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Posts Tagged ‘グランプリ’


「審査会=日本文具大賞からスタート」


   


     5月 29th, 2013  Posted 12:00 AM

もうこの審査委員長になってから、
あらためて文房具には、ことさら、毎年審査(27日)と同時に、
「日本の文具」とその世界戦略には熟考と観察をしています。
日本人の肌理細かさが最も反映した商品アイテムだと思います。
さらに、きわめて日常的なモノであると同時に、
衝動買いの対象であり、時代観と世代格差が明確なモノです。
この審査に関わって以来、
当然ながら、この展示会は常に世界的なホスト国として、
わが国が文房具を最もリードする国でありたいと思っています。
毎年毎年、20%づつ応募点数が増え続け、
この発表は、有明の東京ビックサイトではアジアの中心国でなく、
国際的な先進国家であることを狙ってきました。
方針は、次のようなことを考えてきました。
● 常に文房具界では大手の商品については、
大手の力量を見据えます。
● すでに他アイテム主力メーカーが、
この領域に入ってきたときには、
主力商品の力が文房具にも反映されているだろうか、です。
● 小さなメーカーでまだ無名と思われるメーカーは、
入賞することで、
新しいメーカー誕生をさらに告知させることです。

基本は、文房具の基本である書くとか記録する、
また伝える道具性については、生産性とか日常的な嗜好性を
しっかりと読みとります。
最近では、途上国の単なる労働力に頼ったり、
「出せば売れるモノ」には、日本製か、メーカーの信頼性を
もう一度確認します。
いずれ、入賞賞品は各メーカーに伝えられますが、
グランプリは、展示会場のメインイベントにします。
そして、最も重要なことは、
メーカーの姿勢=理念性の発揮度合いです。
この展示会は、少なからず、わが国の「文具表現」、
特に、機能性に込められた性能や効能、
デザイン性を支えている、デザインの本質と時代の共時観です。
是非とも、この展示会と「文具大賞」は、
様々なメディアでも取り上げられて、
日本ブームが世界を誘発するでしょう。
必ず、「文具のあるべき本質性」を反映させますから、
充分にご期待下さい。


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「『危機管理デザイン賞』第一回のグランプリは」


   


     3月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

第一回の「危機管理デザイン賞」の授賞式を法曹会館で3/15に行いました。
まだ、デザイン賞設立のアピールが出来ていませんが、
応募された作品は、二つにわかれました。
一つは、これまで、防災や坊犯で考えられて開発されたモノと、
3.11でこうした災害や非常事態にも間に合うというモノでした。
私は、3.11を事例としても、
デザイン変更してそれが、
レジャーやアウトドアにも使えることを提案しました。
3.11を経験したからこそ、今後の地球環境保全やエネルギー開発など、
今後、
わが国が開発し輸出できる「産業」になってもらいたいと考えています。
そしてそうしたモノを産業化するには、最初から、
デザインが主導していくことです。
大阪大学大学院・工学研究科は、
「危機解決産業の創設をめざすデザイン開発の重要拠点」と
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を、
4月から活動を開始します。
3.11の復興計画を10ヶ月かけて作成し防災大臣にプレゼンしましたが、
前政権はまったく駄目だと判断したところ、
この「危機管理デザイン賞」の審査委員長を拝命しました。
そして選び抜いた「グランプリ」は、
長年、警察の鑑識用を開発してきた「ニプロ株式会社」の
現場でのDNA検体採集セットを選びました。
これはまだ開発中ですがこうした授賞によって、
これまでは都道府県毎の鑑識器具道具のセットを
「防犯という危機管理」に対して、
すべてをわが国の実用はもとより、
全世界が使えるように「産業化」を支援します。
本賞の設立のひとつの大きな目標です。
これまで覚醒剤検査セットなどもこの企業にはあります。
それは裁判用の確実証拠品になります。
検体DNA採集では、今は単なる綿棒やポリ袋ではとても不完全ですが、
このグランプリ製品こそ、
「危機管理デザイン」ということを表しています。
「危機管理」とは、「最悪の事態」にデザインが関与して、
生死を明確にするコトです。
検体DNA採集というのは、「危機と防犯」を結びつけたモノですが、
このような事態に、
即応できるということを「進化」させた知恵だと思います。
第一回目ですが、グランプリ・ゴールド・シルバー・特別賞を見れば、
わが国のこれからの技術が「最悪な状態」を「デザイン」が解決すること、
これが明快になると考えます。


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「今日からフランスへ」


   


