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Posts Tagged ‘敗戦後’


『1992年に私は「ライフスタイル」を書いている』


   


     8月 18th, 2018  Posted 12:00 AM

未来について、という意味でのコンセプトという書籍は減っている。
もちろん20??はありますが、デザインコンセプトではありません。
これが、この書籍の基本であり、それこそ未来だと思っています。
現在はなかなかこうした書籍が減っていることが、
建築界、デザイン界でも減少しています。
これが1992年出版でした。私は多分「ライフスタイル」でした。
ちょうどその頃には、「生活様式」が市場でも専門的なモノではなく、
そのモノを取り囲んでいるモノ全般で、そのモノを生活様式で語っていました。
私がその頃には、ある哲学書で「ライフスタイル」が中心でした。
したがって、ライフスタイルがどこまであることで、日本と海外が異なり、
日本では敗戦後に米国の進駐軍からもたらされていました。
私は1972年に社会人デザイナーになりましたし、
1991年には毎日デザイン賞を受けていました。
そしてその頃には「バブル」経済。
私はほとんどApple本社と仕事をしていました。
ともかく東京は狂っていると思っていたのが
福井いる私のバブル経済への感想です。
そしてこの書籍は2018年になって建築家・デザイン批評家・デザイナー達の
現在のことがほとんど当たっています。
この書籍では、二つのことが欠落していました。
まず、地震国家であることと少子高齢化のことでした。
私のレベルでは、当時は図表・図解化を起こしていました。
この図解は、スタッフ募集の時に彼のポートフォリオにありました。
その彼は今では大学人になっています。
なお、この書籍は今も売られています。


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『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』


   


     6月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

高齢社会は2010年から2025年までに約706万人増加し、
その介護士はとりあえず170万人、2025年には250万人が
絶対的に必要とされています。
参考人として「完全無菌と抗体保健」を内閣府にて提案しました。
これは次世代デザイナーの新たな制度設計と形態設計の
その実例4点を紹介することができました。
特に、重大なことはIoTではなくて、
IoMeT=Internet of Medical Thingsの詳細にまで、
これからのデザイナーは医工連携どころではなくて、
看医工学の三つを提言することでした。

 ● Medical care → Medical log
 ● Health care → Health log
 ● Life care → Life log

として、それらのBig Dataを医療環境の中では、
GMP=Good Manufacturing Practiceによって、
完全無菌な製造・生産・流通・回収に持ち込むことです。
GMPはすでに、
食品業界や医療機器・薬品業界では遵守されているはずですが、
医療機器メーカーでも、
いくつかのインチキを提訴する事態にあります。
もはや日本のモノづくりは、家電業界は確実に行き詰まり、
自動車業界の大変革も目の前にきています。
わが国は、天災と人災で敗戦後と同様に大きな体験をしました。
間もなく東京オリンピックが待ち受けていますが、
私自身、オリンピックでの様々なみすぼらしい準備には
辟易しています。
そしてもっと重大なことは、オリンピック後の経済の低迷は、
産業構造の崩壊と高齢社会にさらに拍車をかけることになります。
そうなる以前に、大阪大学大学院は
コンシリエンスデザインによる看医工学と
その実務事例を準備しています。
この活動は「日本から海外に」発信していくためです。
その根幹は、「尊敬される豊かさ」を
Conect nomeでBig dataを三つのlogとして、
社会資本、国際資本にしていくことです。

*『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』
*『参考人としての内閣府内会議にて・・・』
*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
*『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』


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『ビートルズに出会った世代の幸運さ』


   


     11月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

敗戦後に私は生まれています。
1947・1948・1949年代生まれは「団塊の世代」、競争社会でした。
私にとってはこの呼称はまともな名辞だとは思っていませんが、
私自身が1949年のこの世代であることをひきずっています。
経済成長・大学闘争・石油ショック・バブル・バブル崩壊と
時代的な経済変動をまともに受け、その成就に晒されてきました。
そのなかで、この世代ほとんどが大きな影響を受けているのは、
ビートルズの音楽であったこと、それは周知のことですが、
私はオーディオからデザイン世界の社会人になりましたから、
もう一つカセットテープがビートルズ音楽に与えたことがあります。
したがって、この作品も私の代表作であり、
今は金沢21世紀現代美術館のパーマネントコレクションですが、
これはビートルズのオマージュと私自身の思いをこめています。
赤盤・青盤・白盤、そのままに、ビートルズの代表曲を
オルゴールも、すべて著作権のもとで発注した曲を仕掛けました。
「商品化」は何度か試みましたが、生産性の問題がクリアできず、
すっかりと今ではある意味ではアート性のデザイン作品です。
これが私の代表作ということを言いたいわけではなくて、
ビートルズの音楽性以上に彼らの音楽や活動に及ばず、
存在性に人生での生き方のきっかけを与えられたこと、その意味性、
これらを持ち得た世代の幸運さについては書き残す意義があります。
私自身、書道も絵画も道具を要しましたが、
音楽はずる賢く考えて教科書だけゆえに高校ではコレを学びました。
にもかかわらず、美大に進学し、書は厳しいトレーニングを受け、
ビートルズしか知らなかった私が
クラシックも図譜で指導されて、社会人になれたようです。
が、今なお、私にはビートルズという存在が生涯を支えてます。
つまり、今、このようなショッキングな時代状況が無いことを
私は次世代にとっては、大きな損失のような気がしてなりません。
ビートルズのような存在がないこれまでを疎ましく思っています。

