11月 11th, 2019 Posted 12:00 AM
1988年(昭和63年)に開校した鯖江市「高年大学」の校章は、
私がデザインを引き受けました。
今年、開学40年を迎えた、社会人のマークです。
私の記憶では、当時「コシヒカリ」に重きを置いていると考えて
それをふまえてデザインしたと記憶していたのですが、
実際のデザイン意図は、鯖江市の花・ツツジでした。
ツツジのマークゆえに、デザイン意図は、
「総状花序の記号性を引用し、半円形の構成で
その重なった印象は人生経験のある
高年者の存在性を象徴するとともに、
生涯教育による限り自己啓発への意欲を垂直線で表現する。
そして、柔らかな楕円形態による造形は、
地域社会での高年者同士の親密感をイメージしている。」と
高年大学のしおり、本年度40周年記念号の歩み・文集にも
巻頭に、校章とともに掲載されています。
毎年、500名弱の高年者が様々な文化やら理工までのカリキュラム、
部活動に励まれています。授業料は年間3000円で、
60才以上から入学できます。
人生100年時代を生き抜く生涯学習の場です。
それこそ、私自身がその年代になっています。
Tags: 100年時代, 1988, 500名弱, イメージ, カリキュラム, コシヒカリ, ツツジ, デザイン意図, マーク, 人生, 人生経験, 半円形, 地域社会, 垂直線, 存在性, 巻頭, 年代, 年間3000円, 引用, 意欲, 授業料, 掲載, 文集, 昭和63年, 校章, 楕円形態, 毎年, 生涯学習, 生涯教育, 私自身, 総状花序, 自己啓発, 表現, 親密感, 記号, 記念号, 記憶, 象徴, 造形, 部活動, 開学40年, 高年大学, 高年者同士, 鯖江市
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
1月 7th, 2018 Posted 12:00 AM
収集の最初はマッチ、牛乳瓶の蓋だったと思います。
そして切手、古銭などは今も実家(福井の倉庫)に残っているかもです。
収集癖は、ずーっと私の趣味でしたから今も断捨離ができません。
年末の忘年会で、突如、コインが出て来てマジックの基礎技が出ました。
アンドロイドロボット学者のI教授からでした。
そうしたら、思い起こしてしまいました。
私の宝物的趣味には、銀コインで最大の大きさ、しかも1949年製です。
これはニュージーランド製で見つけだしたのです。
銀コインゆえ、磨きに磨いて持っていました。
このコインが出来たときに私は生まれているのです。
1949年といえばもう69年前ですが、結構この年代のモノで最高は、
戦後直ぐに出来た腕時計もありますが、これは高価になっています。
このコインは20年ほど前に集めてあって、、
ともかく1949年の銀コインに拘っていたときもありました。
しかしおそらく最大の大きさのこのコインは3枚で十分と言い聞かせました。
実は「スピナー」が流行して自分なりに納得がついていたら、
なんだよ、I教授はスピナーからコインかい?ということで、
それなら自分には最高のコインがあるとばかりに持ち出し直したのです。
えっ?、これで何をやるかっていうとマジックの基礎ですが、
この銀コインが大きすぎるのです。
でもともかくしばらくはまたこの銀コインを持ち歩くでしょう。
それがどうした?って、
収集するのは「何を持っていないのだろうか」、
それを自己確認する大きな手法なのです。
Tags: 1949年, 69, ニュージーランド, マジック, マッチ, 切手, 収集, 収集癖, 古銭, 基礎技, 宝物, 実家, 年代, 忘年会, 手法, 断捨離, 牛乳瓶, 磨き, 自己確認、スピナー、腕時計, 蓋, 趣味, 銀コイン
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
8月 8th, 2012 Posted 12:00 AM
モーグがシンセサイザーを発明したのは60年代。
ミニモーグとなって市販されたのが71年でした。
私はシンセサイザーのデザインを目指していました。
美大卒業を間近にして、
「デザイナーとして、音と光をデザイン対象に」と考えていました。
だから、主任教授も
「東芝に行けばシンセサイザーが出来るだろう」と説得されたのです。
確かに東芝は「オーケストロン」という
