3月 9th, 2021 Posted 7:00 PM
東日本大震災から10年が経ちます。
2017年5月17日、私の研究室は招聘教授と大日本印刷のメンバーとともに
「飯館村に調査」に入りました。
天災・人災で被害を受けたこの村に入ったことが、
私の阪大でのこのプロジェクト最後の現地調査となりました。
ともかく、研究者として現地の事態に目を背けることなく
汚染除去の方策づくりに取り組みましたが、
ちょうど2011年の東日本大震災から10年経っても
ニュースに流れる映像は「相変わらず」でした。
東日本大震災後、2012年の3月末に、
東芝と10ヶ月をかけた復興施策の企画書を持って、
まだ完全じゃない仙台空港からレンタカーで
石巻庁舎で副市長にプレゼン、そして女川に向かいました。
東京の学者よりも、阪大だったら受けいれられるのでは、
また東芝が直接プレゼするよりも、
東芝マンでもあった私が担当することが求められていました。
復興担当大臣にもプレゼする機会がありました。
しかし当時の民主党政権ではまったくその手当など不可能、
総務省からきた石巻の副市長はじめ
その頃の行政には責任を負うべき決断者を見つけることは
難しいと思っていました。
そもそも研究者として、この問題をテーマとして取り組むこと自体が、
タブー視されていたので研究者として疎外される、
予算をつくこともない避けられたテーマでした。
デザイナーでもある私にとっては、
この人災をなんとしてもデザインでの解決を見出すべく、
日本の未来のために闘いましたが10年経った今も
全くやられていないと思っています。
現在のCOVID-19での政府指導も、
まったく同じように繰り返しています。
やがて、南海トラフ、首都直下型地震の恐れがあり、
これにも大きな試練を日本人は待ち受けるでしょう。
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5月 15th, 2017 Posted 12:00 AM
福島市から飯舘村に行きました。
東日本でのあの天災と人災に私は深く関与してきました。
石巻市では復興計画を副市長と市のトップにプレゼに行き、
万全の体制を引き連れましたが無策判断に終わりました。
プレゼ以後に女川までも3.11の被災地を視察しました。
当時の中川防災大臣には復興計画のプレゼも90分。
しかしその時の民主党政権には何の方策論も実行不能な政権ゆえに、
すでに当時で20回目の南海トラフ対策でも結論を出せない政権でした。
あれ以来、人工地盤デザインから南海トラフへのレジリエンスなどが、
私デザインの阪大院でのミッションにしてきました。
今回地道に名誉教授ながら工学的に除染を5年月1もしてきたY先生を
私の研究室招聘教授になっていただき研究室で半年実験をしてきました。
新素材開発と除染・浄化・浄水、さらにはPM2.5までをデザイン対象とし、
現地・飯舘村にて実証実験に入りました。
この計画はコンシリエンスデザインであり
レジリエンスデザインの解決決定実務、
さらには基幹産業の創成を対象。
現地で私はさらに新素材そのモノ、それを稼働させる機器デザインなど
新たなデザイン対象を見つけ出せたと思っています。
それには、これほどまで除染されたフレコンバックが想像以上でしたが、
このフレコンバックも全てを除去するコトもデザイン対象になりました。
また、阪大教え子が就職先の映像制作会社からカメラマンが記録撮影、
彼は慶応でデザインを学び芸大院卒ゆえ理解も早く参画してくれました。
当然、大企業のメンバーも参加して私たちの目標目的を焦点化できました。
いずれ正式なデザイン提案をします。
私は、こんなにもフレコンバックが自然景観までも破壊している現実は
驚愕の連続でしたから、必ずデザイン解決を念押しされた気がします。
* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 『セルロース素材によるわが国の基幹産業化』
* 『油断してはいけない「薪」へのデザインを』
* 『除染されていない間伐材へのデザイン開発』
* 「自然との喧嘩・調和などありえない」
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11月 9th, 2014 Posted 12:00 AM
