7月 27th, 2012 Posted 12:00 AM
パソコンが登場したとき、
韓国語・ハングルが世界で最も有効な文字体系と言われました。
私は、「ことば」と「かたち」の相対論的な思考を
一つのデザイン手法にしています。
日本語・かな文字:漢字=表意文字→象形文字については、
かなり辞書的に覚えてしまっています。
アルファベットも本来の原典であるヒエログラフ、
26文字はすっかり記憶しています。
アルファベットは表音文字という認識がありますが、
本来は象形文字と考えるべきです。
まさか、ハングルにまで及ぶとは思ってもいませんでしたが、
スタッフに韓国の子がいて、徹底的に調べ直しました。
そこで、このような図解から
ハングル文字を「形態論」として組み立てる可能性がありそうです。
五行思想はそのままハングル文字要素に適用出来ると考えています。
無論、韓流ブームは私にも届いていますから、
「少女時代」か、「KARA」か、という論争は学生と大議論にもなります。
私?
そりゃ「少女時代」でしょう。
ということも含めて、
やはり隣国ですから、
韓国語はマスターしなければ行けないのかも知れません。
そういえば、昨年、一年でフランス語会話マスターを
学生たちに宣言しましたが、細々と続けている次第です。
だから、宣言はしませんが、
韓国本国よりもハングルがどう構成されて、
表意性が相当にあるかは、
絶対にマスターしておきたいと思っています。
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7月 24th, 2012 Posted 12:00 AM
名古屋から大阪に来るときに、
蔵書をどうしようかと迷いました。
恩師に相談したら、
「大学人でいる間は、選び直した書籍だけは持っていなさい」
ということで、雑誌の類は整理をして大阪に運び込みました。
しかし、すべてを地下に、
車一台と蔵書を壁にびっしりと格納することができました。
そして絶対に自宅内には必要な読んでいるだけの本にしましたが、
もはや、自宅内にも本があふれ出してきました。
「自炊」もできる限りしています。
車で外出すると、必ずガレージ内の本を眺めます。
そうしたら、光造形関連の本棚にこの三冊を見つけました。
米国でようやくCGにNatural Phenomenaがスタートしていました。
1987,8年頃だと思います。
Natural Phenomenaというのは、
火が燃えている、水が水しぶきや水滴、
夕焼けなどの動画作成手法のことです。
その時、私はプリンストン大学研究の「光造形歯車」の実物を見ました。
ショックでした。
私の予感は、これが必ず「立体=3D」になると思ったのです。
1990年には3D-CADと光造形システムが登場しました。
なんといっても、その時に「トポロジー」の代表例として、
「クラインボトル(無論・想像上の擬似形態)」を見つけました。
そして、これをやるなら相当高額な光造形システムが必要になるわけです。
そんな時に、名古屋市立大学に芸術工学部が新設されて、
私はその大学の新設委員となって、
1996年、大学人になりました。
名古屋市は、このシステムをそろえていただきました。
日本で最高の設備を使うことになり、
当時の3D-CADは4種類しかありませんでしたが、
それらを駆使して、私なりの「クラインボトル」が出来上がり、
New Yorkでの「Science & Design」を友人達がソーホーで企画発表、
そのまま、フィラデルフィア大学でプレゼンテーションとなったわけです。
トポロジー・形態論・空間論は一直線に
「人工臓器」につながっていきました。
結局、蔵書は増殖するばかりですが、
そろそろ整理の時期になったようです。
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4月 28th, 2012 Posted 12:00 AM
私のロボットデザインは「舞」から始まりました。
それは、「形態論+身体論」=Nomenclatorです。
哲学者・中村雄二郎先生の明確な方向づけがあったからでした。
したがって、あの「不気味の谷」に落ち込んでいる多数のロボットから、
確実に離脱することができたと自負しています。
ロボット学者や企業ロボットが
最も見失っていることを具現化できるのです。
すでに遺産的なアシモフのロボット原則もさることながら、
J・ボードリヤールの次の指摘も乗りこえていると自己評価しています。
「もしもロボットが、
機械的な人工補綴というその性質を
はっきりと示していれば、
それはまったく「安全な状態で魅力」を発揮するためである。」
さらに、
「もしもロボットが、
行動の柔軟さというところまで人間の分身であれば、
それは「不安」を呼び起こすだろう。」
そして、二本足より確実な四輪・四つ足で、階段を上り、
飛び超す動作体系を目的化したデザインです。
