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Posts Tagged ‘発明’


「消える?という精美さ・日本のモノづくり」


   


     5月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

先般も評価しました。
わが国の文房具、そのモノづくりは最高です。
この「消えるボールペン」という発想と商品化は、
日本人のモノづくりゆえの繊細さと気配りが、
とても行き届いていることを証明しています。
日本の筆記具は西洋的な影響の中で進化してきました。
つまり、西洋は「指先より硬いこと」=スティルスが
原型=STYLEになっています。
しかし、東洋は「指先より柔らかいこと」=筆形式です。
まさにボールペンの発明は、
万年筆を超えた物だったと言っていいでしょう。
そして、万年筆にしてもボールペンにしても、
そのインクは消えること無くペン方式だけが進化。
それを日本人は「消す」という形式を付加したわけです。
文房具の中でもインクは、
地方でも優れたインクが開発されているというわが国です。
このことはマニアなら熟知していると思いますが、
私はこの「消えるボールペン」は、
世界の筆記具の歴史を覆す事件だとさえ思います。
そして、問題はここに潜んでいます。
たかだかボールペンですから、
その市価は限定されて安価なままです。
もっと商品価値を高めていく戦略が欠落しているのです。
4色の消えるボールペンを見つめながら、
私はしみじみと考え込んでしまいます。
このボールペンをタキシードの胸ポケットには入れられません。
ボールペンと言っても、
ブランドモノなら数十万円の物もある商品価値世界です。
私は改めてこれからの日本のモノづくり=商品価値づくりに、
この商品価値世界判断づくりが必要だと考えます。
たかが「消えるボールペン」の価値幅をされど拡大するべきでしょう。
ボールペンに限らず、
日本のこうした詳細で緻密で精美なモノづくりを
再考する時期にきていると判断しています。

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「フリーランススタートの頃」


   


     4月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

関東労災病院でのリハビリテーションを終えて、
私は赤坂にデザイン事務所を開設しました。
1978年でした。
まだ東芝社員のままに独立を許諾されたのです。
ただしオーディオ関連以外のデザインに従事することが条件でした。
しかも給与は支給されていました。
ただの直感でデザイン事務所名は「Super Edison」でした。
技術・エンジニアリングを意識し、
「デザインは発明でもなければいけない」
という柳宗理先生の思想を込めたネーミングでした。
たまたま、米国人のモデルがガールフレンドの一人だったので、
彼女は来日すれば仕事休日に、モデルとして手伝ってくれました。
それで、デザインスタジオのプロモーションスライドづくりです。
当時は口コミだけでデザイン依頼をしてくるクライアントに、
「Super Edison」のスライドとオーバーヘッドプロジェクターで、
スタジオでのデザインワークプロセスなどを見せていました。
工業デザインの仕事よりも、
イベント企画や商店街活性化企画をしていました。
とてつもなく大きなイベント企画ばかりしていたようです。
ちょうどピンク・レディー全盛期で、
新宿で新築の最高層ビル「野村ビル」屋上で、
紅白歌合戦終了とともに日本で最大の鐘を突き「ゆく年くる年」をやる。
そのために高岡で鋳造されている直径2mの鐘を東京まで陸送、
それは陸運会社のTVCFにし、
屋上には陸上自衛隊のヘリコプターで下ろしてもらうという企画、
実現いよいよとなりました。しかし、
澁谷のNHKから新宿まではパトカー先導ということまで決まったのですが、
没になりました。
ある仏教系からの文句が大きくて
「とんでもないそれは除夜の鐘の冒涜だ」という批判で中止になりました。
東京のある商店街通りに、
パリのごとく「花街道」にしようという企画、
そのために花咲く季節前にビニール栽培をしていたら、
その花が突然すべて枯れるということもありました。
それから3/4インチビデオ撮影スタジオ業もやり始めていました。
また新宿に高層ビルが竣工となり、
その屋上にハリウッドから実寸の映画モデル「ゴジラ」を座らせる、
なんてこともスタッフがハリウッドの演出会社を説得し
船便で運んで来る企画も実現間際に、
消防庁の許諾どころかお叱りを受けたりしました。
すべてが失敗していたわけではありません。
晴海埠頭にあった晴海の見本市会場では、
「日本オーディオフェア」で展博ディレクター。
1988、1989とあるメーカーを人気No,1にしたこともありました。
東芝時代には東芝でのディレクターをしていたので、
開催前日、ディスプレーデザインのチェックには
会場内まで自家用車・当時はGMの「モンザ」で乗り付けると、
顔なじみの展博屋さんたちが大拍手で迎えてくれました。
「よくがんばったな」
「生きていてくれてありがとう」
「流石にまったく新しいディスプレーだ!」
「車椅子になったからさらに神がかりな展示だ」なんて言われて、
長髪の頭をみんながぐちゃぐちゃにしながら撫でて喜んでくれました。
(あぁー、自分はオーディオのこの世界にまた戻れた)と、
大笑いしながら泣きました。
毎日、でかいイベント企画、その発想の楽しみを懸命にすることで、
寿命は40歳まで(当時のドクター診断予知)という重くて真っ暗闇、
心に突き刺さってくる「哀しみ」と闘っていました。
1%の精進で 99%は死に向かっていく諦観を心に留め、
ともかく明るく振る舞っていました。

