」の祖です。
草刈り鎌の発案者と言われています。
さて、刀は作っても作っても戦国の世では消耗品でした。
刀より、それを納める鞘が間に合いません。
そして、生まれたのが、棒鞘でした。
生木を漆にドブ付けしただけのモノでした。
ところが、北陸で打たれて作られた刀は、
太く切れ味は抜群でした。折れなくて重量がありました。
だから、
棒鞘を下げている野武士はそれだけで威嚇できました。
まさに、棒鞘の刀は「切れ味」武器そのものでした。
この棒鞘の刀が後世残ったのは新撰組の近藤勇の刀です。
日本刀が洗練されていくには、二つの要素が必要でした。

● 機能性=性能性が素材の革新によって、高質軽量になる。
● そうした機能性が「象徴」化されて美的効能性となる。

日本刀

やがて、サムライにとって、刀が、
「武士の魂」と呼ばれる「美学性」に高められるのは、
言い換えると、
「イノベーションとシンボル化」です。
つまり、
モノの存在性が、「美学性」を獲得するには、
こうしたコンテクストが不可欠であり、
さらに、シンボル=象徴によって、
あらためて、モノと心=魂=いのちの核心が、
一体化しなければならないのです。
「かたち」という存在と「いのち」との結合が、
日本人の「美学」だと、私は考えます。


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