電子ピアノ楽器を商品にしていました。
しかし、私が入社直後に、
ヤマハの「エレクトーン」との競合により撤退しました。
その研究開発のエンジニアがAurexの部隊に加わったのです。
私は退院後車椅子生活になると、
KORG MS-20とSQ-10を2台で音楽というより音響を創り始めました。
それ以来、この種のシンセサイザーには強く心惹かれています。
今では、iPadの中にiMS-20もあります。
iPhoneの中には、iKaossilatorもあります。
しかし、このKaossilator2は進化してより以前機種より小さくなりました。
iKaossilatorと比較すれば、
インターフェイスは好き嫌いが分かれるでしょう。
しかし、Kaossilator2は、
シンセサイザー音源をほとんどポケットに持ち歩いている感覚です。
ポケットからメロディラインとフレーズラインで
自分の感覚をそのまま取り出すことが出来ます。
私は、この技術には、
現在行き詰まっている音楽界、作曲界の突破口があると思っています。
その突破口は音楽領域ではなくなってきているのです。
つまり、「音楽」と「音響」が
私たちのリズム感覚とテンポ感覚にどんなインスピレーションを与えるか、
これがこれからのミュージックです。
私たちは、時代時代の音楽に
自分の生涯や思い出を重ね合わせていますが、
本来、音楽も音響も、
私たちの感覚にインスピレーションを励起するコトです。
Kaossilator2に、
私はこれからの音楽+音響=イノベーションサウンド、
そんな耳鳴りが聞こえてきそうな気がしてなりません。
Tags: Aurex, iKaossilator, iMS-20, iPad, iPhone, KORG, SQ-10, イノベーション, イノベーションサウンド, インスピレーション, インターフェイス, エレクトーン, エンジニア, オーケストロン, コト, サウンド, シンセサイザー, デザイナー, デザイン, デザイン対象, テンポ, テンポ感覚, ピアノ, フレーズライン, ポケット, ミニ, ミニモーグ, ミュージック, メロディライン, モーグ, ヤマハ, ライン, リズム, リズム感, リズム感覚, 主任教授, 作曲, 作曲界, 励起, 卒業, 商品, 好き嫌い, 市販, 年代, 思い出, 感覚, 技, 技術, 時代, 未来, 東芝, 楽器, 機種, 生涯, 発明, 研究, 研究開発, 突破口, 競合, 美大, 耳鳴り, 自分, 説得, 車椅子, 車椅子生活, 進化, 開発, 電子, 電子ピアノ, 音と光, 音楽, 音楽界, 音楽領域, 音源, 音響, 領域
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 22nd, 2012 Posted 12:00 AM
埼玉県春日部市(クレヨンしんちゃんがいます)は、
桐箪笥の伝統工芸産地です。
当時から桐箪笥産業の収束が始まっていました。
現在もきっと厳しいかもしれません。とても気がかりです。
1980年代は現・埼玉県産業技術総合センターが中心になって、
「桐とデザイン」の再開発が14名のデザイナーに求められました。
私も講演や製品開発に参画しました。
その時の作品は二つありました。
まだ、アロマセラピーが知られていない頃でしたが、
桐箱の「アロマボックス」と「貯金箱」を提案しました。
なんだか、今、商品化できる気がしています。
実は、このようなプロジェクトのことは正直うろ覚えでしたが、
3年がかりで、当時の「伝統工芸産地とデザインの関係」を、
埼玉県産業技術総合センターのK部長がまとめられて、
出版直前の玉稿を読ませていただきました。
もう赤面するばかり、
30代の私の言動が本当に詳細にまとめられていました。
当時、私はタケフナイフビレッジを世に問いました。
場所はAXISビルの展示会場でした。
だから、K氏は、福井に私を訪ねてまで、
私の参加を求められたにもかかわらず、
どれほど私が過激に、
「伝統工芸とデザイン」を結びつけようとしていたのかも
本当によく記憶されておられました。
しかも、それはAXISのH氏が師匠だったことです。
私もこの当時のことはまとめておかなければと思っていただけに、
とても感動しました。
H氏は、80年代の伝統工芸産地とデザインの関係は、
