6月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
6月 28th, 2011 Posted 10:00 AM
目次を見る
6月 3rd, 2011 Posted 12:00 AM
Tags: アイテム, のこしていく所作, プラスチック, ペン, ボールペン, モノ, レジンの流行, 万年筆, 万年筆の軸, 体系, 出張, 器具, 情報処理, 所作, 文化, 文房具, 書く, 消しゴム, 生涯, 発明, 眼鏡フレームの流行, 筆, 紙, 行為, 表現, 記録, 趣味, 連動, 道具, 鉛筆, 電子か, 電子ペン
Posted in 祈望から企望へ
5月 27th, 2011 Posted 10:32 AM
5月27日 仏滅(壬午)
これを逆読みすれば、
「先手を討っていない」ような創造行為を
デザインと呼ぶわけにはいかない。
7月 1st, 2010 Posted 11:50 PM
7月1日 赤口(壬子)
この相互関係は、
私がデザインについて語る際に
「かたち=物」と「ことば=文」を
相対化する行為と一致している。
3月 16th, 2010 Posted 1:56 AM
Ethnomethodology
「エスノメソドロジー」という学域を知ってから、
すでにどのくらいでしょうか。
人間が無自覚でも、認知と行為の接点ということを、
ミクロな社会学という観点は、デザインサーヴェイでしょう。
私はそうした接点を「Point of Contact 」と呼びます。
しかも、認知と行為を「会話」という関係論で、
ということは、まさに、Point of Contact=ケータイです。
「会話」は確実に、
人間関係=社会学的な存在関係を決定しています。
そのツールであり、メディアでもあるケータイを定義可能です。
現代、「無くてはならないモノ」がケータイであり、
「無くても一向に構わないモノ」もケータイといわれています。
つまり、日常生活での、関心と無関心との両面性あるモノです。
しかし、すでに現代人にとって、ケータイの存在は、
明らかに、自分の人間関係はもちろんですが、
PC機能も統合化されて、
自分の能力の支援すら果たしてくれるモノとなってきました。
● 実在性
● 機能性
● 構造性
● 象徴性
これは、ケータイが日常生活に登場し「実在性」となり、
さらに「機能性」の拡大が始まりました。
今ではすっかり、認知と行為の「構造性」が、
Smart Phoneに進化していると考えることができます。
今では、「どこのケータイを使っているか」という、
その使用者の「象徴性」に至ろうとしているモノなのです。
作法性
それだけに、モノとしての形態から、
所有性と使用性への、認知と行為、すなわち「作法性」は、
現代の民俗的意味性、「エスノメソドロジー」という社会学、
その代表的な対象になってきています。
したがって、ケータイの形態という意味性は重大です。
Tags: Ethnomethodology, PC機能, point of contact, Smart Phone, エスノメソドロジー, ケータイ, ツール, デザインサーヴェイ, ミクロ, メディア, 両面性, 人間, 会話, 使用性, 存在, 定義可能, 実在性, 形態, 意味性, 所有性, 接点, 日常生活, 構造性, 機能性, 民俗的, 無くてはならないモノ, 無自覚, 無関心, 現代人, 社会学, 統合化, 行為, 認知, 象徴性, 資本主義からの逃走, 重大, 関係論
Posted in 017「ネットワークとコンテクスト」, 資本主義から逃走せよ!
3月 7th, 2010 Posted 2:21 PM
もう一度確認しておきましょう。
商人は、「売る」ということが商いの基盤だったのです。
そこで次のようなことも考えられます。
たとえば、「国を売る」=これを売国奴と言います。
これほど相手の人間性を罵る言葉はありません。
「友を売る」という言い方もあります。
これは友人を裏切るという意味合いです。
いづれにしても「売る」というイメージには、
悪い印象がつきまとうことになります。
西洋でも、「ユダヤの商法」と言われるように、
ユダヤ人が「商売」に長けていることから、
基本的には、
ユダヤ人に対しても、
「ユダヤの商法」にはどこか不信感がつきまとっていて、
「売る」という行為にはその侮蔑感が残っています。
ところが反対に、「買う」という言葉には、
良いイメージがあります。
「あの人物を買う」とか、
「才能を買う」という具合に、
「買う」ということの正当性が強調されているのです。
あらためて、「売買」ということの関係性を歴史の系譜、
時代的に、社会的に、
見直しておく「売買」関係のヒントでしょう。
「売る商品」とか「売れる商品」という言い方があります。
これは「買う」対象、
すなわち「買う」価値というのが、
どれだけ「商品」に備わっているか、
ということになります。
これは、「商品計画」につながっていきます。
さて、こうして「商品」という言葉が、
古代中国・殷=商の時代から綿々と使われてきたこと、
その奥深さ知っておく必要があるのです。
そうすれば、「商品」や「商売」の根本を、
歴史から再認識できるはずだと私は思っています。
これで、「製品」と「商品」には、
大きな違い、差異性があることは、
十分に理解していただけたのではないでしょうか。
「製品デザイン」と「商品デザイン」の
隔たりを確認してください。
Tags: 「製品」と「商品」, 「資本主義からの逃走」, ユダヤの商法, 不信感, 価値, 侮蔑感, 友を売る, 古代中国, 商, 商いの基盤, 商品, 商品デザイン, 商品計画, 商売, 国を売る, 売る, 売る商品, 売れる商品, 売買の関係性, 売買関係, 対象, 差異性, 才能を買う, 時代的, 歴史の系譜, 殷, 社会的, 良いイメージ, 行為, 裏切る, 製品, 製品デザイン, 買う
Posted in 015「製品と商品」, 資本主義から逃走せよ!