kazuo kawasaki's official blog

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『資本主義からの逃走』
 「解にある三つの手続き=問題解決の三段階」


   


     3月 11th, 2010  Posted 1:46 AM


「解」という文字も素晴らしくわかりやすい漢字です。
角があるウシに刃物ですから、
そのまま、ウシという対象物を刃物で「解体」する、
と考えていいでしょう。
解体・分解・解剖
だから「対象物」を「解体・分解・解剖」する。
これを第一段階とします。
そうすると、
今度は、「解体や分解や解剖してみたモノやコトを」、
「解釈・解説し、理解」しなければなりません。
これが第二段階です。
解釈・解説・理解
そうして、解釈することができる。解説することができる。
こうしたことは、第一段階でのモノ・コトを、
理解しないと出来ないことです。
そうして、理解しているから解釈もできる・解説もできる、
ということにつながります。
解放
この第一段階・第二段階で、やっと「解放」されるのです。
つまり、そうだったのか、「答が見つかってホッとした」。
この問題から解放された。
それこそ、「問題解決」あるいは「難問解決」からの解放です。
これが、「問題」ー「解答」です。
これまで、
「話題」ー「応答」
「課題」ー「回答」
ということから、真に、デザイン解決というのは、
「問題解決」での「デザイン解答」であるべきなのです。
問題ー解答
ProblemーSolution
Design Problem—Design Solution
これに至るのは、
「解」と言う文字に潜んでいる三段階だと私は確信しています。


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12月23日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 23rd, 2009  Posted 12:00 PM

12月23日 赤口(壬寅)

こうした確信できうる
見識だけが、
あやしさと自分、
すなわち個人と国家、
民族と国際関係といった
距離感覚を
計り直してくれると
私は思っている。

『デザインの極道論』あやしい


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11月12日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 12th, 2009  Posted 11:31 AM

11月12日 仏滅(辛酉)

医者と私の間に、
あるネットワークがあって、
その両端を握り合うと、
医者も私と同じ苦しみを体得できるような
ものが発明されるなら、
「うーんなるほど、
こういう具合に苦しいのか」
と理解してもらえるかもしれない。
パトスを伝達する機器=パトロジカル・
トランスファー・インスツルメントが
発明されればと思う。

『プラトンのオルゴール』
パトロジカル・インスツルメント


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『資本主義からの逃走』
 「私利私欲の「私」と、
 「公」での制度・法・制約からの解放」


   


     10月 30th, 2009  Posted 12:36 PM

「ム」は、音読みでは「シ」となります。
「ム」の形象は腕を曲げて胸元にまで回しています。
この動作は、「自分のもの」という所作です。
「私」と「公」には「ム」が仕込まれている形態です。
見事にこの「ム」は、欲望を示しているのです。

「私」は、禾=のぎへんにムです。
禾は稲穂の象形です。
禾=いねを自分の物にする、という欲望ですから、
「私」は、まさしく欲望を体現しています。
対して「公」は、八=はちがしらにムです。
八は、屋根のある空間です。
空間の中に、ム=欲望を配置しています。
「公」=おおやけを象形した中に欲望を集めています。
つまり、欲望の私的=私利私欲と、
公的な管理に欲望を集めてしまうという公益性です。

私とは、私的であることの欲望の個人性のことであり、
個人の欲望を社会的に公することを公益性と言います。

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● 資本主義は、
倫理性で「公」の理論と論理で、
私利私欲、その正当性の基本を
ある種謀議化したものです。

● 社会主義は、
私欲を離れても「公」の制度で私欲に囚われない人間、
そうした人格性が社会によって形成と保護を受けます。

● 共産主義は、
私利私欲はあってはならず、「公」の制約制度で、
人格の育成を成就できるというものでした。

しかし、
私利私欲・制度での保護・制約制度など、
全てのイデオロギーの長所を持ってしても、
「私的」・「公的」の構図内や図式上で、
個人としての人間と、集団としての人間は、
まさしく剥離していることに
私たちは気づいてしまったのです。

「私」と「公」を民主主義で、「制度」や「慣習」、
そして、「法」すなわち「公」で、
自由・平等・愛は、
個人の私利私欲に倫理性で、生涯の人格性をもって、
「公」なる社会で「幸福」なのだろうかと、
みんながやや疑い出しているのが現代、
生きている現実の感覚だと思います。


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