東日本大震災が私の人生を決定づけてしまったと思っています。
正直自分の人生でこのことは全く私は知りたくなかった事件でした。
ともかく、これまでの日本は理想国家だったと思います。
天災と人災後、私は石巻市で復興計画をプレゼンし、女川まで車で、
震災後の街々を見て回りました。おそらくこれほど愕然としたのは
私の生涯では初めてのことでした。
前政権の中川防災大臣にもプレゼンをしてこれも大がっかりでした。
東北から戻ると、直ぐに、南海トラフや液状化地域が分かり、
私の復興計画は、大幅なやり直し作業を進めることになりました。
大天災は明日かもしれません。
毎日がせかされる中で、私には、デザインコンセプトづくりに、
大きなテーマを掲げました。
印度思想と仏教思想、この五大思想の組み合わせです。
5×5=25、25のデザインコンセプトをテーマにすることでした。
コンセプト=概念というのはあまりにいい加減な定義、
私は「一言で言い切れること」、様々なイメージ重複で、
イメージと実態が離れないことを断言できる言葉だと考えています。
木火土金水と風火空水地はこの組み合わせで世界観は断言出来ます。
3.11から丁度10ヶ月目に私はこの25のコンセプトを掲げ、
現在は自分の関わる仕事すべてに、この25の一言言い切りがテーマ。
私はこの25の断言表は、4×4=16、3×3=9へと
集約をつくしていくことになるまでやっと辿り付いています。
私の目の前には、二つの五大思想を核心とした表のセル25があり、
ほとんど毎日、この表を埋め尽くしていると言えるでしょう。
これは私が、最も最悪だった3.11から、立ち向かわされている、
テーマであるばかりか自分の思考を差し戻していく評価表なのです。
私の生涯のパズルであり、アクシス=基軸にもなっています。
「風と自然、自然と風」
「音を求めて『闇に座す』」
「三大観念の世界観を!」
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10月 22nd, 2014 Posted 12:00 AM
私自身、3.11の特に大津波の現状を石巻から女川までを
つぶさに見詰めて、正直、泣けて泣けて現代を共時している、
大きな悲しみをいっぱい味わいました。
しかも、前政権の防災大臣にプレゼンまでして、憤りました。
この政権は、国を滅ぼすと実感し、若いキャリアや、
田舎の行政マンたちに大失望をしました。
それから懸命にデザインプランを何度も書き上げましたが、
現政権になって、相当に期待しましたがこの写真のごとく工事進行。
地元全てが猛反対であることを確かに聞いています。
しかし、この無謀なコンクリートの防潮堤工事は進んでいます。
どう考えて見ても、いわゆる政治的に保護された土木工事です。
大津波は海から襲ってきます。
これを避けるだけ以上に、襲いかかってきた津波の引き潮力は、
6倍から60倍という報告も明らかにあるのです。
つまり、引き潮力対策無しのこの形状は、海岸線を破壊しています。
現政権こそ、女性の力を、外交力をという期待をこの工事を見れば、
知性無しを露呈しています。明らかに土木業者と政治屋の仕業です。
そして、野党も結託しているのではとすら思えます。
マスコミが左翼的であることを正義にしているならなおさら、
この工事を、彼らは、この商売の裏側すら調べていません。
東北方面のあの美しい海岸線をこうして壊してその結果を、
日本全土の海岸線に適用させることは大罪です。
琵琶湖周辺の液状化は起こるでしょう。
首都直下大地震に自衛隊は東京湾のどこから入れるのでしょう。
富士山は大丈夫でしょうか。
南海トラフでは2分間34mが襲ってくることも分かっていますが、
それがいつなのかは全く不明です。
確実なことは、この10年以内70%での天変地異は起こるのです。
海岸線工事には土木工業以上に造船工業が関与すべきであり、
「ハコモノ」行政には厳しい市民の目がありますが、
この「海岸ドテモノ」の下劣さを私たちは真剣に停止させるべきです。
『現地の反対があっても愚策の防潮堤建設』
「相当困難だと思う」
「自然との喧嘩・調和などありえない」
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4月 4th, 2012 Posted 12:00 AM
