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Posts Tagged ‘スマートグリッド’


「アイドル・キャラクターのメタ・アンビエントへのコンテクスト」


   


     12月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

日本のロボット学者には、「鉄腕アトム」への憧憬があるものです。
「鉄腕アトム」はそういう意味では、
ロボットというモノへのコンテクストを明確に築き、
モチーフ・主題的には、技術空間認識の根源として、
日本人のDNAの中には生き続けているモノと言っていいでしょう。
私たち日本人には、いわゆる漫画からのコード、
そのモード時代がとても強く意味されていることの認識力があります。
ディズニーランドへの果てしない欲求の根底にも流れています。
そして、そのコンテクストの代表というと、私は、
・「キティちゃん」
・「スーパーマリオブラザーズ」
・「初音ミク」が、その代表と言っていいでしょう。
まず、「キティちゃん」は、
明らかに3Dリアリティが日常的な「かわいさ」を敷衍させました。
かわいい=kawaiiはすでに世界語=ラングになってしまいました。
さらに、「スーパーマリオブラザーズ」ともなれば、
すでにその歴史性が構築されて、
「ゲーム」という、
バーチャル世界観を打ち立てた普遍的アイドルになっています。
まして、この創作者である宮田氏は、金沢美大の後輩であり、
工業デザイン素養は、
「マリオ」と「ルイジ」の名前にまで昇華されています。
天才的なデザイン領域の拡大を示してくれました。
そして、218カ国を凌駕して「初音ミク」にまで、
キティちゃんからスーパーマリオブラザーズが
コンテクストを構築していることを、
再確認すべきだと私は主張しています。
「メタ・アンビエント」とは、
マルチメディア、ユビキタス、クラウド、スマートグリッド、
これらを連鎖させているシンボルと見なすべきでしょう。
この三つのアイドルの経済効果は、
おそらく、マルクスもケインズも、
彼らの経済論からは逸脱し、
開放されている「もう一つの生産、もう一つの消費構造」だったはずです。
無論、乳幼児から小児には
「アンパンマン」が限り無いアイドルかもしれませんが、
このコンテクストは、別稿を準備しなければならないでしょう。
このテーマソングほど、
子どもたちにとって最も正当な教育性が満たされています。
そういう意味では、「キティちゃん」には聴覚映像がありません。
ともかく、私が現在の一つの結論であり、
さらなる「メタ・アンビエント」という
情報空間に日常性とその経済活動は、
この三つのアイドルが原点だと整理しておきたいと思っている次第です。


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「バーチャルアイドルが示唆している超情報化の予感」


   


     12月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

2007年に登場した「初音ミク」は、
当初はいわゆる「オタク」サブカルチャー扱いされてきています。
そして、未だに、
この「情報形式・情報内容」が詳細に語られているとは思えません。
このことを確約的に社会評論できうる知性が
不在ではなくて非在なのかもしれません。
それは、わが国の情報化戦略が
とてつもない遅行指標の中に埋没しているのです。
私は、この「初音ミク」をシンボルとした音声合成・DTMに、
実はとても具体的な「アンビエント」情報空間が
息づき始めたことが示唆されていると直感しました。。
私自身、インターネットからクラウド・スマートグリッド、
さらにはスマート・シティなどが
どこに向いているのかが直感的に認識できる裏付けでした。
現在、わが国の経営者に「初音ミク」が
どれだけの経済効果を持っているのかが、
直感で理解出来る人は皆無でしょう。
もし、センスということになれば、
それは、スーザン・ソンタグの「反解釈」などには克明に、
形式・様式と内容・主題の剥離や接着性能が分別できるはずです。
彼女風に論破すれば、
「スタイルのラディカルさこそが時代意志を持つ」ということです。
すなわち、初音ミクというバーチャルアイドルという様式はすでに、
その発声=人工的な音声合成は
シリコン上で可能になってきたという内容を明示しているわけです。
私は、とりあえず超情報化=メタ・アンビエントと呼ぶことにしています。
私は、親友が見事にはまってしまった「痛車」に乗せられたとき、
彼=最も信頼しているマーケッティングの専門家の予感を
素直に飲み込みました。
それから6年経って、彼はこう言いました。
「オタク文化という批判でしか、
ラディカリズムは動かなくなっているわが国に
真で新なる価値づくりは不可能になりつつあるのかも・・・」と。
私もこの観察力には慧眼せざるをえません。
初音ミクという様式と内容・形式と主題が投げかけている
「プライミング・エフェクト」の話を始めなければならないでしょう。
それが、多分、私がこのところ主張し始めている、
「商品づくり」経済から、
「製品記号論」的な経済活動を引き込む方法だと確信しています。


