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Posts Tagged ‘ミラノ’


staffblog 3月3日


   


     3月 4th, 2017  Posted 10:00 AM

3月3日

本日は、イタリアからお客様です。
伊藤節氏がお越しくださいました。

夕食後、研究室に場所を移して、
文字通り夜中までディスカッションです。

ミラノ工科大のデザインについては、
え?!と驚かされるようなお話を。

そこからミラノを中心とした
イタリア・ヨーロッパデザイン概論へと。

たっぷりとお時間をいただき、
様々なお話をいただきました。

Studio I.T.O. Design


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staffblog 2月10日


   


     2月 10th, 2017  Posted 9:53 PM

2月10日

本日はKK適塾 第4回が開催されました。

今回は、
全員デザイン界・同世代という、
これまでなかった組み合わせです。
河北秀也氏と北川原温氏を
お招きしました。

スタートはDNPの紹介から。
川崎とのプロジェクトも
ご紹介いただきました。

iichikoはもちろんのこと、
ご自身のスタートから
お話いただきました。

ミラノの日本館は
日本建築の美しさを示しました。

同世代ということもあり、
思い思いに今のデザイン、
教育、文化、思想、政治
様々な議論が展開されました。

お越しくださいました皆様、
ありがとうございました。


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『DESIGN TOKYOでの「PROTO LAB」を充実させる』


   


     7月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

「DESIGN TOKYO」は現在4名の審査委員で出展を決めます。
それだけに審査は3ヶ月かかっています。
その展示会の傍らに「PROTO LAB」を自分の発案で設置、
国内の次世代デザイナーに廉価なブースで作品展示をしてもらっています。
理由は、すぐにミラノサローネでの出展を試みる若手デザイナーが
ミラノに大変高額な自分費用をかけていることへの反発でした。
ミラノで発表する意味など若手には全くありません。
今年度は「DESIGN TOKYO」で昨年からグランプリを出しているので、
次年度から「PROTO LAB」でも表彰してほしいという声が出ました。
確かに、今年度も才能を3人ほど見つけました。
そして大企業のデザイン部長からアドバイスがあったとも聞きましたが、
「そんな考えではあの企業も危ない」と言ってしまいました。
先輩デザイナーとしての経験やアドバイスを一杯していくのが
もはや自分の役割だと思っていますから、出来る限り懸命に伝えています。
ガラス作家・長町三夏子さんを見つけました。もう一息の作品でした。
ガラス工芸の難しさも充分に知るだけに、
製品アイテムを増やすことや
これまでのガラス工芸が気づかない分野などを伝えました。
毎年、この会場で対応する以前に教えたいことが
本当に山ほどありますから、出品者を拡大することや、
是非ともこの領域まで「デザインを拡大」してほしいと思いました。
展示会主催者には、なんとしても三つは伝えて実現をしたいと思います。
最近、経師=ブースづくりがとても下手になってきています。
また、出展各社にもっとヒット作を出してほしいのです。
「PROTO LAB」からはスターになる若者が突然TVに出演しています。
そして審査委員を増やして海外への進出を増やしたい、と思っています。
もちろんこの分野の出展者にも
受賞・グランプリを出したいと思っています。
その分、自分自身、
次世代デザイナーへの新分野デザインに精進しなければなりません。

*『DESIGN TOKYOのPROTO LABから次世代デザイナー出でよ! 』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』
*『DESIGN TOKYOはホスト国として拡大させる』
*「デザインが根付かないままに・・・」
*『若手デザイナーの海外個展を応援する』


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「デザインを国策に! 超党派にこそ頼みたい」


   


     8月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

デザインを「設計から策略」と訳した大国が中国です。
私は40余年、デザインを外観設計ではなく、問題解決の実務、
この定義付けを自ら実践し、教育し、
その一般化をデザイナーの目標と目的にしてきました。
しかし決して政治、国政、国策になっても、
根付いたデザインでは全く無くて浮ついたままでした。
現在「クールジャパン」があたかもデザインと語られそうです。
ところが、大きなイメージ展開の間違いを海外友人からも、
「クールジャパンにデザインは無いよ」と批判されます。
加えて、国内の大企業に限ってデザインへの投資は激減少です。
ミラノでこそ展覧会という若手デザイナーに警告のため、
私は「DESIGN TOKYO」を登竜門展示会として用意しました。
その審査員に、藤巻幸夫氏に加わってもらいました。
もう6年になりますが、スターデザイナーが出始めました。
余りに最近、彼を国会中継TV報道で見かけて、
「なぜ、国会にあれほど出ているわけ?」
「参議院議員に繰り上げ当選したんです」
「エッ!」、ということから、
福井県選出の稲田朋美国務大臣に会っていただきました。
彼女の与党大臣としての政策実務は実に明白です。
比して、藤巻議員の野党からの問いかけも明快です。
現在、わが国は「国難」の中にあります。
国内は、復興があり、エネルギー問題があり、
国際関係においては厳しい立場の中で、
先進国家を維持しなければ、貧しい国家になるでしょう。
それなら、「デザイン」を国策創出と国家表現の発信手法、
これが、ようやく、「超党派」での可能性が出てきました。
私は、「行学」の実行をデザイナー・大学人として、
この「国難」ゆえに、困難さをチャンスに変えたいと望みます。
となれば、「超党派のこの二人」ならば、
わが国を理想的な国家にする大臣と代議員だと確信します。
イデオロギーで政策討論などの時代は終焉しました。
デザイン・ファッション、
この本質はまさに理想実現の実務だからです。
私は、彼らの活動をプロとして、全身全霊で支援する覚悟です。