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「カップとソーサーの関係は文化の基本」


   


     3月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

文明とは飢えと寒さから身体を護ること。
だから、「器」と「着物」が文明の最初の発明でした。
そして「器」は形態的な進化をしていきます。
やがて「器」形態が文化を生み出すことになります。
その実例の一つに、コーヒー文化、紅茶文化、日本では茶道になります。
さて、
コーヒーと紅茶が西洋文明の中で文化になっていく基本がありました。
「紅茶」は高温ゆえに、一度はソーサーで温度を下げました。
そしてティーカップの口径は
コーヒーカップより大きめで高さも低いわけです。
このソーサーの容量とカップの容量は同量だったという寸法基準が、
文明から文化へとつながっていきます。
ところがこの基本を現代はすっかり忘れています。
特に、コーヒー文化、紅茶文化を輸入した国々、日本などは顕著ですが、
カップとソーサーの同量容積関係に精通していない結果、
ティーカップ、コーヒーカップ、ソーサー性能を表現していないため、
国際商品にはなりえなかったと判断することが可能です。
特に、日本の陶器(粘土が土成分)産地の
コーヒーカップやティーカップのデザインは基本的に間違いだらけです。
若い頃、このことを陶器産地で相当に話をした結果、
私はその産地に出入り禁止になった経験があります。
無知識さな陶芸作家ということで、
「先生」と百貨店から呼ばれ
醜悪な作品を造っていた人から受けた屈辱でした。
そして、日本の茶道、特に「家元制度」がかえって、
本来の茶道たる文化を破壊している実例も存分に知っています。
なぜ、西洋文明の「器」が、文化としてのカップとソーサー、
それぞれの容積性能があったのかは重大な智恵の核心です。
モダンデザインによりその基本は解放されました。
しかし、ロシア・アヴァンギャルドでは遵守されていました。
茶托的なソーサー形態を創出するには、
こうした知見をデザイナーは深めるべきでしょう。
私の、陶磁器でのカップ・ソーサー、
モダンデザインでのコーヒーカップの収集ポイントには、
この文明としての「器」から、
文化としてのカップとソーサーへの研究心が核になっています。
私は、この基本を絶対基準として陶磁器デザインに向かっています。
*ロシア・アヴァンギャルド(MoMA収蔵品レプリカ)・KAWASAKI Collection

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「ウェリントンタイプ眼鏡など忘却すべし」


   


