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7月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 25th, 2012  Posted 11:25 PM

7月25日 赤口(丁亥)

発表者のなかには、
用意してきたシナリオから
少しでも話題がずれたり、
順番が狂ってしまうと、
それでかえってパニックになり、
よけいな緊張を強いられてしまう人を見かける。

何がなんでも、
順番に発表の目次・順序を守っていく
という心の縛りを、
シナリオは作り出してしまうものだ。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


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「再びナイフを真剣に眺めています」


   


     7月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

私が「生き返った」のは、刃物のデザインでした。
ふるさとにて車椅子でどう生きて行くかということには、
750年の伝統工芸産地・越前打刃物のメンバーと
「タケフナイフビレッジ」を設立し、
ナイフのデザインに取り組んだことがきっかけになりました。
今なお30数年前のデザインは、市場価値を持っています。
しかし、すでに産地では世代交代。
欧州での見本市も、次世代のメンバーが中心です。
このFBでやりとりしているのも若手メンバーになっています。
私にとっても人生最終のナイフデザインを彼らに渡したいと思っています。
だから、最近のナイフも選び抜いて資料として購入しています。
特にグリップ部については、
拳銃業界では話題になったモノ・
Px4(re-design BERETTA・M9000s)があります。
欧州では有名デザイナーが拳銃デザインを手掛けていて、
見れば誰のデザインかすぐ分かります。
そんな中でもまったく売れなかった銃を同じデザイナーに、
もう一度、再デザインを頼むということは
日本では考えられないことです。
私はモデルガンでこの拳銃のグリップを確認してみましたが、
グリップ性能や、彼の造形言語は新鮮になりましたが、
毎年、拳銃の新作としては、これも失敗だろうと評価しています。
ところが、この拳銃グリップの造形言語の要因や
文法的な意味論が生きているある傾向を見つけました。
こうしたアウトドアナイフに流行していることを確認しました。
けれども、ナイフの刃付けに関しては、
絶対に越前打刃物には勝てないものと思っています。
素材や仕上げもテフロンになっていますが、
これでの切れ味は、刃先に触れてみればもう一目瞭然です。
私が、最も認めているナイフメーカーのモノを再確認して、
それ以上のナイフデザインを、
タケフナイフビレッジに早く持って帰るつもりです。
ナイフのデザインは、
いつも、ドキドキするものです。
なぜなら、刃物は魔力があって魂が引き込まれてしまいます。
特に、アウトドア用の大型ナイフは、まさに「真剣」ですから。
私もナイフデザインはより真剣さを自分に課しています。


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「連塾・最終回=10年を語る前に、松岡正剛という『ち』」


   


     5月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

「連塾」の指南者、
松岡正剛は10年を彼らしく「切断」しました。
10年間この「連塾」を率いた彼について、
いつの日かという彼の前での「私純情」を語るときが来たと思います。
1991年、箱根の「強羅花壇」で私は彼と出会いました。
箱根で「国際マルチメディア会議」がありました。
Apple社・ジョンスカリー会長が全世界から、
当時のコンピューター専門家から企業トップを集めた会議でした。
三日間缶詰での会議でした。
懇親会は「強羅花壇」が会場であり、
現マクドナルド社長の原田氏が営業本部長として総括されました。
民間からは私と松岡氏、そしてA氏(元官僚)B氏(作曲家)4名。
私はスカリー会長の直属デザインコンサルタントでしたから、
この会議中も、会議の合間にデザインモデルのプレゼンをしていました。
懇親会もどこまでお金がかかっているのかという盛大さでした。
ところが、和室に入れなかった私が別会場に一人の時、
松岡氏が入ってこられたのです。
(この人が『遊』の編集長だ!、やっと会えた)
そんな感慨と、『遊』の超美人女性デザイナーKK女史に会えるかも、
私は瞬間的に想像したことを思い出します。
それから、交流が始まりました。
私も読書量は人並み以上という自負がありましたが、
松岡正剛は100万冊は読破しているとすら思っています。
あらゆる分野に精通し、特に「日本を語らせたら超巨人知」でしょう。
千夜千冊(もはや1000冊を超えています)は、
おそらく世界にもあり得ない「書評アーカイブ百科」編集事実です。
「千夜千冊は世界的事件」という評価まであります。
私の著作も取り上げていただきましたが、
それは私へのラブレターでした。
「だから、私も松岡正剛に惚れ抜いています」と、
「連塾終了」の知らせ直後に彼に知らせ、
懇親会でも連塾参加者の皆さんにまで惚れていること発表しました。
昨夜、別れるときに「紙墨相発」を送るから、
松岡氏も「私の自宅に必ずまた行くから」と。
「連塾」、そのテーマは「日本という方法」でした。
これからがこの方法論が必至になっています。
これから時々、彼との話題・課題を書いていきます。
その季節が私に訪れたのでしょう。


