6月 8th, 2017 Posted 12:00 AM
電子計算機は電卓からスタートしています。
電卓には、デザイン名品はあと1点あります。それはブラウン製です。
しかし、このオリベッティの電卓は、
マリオベリーニのデザインであり計算結果がプリントアウトされました。
ところが、当時のプリント用紙は特異な銀色プリントされたモノでした。
すでにこの電卓は今では博物館の展示品でしょう。
しかし、電卓を決定付ける造形デザインは電池収納性も含めて
デザイン造形のお手本と言っていいでしょう。
電子計算機が電卓から始まったとすれば、
パソコンのCPUとプログラミングは、
二つの流れがあります。
まず、電卓から様々な機能が増殖してきたモノ。
様々な機能の中で電卓機能だけを取り出したモノ。
この二つがあり、増殖を余儀なくされたインテル系CPUと、
電卓機能だけを際立たせたモトローラ系CPUがあります。
これがMC68000であり、以後現在のCPUになったのです。
前者がWindowsであり、後者がMacOSと整理ができます。
そういう意味では、
折角オリベッティは早期にこの電卓を商品化しましたが、
結局は、電卓がパソコンになると、
マイクロソフト社とアップル社になってしまいました。
こうした系譜の源流として、この電卓を見直すことが可能です。
特に、デザイン造形としての素材とそのカラーリングは見事でした。
その企業としてのオリベッティには、
私もデザイナー成り立ての頃には、
タイプライター、特に、バレンタインがデザイン造形では名品でした。
このタイプライターが女性に秘書という職能、
コトのデザインを成し遂げたと言い切っていいでしょう。
しかし、コトのデザインを成し遂げたのは、
モノのデザインとしての造形美だったということです。
* 『デザインの名作で学んだことだが、モノはもはや消滅している』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 『スマートな人とスタピッドな(前頭葉不能な)人々』
* 『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』
* 『電話・電話機、通信環境の変化は社会革新を成す』
Tags: CPU, MacOS, MC68000, Windows, アップル, インテル系, オリベッティ, カラーリング, コトのデザイン, タイプライター, デザイン名品, パソコン, バレンタイン, プリントアウト, プリント用紙, プログラミング, マイクロソフト, モトローラ系, モノのデザイン, 博物館, 増殖, 展示品, 手本, 機能, 焦点, 秘書, 職能, 計算, 計算結果, 造形美, 銀色プリント, 電卓, 電子計算機, 電池収納性
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5月 27th, 2016 Posted 12:00 AM
「デザイン」への大勘違いが格段と増殖しています。
正直、この紹介は「怖いこと」であり、
みんなが「沈黙して決して語らない」という風潮が蔓延しています。
しかし、現状の一般認識が「これがデザイン」ということはプロとして、
見過ごすことが出来ません。
「サイレントユーザー」として生きようという決心がすでに「変」です。
無論、それぞれの出来映えにはいわゆる「努力の足跡」があります。
その否定ではありません。
こうしたデザインされたかのような「デザインのような」性質、性能
それを社会制度が黙秘していることに、機能も効能もガラパゴス化して
「日本の危機」が明確だということです。
社会制度は「たかがデザイン」という扱いが明白ゆえに、
敢えて訴求します。
「これらはデザインのようなモノ」に過ぎず、
「デザインでは無い」という再宣言なのです。
しかも、これらはすべて実現していて規制事実なのです。
デザイナーとして、大学人として、懸命かつ賢明に生きてきた者として、
「悲しくて哀しみ」に突き落とされています。
「それならお前のデザインは」、というブーメラン効果が来るでしょう。
向かい合って、決闘する覚悟もし、決意もしています。
まず、「コンセプト」だ、「イノベーション」だ、「デザイン思考」だ、
という発想から解放されるべきです。
「デザインとは何か」が終焉してきたことを主張してきました。
「コンシリエンスデザイン」で三つの定義をしました。
● 「問題解決の『応答・回答・解答』があるだろうか。」
● 「価値の創出が実現しているだろうか。」
● 「未来の創成に連動していくだろうか。」
2020年のすぐ後には日本は国際的な立場を失うでしょう。
わが国の「正しい美しさ」は、デザイン職能が主体的に、
性能・効能・機能で「これがデザイン」を主張し、
共有・共時の価値=好ましさと望ましさを創出創成することです。
*『コンセプトから「ライン発想」の三つの思考空間』
*『デザインは問題解決!・この本質の再整理』
*『愛着と愛用がデザインの全体価値である』
*『鏡映は冥府に降りていることゆえに「何がデザイン?」
*『陽子加速器での核変換デザインによる復興』
