7月 13th, 2016 Posted 12:00 AM
ヒラリーとテンジンと言えば、エベレスト初登頂です。
登頂に囚われていた自分には、
ヒラリーとなればFiloFaxというシステム手帳です。
このシステム手帳が有名になる以前から使ってきました。
以来、どれだけのシステム手帳を買い換え使い厭きてきたことでしょうか。
そして、もはやシステム手帳はスマートホンで充分でしたが、
日本の開発力は凄いと感心する商品が出てきました。
まさにシステムにふさわしいノートフィルから、様々な手帳の体系を
見事に商品として成功させているモノが、日本文具大賞に応募。
すでに現物を見ていただけに他の審査委員の評価がとっても楽しみでした。
案の定、「やっぱり、よく出来ているな〜」との声が多くて
当初からグランプリ候補でした。
日本文具大賞はグッドデザイン賞の評価は超えていると確信しています。
理由は明解です。
なにしろ、この評価で優秀賞であってもこの数年は大ヒットします。
文具というきわめて日常的な200円から5000円程度の、
ややもすれば衝動買いするモノですが
このささやかなモノには夢があります。
つまり、社会的な存在性が日常化する効能性=すぐに自分とモノの関係が
社会と時代にマッチングしています。
ましてここまで体系化が果たされている性能は、これまでのシステム手帳を
完璧に陵駕していることは明らかですから、
性能と効能が効用と効果をならしめて機能性は充分です。
それは発明が明らかだからです。
180度開閉すること。表紙は合成皮革だからこその一枚仕上げであり、
これまでのシステム手帳をとても軽量にしています。
「機能部門」のグランプリ賞品として
確実に国際競争に立ち向かえるでしょう。
ただし、自分は審査委員長ゆえ、
もっと厳密には要求がこれまでも残ります。
しかし、それを是正するメーカーが無いことには、
国際競争には勝てないことがあります。
この製品にももっと「体系」・「システム手帳」から、「手帳システム」を
なんとしても開発してほしいのです。
*『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
*「ISOTでの勘違いを発見」
*「TV番組の役割は終わっていることを再確認!」
*『映像と音像を変えるHDMIケーブルの進化』
*「審査会=日本文具大賞からスタート」
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10月 24th, 2015 Posted 12:00 AM
デザインというより、デザイナーの考え方、手法が
ようやく注目をあびましたが、それはいくつかの
デザイナー実績での誤解が他の学術芸術分野で拡大したようです。
たとえば、言葉では、コンセプト、マニフェストや
アイデンティティなどは定義や使い方間違いを発見しています。
現在、デザイナーの発想や成果への方法論での間違いは、
デザイン思考とインクルーシブデザインだと私は判断しています。
先般、ある大学が医学と工学、つまり医工連携に
デザインを加えるためにはデザイン思考の導入を重ねていました。
これは国家プロジェクトゆえに、
来月、その特別講演で私は是正と実務例を紹介します。
今夜はあらためて、インクルーシブデザインについては、
ニーズとシーズ、
あるいは文理融合やユニバーサルデザインが米国で提唱されたままに、
これもデザイン思考として取り入れていることへ、
論理的な正解を記述しておきたいと考えます。
インクルーシブデザインは、
インクルーシブとエクスクルーシブを
厳密に語彙論として再整理しておきたいと思います。
インクルーシブデザインとは、人称のデザインであり、
これは米国よりも英国でのデザイン思考がまともだと判断しますが、
私は、一人称のデザインでなければニーズの本質は不明だと考えます。
一人称、つまり、「私のニーズ=必要性は何か」がテーマであり、
この一人称=私の必要性を二人称=あなた:家族や兄弟や配偶者、友人、
あなたが必要かどうかを確認しない限り、ニーズになりません。
それどころか、
私=一人称とあなた=二人称の決定的な必要性が確認できなければ、
三人称である彼・彼女、彼ら・彼女らの必要性=ニーズと
その必要性を追求するシーズはありえないということです。
つまりインクルーシブとは一人称と二人称という範囲の指定であり、
エクスクルーシブは三人称であるという認識が必須だということです。
ところが、インクルーシブデザインで、
健常者に障害者や妊婦や幼児や老年者をデザイン対象とする
米国的な定義は大間違いだと指摘しておきます。
この思考方法では、必ず、デザインは機能的な活動、