強烈な低気圧はまるで台風のようでした。
わが国の自然は「風光明媚」と言われるほど美しいのです。
しかし、その「風光」は、時に荒れ狂います。
春一番というのは、まさに日本の自然の優しい「風光」ですが、
荒れ狂う風は、自然の猛威に等しい。
仏教思想での五大思想には、明確に「風」が含まれています。
そして、日本には三つの風があるということになっています。
まず、山から吹き下ろす風、
海からやってくる風、
そうして、もう一つは瀬戸内海に吹き渡る風です。
それは、全国各地に吹く様々な風の名前を研究しつくした事典があります。
「風の事典」は長年の研究成果がまとめられ、
そこに日本の風がすべからく詳説されています。
特に、海の仕事に関わる人にとって、
「風の名前」は、彼らの生活を決定づけているほど重要です。
それこそ、自然との関わり方が
「風」を媒介して行われていることを証明しています。
風にはそのたおやかな吹き方から
荒れ狂うまでの程度があるということです。
それはまさに自然と日本人のつきあい方を決めていること、
そのことに等しいということでしょう。
先日晴れわたった石巻の海岸線や女川の高台から眺めた海は、
穏やかで、あれほどの津波を及ぼしたことなど嘘のようでした。
「風が吹く」ということは、
自然界であると同時に、
まさにメタファーとしての「風のごとく」に等しいと思います。
自宅にて、外には大変な風が吹き荒れていることが分かりました。
あらためて、私たちは、「風」に対しての感慨を
そのまま自然観としてきたことを精査しなければなりません。
1000年に一度であれ、100年に一度であれ、
私たち日本人が、どのような自然に包まれて、
どのような風に吹かれている民族なのかを考えること、
そのことを今教えられているのでしょう。
自然に抗うことなく、
風を受け入れるどのような姿勢が
最も大事なことなのかを考えてみたいと思います。
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3月 30th, 2012 Posted 12:00 AM
一昨夜最終便で仙台に入りました。
それからも最終プレゼンの準備をし、
昨日、石巻市副市長に「までいProject」のプレゼンをしました。
ポイントはいづれ具体的に進行していけば、
明らかにすることが出来ると思います。
プレゼン後に、石巻の現在を日和山山頂から眺めて、
海岸線にはまだまだ残存している瓦礫を見て回りました。
一年経っていますが、やはり、唖然とせざるをえませんでした。
プレゼンにはこれまでの私のデザイナー体験をすべて込めて、
三つの提案を聞いていただきました。
「ブレークスルーのアイディアと具体策と原資計画」を
話した直後でしたがあらためて途方にくれています。
この日本がこんなことになって、
もう一年になろうというのに、
復興どころか、復旧さえまだかなってはいません。
確かに、相当の努力成果で、
瓦礫も巨大なままに捨て置かれたままですが、
復興にはいつとりかかれるのだろうという思いでいっぱいになりました。
副市長はじめ、復興室のみなさんからは、
デザインとしての発想は受け入れていただけましたが、
この具現化に向かう私自身のエネルギーを
維持していかなければなりません。
企画書づくりの間にも、
「本当に可能だろうか」と何度も躊躇しましたが、
私の信念として、
「楽園国家だった日本」をなんとしても取り戻したい、
この思いを保持し続けてきました。
もう一つは、被災地の子供たちの憧れの職業は、
アスリートや芸能人、自衛隊員、消防団員でした。
決して、デザイナーや建築家ではありませんでした。
私はデザイナーとして生きてきましたから、
なんとしても、デザインの力で「復興」ができることを知らしめたい、
それが職能家としてデザイナーの義務だと考えてきました。
これから具体策に突き進んでいく気持ちを
維持していきたいと思いますが、
石巻から女川まで見て回り、
女川はさらにひどくて、今夜は立ち直れないほど疲れています。
しかし、「なんとしてもやってやろう」と、
今、自分に言い聞かせています。
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