12月 7th, 2021 Posted 12:00 AM
12月7日 友引(己丑)
『知行としてのデザイン』
バブル経済下での
デザインは、
次の時代を見通すだけの
認識の無い、
いわば、
知の欠如、
知の放棄、
無知なるデザイン行為や
デザイン実践で
しかなかったと
反省すべきだ。
artificial heart:川崎和男展
Tags: デザイン, デザイン実践, デザイン行為, としてのデザイン, バブル経済下, 反省, 川崎和男のデザイン金言, 放棄, 時代, 欠如, 無知, 知, 知行, 見通す, 認識
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12月 2nd, 2021 Posted 12:00 AM
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4月 24th, 2020 Posted 12:00 AM
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10月 7th, 2015 Posted 12:00 AM
Tags: デザイン行為, 個人, 効果, 基本, 実践, 川崎和男のデザイン金言, 思い出, 経験, 蓄積, 行, 認識, 錯覚
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1月 18th, 2013 Posted 12:30 AM
間もなく、64歳を迎えます。
しみじみと思い起こすことがあります。
それは「盆栽」です。
40歳の頃でした。
NHKの教養番組で「盆栽シリーズ」を全部観たことがあります。
もの凄い衝撃を受けました。
なるほど、これは凄い日本の伝統的な文化、
その極地だと思いました。
それで、早速、東京の専門店にも何度か通って手ほどきを受けて、
入門的なことを試みましたが直ぐに枯れ果てました。
これは絶対に小学校時代から教育基本法的にも
鍛えておくべきことではないだろうかと思いました。
それから、この大阪に来てから、トライしましたが、駄目でした。
そういえば、祖父が育てていたのを何の興味も持たず、
あれは年寄りがやるもの、と思って観ていたものです。
父は、蘭栽培では自宅の庭に温室を作って、
品評会にまで出すほど、リタイア後にやっていました。
今も福井の実家の倉庫には蘭独特の植木鉢が相当に残っています。
人生で、「し忘れたコト」と尋ねられたら、
私は「盆栽」と答えるでしょうし、
それは小学校時代から知識と技術を身に付けていたら、
それは凄い人生そのものの文化になるのではないかとすら思うのです。
写真は、オークションで40万円近くする作品です。
これが好みではありませんが、日本人が「自然と対話する根本」を、
さらに深めて、このミクロな自然制御を成し遂げて、
「美」の世界観を日常化しています。
きっと読者諸兄の中には、
「そうだよ、私の得意趣味分野」とか言われようものなら、
私は最大の敬意を払うことになるでしょう。
伝統的な芸術というわけではありませんが、
明らかに、「デザイン行為」が潜んでいる知見と技術表現が、
自然そのものに寄り添っているのです。
わが人生について、作品集自叙伝を準備しています。
「終章にむかって」という序文を書きながら、
私が「し忘れたコト」は、「盆栽」だったということです。
だから、今は盆栽の写真集で凄いのがあったらと探している始末です。
Tags: 40歳, 64歳, NHK, オークション, デザイン行為, 世界観, 人生, 伝統的な文化, 写真, 大阪, 対話, 小学校時代, 年寄り, 技術表現, 教育基本法, 教養番組, 文化, 日本, 日本人, 東京, 根本, 極地, 盆栽, 盆栽シリーズ, 知見, 祖父, 福井, 終章, 美, 自宅, 自然, 芸術, 蘭栽培, 衝撃, 読者諸兄
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