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Posts Tagged ‘デザイン’


「キティちゃんにて確認できる『安全と安心』」


   


     10月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

久しぶりに、高速道路のサービスエリアに立ち寄りました。
サービスエリアには必ず、ご当地キティちゃんグッズが揃っています。
かっては、キティにまつわるグッズは相当に収集していましたが、
久々に小っちゃなぬいぐるみに引き連れられてカメラに収めました。
キティは世界ブランドであり、
日本が産み出した展開可能なガゼット・コア、
つまりこの顔であれば、無限のガゼット展開が可能かどうかです。
そして、この笑ってもいない無機質さが
「かわいい」という核心を与えたモノは無かったかもしれません。
その無機質さにも関わらず
「かわいさ」を表現している最大の理由は目です。
その目は、黒丸扁平な「黒点」にすぎません。
キティがキャラクター表現で
確実なヒットを遂げたのは、この「黒点」でした。
したがって、キャラクター表現では、
「黒点」もしくは目の表現を全くしないことが基本になっています。
私の研究室では、
「顔表情を決定づける目の配置など」を
修士論文にまとめた成果があります。
この論文は、私がこれまで大学人としては「最高の修士研究論文」でした。
私は、キティの一見無表情に近い「黒点」的目の入れ方には、
一つの大きなテーマ解を見つけています。
それは、「安全」と「安心」です。
「安全」だから「安心」できること。
「安心」だから「安全」だと納得できること。
これが、一つの解答結果ですから、
なぜ、この無表情な「黒点」目には大きなヒントがあると思ってきました。
「安全神話」を信頼するということが大きな間違いでした。
「安全ゆえに安心可能だろうかということと、
安心しておられるから安全」は、
常に相対性をもって統合されなければならないと考える訳です。
奈良にて警察署主催のイベントで講演をしてきました。
「安全で安心できるまちづくり」でした。
私は、この写真のキティをコレクションしたい想いでしたが、
取りあえず、写真撮影し、ここでひとまず、
この文章の中で、さらに熟考していかなければいけないと思っています。
「安全で安心なまちづくり」の結論は、
教育と防災と防犯をしっかりとコミュニティに育むことしかないでしょう。
「危機管理デザイン賞」の選定基準には、
「安全と安心を納得できるデザイン表現」、
その性能と効能と機能が統合されている、
そんなデザインで語ることが可能か不可能を問いかけています。


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10月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 19th, 2012  Posted 10:05 PM

10月19日 癸丑(先勝)

デザインの造形形態学は
モルヒネ的にも
大衆を扇動させなければならないと
私は思っている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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「危機管理産業展2012から『危機管理デザイン賞』スタート」


   


     10月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

2005年から、危機管理産業展が開始されました。
これからの日本の輸出産業に、
危機管理に関わる物品やシステム分野を特化する目的でした。
ところが、日本は3.11という大震災・大津波、さらには原発事故、
続いて竜巻・大豪雨の連続で国難状況下にあります。
それだけの経験をした私たち日本の産業分野として、
俄然、世界からも注目される国になってしまったわけです。
そこで、(社)公共ネットワーク機構 (koukyo.net)は、
この産業分野の振興を図るために「賞」を創設。
私は、公共ネットワーク機構の設立時に理事であったことから、
このアワードにデザインの導入を提案したところ、
「危機管理デザイン賞」の企画・計画、運営や産業振興政策の立案。
そうしたところ、総合審査委員長を拝命しました。
そこで、まず、この産業展から出展企業の応募を図り、
展示会出展商品から審査を開始しました。
やはり、3.11を体験しただけに、
「備品・機器・システム・ビジネスモデル」には切実感があります。
想像以上の観客や同時開催の「震災対応セミナー」も、大盛況でした。
3.11で私たちは何を学んだかを、
今後、世界にむけて発信し、その対策や環境づくり、
制度そのものを経済領域に持ち込むことが出来るでしょう。
これから、その審査基準の紹介や、
デザインにとっても新たなデザイン対象が出てきました。
地球環境が悪化するなかで、
日本こそ、
この地球を護っていくための先進国家になっていくべきでしょう。
それは、「尊敬される新たな国家観」、
そうしたことを創出し、提示することになると確信しています。


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「インハウスデザイナー時代のライバル、そして『縮み文化』」


   


