7月 3rd, 2017 Posted 12:00 AM
最近の雑誌、そこには工業製品があふれて登場しています。
眼鏡などは、模倣が多くやなぜコレがとかを
プロとして編集意図、センスを疑います。
また、眼鏡しかり、時計にいたってはメーカー宣伝戦略が氾濫しています。
そして、もはやかつての機械式腕時計の時代は終わりつつあります。
しかも今では、最新雑誌30数冊はPadで読めてしまう時代です。
40代当時はいくつかの雑誌に製品紹介や製品批評の連載もしていました。
最近、ファッション誌で製品紹介をしました。
デザイナーですから、自分の作品である商品をとも思いましたが、
それは自分で違反だと考えました。
そして自分自身が使用していてデザインによっての
性能・効能・機能を満足させているモノを選び抜きました。
結果はどうしても、光と音の製品=モノになっていて、
自分でも笑ってしまいました。
何しろ私が美大で最も生涯は音と光、
これらのデザインでと思っていたからです。
ヘッドホン、これは最高級であり、
現在のヘッドホンやインナーホンでの電磁波問題を解決しています。
また音、音響ではワイヤレスであり、これも最高のモノを選びました。
ワイヤレスというのは、音も光もWiFiを運用していることです。
私はこの三点でしたが他の批評されたモノも極めて正確な商品選別でした。
現在の出版業界はおそらく商品の情報化では、
必ず、センス、ファッションセンスとデザインセンスが問われるでしょう。
しかし、ファッション性とデザイン性は同一性と差異性がセンスという見識、
それが問われると共に雑誌形式からの離脱性に革新化が求められるでしょう。
Staff Blogにて詳細
4日・多摩美大にて特別講義16:30より
5日・「日本文具大賞」で表彰式にて総評
* 『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』
* 『ファッション誌で知ってさらに自分ファッション』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 「デザインすることの勘違いは大間違い」
* 『失われてしまっているジャーナリズムは雑誌に歴然』
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9月 24th, 2015 Posted 12:00 AM
高校時代は丸坊主が校則でした。
ようやく丸坊主から解放されたときにファッションが気になり、
最初の男性ファッション誌は「メンズクラブ」でした。
美大入学時には母が指輪とブレスレットを男なのに買ってくれました。
以来、私は指輪もブレスレットも母からの命令だと思って収集し、
身に着けていますから、デザイナーで良かったとさえ思っています。
車いすになってふるさと福井で仕事をしているときには、
白いワイシャツ、髪も短く、必ず、イタリア製ダブルスーツでした。
東芝時代は、東芝マンでしたがアロハシャツで出勤する態度でした。
ダブルスーツに拘ったのは、今もそれほど変わりませんが、
車いす姿、若いことで明らかに差別感を受けてしまっていたからです。
福井でも毎日デザイン賞を受賞してからは、
ワイシャツもカラーにし長髪にしたようなものです。
もっとも最近では明らかに差別感を感じたら周りにスタッフがいても、
必ず暴力沙汰寸前になるようにまで、
それこそヤクザさんにも絡みます。
というわけで、逆差別のやり方さえ覚えてしまいました。
ごめんなさい。
今、ファッション誌はワイフの女性モノが面白いですが、
60になってまた「メンクラ」を読むこともあり、
今回なんぞは40になったらなんて記事に、
そうか、自分の40代はこの程度をファッションなんて呼ばない、
ファッションは、浪費と勇気の見栄=見栄えだと思っています。
見栄というのは,浪費できることやその程度でも揺るがない自己表現です。
一所懸命と一生賢明がファッションの哲学であり、
それこそ浪費する自分が一所懸命と一生賢明であることの見栄です。
ちょうど私の世代は、アイビースタイルに憧れ、
それこそ大学時代にネクタイをするフォーマル性を磨きました。
カジュアル性の根本としてのジーンズも、徹底したモノの価値観があり、
昨今では、高級ブランドからファストファッションまで、
それぞれの価値観への浪費性に使用感と所有感があると考えています。
幸いにして、メガネは自分ブランドがありますが、
自分が最も興味を抱いている分野で自分デザインができる幸運さ、
これこそ自分のファッション価値観だと思っています。
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1月 26th, 2015 Posted 12:00 AM
文章を書くことは全く苦どころか、私には格好の熟慮結果です。
しかし、年明け早々の締め切りをちょっと延ばしてもらっています。
看護理工学会誌からの依頼論文に向かっています。
その傍らには、ファッション雑誌と近々依頼されている
日本眼科手術学会(1月31日・京都国際会館)での特別講演、
そのための準備でプレゼンテーション用に眼科の常識整理をしています。
看護理工学会は、昨年末に基調講演をした内容を論理提案する論文。
ただし、それはおそらく日本初の「コンシリエンスデザイン」を
これからの学際性をデザインで学術化するので、
ちょうど、昨年末に依頼論文であった「治療」という医学誌に、
30年後の医療、特にデザインとの関係論が適切だと考えています。
ただ、残念だったことは、この論説=総説ゆえに、
参考文献が掲載されていなかったことでした。
看護理工学会で、最初の「コンシリエンスデザイン」の概念化は
国際的にも韓国とフランスにもむけるために、参考文献の整理、
実はこの整理作業が、正直面倒でややストレスのために、
締め切りに間に合っていないと思っています。
どんな学会誌でも、参考文献の取りまとめは私は苦手です。
たとえば、参考文献を積み上げて文章を書いている性格ではなく、
文章作成中に、思い出した文献をメモっておくだけでのことです。
今回も、そうして文献を挙げていったら大変な数になっていました。
名古屋から大阪に移動する時に、恩師から蔵書は持っていなさい、
こう言われて、もう書籍は買わないと思っていましたが、
阪大にきて10年目ですが、結局また書籍は増加一方です。
そして、ファッション誌もできる限り目を通しています。
