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Posts Tagged ‘プロクセミクス’


「環境の中心と周縁・距離感の再認識」


   


     5月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

環境という言葉。
私世代が知るのは1970年代です。
私の記憶では「ローマ会議」の頃・・・
そして最も重大になってきたのは、
「環境ホルモン」という存在への大衆的な恐怖感。
当時、ビスフェノールのことでは、
「ポリカーボネイト」素材でそれなりの思い出があります。
今や、すっかり「ポリカ」は廃棄・回収などの
社会的で制度的なことが整備しました。
それでもWHOでは「懸念される素材指定」となっています。
さて、環境は今では最重要な世界観のキーワードです。
環境というのは言葉からも、
取り囲まれた空間イメージがあります。
環=円環と境=境界ですから、
その円環の中心と周縁というイメージが必要でしょう。
ということは、環境の中心がまず問われるでしょう。
それはその中心地・中心領域であり、その機能性です。
そして、その中心=核心を取り囲んでいる環=周縁です。
フクシマ原発を中心として円弧が描かれ、
その円弧半径を距離性と見なして、
避難地域が指定されています。
しかし、その中心での出来事が把握できていません。
中心を推測しイメージしているのでは、
結局、その場は「空」になっているに等しいわけです。
そして円弧で指定されている「場」が周縁になります。
確実に中心=空の機能は殺人装置になっているわけです。
しかし、それはイメージでしかありませんが、
その機能能力は確実に被曝させる力を持っています。
フクシマ原発の環境は、そのまま現在の日本列島です。
けれども周縁である「場」での対策は見えていません。
これは、日本システムの中心がいつでも空であり、
中心機能が周縁に及ぼす影響度もイメージ認識です。
私はあらためて、中心+周縁=環境の距離空間を、
再設定すべきだという結論に至っています。
それは「プロクセミクス」の再認識です。

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『資本主義からの逃走』
   「多次元な音響空間はプロクセミクス」


   


     10月 13th, 2010  Posted 12:31 AM

オーディオシステムの空間
いつも禁断症状のように、
自宅のオーディオシステムを一新したくなります。
今、真剣に考えているのはCDを整理して、
もうCDでの再生はやめたいと思っています。
LPレコードも、5000枚程度持っていましたが、今は50枚だけにしました。
カートリッジも、整理しましたが、
それでも時々やっぱりあれは持っておくべきだったと思うのです。
そして、このブログでもJBLやアンプジラへのアクセスは必ずあります。
自宅は、JBLやB&OとLINNで構成しています。
基本は、「音像」と「音場」づくりにこだわりつつも、まだ今の自宅は不全です。
「音像」は名古屋時代の方がましだったかもしれません。
5.1chでの映像と音場は、これ以上はきっと許してもらえないから一応納得しています。
Media IntegrationからMedia Allianceへと、このところ講演テーマにしています。
だから、音楽ジャンルも変更してきているようです。
かってはオーディオ専門誌に連載を持ちましたが、
その雑誌の商業主義=広告クライアント批評(非難ではありません)がバッサリ無断で削除、
当然、私は辞めました。
さて、私は幸いにもオーディオ機器のデザインやそのシステムからデザインに入れました。
「音像」・「音場」は多次元空間
「音像」と「音場」は、明確に多次元空間への入り口です。
音や音楽を聴く場=音響空間、さらに、音や音楽との生理性=身体空間は、
プロクセミクス=proxemicsという距離という物理的な次元と同時に、
身体認識という多次元な空間だと考えてきました。
簡単には、人間同士であったり、人間と物・もの・モノとの距離認識です。
私が、重要だと思っているのは、
このことを直感的に決定してくれた人物を数人上げることができます。
そうして重要なことは、そうした人たちが、
音楽家、数学者、画家であってそれらを混在させることができました。
しかし、これは融合=学際化にはいたらなかったことをまとめ直したいと思っていることです。


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