     10月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

東芝でインハウスデザイナー時代は、
音響機器デザインのライバルに一つ、Technicsブランドでした。
そのブランドのデザイナーが、飯田吉秋氏でした。
そしてその彼がフリーになっての作品は、
カードタイプにまとめられたソーイングセット(縫製用具)でした。
そのデザインがいきなりMoMA=ニューヨーク近代美術館の
パブリックコレクションになりました。
ちょうど私もフリーになってタケフナイフビレッジ展を
ニューヨークで開催する準備中だったと思います。
当時は、日本のモノづくりが「縮む文化」という評価を受けていました。
代表例は、「幕の内弁当」がその象徴になっていました。
確かに、松花堂弁当の縮み文化は抽象的な事例でしたが、
このソーイングセットは、余りにも具体的な発想で、
日本の凝縮実装性をデザイン表現していました。
以来、このソーイングセット「Plateon」は、
記憶にしっかりと残っている製品でした。
飯田氏は関西を拠点にデザイン活動をされていましたし、
JIDA(日本インダストリアルデザイナー協会の会員)でしたから、
そのうちに出逢うと思っていました。
それが、ある作品を見て、とても驚愕し、
これは新たな知育玩具だと感心したのです。
それが飯田吉秋氏のデザインだと知ったのはこのFBで分かったのです。
私は、「いいね!」を送付し、それからFBでのやりとりが始まって、
阪大研究室を訪ねてもらいました。
ご本人からこの作品とともにサインもしていただいたという次第です。
かつて、オーディオ全盛時代の話から
3.11の復興デザインにまで話は広がりました。
お互い20代には所属する企業では、
オーディオ商品競合のデザイナー同士でした。
お互いにデザイナーとしての最期の職能役割をすでに話合う仲です。
デザイナーは、その人の作品で、
専門的な職能観を共有することができるというわけです。
それも、ある種の「縮み文化」なのかもしれません。


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「iPhoneアプリ・もう一度知らせます」


   


     10月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

PKD=Peace-Keeping Designをデザイン運動化するために、
私の研究室ではiPhoneアプリを開発し、
それをiTunes Storeで販売しています。
最初の動機は、自分の作品でもある壁掛け時計「HOLA」を
アプリにしてみました。
HOLA」は1988年に商品化し、
クーパー・ヒューイット国立デザイン美術館では、
パブリックコレクションです。
そして未だに販売されていますからロングライフデザインです。
まして、リアルな時計とバーチャルな時計になっている、
ひょっとすると唯一の商品でしょう。
それから、「黄金比の計算機」も、
思いついてすぐにアプリ化しました。
そのことで、これからのデザイナーは
アプリのプログラミングはマスターすべきと提案してきました。
わが研究室ではこのプログラミングは、毎年の伝統になっています。
自分の心臓管理のためには心拍計「Doctor’s Watch」を
当時阪大の未来医療センター長の澤教授のアドバイスでつくりました。
正直、これは私にとって必需品になっています。
また、私は車椅子で人混みを通過するとき、
いつも「すいません・スイマセン・・・」というのを
ややユーモアにと思って「HELP CALL」は、
サイレンや呼びかけが可能です。
だから痴漢撃退のツールにもなっています。
ブログで「手旗信号」のことを書いたら反応があって、
本格的な覚え方などをそのままアプリにしました。
そして、最も競合が多い「砂時計」を
徹底的に性能向上をねらってアプリ化しました。
さて問題は、円高のために、
最初は115円でしたが、今は85円です。
それでも、このアプリには三つの役割があります。
一つは、
これからのデザイナーはアプリプログラミングをマスターすること。
二つ目は、PKDという活動があるという広報にしていること。
そして、最後が、アプリ販売の利益はそれほどではありませんが、
毎月少しは入金があることです。
是非、iPhoneを使用されている方々には、
購入していただきたいと願っています。

http://www.kazuokawasaki.jp
このHPにアイコンがありますから、
ここからアクセスしていただければ、購入と
使い方は、YouTubeで確認ができます。


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10月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 7th, 2012  Posted 9:30 AM

10月7日 辛丑(大安)

デザインにとって、
デザイン造形の集約となる
形態=フォールムは、
常に機能と美しさが問題となっている。
これはデザインの最も核心であり、
本質的な課題・問題でもあるからだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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「『デザインとは何か?』=デザインとは前頭葉である!」