「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」
「『鏡』の存在を知り尽くすこと」
「この画家をもっと知らせたい」


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『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


   


     10月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

敗戦後、奇跡の復活と言われてきた日本企業は、
世界経済の中核どころか先導的な「企業経営」が認められました。
しかし、経済は景気と連動して、結局は二つの選択を強いました。
その一つが安定した大企業主義が産業界の牽引役です。
しかし、
経済動向、すなわち経営鬱病としての「不景気感」は停滞して、
企業制度は、生涯雇用のはずが派遣社員雇用で大企業病を発生。
それならと、いわゆるベンチャー企業は「情報化」社会で起業。
ところが、そのベンチャー企業自身が経営経験不足。
翻って、中小企業・地場産業・地域産業には「情報」経営力無し。
ベンチャー企業が1000社あっても30年後には2.8社です。
このサイクルの中で日本の産業全体が低迷している有様です。
新たな世界制度破綻は9.11で明確になってきました。
そうして、今度は3.11、日本の天災と人災は方向を喪失です。
不景気は、世界全体を経営基盤から突き落としています。
盟友である松岡正剛氏は、
「日本という方法」、「方法という日本」を提示してくれました。
しかし、水墨画技法に「経営配置」が画法にあるからだけでは、
全ての経営者は佇まざるをえないでしょう。
先般、米国で日本という方法と方法という日本で、
地道に「経営活動」をする人物に会いました。
なんのことはない、松岡正剛氏の薫陶で成長してきた人物は、
米国で活動をする中で、明らかに、「方法」と「日本」を
配置、すなわち「経営配置」を私に告げてくれました。
たった一言です。
「日本は負けるわけにはいかない、大企業は駄目になるけれど、
もっと、不甲斐ないベンチャー企業の整理です」と。
私は、今月23日、松岡正剛氏と対談講演でこの決着をと、
真剣に考えています。
欧米にも、まして、中韓、アジア諸国の先導にこそ、
「日本という方法」と「方法という日本」を伝えるつもりです。


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「書店本棚での一般的な『デザイン』認識が残っている」


   


     8月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

私はこの40余年、プロのデザイナーとして、
「デザインは問題解決のかたち的最適解を求める手法」。
この定義だけを訴求してきました。
しかし、今日も立ち寄った書店の本棚のデザイン書コーナーでは、
「装飾=デザイン」という類の著作集に混在していました。
決して、私はデザイン=装飾を否定しているわけではありません。
むしろ、今、徹底的に批判するのは、
デザイン=装飾オンリーの学校や科目、時には教科書の記述と、
装飾家をデザイン賞の審査委員になっている顕彰制度は、
私の生涯を持って、断固として批判し非難し破壊したいことです。
デザイン賞制度を傍観するとき、「この人誰?」という、
そのような顕彰制度はあってはならないと思います。
この本棚には、おそらく、デザインにとっての基準的な定本、
「口紅から機関車まで」がありました。
日本が敗戦後のタバコパッケージ「Peace」のデザイナーだった
レイモンド・ローウィ著作は元外務大臣・藤山愛一郎の邦訳。
この著作が現代の工業デザインからデザイン全般を語り、
しかもこれがその当時の外務大臣だったことに大意義があります。
デザインが問題解決の代表的な手法であるがゆえに、
デザインされた形態は空間であり、言語であり、結果、記号です。
デザインが職能として認識された民俗毎の認識が、
国際的な乖離が一時はありました。
その代表がわが国だったとも言えます。
デザインが洋装とともに一般的な認識が拡大してきたことです。
私自身、「デザイナーです」と答えれば、
「洋服の・・・」と幾たびも言われてきました。
私が、電器メーカーに就職したときも、
「ポスターを描く職業」だと思われてきました。
しかし、今、私はデザインを学ぶ学生には、
問題解決であり、未来を創生出来る唯一の職能ですということを、
最も主張しています。
すでに私の教え子も、形態設計よりも制度設計に、
デザイン手法を果たし始めています。