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「電話の進化は国内通信形式に問題あり」


   


     5月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

「電話機」はプロダクトデザインの代表的対象でした。
大学時代には課題にもなるデザイン対象、
今はケータイやスマホが課題になっています。
だから、私はそれなりに電話機デザインでは、
優れたモノを収集し、今も使用しているモノがあります。
ソットサスの電話機は、偶然にもニューヨークで試作を見ました。
メンフィスというデザイン運動直後であり、
日本で商品化になりましたが、
ちょうど中国が製造業を初動させたときのモノゆえに、
性能はボロボロでしたから、デザインの良質性は伝わりませんでした。
もう一つは、マルコ・ザヌーソとサッパーの60年代のモノです。
ダイヤル式でしたが、プッシュホン時代にも、
インターフェイスを変更して使われるほどのロングライフ製品。
これはケータイにもデザインコンテクストが連動したほどでした。
私もあるメーカーから電話機デザインを依頼されましたが、
諸般のことで製品化はできませんでした。
電話機デザインには、日本人デザイナーのモノでは、
2作品認められるモノがあります。
もはや、海外にはまったくいいデザインは皆無でしょう。
現在、自宅では本来は国内使用できないB&Oを使っています。
理由は、無線でも盗聴不可能、音質が最も優れている、
自動録音装置が付加できるなど、
プロとして、デザイナーとして、オーディオとして、
判断評価して選んだモノにしています。
それには、日本の遅れた電波法やインターネット環境などに
メーカーが無知だったことなど問題山積でした。
これからの電話機事情は、IPv6なども含めて、
国内の通信各社は、まったく「ガラパゴス化」しています。
これは電力会社同様に、通信各社も解体化されるべきでしょう。
IPv6について、国内通信会社の対応遅れは大問題です。
そして、ケータイとホーム用電話機のハイブリッド化など、
革新的なデザイン戦略が不可欠になっていますが、
このことにNTTはじめ通信会社に未来戦略がありません。
これは強く指摘しておかなければなりません。
すでにホーム用の電話も、
SkypeやLINEなどやスマホとの新たな「電話通信形式」、
そのものが大きく転換することが必要だと考えています。
電力と通信の「スマートグリッド化」に、
電話機自体のガジェット化を組み込んでいく必要があります。
電話機デザインは、もはや、通信制度化の革新化を
デザイナーの提案から、モノ=電話機システムまでを
デザイン対象にするべき領域のガジェット的なモノだと考えています。


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「瓦礫に祈りを・・・デザインによる復興計画を」


   


