kazuo kawasaki's official blog

『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』



     4月 23rd, 2015  Posted 12:35 AM

「柳宗理生誕100年記念講演」の資料を再整理しています。
再整理をするなかで、私には柳先生の笑顔はあまりありません。
それは大学入学直後はもちろん、卒業制作でもいつも
私は生意気な反抗を繰り返していたからだと思っています。
「お前の名前を覚えておく」ー(覚えてもらえた!)
「どうして、絵を描く?」ー(レンダ、スケッチ上手くなる!)
「なぜだ?」ー(私はそうなる時代を創ります)
「なんで、車イスになったんだ!」とかのセリフが聞こえてきます。
それでも、
「先生の生誕100年では、僕が話をします!」
(先生は怒ってしまうかな、いや、護り抜いてきたから大丈夫です)
最近、デザイナー志望の学生達は先生の名前も知りません。
先生のデザイン、造形デザインを私なりに論理化するつもりです。
先生の造形デザインには独特の楕円構造があります。
私はパロールとしてのオーバル造形とラングとしてのエリプス造形、
そして柳宗理のスーパー楕円構造です。
柳デザインといえば、バタフライスツールがあり、
このスツールは、先生が金沢美術工芸大学教授になった、
その翌年1956年だったということですが、
この木工企業の元デザイン部長が、現代寸法への変換では、
先生のやり直しの連続その苦労話をいっぱい聞いたことがあります。
私が最も学んだことは、デザイナーとしての理念は思想であり、
強固なるゲマインシャフトからしか、デザインは生まれないこと。
アノニマスデザインを常に手本とする創意工夫は、
伝統が創造であり、それは発明でなければいけないことでした。
私のデザインは、それを素直に遵守してきたという自負があります。
先生がシャルロット・ペリアンの直感判断を確信したがゆえに、
偽物を見通していたことは、私はなんとしても引き継ぐつもりです。
先生が私に笑顔を見せてくれたことがありました。
それは、私が金沢美大の卒業制作批評で、
「たとえ玩具の動物でも、バラバラにする遊具などあり得ない!」、
その判断を学生に言ったら、振り向いて、
(そうだ、よく言ったな!)と笑顔で振り向いてもらえました。
記念講演をめざして、私は柳デザイン全てを心に包み込むつもりです。

柳宗理生誕100年記念講演

4月23日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     4月 23rd, 2015  Posted 12:00 AM

4月23日 先勝(己巳)

どうしても許せないことがあれば、
喧嘩をすればいいだけだ。

それも正眼の構えで!

しかし、
私に喧嘩を仕掛けられたら、
必ず隠れる輩がいる、
そんな輩に、私は喧嘩を仕掛けない!

川崎和男「喧嘩道」

4月22日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     4月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

4月22日 赤口(戊辰)