   


     10月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM


デザインは、「絵が描ける」ということが大前提です。
これは極論ではなく、私の総結論です。
だから「絵が描けなかったらデザインは出来ません」。
そういう意味ではこれまで自分が教育としてデザインを教えるにあたって、
絵=スケッチが描けない人にはほとんど不可能だったと断言しておきます。
だから、もし、
「自分は絵を描くのは苦手で・・・」という人には、
「図は描けるでしょう」、と言えば、
ほとんどの人は「図」は描けます。
当然です。
人間に限らず動物は、視覚的な判断力を持っています。
もし、この判断力が無ければ、それは前頭葉障害だと言っていいでしょう。
つまり、人間にとって重大で重要なことは
前頭葉が人間らしく人間たらしめているわけです。
だから図をいっぱい描いてもらうことで
スケッチが描けるようになるのは確かでした。
結局、デザインは創造する活動だとするなら、
それはすべからく「前頭葉」が全機能しているから、
「デザインとは前頭葉である」という端的な定義がシンプルに可能です。
私が常に言い続けてきたのは、
「Power Pointを使うことは前頭葉を全く使っていない」ということでした。
私は金沢美大で、ともかく「手を動かすこと」を鍛えられました。
本当は油土(美術用粘土)が大嫌いですが、それで形態を作ります。
それを石膏型にしていく実習は、とても私には面倒くさいことでした。
ところが、「教える立場」になってみると、
やはり、あの実習が意図していたことを改めて再認識しました。
粘土を手で捏ねながら、
立体化していくことで、
確実に自分が「コレだ」という「かたち」に出逢います。
スケッチを手で描くことも、ほとんどこの行為と同等です。
手と前頭葉は見事にシナプス関係にあると思います。
前頭葉は特に人間は異常に大きく進化してきました。
だから、自分の前頭葉は毎日
頭蓋骨から取り出して、マッサージをし、
磨いてピカピカにしておくべきだと主張しておきます。

*画像©Wikipedia


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「シルバーにすべきだったのだが、最終授業告知ポスター」


   


     10月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

来年、64歳になります。
よって、大阪大学を退官します。
来春からもう一度「自由の身」に戻れます。
阪大に転籍して以来、講義スタート告知ポスターは、
研究室の学生が毎年制作してきています。
そして、短いながらも研究室のある種の伝統(かな?)であり、
受け継がれてきたモノです。
よって、形式は最初の頃から、私の作品写真を入れました。
というのは、「デザイン」という講義が相当にあり、
プロダクトデザインと言っても、
工学研究科では様々な定義が科目毎に存在しています。
そこで、インダストリアルデザイン・プロダクトデザインを
より鮮明にするために「先端デザイン」だけでは語りきれず、
「先端統合デザイン」にしました。
それから、作品写真を入れれば、雑誌でも商品として見かけることから、
「エッ、これが阪大とも関係が・・・・・」、
という期待を持たせるべきと学生からの提案でした。
さて、ようやく退官となると、名残惜しさがあるものです。
それは47歳で大学人となり、
新設された名古屋市立大学・芸術工学部から始まりました。
金沢美大の先輩と恩師からも強く要望されたこと、
もう一つは、母が47年間の人生だったからこそ、
47歳からの私の生き方、
方向を大学人という職能に向けてみようと決心したからでした。
28歳で交通被災し、
被災したといっておかないと印象からか自損事故に思われるのです。
車椅子生活になり、40歳までと宣告まで受けました。
確かに、30歳でふるさと福井に帰らねばならないほど体調を崩しました。
でも、気がついたら40になりそして「毎日デザイン賞」を受賞しました。
けれども45歳で心臓障害となり、それは今も抱えたままです。
10年間で
名古屋市大・大学院博士後期課程完成年度にて阪大に移籍しました。
阪大の第一外科からは最終手術の話がありますが、
なんとか拒否しています。
そしてとうとう、「最終授業」を開始します。
となれば、
本来なら「シルバーのポスター」にすべきだったかと思っています。
よって、来年3月の「最終講義」は
シルバーで案内状を出すべきかとも思っています。
「教科書を書き上げる」と、ある出版社に言ったら、
「是非」と言われて、正直、そこまでのやる気は約束しかねます。
ただし、自由の身になったら喧嘩ではなく
「決闘」の志士になるやも知れませんから。


