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Posts Tagged ‘修復’


9月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 11th, 2020  Posted 12:00 AM

9月11日 赤口(丁巳)

『提訴としてのデザイン』

だれが真実、
人間性能を完備しているというのか、
すべての人間が
補修不可能な欠損箇所を
持っているではないか。

artificial heart:川崎和男展


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『ミキサーとグラフィックイコザイラーで周波数領域』


   


     1月 28th, 2019  Posted 12:00 AM

最近の商品には、この周波数領域の説明がありません。
私にしてみれば、周波数の20Hz?20kHzがないと
どこかに不安を感じます。
これは私が前回ブログで書いていたAurex SS-320の周波数です。
私がデザインしたAurexの最高製品だったと思います。
528Hzは特別な周波数として、ヒーリング効果、
DNAの修復あるいは熟睡を促すということが発見されています。
また440Hz=A音は、
ギター、ピアノなどの 一般的な調律の国際標準ピッチです。
この周波数をもって、自分の再生音は
16chのミキサーを8chオープンデッキで使いこなしていました。
ミキサーはプリアンプになります。
これはビクターのグラフィックイコライザーを使えば、
スピーカーシステムの音を自由に変えることができるのです。
そして、私は最高の音源を求め、
スタジオでおさめた音に対して「再生音」という言葉は
相応しくないから「レコード演奏」と思っています。
これこそ、故・菅野沖彦先生のことばです。
1970年頃には、ビクターのSX-3が大ヒットでした。
これが、コンポーネントの始めだったと思います。
私はKORGのシンセサイザーで作曲をし、
16chのミキサーで8chから、
さらにグラフィックイコザイラーで4chに落としました。
これが、私の周波数に自由に変化を与えていました。
音大ではなくて、美大出身だからこそ、
周波数特性グラフにはまり、現代の私の作曲をしました。
私のオーディオデザインにも
それが大きく反映したのだと思います。


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『「くまモン」参加のワッペンでレジリエンスデザイン』


   


     8月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

先般、東京で誤報が流れました。
誤報であっても、日本人には必要なことだと思わざるをえません。
案の常、我々には「熊本大震災」はまだまだ連続していますが、
報道が無いと終焉したような錯覚が起こってしまいます。
現地では九州大学、そして現場熊本の崇城大学が
「レジリエンスデザインチーム」として、地道な活動をしてくれています。
バックアップできることは本当にささやかなことですが、
「レジリエンスデザイン」という領域がやることは、
これまでの「強靱化」というよりは、はるかに次世代、そして、
日本ならではの大切な提案・提唱になっているもとの考えます。
三つのワッペンを最初にデザインして、ようやく熊本県の認定で
目星のシンボル「くまモン」マークも使用可能になりました。
レジリエンスデザインチームの建築系ではコンペ企画も実施されるでしょう。
阪大の私の研究室でも明確な製品開発と商品化をねらってます。
ようやく、たかがワッペンかもしれませんが、
デザイン力の具体的な実務がワッペン一つの裏側には一杯潜んでいます。
今「全瓦連」がほとんどボランティアで修復に入っています。
このところ、日本では連続した地震が頻発します。
それだけに、3.11も熊本も明らかに、
日本民族の「知恵」=Silienceにするべきです。
次世代デザインではレジリエンスデザインとコンシリエンスデザインが
切っても切れない密接な関係にあることはこのチームにテーマが出るかぎり、
デザインの拡大、デザインの実務性は明確になります。
もはやユニバーサルデザインでは解決不足は明らかです。
それこそ、人間工学の一分野が「シーティングエンジニアリング」のごとく、
知識、学識、の大変革が起こっていると言って構わないでしょう。
「学際化」なんて誤魔化しだと言い放った無能さにはあきれるだけです。
レジリエンスを明確化するコンシリエンスデザインは
すでに本格的な実務としての次世代デザインに、
たったワッペンデザイン1枚で表現されているのです。

* 『熊本の草木鳥がレジリエンスのシンボルになる』
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『レジリエンスデザインチームだから屋根材・瓦を新開発』
* 『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』
* 『熊本大震災への新たな瓦屋根材のデザイン開発』


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『享保の手帖から私が学び直したこと』


   


     11月 3rd, 2014  Posted 12:20 AM

母方の血筋は宮大工です。祖父は最後の宮大工でした。
伯父から残っている宮大工関連の図面や代々語り継がれた家訓と
現代でのメモ、手帖を譲りもらいました。
写真の手帖は達筆とはいえない仕事関係の命令書的な記載があり、
それは享保19年ですから1734年の記述です。
図面は、発想が広がれば用紙は付け足され、正面図が描かれると、
その用紙の裏面には背面図がそのまま描かれているのです。
私は数十枚の図面を徳川美術館で修復をしてもらいましたが、
最も私が気を引かれたのが、和紙でも泥漉きの紙でした。
私が越前和紙の産地に、最初訪れたとき、いきなり言われたのは、
私がデザイナーだと言った瞬間「帰ってほしい!」と言われました。
それはどれほどデザイナーというのが産地を壊していたことです。
だから、何度か訪れて心を開いてもらった方はもう逝かれましたが、
世界各地で手漉き和紙の実演をされていたのです。
彼の跡継ぎ連中と私は「オータキペーパーランド」を創りました。
今では、その連中の子ども達はFBしてくるまでに成長しました。
彼は、「父親を人間国宝にしたい師匠」だと言ってきます。
だから、今、デザイン活動をまとめてしていませんが、
私は自分用の和紙を発注することができます。それは絶対に、
街中にある和紙の専門店=ほとんどが和風紙=半草紙です。
私は半草紙が駄目だと言っているのではありません。
なぜなら、本物の楮紙や雁皮紙などはとても高額です。
そのようなモノは絶対に今の市場では「商品価格」がつけられません。
余程、工芸紙であるという納得がいるわけです。
いかにも1300年の歴史でユネスコ認定という前に、
1500年の越前和紙産地が選外になることは三つのことを示しています。
まず、「和紙」でなぜ登録しなかったのだろうか?
全国各地の和紙産地を区別して、伝承性の保護など無意味です。
ユネスコ認定で毎年どれほど行政は支払うのでしょうか?
無償だとするなら、和紙業界に大きな差別格差をつけたことです。
なんとも納得できません。
そして、低レベルなデザイナーがハエのように出てくるでしょう。


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