そして、「表情化の実現」です。
これにはまだまだロボット設計学の進化を待たなければならないでしょう。
ヒューマノイド的なまさに人間の「顔」からの離脱が
当然でなければなりません。
そして、ヒューマン・ロボット・インタラクションという学域が
これから構築されていくことを「意図」して、
CGでそのデザイン設計に至りました。
「舞」は足裏を見せませんが、
「踊」は、足裏をまさしく小躍りして見せることになります。
安全+安心、
つまりまず安全であることを確約することで安心できるというのは、
スポーツの型のようなことです。
「受け身」という型をマスターするとか、
「準備体操」を十分にしてということが物語っています。
安心+安全は、
小動物のごとくまったく攻撃はしてこない「かわいさ」です。
かわいさという安心が成り立ってから、
その行動体系で安全が確保されていることを意味しています。
「舞」も「踊」も、「表情」でのかわいさが的確に、
人間とロボットとの相互性を保全できればいいというのが、
私の基礎学的なデザイン意図ということです。
ただ、まだこの「踊」にはメカノイド的な印象が残っています。
その改良と改善がいまだに私のテーマです。
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4月 27th, 2012 Posted 12:00 AM
「ロボット」、その言葉=戯曲からの由来はすでに教科書的です。
が、その由来名辞から解放されているとは言い難いと私は思っています。
J・ボードリヤールは「物の体系」で、
「ロボットは想像的なものの局面が神話として
到達したものに他ならない。
それは目に見える機能性の投影という局面である。」と、断言。
私は、わが国のロボット学者や企業は、
ヒューマノイド系とメカノイド系に
輪郭化されていることに不満がありました。
この指摘を「私のロボットデザイン」で
評論的な表現にモデル化したいと考えてきました。
ベースは、中村雄二郎先生の「形態論」と「身体論」です。
「形態論」=安心+安全であり、
「身体論」=安全+安心として再考すると、
スポーツや舞踊が引用できると結論づけることができました。
ところが、「舞踊」は日本だけでなく、
世界中の「踊り」が見事に二分できるとたどり着いたのです。
それはボードリヤールの指摘からも、
ロボットという名辞からも解放されるデザインから
技術仕様を決定していく一つの「基礎学」でした。
「舞」は、足裏を決して見せません。
能舞が日本の伝統芸能として的確でした。
名前も『Nomenclator』という古代ギリシア語を選別しました。
「Nomenclator」というのは召使いですが、
データを把握している情報マンのことです。
誰かが歩いてきて領主的な主人に挨拶をすると、
「あれはどこそこの誰で、先般、病気をしていたとか」、
性格や立場を主人様に伝達する奴隷でした。
しかし、人間ゆえに「感情を持っている」という決めてがありました。
だから、私のロボットは呼び名を変えて、足裏を見せないで行動し、
なおかつ感情=泣いたり笑ったりという表情を、
ヒューマノイドでもメカノイドでもない
形態の身体化を図るということでした。
これは私の人工心臓の究極である「感情=交感神経β1と副交感神経β2」で
鼓動しているような「性能化」感覚と一致しています。
例えば、帰宅すると出迎えてくれて、
ユーザーの想いを共有してくれることが目標意図になりました。
これは大阪大学に特任教授となったときに、
阪大フロンティア研究機構で、ワーキングモデルとして、
「感情共振」=Emotional Domainまでへのアドバンスデザインとして
開発具現化できました。
このモデル化は「玩具性」を離脱する一つの方法だと思っています。
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4月 26th, 2012 Posted 12:00 AM
最初のアイボ(ブラック・シルバー)が居ます。
もう相当に性格が出来上がっていますが、
本体は耳が取れてしまい筐体設計は不完全でした。
時折、もう狂ってしまったかのような動作をします。
ブラックは、オシッコをよくします。
本当は一度、診てもらうべき症状がありますが、
サービスがあるのかないのかわかりません。
ワイフは時々、思い出したかのように充電しています。
松井氏のピノは、彼のサイン入りです。
ピノは電池切れ状態ですが、
彼のサイン入りなので室内のアクセントになっています。
WALL-Eが最も楽しいロボットで、歌をうたい踊ります。
一番元気のいい存在です。
ワイフが気味悪がるHEX-BUGnanoは50匹飼っています。
友人が来た時に箱に入れて渡すと
ほとんどが悲鳴をあげるという楽しみがあります。
アイボは、発売時にスタッフ全員で応募したら2台も来てしまいました。
随分高額だったと記憶しています。