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「わが国の展博・コンベンションデザインは遅れている」


   


     7月 7th, 2012  Posted 12:11 AM

私の見本市・展博・展示会経験は「晴海見本市」会場から始まりました。
東芝時代、オーディオフェアに限らず70年代は、
ほとんどが晴海に見本市会場がありました。
それから、「幕張の見本市会場」が出来ましたが、
会場までの交通の便が不便でそれほどの効果はありませんでした。
そして有明の「ビックサイト」が出来ましたが、
私は失敗作だと思ってきました。
つまり、日本にはコンベンション会場が皆無と言っていいでしょう。
ミラノ市は敗戦後、
すぐにこの「コンベンション都市」をめざしましたから、
世界の見本市の中心地的存在になっています。
私は20代で、オーディオフェアのディレクターに自分から申し出て、
その実務経験をし、展博デザインを学びました。
今回ISOT(国際文具・紙製品展)では、
展示ブースの上に、アドバルーンが数個浮かんでいたので、
私のある経験を思い出しました。
晴海の見本市会場では、展示ブースには高さ制限が規定されていましたが、
私はアドバルーンを上げることを思いつき、実行したところ、
それは事件になりました。
展示会の事務局から「展示違反」、
そのバルーンを下ろしなさいと通達がありましたので、
そのバルーンの糸を切りました。
そうしたら、かえって目立ったのです。
もう事務局は何も手立てがなくて、
開催期間中は最も目立つブース位置表示になったということです。
今では、アドバルーンはOKですがまったくオリジナリティが無く、
日本の展博デザインはほとんど進歩していないことを象徴しています。
日本には展博デザイン専門の学科がまったく無いからかもしれません。
交通の便が良くて、
会場の広さや展示デザインをより高度にするべきでしょう。
いわゆる展博の企画会社にはデザイン部門が無いことも大きな原因です。
展博・コンベンション手法は日本が様々な産業のホスト国として
先進性を連続保持することは貿易立国としての重大な要件です。
10月には、二つのわが国にとって重要な展博に関わります。
さらに、展博アイテムそのもののデザインから、
新しいコンベンションスタイルを産み出したいと考えています。


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「資本主義からの逃走」
 「日本資本主義は天災で、その神話を終焉させられた」


   


     3月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

されど、けれど、神話の抹消
敗戦後、私たちは経済大国でした。
一等国家としての恩恵を存分に受けてきました。
そして、なんという悲劇が待ち受けていたのでしょうか。
この天災、さらに明らかな人災=原電事故は、
一瞬にして、私たち国家体制に多大な事件をつきつけました。
被災者数、特に死亡者は3万人になるかもしれません。
東日本大震災事件+原電事件が被害者数の人間を突き落としたのではありません。
被害者数の事件が一人一人にそれぞれの悲劇を与えたのです。
被害者を見つめる日本全国民も各々の悲劇に向き合わされているのです。
だから、私たちはこの大震災+原電事故から復旧し復興するのではありません。
被災者はもちろん、日本人一人一人、さらには地球の人類に復興を突きつけているのです。
原電事故は明らかに人災であり、
その電力会社=資本主義実行での投資効果、自社だけの還元富に、
原電という人類が到達した技術を「安全神話」そのままにしてきたのです。
結果は、周辺市民だけではなくて人類全てに「見えない恐怖」暴力を与えたと言えます。
しかし、これこそ資本主義基底である技術経済の「脆弱さ」を象徴してしまったのでしょう。
復旧は不可能です。
復興にはさらなる人智尽力が求められています。
自然界には存在しない物質は、人類滅亡を示唆しているのです。
原発の「神話」にまだ寄りかかっていることは、決定的自死表明です。
それなら、人智集結と鋭意尽力で、
自然と人間、人工と人間、人間と環境、人間と社会、
国際制度すべてのパラダイム、
その大変更は、まだとても失ってしまった人命、そして記憶、思い出、
財産への別離悲しみが突き刺さって流血したままです。
すなわち、資本主義という神話を断ち切って、
この悲しみから止めどない涙そのままから、
上を見上げなければなりません。
果てしない未来に望まなければなりません。
資本主義の総括的終焉とは、まさに、具体的な原電の「安全神話」、
つまり、「資本主義神話」への決別とその決心です。
「安全神話」には、たかが原子力という人類の奢りがありました。
されど、けれど、もう一度原子力に対決する永遠をめざす創造力こそ、
復興のエネルギーにほかなりません。


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