     2月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

眼鏡には定番のスタイルがあります。
そして、流行的なファッションとして繰り返しています。
その代表が「ロイド眼鏡」=正円レンズと、
「ウェリントンタイプ」=上辺長・下短辺の台形レンズです。
おそらく最も安心できる定番スタイルです。
これを不易流行のモノと私は思っていません。
メガネフレームは時代との共時性があり、
こうした定番は、顔表示を古くさくする野暮さが、
時代的な流行時と共時しない限り、
そのまま自分のセンス放棄を顕示します。
だから不易流行のモノにはなりきっていないのです。
ウェリントンは日本人に似合っているというのは、全くの大間違いです。
顔幅の細さと鼻の高さが無ければ決して似合いません。
しかもそのリーダー的な映画スターたちに
現代性は無いとすら私は思います。
そして最もメガネフレームの
性能・効能・機能は「かけごこち」に終局します。
「ロイド」も「ウェリントン」も結局は、
フレーム自重を軽減不可能の構造であって進化することも不可能です。
我田引水ながら、
私の発明した「アンチテンション」は、すでに定番になってきました。
テンプルを広げても、レンズに応力はかかりません。
だから、瞳孔距離を変えませんので、乱視になることを防止できます。
このタイプ構造は真似られていますけれど基本的なかけごこちを失えば、
意味ありません。そのようなモノも氾濫しています。
2000年にシルモ・グランプリを受賞したモノとしては、
その軽量さ、体感重量、かけごこち、
そしてファッションの不易流行性は確約できます。
「アンチグラビティ」、『アンチテンション」、エアストリーム性など
表面的、装飾的な類似品を多く出ることで、本物が浸透するでしょう。
新たな素材開発と新たなフレーム構造構成を
さらに発明的な革新を狙い続けていくつもりです。

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「一条の光明は創出するもの」


   


     8月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

闇に一条の光明を、
これは私たちが闇にあるときに
必ず願うものです。
しかし、これもレトリックでしかなく、
一条の光明というのは、
創り出すものでしかありません。
それはまさに暗闇に入れば一本の蝋燭が必要です。
すなわち、暗闇に光りを見いだすには、
「蝋燭のような」発光体がツールとして不可欠です。
「蝋燭のような」というレトリックに何が、
その闇を明白にするかということです。
蝋燭は灯りであり、その正体は火です。
したがって、「蝋燭のような」というレトリックの本質、
レトリックではない具体物がツールになりうるでしょう。
「闇」という表現はレトリックではなくて、
メタファーという意味がみえてくる気がしてなりません。
特に未来が闇のごとく不明な場合には、
未来の不明さはレトリックにすることは容易ですが、
メタファー的に「闇」は置き換えること不可能です。
今、日本の未来は「闇」です。
この国難そのものが「闇」であるからには、
少なからず一本の蝋燭のようなツールが必要です。
しかし、これはすでに「ような」ツールではありません。
私が意図していることは、
国難のわが国・日本の未来を「闇」にするわけにはいきません。
今夜もその「闇」への一条の光明=蝋燭のような、
灯り=火となるツールを見つけ出すか、
あるいは発明、創出しなければならないと考えています。
結論は、ツールの創出というデザインに他なりません。
火が文明の基本であったように、
今、未来の日本は再文明化出来るツールの発明、
何を創出するかというデザインです。
デザインは、一条の光明を創出すると確信しています。

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「現代文房具はどうして面白いのか」


   


     6月 3rd, 2011  Posted 12:00 AM

文房具は、私はなぜか好きです。
おそらく嫌いな人はいないでしょう。
そして、文房具の種類は圧倒的に膨大。
これは文化と直結しているモノの大体系です。
「書く」という行為、
人間が表現をする「書く」という所作を取り囲んでいます。
基本は、「紙」と「鉛筆」、消しゴムであり、
やがて、紙周辺、鉛筆の進化、
書いても訂正するというためのモノに広がっています。
そして、さらに電子化と情報処理が加わって、
文房具のアイテムは格段に増殖している世界に私たちは居ます。
「鉛筆」というモノの発明が、
私たちが表現する世界をさらに拡大し、
表現された事を記録し、残していく所作の道具や器具も、
文房具になっていくわけです。
あらゆる鉛筆への興味は、
筆からペン、万年筆、さらには電子ペン、
それらが趣味収集の対象にしているの事が、
私の生涯をすべからく表していると言ってもいいわけです。
ちなみに、私はどんな服装の時でも、
「ペンの類」が無いと不安になります。
だから、ちょっとした外出でも、
それに見合ったペン=ボールペンなり万年筆を携帯します。
出張ともなれば、万年筆は使わずとも6本は選びます。
万年筆の新製品には心を奪われます。
そして実は、万年筆の軸がプラスチックの場合、
このレジンの流行がメガネフレームの流行と連動していることを
知っている人はいないのではないかと思っています。