タケフナイフビレッジを詳細にと示唆指導していただいたということです。
H氏にどれほど、
「デザインの作法」・「伝統工芸へのデザイン投入」を
徹底的に指導していただいたにもかかわらず、
ご無沙汰をしてしまっています。
早速にも、筆を取りたいと思っています。
会いに行くべきだと思っています。
Kさん、Hさん、改めて深く感謝します。
出版がとても楽しみです。
日本の「デザイン史」としても貴重な資料になると判断しています。
Tags: AXIS, アロマセラピー, アロマボックス, クレヨンしんちゃん, セラピー, タケフナイフビレッジ, デザイナー, デザイン, デザインの作法, デザイン史, プロ, プロジェクト, モノ, 伝統, 伝統工芸, 伝統工芸産地, 作品, 作法, 判断, 収束, 商品, 商品化, 問い, 埼玉県春日部市, 埼玉県産業技術総合センター, 展示会, 年代, 心, 感動, 感謝, 技術, 提案, 日本, 桐, 桐箪笥, 楽しみ, 活動, 福井, 製品, 製品開発, 言動, 記憶, 講演, 貯金, 貯金箱, 過激, 開発
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 7th, 2012 Posted 12:11 AM
私の見本市・展博・展示会経験は「晴海見本市」会場から始まりました。
東芝時代、オーディオフェアに限らず70年代は、
ほとんどが晴海に見本市会場がありました。
それから、「幕張の見本市会場」が出来ましたが、
会場までの交通の便が不便でそれほどの効果はありませんでした。
そして有明の「ビックサイト」が出来ましたが、
私は失敗作だと思ってきました。
つまり、日本にはコンベンション会場が皆無と言っていいでしょう。
ミラノ市は敗戦後、
すぐにこの「コンベンション都市」をめざしましたから、
世界の見本市の中心地的存在になっています。
私は20代で、オーディオフェアのディレクターに自分から申し出て、
その実務経験をし、展博デザインを学びました。
今回ISOT(国際文具・紙製品展)では、
展示ブースの上に、アドバルーンが数個浮かんでいたので、
私のある経験を思い出しました。
晴海の見本市会場では、展示ブースには高さ制限が規定されていましたが、
私はアドバルーンを上げることを思いつき、実行したところ、
それは事件になりました。
展示会の事務局から「展示違反」、
そのバルーンを下ろしなさいと通達がありましたので、
そのバルーンの糸を切りました。
そうしたら、かえって目立ったのです。
もう事務局は何も手立てがなくて、
開催期間中は最も目立つブース位置表示になったということです。
今では、アドバルーンはOKですがまったくオリジナリティが無く、
日本の展博デザインはほとんど進歩していないことを象徴しています。
日本には展博デザイン専門の学科がまったく無いからかもしれません。
交通の便が良くて、
会場の広さや展示デザインをより高度にするべきでしょう。
いわゆる展博の企画会社にはデザイン部門が無いことも大きな原因です。
展博・コンベンション手法は日本が様々な産業のホスト国として
先進性を連続保持することは貿易立国としての重大な要件です。
10月には、二つのわが国にとって重要な展博に関わります。
さらに、展博アイテムそのもののデザインから、
新しいコンベンションスタイルを産み出したいと考えています。
Tags: アイテム, オーディオ, オーディオフェア, オリジナリティ, スタイル, ディレクター, デザイン, ホスト国, 世界, 事務局, 企画, 制限, 効果, 原因, 国際, 失敗, 存在, 学科, 実務, 実務経験, 実行, 展博, 展示, 展示会, 年代, 心地, 思いつき, 思い出, 手法, 敗戦, 敗戦後, 文具, 日本, 時代, 有明, 東芝, 東芝時代, 産業, 皆無, 考え, 表示, 製品, 見本, 見本市, 規定, 象徴, 貿易立国, 連続, 進歩, 都市, 重大, 高さ, 高度
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
5月 25th, 2011 Posted 9:30 AM
5月25日 庚辰(友引)
自分を面罵しなければならない
年代になってしまったのだろう。
自分の面に罵声が必要なのだ。
『デザインの極道論』面罵
目次を見る