2月 6th, 2015 Posted 12:00 AM
2月6日 癸丑(大安)
宗教の悪用を
これほども無惨な報復合戦とは・・・
人間の愚かさを
宗教相手だから、これほども・・・・
これほども・・・という無惨さに
喧嘩は決して向かわないものだ。
川崎和男「喧嘩道」
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2月 1st, 2015 Posted 12:00 AM
2月1日 戊申(赤口)
喧嘩の大事には、軍事があります。
軍事を単純な暴力事件の大事というのは
明らかに間違いです。
国家間の大喧嘩は軍事になるやも知れません。
民族間の大喧嘩も軍事になるでしょう。
しかし、宗教間での喧嘩は、軍事ではありません。
軍事における「情勢報告」=情報であり、
情報戦とは軍事ですが、喧嘩道の美学には
決して至らないことは明確になってきました。
川崎和男「喧嘩道」
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1月 27th, 2015 Posted 12:00 AM
1月27日 癸卯(先勝)
喧嘩とは、
防衛することでも、
防護することでもない。
喧嘩とは、
即、攻撃することである。
その攻撃性に洒落がなければならない。
洒落た喧嘩に
喧嘩美学がやどってほしい。
川崎和男「喧嘩道」
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1月 25th, 2015 Posted 12:00 AM
1月25日 辛丑(大安)
「同罪報復」という論理と行動がある。
同じような罪には、
同等の報復=仕返しが必要だ。
ところが、この報復論が過ちであり、
「喧嘩」の論理には、
この報復論は当てはまらない。
報復とはその罪以上に、
報復の恩讐性があるということだ!
川崎和男「喧嘩道」
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1月 24th, 2015 Posted 12:00 AM
1月24日 庚子(仏滅)
目には目を、歯には歯を
というハムラビ法典の同罪報復論は、
大誤解された考え方であり、
恩讐の彼方に、という知的思考性が
優れている、というのが現代的です。
が、
私は、喧嘩での報復論を
自分なりの決め手を決めてきました。
喧嘩をしたなら、
絶対に勝つために克つことです。
川崎和男「喧嘩道」
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1月 22nd, 2015 Posted 12:00 AM
1月22日 戊戌(友引)
私にとって、年上は格好の喧嘩相手である。
それは子どもの頃から、
年上には、真剣に喧嘩を仕掛けた。
だから、今も、
年上を乗りこえる、
そんな素敵な喧嘩がしたい。
川崎和男「喧嘩道」
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1月 17th, 2015 Posted 12:00 AM
1月17日 癸巳(先勝)
喧嘩どころか、
暴力的にも喧嘩を超えるべき、
そんな輩がいても、
最近は、
必ず、そんな輩は、
社会的に存在価値そのものが無くなる。
だから、
喧嘩相手と目しても
時間が経てば、
喧嘩相手にもならないと思っている。
川崎和男「喧嘩道」
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1月 16th, 2015 Posted 12:00 AM
1月16日 壬辰(赤口)
喧嘩が出来ない世代、時代になっている。
これは「強さを失った」現れだ。
強さというのは、
自分自身を確認する方法だったのだ。
強さが無ければ、優しさは無い。
喧嘩出来ない人間のやさしさとは
易しいこと、
すなわち、容易い人間だと言い放っている。
川崎和男「喧嘩道」
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1月 15th, 2015 Posted 12:00 AM
1月15日 辛卯(大安)
喧嘩とは、ディベートであるが、
今、論議されている
ヘイトズピーチでは無い。
喧嘩には品性が絶対に必要だ。
喧嘩は上品でなければいけない。
ヘイトスピーチは
下品極まりない!
川崎和男「喧嘩道」
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1月 12th, 2015 Posted 12:00 AM
1月12日 戊子(友引)
喜怒哀楽の喧嘩とは、
喧嘩に勝って喜ぶ
怒りありゆえ喧嘩する
哀しみゆえに喧嘩する
喧嘩する楽しみ
喜怒哀楽には
もっと喧嘩作法があると思う。
川崎和男「喧嘩道」
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