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11月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 17th, 2010  Posted 10:31 AM

11月17日 先負(辛未)

発明したら発表するべきだ。
商品化できなくとも、
夢はみんなが共有できるではないか。

米国は、この手法で
どれだけ夢だけを与えて、
その後で思いっきり
失望させてもくれたことか。

それが情報化時代というものだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』器量相発


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『資本主義からの逃走』
 「デザインは『付加』するものではないということ・3」


   


     7月 21st, 2010  Posted 12:00 AM

外観化の思想

私は、デザインを「付加価値」だと考えたことはまったくありません。
理由は簡単です。
当然、デザイン職能は「外観づくり=形態化」に集約された営為です。
しかし、「外観」は単なるハリボテを纏わせているわけではありません。
特に、機器であれば、筐体・基盤・機構などを「実装」します。
そして、それぞれの「素材」を熟慮しなければなりません。
ソファやイスなど、ほとんど「構成」された形態といえども、
内部の構成部品や構造から製造工程、流通・運搬工程に、本来のデザインは関わります。
「本来のデザイン」と改めて記述しました。
「デザイン」=形態化というのは、私自身、美大では産業美術学科であり、
まさしく産業のために美術を応用しようという時代を通過しました。
しかし、それはデザインを「制度」として日本に位置づけた官僚的な判断だったと考えます。
未だに大学教員の専門が「デザイン」は「美術」に配属されています。
結局わが国の文化的醸成度が大きく欠落していたからでしょう。
確かに、大学では産業美術としてのインダストリアルデザインを学びましたが、
美術的なテクニックはあくまでも「表現手法」として訓練されただけでした。
むしろ、「デザインの本質」としては、
「社会的・Socio・デザイン」と「革新的・発明を念頭・デザイン」や
「少数派のためのデザイン(現代的に言うユニバーサルデザイン)」など、
考え方や思想面を徹底的に仕込まれました。
企業内インハウスデザイナーになってからは、
さらに「発明や革新性や社会性、文化性」をデザイン部門は常に追いかけていました。
デザイン=意匠=外観化の基盤や背景・思想であり、
単純な「商品価値を強化する付加的要素としてのデザイン」は、私の経験の中では皆無でした。この私の体験は、決定的に「付加価値否定論」者です。
物語=モノ語り
私がデザインは「全体価値」と言うことを「物語」=モノ語りに焦点化させたのは、
次のような考え方がありました。
まず、「モデル化」;
すなわちデザインモデルは「数理的モデル化」に近似しているということと、
見本ではなくて手本、つまりサンプル思考では無くてテキスト思考だということです。
そして、いづれの「モデル化」にも共通しているのは、「構造主義的な思考」です。
これは、70年代からの社会科学に数理モデルの適用や、
文化人類学からエソノメソドロジーやセマンティックスが混在化しつつ、
「学際性」により専門性の解体が始まろうとしていた時期と共時できた幸運でした。
「物語」への構造主義的な論理に私は心惹かれるとともに、
自らのデザイン背景、「論理から形態と形態から論理」のインターラクション性、
ことばとかたち:かたちとことばを意識するようになりました。
結果、「付加価値というデザインはあり得ない」ことへの自覚と自信が、
私のデザインにも表れる様になったものと自負しています。


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『資本主義からの逃走』
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


   


     5月 31st, 2010  Posted 12:01 AM

私は、「情報」という日本語が、
次のような意味合いを統合しているとしたら、
すでに曖昧な言葉に成り果てていると思っています。

Information
報道・制度的な広報・私的あるいは公的事実性
Intelligence
秘匿事・隠匿事・企み事・戦略・策略
Knowledge
知識・経験事・生活の知恵・伝統伝承事
Consciousness
意識・見識・良識

