4月 8th, 2013 Posted 12:00 AM
最近わが国でも流行りだしていることには空しさがあります。
まして、それが欧米で流行っているから、とか聞くと、
私は悲しくなります。
歴史連鎖性の大きな読み違えが明白です。
確かに、パリの街に「人力の何とか」がありました。
日本でも、観光地と言われる乞食(こつじき)街に出没し、
これが今後の”エコロジー”とかの発言や評論を見かけました。
誰もが乗れる電気自動車も街角の風景になっていました。
電気自転車もありましたが、
カメラを向ける気にもなりませんでした。
おそらく、勘違いのエコ・プロダクトとして語られるのでしょうが、
存在に、デザインの重大な三つが欠落しているのです。
機能性から美しさはありませんでした。
性能性も慌て過ぎですから、それがデザインにつながっていません。
無論、街の景観に溶け込むほどの効能性はまだ育っていません。
おそらく、行政の成せる未来性への道程であることだけは認めておきます。
だから、根本のプロダクトデザインが大欠落しているのです。
この傾向は、全世界のきわめて先進国に見かけられる現象です。
プロダクトデザイン・インダストリアルデザインが、
悲しいかな、ほんの一部のデザイナーにしか伝わっていません。
かつて、「フランスにおける日本年」1997年に、
私はフランス在日大使館の紹介で、
フランス・トゥールーズにて、「経済と文化でのデザイン」に招かれ、
作品展示と講演をしたことがあります。
その時には、デザインの役割について話をしましたが、
あるフランス商工会の偉いさんと、結局喧嘩してしまいました。
彼らの中では、まだまだ、デザインをアート扱いしていました。
それが、残存しているのでしょう。
しかし、フランスの「デザイン都市宣言」の街や、
フランス芸術大学には、「デザインでアルツハイマー病の関係」までが、
すでに論議され、その実務活動も始まっています。
デザインがこの大都市パリに根付くにはまだ歳月が必要です。
まして、パリでも流行していたから、なんてのが出てきたら、
私は見逃さずに、喧嘩師になるでしょう。
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5月 2nd, 2011 Posted 12:00 AM
[物質・情報・エネルギー]=世界要因です。
明らかに世界がこの三つで構造化され、
その中で、生物、動植物、人間の日常があります。
私にはどうしても
エネルギーが日本語であってほしいと思います。
物質とエネルギーを徹底して熟考し、
よりやさしく伝えようとしたのは寺田寅彦でした。
そして彼は、天災や事故、
科学での解明を最も随筆や報告として書き残してくれています。
私の世代は、彼の文章は受験問題になっていたこともあり、
親しみがあると同時に、
物理の本質を数式ではないことばで解説されていました。
したがって、あらためて読み直してみれば、
津波や天災の記述が本当に多いことを再認識させられます。
「天災は忘れた頃に」というフレーズも彼の発言でした。
さて、エネルギーというのは、
今回、具体的には、電力・ガソリン・人力でした。
しかもこうした要素因は、
「仕事力」という具体結果に結びついていたことです。
まさしく、寺田寅彦著作である「物質とエネルギー」には、
エネルギーを「仕事をなす能」とし、
かつ物理学者のBegriff=Concept=概念にすぎないために、
世俗的には理解困難な概念にも関わらず、
自然力との関係が不明な原因になっているという指摘は
今なお引きずっています。
少なからず、エネルギーとしての「放射能」も、
その能力の限界を未だに人間は把握していません。
すなわち、概念=Begriffというドイツ語の語源は、
包括する、把握するという意味です。
つまり、私たちは物理学的にもエネルギーは、
まだ概念に過ぎず、包括することはもちろんのこと、
把握することもできていないことを、
今回のフクシマ原発事故から、人類すべてが、
充分に学びとり自省しておくべきことだと考えます。
*寺田寅彦「物質とエネルギー」は「青空文庫」で読むことができます。http://bit.ly/ifEMKn
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8月 23rd, 2010 Posted 12:00 AM
壮絶なのは日常なり
私は、自分の交通被災から車イスのデザインをしました。
この実体験は「壮絶」と思われているようですが、