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1月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 21st, 2012  Posted 10:00 AM

1月21日 先負(辛巳)

自分の体験から出た
ひとりよがりの
「思いつき」のアイディアを、
世間と共有し、
なるべく多くの賛同を得るために、
「思い込んだ」言葉と話題を選びながら
「伝達」を続けていくに違いない。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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「問題解決なのに「応答」商品の氾濫」


   


     12月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

今、日本のデザインは方向を間違っています。
誰かが指摘しておかなければならないでしょう。
私は、「応答商品」が氾濫し過ぎていると思います。
デザインは問題解決の手法です。
そして、問題には三つの種類があります。
話題・課題・問題です。
だからそれぞれに「答」がありますが、
これも三種類の答があることを認識すべきです。
話題に対しては「応答」
課題に対しては「回答」があります。
もちろん、話題に対する答としてのデザインは、
造形として、かわいいデザインであったり、
その商品存在が話題になるべき流行やファッション性、
これは不可欠のことです。
社会的な課題になっていることの「回答」商品も必要です。
そして、元来、根本、極めつけは、
何が問題であるかを見つけ出し、その解決「解答商品」が最も重要です。
どこか日本のモノづくりが歪み出しているのは、
「解答商品」を新商品で見かけることが少なくなってきました。
まだ、課題に対して「回答商品」ならば、
国際的な競争力があります。
しかし、ともかく社会的な「話題」だけを追い求め、
あたかも共時性があると錯覚している商品は、
「応答商品」にすぎません。
そのような商品づくり・モノづくりは、
頭脳集約産業の「答」商品ではないことを確認しておくべきです。
どの分野のどの領域かは明言できますが、
まずは、「応答商品」を話題にしている産業は、
確実に国際的競争力を喪失するのです。
私は自分が「買う」と判断するときには、
必ず「問題解決」を果たしているモノを選びます。
日本の再生として、ともかく「問題解決」がデザインであり、
その答としての「解答商品」づくりに
集中させなければならないと考えます。

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『資本主義からの逃走』
   「問題解決は箱に三つあり」


   


     9月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

箱の竹冠
箱は古代中国で定義されています。
竹で編まれた器に「蓋」があることです。
したがって、箱という漢字は、相=対象物をしっかりと見ることに
竹冠の「蓋」がなければ、それは箱ではないということです。
さて、問題を解決すれば、それは「答」になります。
この「答」という漢字も、竹冠がついています。
竹冠がぴったりと「合う」ということが答になるというわけです。
箱の蓋がぴったりと「合う」ことを「答」は意味しています。
そこで、答というのも問題解決の問題を種別すると、
次のように考えることができます。
応答・回答・解答
問題には、 三つの答があるということです。

 ● 話題=Topicsに対して 「応答」=Reply
 ● 課題=Questionに対して 「回答」=Answer
 ● 問題=Problemに対して「解答」=Solution

このブログで「一般解」と「特殊解」について記述したことがあります。参考にしてください。
私が、ことさらこの三つの「答」にこだわるのは、
デザインで問題解決をしている「答」がどれにあてはまるのだろうか、ということです。
私たちが、小中高での問題は、話題と課題にすぎません。
大学入試というのは、まさにQ&Aであり、
本来、問題解決されている製品・商品もQ&Aがセールストーク問答集になっています。
解答とは創出である
現代、この新世紀に求められているのは、
何が、プロブレムであって、どうソルーションにしていくか、ということです。
職能的専門家も、「応答」と「回答」をしているのは、
伝統的なプロフェッショナルではあるかもしれませんが、
真の意味での「解答」を出しているとは言えないのです。
私は、問題解決とは「解答」の創出だと確信しています。
まさに、問題を箱に入れたら、その解決の「答」は、
ぴったりとした「蓋」でなければならないということだと私は考えています。