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「ブランドは常に最高性能をデザインが引き出す」


   


     9月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

バッグブランドでは、最も定番でしかも最高級品の、
バーキンやケリーがあります。
これらのバッグは女性にとっては憧憬の品物であり象徴になっています。
だから、こうした定番モデルの素材変遷には、
このブランドの現在技術が性能として込められています。
したがって、流行を追いかけるという時代的効能性を
ブランド要因にはまったくしていません。
ところが、このバッグはPC用のバッグですが、
これほど軽量でかつPC保全、
そして素材選別と仕上げが最高品質の性能のモノは皆無だと思います。
このブランドは、特に PC用やスマートホン用での商品化は、
まったく時代と歩調が合っていません。
最近はある種の流行との共時性を持とうとする商品は、
必ず失敗しているのではないかとさえ私は推測します。
また、新素材への見切りのつけ方は迅速です。
そのブランドに存在していたのかどうかすら忘れてしまうほどです。
ブランドの基本原則は、意志決定が素早いこと。
ただし、熟考予測は「未来」を確実に見通していることであり、
これには私はまるで「神」のような予定調和を感じます。
このバッグの皮革処理は、
定番象徴商品のバーキンで最も多用された技術が適用されています。
したがって、このブランド、
その皮革処理はどんどんと新しい技術が開発されています。
理由は、地球環境が著しく悪くなってきているために、
動物皮革の原材料素材の悪化があります。
つまり、このPCバッグは、
とりあえず、最軽量でかつPC保護性能をデザイン解決しています。
この発売からすでに数年経過しました。
そして、このバッグのアソート商品開発がやっと終わったようです。
このバッグが新たなブランドの定番化と象徴化が始まるのかもしれません。
これまでのビジネス系バッグの性能性を存分に検討し終わったのでしょう。
私は、このブランドのメンズ使用バッグは
ほとんどの性能評価を私なりの参考資料にしてきました。
そして、このブランドが未発見なことも存分に自分は蓄積しました。
これまでこのブランドバッグを参考例にしてきましたが、
背景としたブランケットもこのブランドの商品でした。


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「ブランド の表現統一には、センスと見識あるディレクターが必然」


   


     9月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

このブランドのグラフィックス表現力は一流です。
パリ本店で、一枚のシャツを見つけました。
私の大好きなクロッキータッチの素描画が描かれているシャツでした。
美大入学当時は、クロッキーは相当に鍛えられました。
だからたまらなく私の物欲に直線的に飛び込んできました。
そのシャツの素描画が、バッグの内面ファブリックにも使われました。
そのバッグは
英国鞄ブランドのグローブ・トロッターとのコラボ商品であり、
「ヴァルカン・ファイバー」と呼ばれる
伝統的な紙を多重層にした素材を
さらにこのブランド用に協同開発されたモノでした。
軽量さは格段に改良されていました。
そのバッグの内装生地にはシャツと同柄の素描が描かれていました。
もちろん、シャツと裏地は別生地でしたが、その接着あるいは圧着技術は、
このファイバー素材を見事に活かしていました。
このブランド組織においても、
シャツ部門とバッグ部門は異なっているはずです。
だから、ディレクターの存在を感じます。
このコラボ的な商品開発において、
自社ブランドのクロッキー描画グラフィックスを選んだことです。
つまり、ブランドは、モノづくりの根本的な理念を表現するには、
「何が、そのブランド表現の核心なのか」は、合議制ではありえず、
「一人の決定者」が必要だということです。
国内企業では、センス無き経営者の趣味趣向が優先され、
価値観は「好き・嫌い」だけでしかなく、
デザインを「たかがデザイン」としか見ていない経営者が
本当に日本は増殖し過ぎました。
エンジニア出身であろうが営業経験者であろうが、
その人の「ファッション性」を見るだけで、野暮ったい経営者が、
デザイン=ブランドの核心の決定者であっては企業は衰退するだけです。
私は、このバッグとシャツのグラフィックスの素描画を統一し、
このブランドが「馬具製造からのメーカー」であったことを
さりげなく表現する決定をしたことに注目しています。
日本のメーカーが「ブランド化」するには、
まず、経営者のデザインセンスそのものが大問題だと指摘しておきます。


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