kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ジェネリックデザイン’


『大学入試センター試験問題に「デザイン」が出た』


   


     1月 17th, 2018  Posted 12:00 AM

大学入試制度でのセンター試験では、毎年様々なことが起こるようです。
今年は、厳寒ゆえの交通麻痺から、ムーミンマンガでの出題がありました。
私が注目したのは、国語で「デザイン」がそのまま、
原語からデザイナーの必読本
さらには意味までが、問題として登場したことでした。
これまで、私の著作から、予備校での試験問題、
さらには私立美大の試験問題になったことはありました。
これは必ず著作権としての利用譲渡で主催者から問い合わせがあります。
入学試験問題では後日使用箇所が知らされますから分かります。
さて今年2018年は「大学問題」が少子化とともに
今後の大学存在にも関わるので、
私も共通センター問題で、大学入試の能力程度を知りたかったのです。
そこに国語では「デザイン」がそれこそアフォーダンスまで、
語られたとても詳細な問題であったことです。
正直ここ数年、日本人の感性での美的判断やモダンデザイン離れもあり、
デザイン理解度の低迷を知っていただけに、
私はビックリしたのですが、デザインが語られる参照本は、
デザインセンスを混乱させているだけに
デザイン意味論やアフォーダンスは正解ですが、
最近まとめ直していることにも影響されるでしょう。
たとえば、デザイン盗作やジェネリックデザインとかでの物真似に、
私はがっかりしていたので嬉しい現実でした。
深夜のTVショッピングなどでは、日本人の美感覚特にデザインセンスでは、
落胆していただけに、
センター試験・国語の問題になったことは書き残すべきことと思いました。


目次を見る

『美大教育の終焉が始まっている・教員の責務を問う』


   


     7月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

多摩美術大学で年1回の特別講義をしました。
正直、大学をすでに退官したときから
あらためて講義を大切に考えています。
不思議だと自分自身思います。
それはいくつかの大きな理由があります。
まず、わが国の「モノづくり」低迷は産業経済力を著しく悪化させており、
それはデザイン界自体が、相当に誤った方向にあるからです。
そのことに全く平気であり
それでもスター扱いされている悪者デザイナーがいることです。
高校時代だったなら・・・絶対に肉体的な喧嘩をしていたと思います。
美大時代の先輩から、「川崎、あいつ殴ろうか?」といわれると、一応、
「先輩、今は立場があるので勘弁してください」と言います。
多摩美大はデザイン界問題の渦中の大学ですが、
この八王子校は全く違いますが、
日本のデザインが海外からも非難されることを
しっかりと次世代に「デザイナー責務」としての発言を実務活動で紹介。
しかし、年々、美大生は大人しくなっています。
これには大問題があります。
「絵が描けるから美大ということ、文系になっていること」。
高校での管理教育の成果にはとてもまじめ過ぎるのでしょう。
真面目な学生は教員意識の反映です。
本来なら他の教員の教育ベースであるデザイナー実務を知りたいです。
「上から目線」と言われても結構です。
が、阪大で退官後に進行している
デザイン実務はやはり最先端であると再確認しました。
3.11を忘れることは出来ないほど熊本地震も連続しています。
それに対してレジリエンスデザインにこの美大のほんの一部教授にも
参画をしてもらっていますが、学生との一体感は無いようです。
それもそのはずです。
大間違いを放置している大学理事会の怠慢性を訴求します。
「デザイン思考」などの大間違いが「ジェネリックデザイン」となり、
その風潮があったことは書き残しておきます。

*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』
*『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
*『造形言語と形態言語とcodeとmodeと、そして・・・』
*『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』
*『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


目次を見る

『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』


   