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『資本主義からの逃走』
 「一般解と特殊解、どちらを選ぶか・デザイナー能力」


   


     3月 12th, 2010  Posted 12:42 AM

三つの答

答には三つあるということを述べてきました。
デザインした成果あるいは効果をデザイン解とするなら、
この三つの解は、分類ができます。
話題をデザインすれば、それはデザイン応答という解です。
課題をデザインすれば、それはデザイン回答という解です。
今、ほとんどのデザインは、この応答解か回答解だと
言い切ってもいいほど、
デザイン本来の「問題解決」を、
「解答」としたデザイン解答にはなっていません。
それを成し遂げるというデザイン力の低迷があります。
具体的には、「商品デザイン」がほぼ近似した造形デザイン、
その形態をデザイン解とするなら、
応答的な商品デザインになります。
そしてこれはほとんどが一般解です。
応答解としてのデザイン
回答解としてのデザイン

誰もが受け入れられるアイコン性のある造形形態が成立。
やや、一般解からちょっと説明、あるいはセールストークを
加えることになると、
それはQ&Aが必要となる回答的な商品デザインです。
現在ほとんどの商品は、この領域内から出られないのです。
したがって、「商品化」というのは、
一般解を特殊解にできるか、という問題意識が必要です。
しかし、この特殊解は一般的な理解が困難であれば、
どんな問題意識を持っていても、応答解か回答解からは
抜け出ることはまったく不可能です。
今、日本のデザインはこの応答解・回答解で低迷している、
というのが私の経験的な解釈です。
問題意識から問題を設定して、その解答をめざすには、
その問題解決をめざすデザインには、
大きな支援環境が必要です。
三つの支援環境
これも、三つあります。
●まず、経営的なサポートです。
「売れる・売れない」ということではなくて、これが「解答」、
特殊解ゆえに、
購買者=ユーザーへの訴求性を経営戦略のサポートです。

●次に、技術的なサポートです。
エンジニアリングの改善性から革新性、発明性での支援です。
もし、この革新性が造形に生きれば、それは特殊解であっても、
購買者=ユーザーの理解は素早く受け入れられるでしょう。

●最後は、ユーザーが、ともかく特殊解を求めている、
ユーザーの問題意識や問題解決に率直かつ簡素に「解答」、
というデザイン解答であれば、特殊解は成立します。
デザインは、一般解も当然必要ですが、
デザインという問題解決手法そのものを進化させるには、
「デザイン解答=特殊解」を導き出す能力が要求されるのです。
デザイナーの能力=デザイン才能
そして、その手法開発をmade in Japan化することが、
現況・不況への「デザイン解答」=特殊解の発見にほかなりません。


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『資本主義からの逃走』
 「解にある三つの手続き=問題解決の三段階」


   


     3月 11th, 2010  Posted 1:46 AM


「解」という文字も素晴らしくわかりやすい漢字です。
角があるウシに刃物ですから、
そのまま、ウシという対象物を刃物で「解体」する、
と考えていいでしょう。
解体・分解・解剖
だから「対象物」を「解体・分解・解剖」する。
これを第一段階とします。
そうすると、
今度は、「解体や分解や解剖してみたモノやコトを」、
「解釈・解説し、理解」しなければなりません。
これが第二段階です。
解釈・解説・理解
そうして、解釈することができる。解説することができる。
こうしたことは、第一段階でのモノ・コトを、
理解しないと出来ないことです。
そうして、理解しているから解釈もできる・解説もできる、
ということにつながります。
解放
この第一段階・第二段階で、やっと「解放」されるのです。
つまり、そうだったのか、「答が見つかってホッとした」。
この問題から解放された。
それこそ、「問題解決」あるいは「難問解決」からの解放です。
これが、「問題」ー「解答」です。
これまで、
「話題」ー「応答」
「課題」ー「回答」
ということから、真に、デザイン解決というのは、
「問題解決」での「デザイン解答」であるべきなのです。
問題ー解答
ProblemーSolution
Design Problem—Design Solution
これに至るのは、
「解」と言う文字に潜んでいる三段階だと私は確信しています。