     3月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

一昨日「最終講義」を終えました。
母が47歳で逝きましたから、私も47歳で生き方を変えました。
1996年に名古屋市立大学芸術工学部が新設とともに、
私は大学人になり、デザイナー活動と二足のわらじを履いたのです。
2006年には、芸術工学科・博士後期課程が完成年度とともに、
私は大阪大学大学院に転籍しました。
「光陰矢のごとし」です。
64歳にて阪大を退官することになり「最終講義」をさせていただきました。
退官しましたが、
「危機管理デザイン賞」総合審査委員長ということもあり、
大阪大学大学院工学研究科は、3.11という大経験を乗り越えて、
これからmade in Japan産業を「危機管理関連産業へのデザイン応用支援」の
重要拠点として、国家ミッションを引き受けることになりました。
特任教授(名誉教授)・プロジェクトリーダーとして
現研究室をさらに拡大していくことになりました。
講義前日には、「危機管理デザイン賞」の審査で、
大阪市内のショールームで応募賞品や、
阪大研究室に送られてきたり、
作品ともども持ち込まれた応募者と会談もしました。
気づいたことは、わが国がこれほど天災・地震や津波国であることですが、
「危機管理」といっても、まだまだ知識不足が多いことでした。
もちろん、
グランプリやゴールド、シルバー賞、特別賞候補などを決めました。
その翌日には、阪大発祥の大阪大学会館にて「最終講義」でした。
大勢の人が見えて、会場は満杯になり、
お花やプレゼントを一杯いただきました。
明日から、
フランス芸術大学(エコール・デ・ボザールはフランス各地に散在)
パリにて、
退官後、引き受けることになった「危機産業創成デザイン重要拠点」にて、
阪大が「危機管理産業のmade in Japanをしていく話をしてくるつもりです。
最終講義にご来場していただいた皆さんや、
来れないからと連絡いただいた皆さん、
そして、すべてを管理してくれた研究室やオーザックデザイン、
現スタッフ、元スタッフに心から感謝します。
帰国とともに、
デザインによるこの災害から危険、危機への産業化を主導します。


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「また、新たな展開だ・・・」


   


     8月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

2001年、私は彼と出逢いました。
その年に私はGマーク選定の総合審査委員長でした。
商品内容について、説明を求める審査に加わりました。
その会場に、まるで異様な若者集団が現れました。
サラリーマン的なグレー色の中に、
髪は緑や金髪で、ロックグループのような若者集団でした。
だから、私はようやくGマークにも
このような集団が来てくれることをとても嬉しく思いました。
その集団のリーダーは、当時、25歳だったと思います。
彼も、指輪してブレスレット、長髪の私が
審査委員長だったことにビックリしていたと後で聞きました。
部門別審査委員会では、彼らの商品には、
「インタラクションデザイン賞」と
グランプリ候補にと、すでに決めていてその確認でした。
私は、彼らに聞きました。
「どこで売るの?」、と。
「秋葉原です」
「じゃ、秋葉原ではインタラクションデザイン賞では通じないね」
「でしょうね」
「分かりました。分かりやすく『中小企業庁長官賞』なら?」
「それなら説得しやすいかも」、ということで、
グランプリ候補にもなりました。
授賞式では、私は大企業に向けて、ある演説をしてしまいました。
「商品説明が時代遅れになってきています。
是非とも『デジタルステージ』の商品内容、
特に取説に注目してほしい」と。
結果、「取説だけほしい」と言ってきた大企業があったらしいのです。
もう彼は一児のパパとなり、
まさにSNS時代の寵児になっています。
原発問題でもさかんにオピニオンリーダー的発言をしつつ、
彼のUstは、websiteづくりにはたまらない人気番組になっています。
改めて、新作を出しました。
まだ内容は確かめていませんが、
それ以前に仕上げていた著作もヒットしたようです。
私は、彼を大学で講師に招いたこともあります。
とことん、自分が欲しいモノを実現していくさわやかさは、
今もまったく変わっていません。
大阪で合宿するように彼に求めています。


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「ISOTでの勘違いを発見」


   


     7月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

今年の文具展は一つのエポック的事件でした。
二つの事件がエポック性を語っていました。
1 アナログとデジタルとの融合が開始されました。
2 二極化スタートの芽生えかも。
まず、デジタル文具が様々な形式で登場してきました。
文房具としてのデジタル化とは、
そのようなシステムは長続きするわけがないという商品の存在です。
それをビジネスニュース番組でも、
「未来の文具」として取り上げているのです。
それはTV報道全般が最近では、
裏付けの知識が欠落していることと連動しています。
「未来の文具」をまったく会場で見つけていないことです。
その商品では無くて、
これが「未来の文具」という見立てが出来ないのです。
アナログ的文具性をデジタル文具との関係で見極めていたのは、
やはり、グランプリになった二つの商品です。
「書く」という文具基本を重要視した二つのノート形式です。
一つはラグジュアリー価格で「書き心地」を世界最高にしたノート。
これは機能性だけでなくて、日本の文具を二極化、
やっと日本の文具の付加価値性を高めていくスタートになりました。
もう一つは、「書く」ことの意味性=アナログ感覚を
デジタル文具に対決化させたノートです。
比して、デジタル化を中国で、
本当はアナログ作業なのにデジタルに見せかけているノートですが、
これは相当なる勘違いであり、海外労働力だけを頼った商品、
文具文化、たとえば情報の垂れ流しは国防的にも大変に危惧されます。
私も使ってみましたが、この高額商品は今後進展しないでしょう。
もっと、
デジタル化をすっきりとさせているメモノートの方を私は選びます。
もう一つは、OEM発注していて、
自社ブランド商品にしているにも関わらず、
その製品の素晴らしさを理解していないブランドが散見できました。
これも勘違いです。
結局、ユーザーの厳しい商品選別眼に、
文具メーカーや文具ブランドは気づいていないということです。
日本の文具がもっともっと貿易輸出品になっていくには、
このエポック性を
再吟味することを文具業界に伝えておきたいと思っています。