     3月 31st, 2012  Posted 12:00 AM

コンニャクのような私たちの日本列島。
地震列島に津波、
だから「防潮堤を」という発想には俄然反対です。
私はこのきもちを抱いて10ヶ月、復興デザイン計画書を書き上げました。
ひとまず、すでに現地に復興実施をしている企業の口添えで、
まず石巻でプレゼンをしました。
とちを、つちを、だから、まちを!という発想です。
とち・つち・みち・まち、そして東北は「通り」があります。
人工地盤には、上水道・中水道・下水道。さらに電力と情報によって、
インフラの整備をすることで、
ようやく「スマートグリッド」の基盤整備が可能になります。
政府は未だに「防潮堤」の計画を進めようとしていますが、
美しい海岸線を
高さ10m以上の壁面で取り囲むというこの智恵無き発想にあきれます。
まして、この防潮堤の土木工事は
これまでの建設関連既得権益と強固に結びついています。
被災地の人たちには未だに瓦礫が山のように立ちはだかっています。
そして遠方には何事もなかったがごとくの穏やかな海が広がっています。
毎日、津波で無くなった方々への鎮魂の祈りを捧げておられるようです。
私は、減災・防災・救災、そして安泰という
海面からの地盤高を考え抜いた人工地盤計画を持ち込んでいます。
リアス式の美しい絵画から、あの巨大な津波は、
女川の集落をすべて飲み込んでしまったのです。
それでも現地の人々は、
毎日、穏やかな海、荒れ狂う海を見つめて暮らしていく、
この日常性での安全+安心=安泰の地盤計画が必然と考えています。
帰阪後、風邪気味なので眠りに眠りました。
あらためて、津波でおそいかかった海に、
今、生きる人間の最大の智恵で、
「生活のつち・とち・とおり・まち」を創生させたいと考えています。

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「地方都市の産業活性化策定は金太郎飴」


   


     11月 27th, 2011  Posted 12:00 AM

かつて名古屋市立大学時代には、
名古屋市の教職員だったので、
「名古屋市2010年計画」の策定に加わっていました。
当時は、「企画」なのか「計画」なのかから、
詰め寄って議論をしたことがあります。
福井時代にも、そして、御用学者的にも国の政策策定、
こうしたことに関わってきましたが、
私の極めて正確無比な言動ゆえに、今ではすっかり、
そうした政策策定には関与していません。
ただし、企業の戦略策定はプロとして関わっています。
理由は簡単です。
地方行政や国家行政はいい加減なことがあまりに多い、
これが私の結論です。
しかし、企業ではそうはいきません。
最も、企業コンプライアンスをいい加減にしている、
そんな企業も最近は見受けられるようなりました。
でも、私にはこのような企業は「やっぱり」なんです。
ところで、「名古屋市2010年策定」は今もその展開、
進行結果の報告がありますから、評価しています。
ところが最近、幾つかの地方都市の2020年から2050年など、
そうした「地方行政政策策定書」、
特に「産業活性化」をいくつか読む機会がありました。
どこでも、項目がすべて同じ=金太郎飴であり、
「企画」なのか「計画」なのかも定かではないのです。
ひょっとして大手広告代理店、銀行系のシンクタンク、
そして大学教授という学識人の委員会だと、
「このようないい加減な策定案」が最もらしく文案に
なってしまうのでしょう。
特に、3.11以前の策定案ならば、もう即刻に書き直すべきです。
「スマートグリッド」・「クリーンプラン」・「再生エネルギー」など、
幾つかの術語がコンセプトになっていて、
その定義が脚注に書き込まれています。
プロとしての判断では、この定義は間違いだらけです。
TVのコメンテーター=評論家といわれる人たちの言説も、
間違いだらけが特に最近は目立っています。
「だから、わが国はシステムが壊れてしまった」。
私は相当に怒らざるをえません。
私は少なからず「商品」という具体物で勝負してきました。
さらに、「地方行政」には、自分たちのふるさと再生、
地方産業の活性化政策で、ブランディングとかマーケッティングとか
グローバリゼーションというキーワードがとても氾濫しています。
ところが、
「デザイン」という言葉が全く無い政策案もあって驚愕です。
それは、地方行政ではいまだに「デザイン」に信頼が無いのか、
あるいは「デザイン」を付加価値程度にしか認識が無いのでしょう。
とても「いい加減な言説」には、徹底的にプロとして言説で抵抗します。


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