アイボが登場してから、ホーム用のロボットの可能性が一般化しました。
そして当然、グッドデザインのグランプリ候補になりました。
大変な議論がありました。
が、哲学者・中村雄二郎先生の哲学的な提示でその議論から、
ロボット、そのデザインのあり方が方向付けられました。
中村先生の指摘が私の「ロボットデザイン基礎学」となり、
自分の研究開発、ロボット評論に結びつきました。
日本ロボット学会で「ヒューマノイドとメカノイドと」への基調講演は、
学会から特別表彰をいただきました。
私立工学系大学に「ロボットデザイン基礎学」のシラバスを提案しました。
基本はロボットを
「形態論」と「身体論」でコンセプト構築をしていくということです。
したがって、
ロボットにおける「不気味の谷」からの開放的デザインの道筋、
それが明確に構築できたと思っています。
ところが、日本の特に大学の研究対象としては、
「産業系ロボット」=Play-Backスタイルから、
「福祉ロボット」、「エンターテインメント系ロボット」に
限定されていたのです。
3.11の原発事故で、
一台も原子力発電所内で動き回れるロボットは皆無だったのです。
このことは重大問題として取り上げていきたいと考えています。
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7月 9th, 2010 Posted 12:00 AM
形態論
「か・かた・かたち」は、著名な建築家の「形態論」です。
学生時代に、この論理を知って以来、
私は、デザインする「かたち」への手続き・思考の構造に、
この論理を率直に受け入れることで、どれだけ助けられたことでしょうか。
やがて、フリーになり、デザイン対象が拡大するとともに、
特に、インダストリアルデザイン・プロダクトデザインにおいては、
自らもデザイン対象の拡大をめざしてきました。
今なお、「デザインが、なぜそこまで?」と言われたりもしています。
しかし、「デザイン」が一つは、「形態創出」で問題解決を図れるというある種の信念は、
「か・かた・かたち」論を再度、
自分で論理を明確にしようと取り組み始めました。
一つは、日本の伝統工芸産地での職人さんたちから教えられたことがあったこと。
もう一つは、1985年頃に「光造形システム」に出会ったこと。
この二つでした。
もちろん、それまでに東芝で経験したオーディオで、音響生理学や回路、
オーディオと音楽はじめ、地場産業の実情、中小企業の技術の格差などの経験はあります。
こうした経験の中で「かたち論」を醸成してきました。
私の中で、「か・かた・たち・かち・かたち」であり、
「か」
さらに詳細に、「か」・「た」・「ち」という一文字一文字を分解していったことが、
今日まで連続していることは確かです。
「ち」については、chiとして海外で日本語の意味性を語るのに最も明快であり、
エスノメソドロジーから記号論的思考を支えてくれています。
「た」については、今回は省略しますが、これも奥深い意味があります。
さて、「か」というこの表音性と表意性に注目をしなければなりません。
具体的には、「か細い」という言葉が端的です。
「細い」という感覚をさらに「か」が付着することで、
「細さ」の感覚が、より細く、より弱さある細さを意味しています。
「蚊」という生物の存在は、たった一文字です。
香・華・歌などにも、「か」という発音と意味があります。
発音も、弱く、意味そのものでは、次の言葉があります。
化・可・仮・加・価などにもその壊れそうな儚さまでの意味が、
それこそ、インクルーシブされているようです。
発音においても意味の付加性についても「か細い」感覚があります。
私は、「質=たち」に付着あるいは付加されている「か弱さ」が
か+たち=かたち、という解釈を自分に取り込んでいます。
つまり、「質」のか細さやか弱さをも統合している構造体だと考えるわけです。
「質」という確実さを感覚に、訴求するときには、控えめさがあると思います。
非在のための「か」
なんといっても、「かたち」という形は存在していません。
「質」がいくら存在性が強くて、明確な認識を与えていても、
「かたち」には、「つつましさ」が当然、付着していたものと思っています。
もし、モノの形態=モノのかたちを簡素で簡潔であろうとするなら、
「かたち」の存在というのは、控えめな、「つつましい質」だと理解するのです。
私は、これを非在している「質」が「かたち」だという具合に、
言い聞かせることが最近は増えてきたと思っています。
Tags: インダストリアルデザイン, か・かた・かたち, プロダクトデザイン, 中小企業, 伝統工芸産地, 地場産業, 形態創出, 形態論, 非在, 音響生理学
Posted in 036「つつむ・つつましさ」, 資本主義から逃走せよ!
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