いわゆるファッション誌だけではなくて、まさかこんな分野もあり、
それは、このブログでは紹介を慎みたいと思っています。
「コンシリエンスデザイン講座」は、日本で最初に開設されます。
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9月 2nd, 2013 Posted 12:00 AM
景観論をデザインの背後におくことに気づきました。
それも当時話題のファッション誌に連載を始めたばかりの時。
ともかく、読解困難な文章を書かないかぎり、
日本のデザインは時代遅れになり、
ことばからモノは遊離すると、30前の私は思い込んでいました。
モノの世界がことばから離れるほど、人は、その魅力を感じない。
この考え方は今も変わっていません。
なぜ、芸術も建築などその存在をことばで再度語り直すのだろう。
今もその考え方を私は強くひきずっています。
景観論の原点で、私は「光景・風景・情景」を書きました。
案の上、その連載から私ははずされました。
しかし、その頃の思考は若さがあって純粋だったと思います。
ところが、その文章に再び出会いました。
ある人のwebsiteにそれが掲載されていました。
以来、私が景観から「景気」を読み取り、
景気後退=不景気=depressionに辿りつきました。
景気や株価変動為替の動きほど世界を決定づけることは皆無です。
絶望を「死に至る病」と断言した哲学者を信頼すれば、
哲学が人間の精神をどれほど読み取り、
解説してくれるかを識ります。
結論は、不景気になれば、人は安物衣類を身に纏います。
それをmodeと呼ぶこと自体が、精神状況の表現に直結しています。
つまり景気あるいは不景気はファッションに連鎖しているのです。
世の中、世界、時代は、すべてが同義語です。
それを人は眺め、その空気に包まれるとき、流行に晒されます。
その流行を最も受け入れるのは若者の精神状況に限定されます。
ファッションが「モードの体系」でことばの中で解説されたとき、
私が驚喜したことは、そのままデザインとモノに繫がっています。
それはデザインとファッションの関係に連続し、
とりわけ、不景気とファッションの関係も、この関係だと、
私はひとまず書いておきます。
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8月 30th, 2013 Posted 12:00 AM
最近、靴を注文するときに、私は様々に要望します。
以前に思いつきから靴紐を赤色にしました。
そうしたら、イタリアのファッション誌でもそのような記事発見。
「だよなー」と一人満足していました。
バックスキンはそれほど好きでは無かったのですが、
詳細な手入れ法を聞いたら、注文をすることになりました。
もちろん、好きなブルーを選び、
ある女性靴ブランドの底面が赤に拘っているので、
ソールの張り替えをお願いしました。
1ヶ月ほど待っていたら、それが出来上がりました。
当然にも、他の靴類はソールは赤に染めてもらっています。
偶然にも男性用のソックス店舗で、見つけたソックスにも、
赤と青を基調にしてイニシャルも刺繍してもらいました。
さて、これを「デザインした」というのは間違いです。
言わば、靴とソックスへの要望はファッションへの拘りですが、
ファッションとデザインの関係は、絶対に明確にするつもりです。
バックスキンの靴、靴下への自分自身への要望は、
確かにファッションデザインだとほとんどの人が思っています。
しかし、これはデコレーションとして、
自分の身なりへのファッション、その拘りに過ぎませんが、
私が主張しているデザインと問題解決の関係に置換できません。
勿論、靴メーカーはソールを一度剥がしてから、
私が要望する赤いソールで外観的な装飾性をしてくれました。
これを私は全体に「デザイン」とは呼びたくありません。
ファッションは時代性との共時や、自分の社会的な存在、
私流には「ファッションの効能性」があります。
けれども、これは「デザイン」では無いと断言します。
私は自分の持ち物からファッションに関しても、
「自分らしさ」の演出デザインと呼びうるコトがありますが、
あくまでもファッションとデザインの関係こそ、
「デザイン」の本質を語る上での定義を明らかにするつもりです。
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12月 12th, 2011 Posted 12:00 AM
昨日2011年12月10日夜、皆既月食でした。
20代後半に車椅子となった私は、
仏教書と易経にのめり込んでいました。
そして当時、「流行通信」というファッション誌で、
始めて
連載を書き始めたのです。
音楽と音響機器というテーマでしたが、
二回目には「修景論」をまとめました。
風景の要因には、日食・月食・彗星・雷雨暴風、
この四つが易経では大きな天地異変の変動、
その結論が述べられています。
易経を単純に「占い」とみなしている風潮は、
明らかに熟慮不足だと認識すべきでしょう。
そして風景は風と景気を根本で支えている東洋の智恵です。
日本風とか、和風、修景としての光景と風景と情景を
明確に定義づけています。
だから、景観は景気を動かします。
景気の善し悪しは、例えば不景気、
それは「気」=きもちを落とし込み=鬱病と重なるわけです。
月食は天変異変を歴史にもたらしてきました。
3.11は今なお、私たちを解放すること無く、
哀しみと悲しみを残しています。
12月9日、死者15841人であり、行方不明者は、
未だに3493人という哀しみをぬぐい去ることは不可能です。
月食が天変異変を知らせているとするなら、
私たちには「祈り」しかありません。
そして、絶望してはならないのです。
その基本として私たちは3.11のあの光景を語り継ぐのです。
つまり、人間には忘却するという精神的解放がありますが、
それを「風化」と呼んではならないのです。
私たちに吹いてくる「風」は、微風から暴風まであります。
あらためて修景、そして「風景」によって、
やがて生と死の光景に入っていく生命、
その意義を見つめなおすべきでしょう。
「風が吹いている場」は空なる間、空間ということになります。
空間に「風流」を求めるとき、私たちは解放されるのでしょう。
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