「生きている日常の方が壮絶」だと思っています。
本当の「壮絶さ」な人間界の話はいづれ書きます。「悲惨な壮絶さ」は潜んでいるのです。
五大器械
さて私は、車イスは道具ではなくて「器械」だと言っています。
器械は、『周礼』では、「器は楽器で、械は武器」、
『後漢書』では、「器は内に盛るモノ、械は外に盛るモノ」、そして『荀子』では、
「器は、鎧(よろい)冑(かぶと)で、械は矛(ほこ)弓(ゆみ)ということになっています。
一方、古代西洋のヘロンは五大器械を、てこ・ろくろ・くさび・ねじ・滑車と定義していますから、すべからく「人力」という力学が関わっているということです。
自力養成訓練
そこで、私は車イスを「自力」デザインで開発と、乗りこなせる「自力養成」をしてきました。
救急病院時代は、プラスチックのギブスで上半身をカバーしながら、
退院間際には、ようやく2kの砂袋を10cmぐらい動かせるようになっていました。
半年後に労災病院で、いよいよ本格的なリハビリテーションを受けることになりました。
それは自分を鍛え直すことになったのです。
まず、700ccの水を1日に3回飲み干すことです。これは体の水分を保持し排泄訓練のためでした。
おかげで、容器を見れば何ccかすぐにわかりますし、
今も、ともかく最低2000cc以上で体内水分調整することです。
相変わらず、発熱は連続していました。朝の検温で37度だとトレーニングはできません。
だから、37度を越えていると必ず37度以下にして、トレーニングを受けました。
案の定、トレーニング中に高熱となり幾たびか倒れました。
問題は、2k程度ではまったく車イスどころか、「自力」でベッド上で体を起こすことはできません。ともかく5kの鉄アレーでのトレーニングをめざしました。
七つのパターンを各150回上げ下げをすることになります。
ベッドでの起立は、当時の日本のリハビリ標準値は一ヶ月でした。
しかし、ベトナム戦争傷病兵のリハビリ本が東芝のデザイン部門は届けてくれました。
それによると米国では2週間というメニューがありました。私はそれを目標にしたのです。
車イスに乗るためには150kの鉄アレートレーニングが必要。
これは鉄棒での懸垂運動30回程度相当です。
自力力学
つまり、人間の「自力エネルギー」というのは、自分の体重を自力でコントロールする力学を、
「自力的に身体化」するということです。私のリハビリトレーニングは「優等生」でした。
それが出来たのは、中高大までにスポーツで鍛えてきたことが役に立ったということです。
水泳・スキー・空手・少林寺拳法・ロッククライミングでの経験があったために、
失われていた「自力」の回復は半年で150kの鉄アレーで回復させることができました。
やっぱり、車イスは器械です。
だから自転車も道具ではなくて、「自力と平衡感覚力」を駆使する器械だと断言できます。
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8月 20th, 2010 Posted 12:30 AM
道具か器械か
大学時代に、その教授がデザイン学生を多分意識してもらったのだと思い出すのです。
一般教養「哲学」では、「機械とは何か」が常にテーマであり、
試験問題にもずばり「機械について記せ」だったのです。
美大ゆえに、ほとんどそうした座学は無視していたと思います。
ともかく「実技」に明け暮れ、デザイン技能の習得ばかりでした。
卒業して、その教授がきわめて有名教授でした。
それからその教授の本を書店で見つけては読んだものです。
さて、この一ヶ月、「自転車」に囚われてきました。
それも「ことば」の中に「自転車」を置いて、
未来の自転車を「ことば」にしようと考えてきました。
その表現をボードリアール風に、と望んできたようです。
そこで、自転車は機械?、ということではまったく成立はしないと思い込んできました。
直感的に、自転車は「器械」でした。
ところが、道具・器械・機械・機器というアイテムで分ければ、
私の中では、自転車はまったく「器械」なのです。
「器械」は《周礼》で定義されていたはずですが、
道具と機械の相異点では、道具は「人力」であり、
「原動機」を応用するモノが機械ということになれば、自転車は道具のはずですが、
やはり「器械」なのです。
あらためてこの直感の詳細を述べていく必要を感じている次第です。
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