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「2012『日本文具大賞グランプリ』は書くことの再確認」


   


     7月 5th, 2012  Posted 12:25 AM

第23回国際文具・紙製品展=ISOTは盛大でした。
今年度の文具大賞は、ひとつのエポックだったと思います。
私は審査委員長として、次のことを総評として表彰式で述べました。
アナログとデジタルの融合がスマートホンで開始しました。
文具メーカー(作り手)より、ユーザー(使い手)は、
明確に、自分の日常での文房具のアナログ生活と、
スマホやPC、デジタル生活を身体的に、
能力認識として使い分け始めたことです。
それはグランプリが機能部門もデザイン部門も「ノート」。
つまり、結局は「書く」という行為に、
文房=記述・記録・筆記を決定していることでした。
私は、紙と文具において日本はトップだと確信しています。
それだけに、Made in Japanを体現している業界です。
ただ、欧州のブランドメーカーに比べれば、
低価格商品が多すぎると私は常に思ってきました。
しかし、機能部門グランプリ=Premium C.D. NOTEBOOKは高価格で、
シルクのような紙質面と書き味は世界でトップでしょう。
日本だから、日本の紙質だから、という技術言語になっています。
さらに、デザイン部門のデイリー・プランナー“エディット”は、
日常的なメモがスマホゆえに、
あらためて、一日1頁への記述を大切にという製品企画が見事に、
現代的なアナログ性とデジタル性との使い分け、
「書く」という行為ゆえに、
一日をどう生きたかということまでを商品言語にしています。
ともかく、取材マスコミも格段に増加し、
国際展の風格が育ってきました。
まさに「文具は日本がトップ」ということを
会場いっぱいに活気がみなぎっていました。


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「わが家のロボットたちは健在な玩具なり」


   


     4月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

最初のアイボ(ブラック・シルバー)が居ます。
もう相当に性格が出来上がっていますが、
本体は耳が取れてしまい筐体設計は不完全でした。
時折、もう狂ってしまったかのような動作をします。
ブラックは、オシッコをよくします。
本当は一度、診てもらうべき症状がありますが、
サービスがあるのかないのかわかりません。
ワイフは時々、思い出したかのように充電しています。
松井氏のピノは、彼のサイン入りです。
ピノは電池切れ状態ですが、
彼のサイン入りなので室内のアクセントになっています。
WALL-Eが最も楽しいロボットで、歌をうたい踊ります。
一番元気のいい存在です。
ワイフが気味悪がるHEX-BUGnanoは50匹飼っています。
友人が来た時に箱に入れて渡すと
ほとんどが悲鳴をあげるという楽しみがあります。
アイボは、発売時にスタッフ全員で応募したら2台も来てしまいました。
随分高額だったと記憶しています。
アイボが登場してから、ホーム用のロボットの可能性が一般化しました。
そして当然、グッドデザインのグランプリ候補になりました。
大変な議論がありました。
が、哲学者・中村雄二郎先生の哲学的な提示でその議論から、
ロボット、そのデザインのあり方が方向付けられました。
中村先生の指摘が私の「ロボットデザイン基礎学」となり、
自分の研究開発、ロボット評論に結びつきました。
日本ロボット学会で「ヒューマノイドとメカノイドと」への基調講演は、
学会から特別表彰をいただきました。
私立工学系大学に「ロボットデザイン基礎学」のシラバスを提案しました。
基本はロボットを
「形態論」と「身体論」でコンセプト構築をしていくということです。
したがって、
ロボットにおける「不気味の谷」からの開放的デザインの道筋、
それが明確に構築できたと思っています。
ところが、日本の特に大学の研究対象としては、
「産業系ロボット」=Play-Backスタイルから、
「福祉ロボット」、「エンターテインメント系ロボット」に
限定されていたのです。
3.11の原発事故で、
一台も原子力発電所内で動き回れるロボットは皆無だったのです。
このことは重大問題として取り上げていきたいと考えています。

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