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「日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき」


   


     4月 15th, 2013  Posted 12:00 AM

私はデザイナーになって見本市に大きな興味を持ちました。
オーディオフェアのディレクターになりたくてたまらなかった時期。
だから、車倚子になって独立したときに、
あるオーディオメーカーのディレクターで復活しました。
当時は晴海の見本市会場でしたが、
その開館前日に見本市会場にもどったときに
大歓迎されて号泣したことがあります。
だから、デザインしてShow-Up戦略での、
展示会・博覧会・見本市では、
集客や宣伝手法には長けていると思っています。
幕張の展示会場は完成時にがっかりしたことが数多くあります。
そして現代では、
「東京ビッグサイト」という東京間近の展示会場に多く希望があります。
まず、国際的には「国際・・・・・」という見本市で、
日本がホスト国になる機会が格段に減少したことです。
なんといっても、
わが国があるゆる業界の「国際的な見本市」では
ホスト国でなければなりません。
東京への関心と見本市会場の大きさに大きな問題があります。
見本市においての先進国は、ドイツ・イタリア・米国があります。
特に、ドイツは会場そのものが巨大です。
ミラノは、大戦後にその国家になるという制度とともに、
「見本市」で儲けており、
とりわけ、デザイン関係では、
「金を取られているだけなのに成功者ぶって」いること。
すでに、アジアは、
シンガポール・香港・上海・ソウルの見本市に工夫が出てきました。
私は、国際紙・文具展において「日本文具大賞」から、
「DESIGN TOKYO」で、新世代デザイナー発掘をしています。
今後は、「危機管理デザイン展」を開催したいと考えています。
つまり、見本市のホスト国がその業界のリーダーになるからです。
しかしながら、有明は8万平米しかありません。
国際的には68位です。
比して、ドイツはハノーファー・メッセが最大で47万平米で、
ドイツには世界的に最大級がいくつもあります。
私は決して見本市会場が大きいことに優位性があるとは思っていません。
「小さな会場」だからこそ、選び抜いた業界最高の見本市会場、
そのデザインこそ、国家的なデザイン命題だと思っています。
昨年、「テロ対策・特殊装備展」は、
入場者資格審査が最も厳しい見本市でしたが、
多分、東京ビックサイトでは最大の集客力があったろうと推測できました。
この展示会を見たとき、
私は「わが国独自のすべての業界最高の見本市」、
その開催は「デザイン力」だと確信しました。


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「石畳の街、その文明と文化」


   


     4月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

欧米、特に欧州は石づくりの街がいっぱいあります。
特に石畳の道路は、紀元前ローマ帝国時代に、
なぜそのような道路のたたずまいが文明として必要だったことは、
いつか記述すべきでしょう。
それは「道」と「道具」を見極めるため不可欠だと思っています。
さて1968年にはこの道路の石がデモ隊の武器にもなりましたから、
私はパリやミラノでこの道を見ると、そのことを思い出します。
しかも1968年は世界変動が20世紀に国際的に起こった時期でした。
しかもパリ革命を実体験した経済界・文化芸術界には、
リーダーが輩出しました。
けれどもこの経験をしたリーダーたちが、
以後の国際関係を台無しにしたと私は思っています。
それは石畳文明を破壊して文化まで破滅させたのかも知れません。
そして、この道路が車椅子の身にとっては過酷極まりありません。
今後、バリアフリーが当然となれば、
この道路はすべてやり直すべきでしょう。
わが国では寺院仏閣には石畳の文化があります。
それよりも、飛び石と言われる石づたいの道筋も美しいけれど、
これもバリアフリーからはとても過酷なモノです。
この飛び石を見事に使ったデザイン展示で思い出すのは、
1980年代中盤にインテックス大阪で、
フロッグデザインが「水」というテーマで、
作品写真と飛び石的な通路を組み合わせた展示は秀逸でした。
また、高校時代に山岳部だった私たちのテーマは、
加越国境に、
大長山という1500m級の山(=山頂の花畑と紋白蝶や赤トンボ)は、
弘法大師がその山への参詣路を石畳だったということで、
その参詣路を随分と探した経験があり、
多分と思える道筋を谷間に発見をしたことがあります。
私は、「石」を特別な感慨で見てきました。
それは、よく「植物」は人の話を聞いているという説があります。
と同時に、石や岩には、
「沈黙されているが時代を見ている」という説にある種の確信があります。
なぜ、欧州の石づくりの建設が今なお残っています。
しかし、「エコロジー」と「サスティナブル」も、
英語なのに欧州産でこれらは元来は地球環境の破壊と強く関連しています。
それは、酸性雨が石造建築や石畳道路を破壊し始めたからに他なりません。
私は、いくつかの自分が選んだ「石」を持っていますし、
どこでも気に入る石がないだろうかと見渡すことがあります。
つまり、「石」あるいは岩と人間は、
どこかで文明と文化が繫がっているのです。


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