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『資本主義からの逃走』
 「デザイン解としての回答、その強度」


   


     3月 9th, 2010  Posted 12:01 AM

結果判断という課題
結果判断から考えを深めていくには、
その結果を様々な観点からとらえ直さなければなりません。
結果をまず問題としてみるなら、
いくつかの「考察」方法が必要です。
問題というのも、結果に対する意識の中では、
話題・課題・問題という分別が必要です。
そして、話題ならばそれは思いつきで答えればいいのです。
回答
ところが、課題となると、「回答」を求めることになります。
その「回答」というのは、「回」という文字形態が示すように、
二重構造を持っています。
課題=Questionに対する回答=Answerです。
したがってすでに課題には、
自分の知る・知らないにかかわらず、一般解がある!と
考えて構わないでしょう。
それは、思考方法を「学」として学んできた算数や数学は、
常に、問題=課題に対しては、
回答に至る手続きを知る、あるいは暗記しておけば、
必ず、「答え」にたどり着くわけです。
二重構造の強さ
私が、二重構造というのは「回答」の世界観です。
デザイン教育では、まず「課題」を与えて、
デザイン回答をやらせます。
それは、デザイン思考のトレーニングとして、
このデザイン解では、あれが足らないとか、
機能性を果たしていないとか、さらに問題が発生する、
という訓練です。
つまり、「回答」として提示されたデザイン解には、
二重性があるという見抜き方が必要です。
二重性には、性能的には「強度」があります。
すなわち、デザインは「綺麗事」だというある意味では、
開き直りの強さこそ、「回答」としてのデザイン解、
その強さだとひとまず考えておきたいと思います。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義、その逃走の基本方程式」


   


     12月 1st, 2009  Posted 7:39 PM

デザイン」は、「問題解決の方法」だとこれまで、
ズッーと私は、一般に、学生に、企業に伝えてきました。
091201solution1

それも「問題解決」でありしかも「難問解決」なのです。
その唯一の方法だとさえ確信しています。
ただし、宗教ではありません。奇跡は起こせません。
まして、科学・技術・芸術でもないのです。
科学と技術とを接着・融合させるたった一つの方法です。
ところで「科学技術」という日本語は大きな間違いです。
哲学者・中村雄二郎先生は、
「科学」は「分科学」の略語にすぎないと教えられました。
デザインの難問解決という論議から、
問題解決の簡潔な方程式を、
私はデザイン思考の基本と基準にしてきました。

つまり「問題」には、
  ●「話題」=Topics
  ●「課題」=Question
  ●「問題」=Problem
があります。

この解決は、
  ■  Topics – Reply
  ■  Question – Answer
  ■  Problem – Solution
ということまでが、本来の方程式=equationです。

この方程式は、デザインでは次の二つになります。
AlgorithmとProgramです。
そこで、「資本論」のために、
マルクス(数学に関する遺稿集)が、なぜ導関数を
エンゲルスに教えたのかがわかるはずです。
数学的思考は、応答と回答は、
「算数」や「数学」で学ぶことができます。
芸術も、応答的な作品と回答的な作品しかありません。
091201solution2
本来、「問題解決」・「難問解決」によって「解答」が
創出されるのです。
創出されるから、クリエィティブでなければいけません。
しかも「解答」は美しさが必要です。
私は、「逃走する方程式」はかくあるべきと考えています。
そして、デザインには、
「デザイン数理学」というAlgorithmとProgramが、
「分科学」として「技術」を支え、
造形言語によって美しさが創出されるのだと思います。
「資本主義から逃走できるデザイン」、
その時代を牽引できるデザイナーは限られているのは、
多分、「仕分けられた」才能でしょう。


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