     7月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

Genericという言葉がもつ意味は、とても優れていました。
元来は、薬などが商標権などに囚われずに一般的なと言う意味でしたが、
このノーブランド性を最初は借用していたのが、
医薬品以外、特に家具などにジェネリック家具となり、
それは意匠権などが消滅するとジェネリックプロダクト、
ジェネリックデザインへと盗用されるどころか、
オリジナルデザイナーの名前を消し去り、
オリジナルデザインの価値観を完全無視し出しました。
ジェネリック医薬品の考え方は、優れていたと思います。
これはインドの国策として、医薬品の物質特許を、
インド国内では認めない=貧困層に医薬品を提供する政策でした。
しかし、そうなると創薬にかかった開発費は無視されたことになりました。
そこで、後発医薬品をジェネリック医薬品として、
先進国家も製造を開始することになるわけです。
ジェネリックというノーブランド性を、
家具業界が借用しかつては素材や生産方法では高額であったモノが、
コストパフォーマンスなどが性善説であったのはほんのわずかでした。
特に、ジェネリックプロダクト・ジェネリック家具が、
中国のモノ真似主義を根本で支えることになると、
倫理感の無いデザイナーは平気でこれを悪用することになったのです。
日本では意匠権で20年保証をしてないとするなら、
オリジナルデザイナーの死後に、オリジナルデザインを消し去り、
それは「私のデザイン」だとまで主張し始めるのです。
法的には問題は無いのかもしれません。
ジェネリックプロダクトならば、
今ならここまで優れた新素材・新生産方式で、
オリジナルデザイナー名を明記して、
リデザイナー名としての表記なら私も納得するでしょう。
しかし、デザイナーという職能は、
美・義・善を職能倫理観としているならば、
ジェネリックデザインはやらないはずです。
まして、オリジナルデザイナー名を消し去って、
自分名でデザインしたともなれば、これは盗用悪用です。
先般、私はシェーカー教徒デザインを
まったく自分名としてきた作品を審査委員に検討を図りました。
当然のこと、知らなかったが、これは盗用!という意見でした。
オリジナルデザイン、
とりわけアノニマスデザインを徹底的に学ばされて育ってきた者には、
ジェネリックプロダクトに関与することは、
デザイナー哲学として絶対に踏み込まないことは明確です。
まして、政治的な権力で受賞対象にしてしまい、
意匠権を盾にしてライセンス生産のオリジナルを
デザインの歴史から、
抹消させるなどとは許されるものではありません。
ジェネリック医薬品のディメリットが、
やがてジェネリックプロダクトに反映するでしょう。
ジェネリック医薬品の物質特許無視が
招いてしまった薬剤特許は後発医薬品の効能を失わせているのです。
おそらく、ジェネリックデザインを悪用しているデザイナーは、
彼のこれまでのデザイン全てが拒絶されると危惧します。

*モダンデザイン源流を自分デザインにしてはならない!


目次を見る

『ジェネリックデザインは模倣=犯罪である!』


   


     7月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

学生時代には徹底して定本的なデザインの造形、
その形態を暗記させられました。
自分が美しい形態は、自分でスケッチを描いて覚えました。
そのためか、時に、自分がデザインした後になっても、
何か心残るモノの形態が図面で出図しても気になり、
もう一度記憶を確かめると、それはオリジナルデザインがありました。
これはデザイナーの生命線である「模倣」を徹底的に辞める手法でした。
ところが最近は、ジェネリックデザインやジェネリック家具なる、
これは明らかに模倣、あるいはそっくりなモノが平然と商品化されます。
また、それを推奨するような教育がデザイン教育になっているとは、
なんとも情けない限りです。
ファッション=洋装商品でのコピー商品=モノ真似での
金儲け経営者が逮捕されました。
この傾向が強まってほしいと願っています。
私は眼鏡フレームのデザインを30年プロとしてやってきましたが、
この世界も、模倣だらけであり、なんでも展示会などではモノ真似すべく、
デザイナーはトイレでその形態を暗記すべくスケッチしているとも
私は聞いたことがあります。
この模倣を平然とやる中国の商いにはとうとう、
1925年から論議されてきたハーグ協定での国際的な意匠権の条約が、
ようやく執行されるようになりましたが、
おそらく、ジェネリックデザインとかを平然と言っていたり、
亡くなって忘れられたデザイナーのモノ真似を我が物顔で、
解釈性を積極的に歪曲しているデザイナー自身が、
この協定を破ることになるものと私は怖れています。
この模倣はインターネット通販で固められてしまったことも事実です。
「模倣社会」を打ち破るには、徹底した国際的な意匠権と
パブリックデザインの自由意匠権解放に、
徹底的な国際的な理念と哲学が必要です。
しかし、私はもっと強力な知財権としての意匠権確立には、
国際的な罰則が産業経済として必要だと考えています。
なぜなら、平然たるモノ真似デザインは犯罪だからです。


目次を見る