私は「情報機器」という製品アイテムを対象として
デザイン成果も生み出してきたと自負しています。
それだけに、すでに新たな「情報機器」を概念と観念で再考しなければ、
次々と進化する機器設計そのものと、
人間との関係が成立しがたいのではないだろうかと考えるようになりました。
したがって、特に、デザインを職能とする人や、
情報工学、環境情報、情報制御、医療情報などすべてが、
「情報」の意味と意義がどこまで、
日本語ゆえに曖昧であるのかを検証するべきだと提言します。
企業情報戦略も国家情報戦略も、
これからのネットワークの進化に対して、
この日本語でいいのかどうか、
あるいは、日本文化が伝統としての「曖昧さ」が本質であるとするなら、
その曖昧さの再利用を創出する時期になっていることを提案したいと思います。
そうなると、「情報」だけではなく、
再考し新たな概念と観念の言葉そのものを探し出す必要があると考え提示します。

たとえば、次のような日本語が考えられます。
以下の言葉については、この20年ほどいつも熟考対象にしてきた言葉です。

福祉
機械
環境
人間
病院
医療
科学

などです。
そして、こうした言葉がもっとも多用され始めている大学、その学部名や学科名、
そのコンセプトやアジェンダやスキームなどに対する
大きな懸念性と疑念性を捨て去ることができないのです。
この懸念性は私に突然、襲いかかってきたある種の不安感でした。

「デザイン」提案の大前提
なぜなら、将来・未来は、「言葉」から始まります。
さらに、わが日本には、「大物主」「事代主」によって、
物質と情報は決定づけられた伝統の文脈があるからです。
決して、この論理は宗教論でも、神がかりな論法でもありません。
真摯に「未来づくり」へ文化への新しい文脈づくり、
すなわち「デザイン」提案の大前提なのです。


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『資本主義からの逃走』
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


   


     5月 29th, 2010  Posted 11:27 PM

曖昧性
ある有名情報機器メーカーがかつて、
「情報」とは、「情けに報いる」という広告コピーを出したことがありました。
なんとなく、人情味の交換という意味性を匂わせていますが、
厳密には、「情」は心の中の黒ずんだ感覚であり、
報はそのやりとりが縛り付けられていることというのが原意との解釈ができます。
それは、あまり良い意味性ではなく、
「情報」という表層的な意味の軽量観になっているということです。
したがって、「情報」というのは、四つの意味性で取り囲んだ核心に配置すべきだと考えます。

Information
報道・制度的な広報・私的あるいは公的事実性
Intelligence
秘匿事・隠匿事・企み事・戦略・策略
Knowledge
知識・経験事・生活の知恵・伝統伝承事
Consciousness
意識・見識・良識

以上のことを熟慮すると、「情報」という集約語には収束はしないのです。
むしろ、こうした「伝達性や伝導性の事項」の統合性を一言で言い切ること、
断言できる言葉が必要だったわけです。
「情報」という言葉に収束させて生まれてきた言葉、
「情報」が冠詞的となった、たとえば、情報工学や情報操作などがあります。
「情報」が結語的となった、個人情報やデザイン情報など、
すべからく、包含されている意味性が部分的であり、
なおかつ、誤解される要素に満ちていたものと判断します。
だからと言って、今さら「情報」を日常語から外すことは不可能かもしれません。
したがって、私は、情報を取り囲んでいるこの四つの意味性の総合化を諮るには、
「モノ」=物質=人工物が発明されなければならないと考えています。
この判断は、過去事例に明らかです。
「マルチメディア」という「マルチ情報」をコントロールするモノが結局は登場しなかったこと。
さらには、本来、Informationでしかなかったジャーナリズム思想は、
なんらメディア=新聞・雑誌・ラジオ・TVなどの
モノの形式から解放されなかったのです。

曖昧さからの解放と再利用
だからこそ、思想としての変革は置き去りになり、
電子書籍という形式とそのモノの登場がありました。
その発明とか登場によって、大きな驚愕とともに、
マスコミすら変質あるいは喪失すらするという不安が拡大しています。
私はあらためて「情報」という日本語に押し込められた意味性の曖昧さを指摘し、
この曖昧語からの解放、あるいはこの曖昧さの再利用が必要だと評価しておきます。


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