Tags: 2020年, イノベーション, いわゆる, お前, これがデザイン, コンシリエンスデザイン, コンセプト, サイレントユーザー, たかがデザイン, デザイナー, デザイン, デザインとは何か, デザインのような, デザインのようなモノ, デザイン職能, ブーメラン, ブーメラン効果, プロ, わが国, 一般認識, 主体性, 主張, 何がデザインか, 価値, 共時, 共有, 再宣言, 出来映え, 創出, 創成, 努力の足跡, 効能, 危機, 否定, 哀, 問題解決, 回答, 国際的, 増殖, 変, 大勘違い, 大学人, 好ましさ, 定義, 実現, 宣言, 応答, 応答・回答・解答, 怖いこと, 性能, 性能・効能・機能, 悲, 懸命, 扱い, 敢えて, 既成事実, 日本, 日本の危機, 明白, 明確, 望ましさ, 未来, 格段, 機能, 正しい, 正直, 決心, 決意, 沈黙, 無論, 現状, 発想, 社会制度, 立場, 紹介, 終焉, 美しさ, 蔓延, 見過ごす, 覚悟, 解放, 解答, 訴求, 認識, 語らない, 賢明, 質, 連動, 風潮, 黙秘
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3月 18th, 2016 Posted 12:00 AM
「牛乳」はミルクです。
「乳牛」はミルクを出してくれる牛のことです。
「牛乳」はすべて美味いわけではありません。つまり、
「乳牛」だからと言って、美味しいミルクを出すわけではありません。
ともかく、乳牛のような職能という喩え話がとても可能です。
それこそ建築家やイラストレーター、グラフィックデザイナーを
まさしく乳牛とするなら、彼らは建築を建て、イラストを、グラフィックを
乳牛としてミルクにすることができます。
果たして、それが美味しいミルクかどうかは不明だと断言します。
ところが、
デザイン=ミルクを出すと思い込んでいるクライアントが多すぎます。
これが電車?これが美術館?このことにも気づかない?が氾濫しています。
乳牛のような職能からのミルクは、
あたかもミルクっぽく見えて、それなりの評価を受けます。
クライアントは大満足しているのです。
このようなまずいミルク=下手くそなデザインに大満足している、
そんなクライアント=企業家が増殖しているのは間違いありません。
40余年デザイナーとして、私は私なりの倫理観で自分のデザインを
それこそ
デザイン=美味しいミルクにするデザイナー=乳牛を目指しました。
だから、なぜそこまで自信たっぷりに、
「こんな不味いミルク=デザインを」、
「この程度のデザイナー=乳牛などいらない」と、
それこそ、断言を惜しまず、結果、喧嘩別れなど平気に生きてきました。
それは反面、自分のデザイン=ミルクを世界でトップに美味くする
自分に課した「使命」だったからです。
毎年、昨年はこれほど我慢したのだから、
今年は絶対に認めがたいモノ、コトには容赦なく断言するとか言うと、
周囲は、毎年そう言って生きているのだから、
何もそうまでして「敵をつくらず」とか言われます。
が、僕は我慢に我慢をしているのです。
・「正直」ということ
・「正眼の構え」ということ
これほど実際は苦しい生き方は無いことは確かです。
「ミルクはすべてが美味いわけではない」
「乳牛のような存在だから、美味しいミルクのような」
そんな結果のミルクのようなデザインはありえません。
こうした風潮に、
わが国は狂乱した情況にあることは書き残すべきでしょう。
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7月 24th, 2010 Posted 12:00 AM
見過ごすデザイン?
正直、これがデザインされているのだろうか、
というモノが本当に氾濫し始めています。
私はすでに60歳を過ぎてからは、「見過ごすように」しています。
当然ながら気持ちは分断されます。
「明確に言うべきだ、いや見過ごそう」という二分化が内省で起こっています。
ただし、デザイン教育の現場で自分の教え子には、
「ここがデザインではない。デザインという大誤解がある」という理由を
説明し指導しておきます。
それは次世代には伝えるべきだと思うからです。
デザインはどうしても「感覚」で捉えられます。
したがって、私も価値感の多様性については、
「あってしかるべき」態度は正確に保持しています。
しかし、「デザイン価値がたとえ付加価値として目指されてことであっても」、
デザインの本質が問題解決や、新たな文化構築ではなくて、
破壊しようとしていることや、
迎合がみえみえのモノは、
デザインではなくてデコレーションという一言で片付けることにしています。
デフレスパイラルで、デコレーションをデザインと呼ぶモノが増殖しています。
でも、デコレーションといっても、
いわゆる加飾の極致である「絢爛豪華」なモノは、充分に受け入れます。
大誤解
さて、デザインの大誤解は二つあります。
▼ Simple is bestとless is moreのはきちがい
▼ Appropriation的が現代デザインだという非見識
この二つを、最近は見過ごすようにしています。
しかし、私が尊敬するデザイン界・学識界・美術界の先生方に、
自分はこうしたモノはデザインでは無いと考えますが、という質問をすれば、
必ずこうした大先輩も同じように「見過ごし」ておられます。
私もそろそろ、信頼する学生や次世代デザイナーには「聞かれたら正確に解答」する、
そんな態勢と態度になりたいと考えるわけです。
それでも、そんなことが出来ない自分がやはり存在しているようですから、
これを「実作デザイン」で具現化創造に、と意気込んでいます。
Tags: Appropriation, ess is more, Simple is best, デコレーション, デザイン価値, デフレスパイラル, はきちがい, 二分化, 付加価値, 価値感, 内省, 問題解決, 増殖, 多様性, 大誤解, 感覚, 文化構築, 氾濫, 破壊, 見過ごす, 迎合, 非見識
Posted in 039「デザインは全体価値」, 資本主義から逃走せよ!
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