kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘モノの体系’


1月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 31st, 2022  Posted 12:00 AM

1月31日 仏滅(甲申)

『修辞学としてのデザイン』

情報社会化の中での
モノの体系は、
メディアで価値操作される
形式と内容の形態化が
デザインである、
という
現代的定義が可能である。

artificial heart:川崎和男展


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11月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 5th, 2021  Posted 12:00 AM

11月5日 仏滅(丁巳)

『下学としてのデザイン』

物質と情報を
モノの体系と
コトの体系との
相対性であると考えれば、
そこには、
インターフェース・
インターラクションの
デザインが
デザイナーの
新たなテーマに
なっていることは
明確である。

artificial heart:川崎和男展


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5月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 23rd, 2021  Posted 12:00 AM

5月23日 先負(辛未)

『観念としてのデザイン』

科学技術の成果として
現代が製造し
生産してきた
モノの体系は、
そのデザインの骨格に
コンセプチュアリズム
=概念化手法を
選別してきた。

artificial heart:川崎和男展


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2月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 27th, 2021  Posted 12:00 AM

2月27日 仏滅(丙午)

『基層としてのデザイン』

そうすれば、やがて、
時代の基層に
ゆるぎないモノの体系を
張りめぐらせることが
できるだろう。

artificial heart:川崎和男展


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2月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 19th, 2021  Posted 12:00 AM

2月19日 友引(戊戌)

『基層としてのデザイン』

現代、
消費されるモノの体系から
どれだけのモノが
形見の層に
昇華できるだろうか。

artificial heart:川崎和男展


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2月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 12th, 2021  Posted 12:00 AM

2月12日 先勝(辛卯)

『基層としてのデザイン』

果たして、
自分に関わる
モノの体系もまた、
基層の素材に
なりえるだろうか。

artificial heart:川崎和男展


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1月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 5th, 2021  Posted 12:00 AM

1月5日 友引(癸丑)

『修景としてのデザイン』

現代のモノの体系の景観は、
光景的には
モノの及ぼす功罪を際立たせ、
風景的には
経済の横暴が地球環境までを
破壊的状況に追い込んでいる。

artificial heart:川崎和男展


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1月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 3rd, 2021  Posted 12:00 AM

1月3日 赤口(辛亥)

『修景としてのデザイン』

モノの体系で
構成された景観を
美学的判断にゆだねる、
そのための景観づくりを
「修景化」と
呼ぶことにしよう。

artificial heart:川崎和男展


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12月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 31st, 2020  Posted 12:00 AM

12月31日 先負(戊申)

『修景としてのデザイン』

時代と社会の
相関が展開する中で、
モノの体系は
集合されたひとつの景観となる。

artificial heart:川崎和男展


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「Blog形式変革に喧嘩を売ります」


   


     8月 2nd, 2011  Posted 12:00 AM

私のこのブログは、
すでに4年間毎日記述。
体調が悪くて発熱しようが、
定刻0時を越えて明け方近くであっても、
書き続けてきました。
予定通りのアップがないと知人から心配されたりします。
それはともかく毎日、ことばとかたちに向き合う私なりの決め事です。
私の性格は、一旦ヤルと決めたことは絶対にやりぬくことです。
これは祖父と父からの教えを受け止めてきたからだと思っています。
いわゆる「男の子」(この言葉はセクハラ用語)として、
ヤルと決めた事をやり抜けば、必ずそれは報われるものでしょう。
何が報われるかといえば、極めて「男の子」という望みにすぎません。
しかも私にとってそれは、モノの世界、
自分の日常性を包んでいるモノの体系にすぎません。
たとえば万年筆からファッションでの好きなアイテムだけの世界です。
しかもデザイナーという職能になれた幸運さで、
モノの体系には、素材から製造・生産、そして消費構造までに、
知識より知恵を巡らすことに一喜一憂しています。
オーディオが好きですから、ようやく1万曲=200Gをリッピング。
社会人になった時にはオーディオ、
いや美大の卒業制作も「3Dステレオシステム」でした。
今でいう、2.1ch=左右に中高音で一つの低音(ウーハー)です。
それよりも今、Social NetworkやCloud Computingの
より具体的な展開のなかで、
私はBlog形式をSocial NetworkではFacebookで、
閉じられたCommunityでの発言をしていくべきかと悩んでいます。
すでにデザイナーとして積み重ねてきた記述ノートの公開も、
自分で電子出版形式を取り入れました。
「好き嫌い」を明確な「わがまま」で
記録記述していく時代かもしれません。
実情は、Cloud サーバーの海外企業やSocial Networkでは、
まだまだ概念だけが先行しています。
その代表的な活動に「自分の情報発信性」を開示してみようかと、
私は賢明に熟慮している最中です。
こうした考えを突き動かしているのは、実に曖昧で、
「男の子」としては見過ごせない事が多発し始めているからです。
「時代・近未来に喧嘩を売ります」。
それは、今の自分の残された時間と自分に喧嘩を売るためです。

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