5月 28th, 2012 Posted 12:00 AM
「連塾」の指南者、
松岡正剛は10年を彼らしく「切断」しました。
10年間この「連塾」を率いた彼について、
いつの日かという彼の前での「私純情」を語るときが来たと思います。
1991年、箱根の「強羅花壇」で私は彼と出会いました。
箱根で「国際マルチメディア会議」がありました。
Apple社・ジョンスカリー会長が全世界から、
当時のコンピューター専門家から企業トップを集めた会議でした。
三日間缶詰での会議でした。
懇親会は「強羅花壇」が会場であり、
現マクドナルド社長の原田氏が営業本部長として総括されました。
民間からは私と松岡氏、そしてA氏(元官僚)B氏(作曲家)4名。
私はスカリー会長の直属デザインコンサルタントでしたから、
この会議中も、会議の合間にデザインモデルのプレゼンをしていました。
懇親会もどこまでお金がかかっているのかという盛大さでした。
ところが、和室に入れなかった私が別会場に一人の時、
松岡氏が入ってこられたのです。
(この人が『遊』の編集長だ!、やっと会えた)
そんな感慨と、『遊』の超美人女性デザイナーKK女史に会えるかも、
私は瞬間的に想像したことを思い出します。
それから、交流が始まりました。
私も読書量は人並み以上という自負がありましたが、
松岡正剛は100万冊は読破しているとすら思っています。
あらゆる分野に精通し、特に「日本を語らせたら超巨人知」でしょう。
千夜千冊(もはや1000冊を超えています)は、
おそらく世界にもあり得ない「書評アーカイブ百科」編集事実です。
「千夜千冊は世界的事件」という評価まであります。
私の著作も取り上げていただきましたが、
それは私へのラブレターでした。
「だから、私も松岡正剛に惚れ抜いています」と、
「連塾終了」の知らせ直後に彼に知らせ、
懇親会でも連塾参加者の皆さんにまで惚れていること発表しました。
昨夜、別れるときに「紙墨相発」を送るから、
松岡氏も「私の自宅に必ずまた行くから」と。
「連塾」、そのテーマは「日本という方法」でした。
これからがこの方法論が必至になっています。
これから時々、彼との話題・課題を書いていきます。
その季節が私に訪れたのでしょう。
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12月 5th, 2010 Posted 12:00 AM
「情報スーパーハイウェイ構想」
1991年がスタートだったでしょう。
インターネットは光ケーブルで具現化されました。
この当時ですら、国内通信企業はADSL対ISDN競合優先でした。
そして1993年クリントン政権になります。
私にとって、この政権の登場では、三つの思い出があります。
この政権は、デザイナーを国策アドバイザーにしました。
なぜなら、その代表に親友が選ばれていました。
また、Apple社の当時会長だったJ.スカリーは、彼の支援者の一人であり、
Apple社株主たちが共和党だったことで、クリントン派であることも会長解任につながりました。
それは私のコンサルタント契約が反故にされることになる一つの理由にもなったからです。
そして最も大きなことは、
副大統領アル・ゴアの「情報スーパーハイウェイ構想」が政策化されました。
1992年、箱根でのマルチメディア国際会議(Apple社主催)では、
この構想に対して、MITのメディア研究所長のニコラス・メグロポンティの反撃非難と、
ゴードン・ムーア氏が予測したインターネット構想の基調講演を思い出します。
結局、政府主導での「情報スーパーハイウェイ構想」は不可能でした。
ずばり、メグロポンティ氏の予知はあたっていました。
私は、「光の道」提案を聞いた時、時代は20年も前に引き戻ってしまったのです。
「光の道」構想に欠落しているモノ・コト
「光の道」ゆえ、光は光ケーブルを具象抽象的に情報をシンボルとして、
「道」は、スーパーハイウェイ風であり、道筋や方法を意味しているのだろうと直感した次第です。
結局、「情報スーパーハイウェイ構想」ほどの内容にも至っていません。
具体的に言えば、「道」それは手法であり、鉄道網のようなネットワークであっても、
二つの大きな問題を見落としています。
線路があって駅があるなら、なぜそこへ出かけるかという動機づけ、
それは結局、「商売」に結びついているだけです。その商業主義は経済としてとっても大事です。
もうひとつは、そのネットワーク道程・道筋を通すための
基盤的な整備物がまったく語られていないことです。
とりあえず、私のヒントを言っておきます。切符的なメディアでありツールが必要です。
そのモノこそ、Smart-Phoneを超越したモノ=製品であるべきでしょう。
そして、その切符を印刷し販売するのはどこにするべき制度が必要だと判断しておきます。
「光の道」という名辞はなんとなく新興宗教的なタイトルを感じます。
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4月 23rd, 2010 Posted 12:00 AM
Multimedia & Art Festival 1992
「マルチメディア」と喧伝されていた時期は長かったと思います。
1990年代であり、ちょうど「バブル時代真っ盛り」でした。
私は東京の「変な浮かれ様子」を北陸・福井から、
極めて冷静に眺めることができたのです。
東京からはいっぱい展覧会や仕事も殺到して舞い込んできましたが、
私の直感は、「これは変!、おかしい」と思ったので、
断れるものはすべて断っていました。
今になると、この判断は正しかったと思います。
当時、マスコミの寵児と言われたスター達は、
名前も思い出すことができません。
デザインに関わったコンサルタントとかコーディネーターは、
消えてしまっています。
私自身、仕事は、Apple本社とのProjectに関わっていたので、
日々充実していました。
1992年夏、箱根で「マルチメディア国際会議」が開催されました。
この国際会議には海外から600名、国内は企業トップ達200名でした。
これだけの国際会議は以後も経験したことが無い大規模なものでした。
民間人はたった4名で、3日間ともに参加していたのは、
松岡正剛氏と私だけでした。他の著名な方は会議内容がわからなかったから、
すぐに帰ってしまったのだと思っています。
この時から、松岡氏との交流が始まったのです。
主催しているApple社には、会議中にも関わらず、
途中、途中でプレゼンテーションを当時会長だった
ジョン・スカーリー氏にしていた。
この会議をすべて統率していたのは、現・マクドナルドの原田社長であった。
そして、この時の基調講演は、以後、私の「情報」への視点を大きく変えた。
そして「的中」していることでした。
Dr. Gordon Moore
基調講演のキーノートスピーカーはDr. Gordon E. Moore氏?でした。
「ムーアの法則」を提言し、時代は彼の法則を実証しました。
彼の講演では三つのことを語ったのでした。
土・ガラス・空気
これからの時代、コンピューター・パソコンは、
● 「土」・・・これはシリコンを意味していました。
● 「ガラス」・・・これは光ケーブル=光通信です。
● 「空気」・・・これはインターネット・空中に情報です。
そして、私はこの会議で、スカーリー会長が、
「マルチメディアは意味が拡散するだけだから、
Media Integrationへと収束する方向を創ろう」と
プレゼ会議での発言に感動し、
今日まで、私は「何がMedia Integrationか」を、
デザイン領域の中で追いかけてきたと考えています。
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Posted in 025「Media Integration」, 資本主義から逃走せよ!
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