形態は機能に従うという時代遅れな発想がとりついていくのです。
私は、このことも「KK塾」でオープンにしていく所存です。
* Website-HP
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1月 2nd, 2012 Posted 12:00 AM
紀元2世紀、パル・コクバの元で使われたというコイン。
私は年末から、「サービス」の原意を求めています。
理由は、サービスは資本主義社会にて「産業化」された言葉と商業です。
私がこの原意を求めるのは、三つの理由からです。
- 資本主義象徴である「サービス産業」の今後
- 資本主義がもたらした様々な害悪からの逸脱法
- 「サービス」本来の社会的効果です。
この探求には「オイコノミア」という原始基督教義が重なります。
その中で、2世紀に、キリスト教からユダヤ教を分離した一人の救世主。
それが、パル・コクバであり、彼は救世主でした。
救世主であると同時に王様でもあったわけです。
そこから、王座に座るべき者の「権力」と「権威」が定義されます。
「オイコノミア」とは「エコノミー」と同義です。
そしてオイコノミアはすでに神学的対象になっていますが、
確実に、この教義あるいは論理に始めて
「サービス」という言葉が出てきます。
私は、この言葉を再検証から再定義が、
現代の資本主義の歪みを是正できるのかどうかがとても気がかりです。
それは、資本主義での産業には、「情報産業」と「サービス産業」があり、
当然、この「情報サービス」と「サービス情報」が
資本主義を再構成あるいは資本主義からの解放を発見したいのです。
この正月にぎりぎり
「オイコノミア」を読解してしまいたいと考えています。
これから、その検証結果をここでメモを報告していくつもりです。
なぜならこの国難の日本は
改めて資本主義社会から逸脱することが大事だと直感しています。
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12月 11th, 2010 Posted 12:00 AM
基本的人権
「基本的人権」、これが日本での呼称です。
「基本権」、「人権」、ともに日本で
これらが認識されて法的整備になっていったのは
第二次世界大戦後でした。
英国でのマグナカルタ以来、
特にキリスト教による自然権という考え方が最大の影響を与えた結果でした。
けれども、何世紀にもわたって、人間の必然的権利は議論を重ねられてきました。
わが国は、敗戦という結果がこの憲章を改めて社会的な慣習化に加えました。
したがって、「基本権」・「人権」という言葉まで創出しなければなりませんでした。
結果、日本国憲法第3章の第10条から13条にまとめられました。
私はこの第3章のタイトルに「人権」のコンセプトが包含されていると判断しています。
それは「国民の権利及び義務」です。
つまり、「人権」を主張することと保護されることの幅が収まっているとものと判断します。
「人権」という新しい言葉は、タイトル通り「権利と義務」のあり方だと私は思います。
ところが、敗戦のトラウマのまま、日本人は、「人権」をはき違えているようです。
敗戦トラウマとしての人権勘違い
個人的=私の権利だけを主張し、義務を棚上げにしていたり、
集団的=公の権利を権力と勘違いをし、義務は放棄ということです。
日本人は被害者の権利よりも加害者の権利を重要視しがちです。
加害者には義務をつくして後、権利の保全があるべきことが、
時に「人権弁護士」というのは、権利の主張のみを繰り返しています。
これは敗戦のトラウマだと私は思わざるをえません。
敗れし者には、義務は課せられますが、権利を認めない風潮に囚われています。
このトラウマをひきずっているのです。
「人権」とは、元来、「義務」を尽くしてのみ、
「権利」が社会権として成立することを忘れてしまっているようです。
「義務」を尽くさすずして「権利」はありえないことをもう一度確認するべきだと考える次第です。
日本人が「平和ぼけ」と自身が気づきながらも、
自虐性に沈殿しているのは、義務果たさずして、権利=「人権」はありえないのです。
この大きな勘違いを早く是正すべきだと私は思っています。
Tags: キリスト教, マグナカルタ, 人権, 人権弁護士, 勘違い, 国民の権利及び義務, 基本権, 基本的人権, 必然的権利, 慣習化, 敗戦, 日本国憲法第3章, 是正, 法的整備, 第二次世界大戦後, 義務は放棄, 義務を棚上げ, 自虐性、平和ぼけ
Posted in 059「人権と情報」, 資本主義から逃走せよ!
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