喧嘩が出来ない風潮がある。
理由は簡単である。

「喧嘩」をしないことで
「いい人」に思われたいらしい。

喧嘩も出来ない
そんな資質は、
隠花植物的な人品である。

川崎和男「喧嘩道」

『強固なるゲマインシャフトからデザインは生まれる』



     4月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

「柳宗理生誕100年記念講演」を私が担うことなりました。
金沢美術工芸大学は今なお先輩後輩の結束は堅くて、
先輩からの指示には最大限の寄与をすることになっています。
同級生が支えてくれていますから、私の役目は懸命に果たします。
講演内容は、柳先生の作品解説と、私なりの、先生との思い出があります。
正直、若い頃は入学直後に、私は覚えられるほど反発していました。
それなのに、東芝に入社すると、新人研修でまたもや先生の講義を受け、
これまた、もう何度も聞いているからと断りに行って、
「お前などもう来なくて良い」と言われました。
ところが、車イスになって母校に非常勤でもどると、
「なんでお前はそんな体になった」と心配を受け、
福井で先生の講演会準備に駆け回りました。
先生が高齢になられてからは、同級生が先生を見護り、
先生の作品収蔵や記念館設立、そして生誕記念講演、
その役目を私に与えてくれました。
先生への反発も、先生から教わってきたことは、今も私の根幹です。
私の世代の美大は赤レンガ校舎で元兵器庫跡ゆえ、
結局は薄汚れた倉庫で、室内には雪が舞い込むほどの寒さでした。
ある時、同級生が教室で煙草を消し去り投げ捨てました。
柳先生は突然、大声で顔を真っ赤にして怒鳴られました。
「煙草を平気で投げ捨てるお前はクビだ!」、
「煙草を捨てる者にデザイナーになる資格が与えられるか!」、と。
私はこの瞬間に、デザイナーと社会の関係を学んだと、
今なお思い続けてきました。
卒業間際になってまだ私にはデザインの真意が分かりませんでした。
あのモホリ・ナギの「デザインは社会に対する態度である」。
このことを目前で教え込まれました。
アノニマスデザイン、
強固なるゲマインシャフト、
伝統は創造である、
発明あるデザインなど、
先生の作品を再度厳密に私は見直し、
これからのデザインを、柳デザインから引き継いで語る、
その覚悟づくりをしています。
先輩たちが私の語らせる役目を果たすべく、
これならデザイン評論になると思っています。

柳宗理生誕100年記念講演
* 東名高速道路・東京料金所ー防音壁

『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』



     4月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

「測円」という言葉が私はふさわしいと思っています。
測円というのは、関考和でしたが、今は「楕円」です。
そして、楕円はovalとellipseが英語では二つの言葉があり、
私なりには、ovalはラテン語から卵の曲線意味ゆえパロール。
しかし、ellipseは数学的ゆえにラングとその言葉使いを決めています。
というのは、私がメガネデザインに取り組んだ時に最も懸命に
「スーパー楕円=Super ellipse」にこだわっていたことがあります。
このスーパー楕円でのメガネフレームのレンズカット形状商品は
全く売れませんでした。
それ以後、スーパー楕円らしきメガネフレームは存在していません。
なぜ、また楕円というより測円、そしてスーパー楕円は、
モダンデザインでは多くが成功をしています。
最近、私が最も関心を持ったのは、iOSのOは見事な楕円です。
これはジョッブスの置き土産であり、
彼がカリグラフィの学術的芸術的知識から差し出したデザインには
それこそAppleでも気づいているのだろうかと思います。
今私はもう一つ、モダンデザインの源流に、
このovalとellipseでの造形意図と表現を整理しています。
特に、スーパー楕円でのモダンデザイン造形の形分析をしています。
これは楕円がパロール的造形とラング的造形にまで立ち入れば、
二つの造形が読み取れてきます。私自身がデザイン評論として、
これまで取り組んできたのは倉俣史朗デザインでした。
それをベースにもう一つは恩師の柳宗理デザインです。
柳宗理生誕100年記念講演は教え子の一人として、
美大先輩達からの強い要望は、
これからのデザインを語る基盤に柳先生のデザイン、
その置き土産に潜む、アノニマスとゲマインシャフトを伝承します。
私の解釈論で柳宗理デザインのその造形を、
金沢21世紀美術館で語ることだと考えています。
柳宗理デザインとAppleデザインは繫がっているようです。

* 柳宗理生誕100年記念講演

4月21日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     4月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

4月21日 大安(丁卯)

喧嘩には相手が要る。
そして
喧嘩にも

フォーマルな喧嘩と
カジュアルな喧嘩がある。
ということは
相手にフォーマルに勝つか、
カジュアルに勝つか、である。

川崎和男「喧嘩道」

『石ころとスタイラス』



     4月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

私にとって、筆記具はほとんど手・指ですから、
私であり、しかも思考の出入り口です。
チベットのさらに山奥の村に、小学生が通学の途中で石ころを
見つけて、それをチョーク代わりにして、
小さな黒板のような画板だけを背負って学校に行きます。
学校では、先生に教わる文字=英語をその石ころと画板に書きます。
それを自宅に帰ってきて読み直しをして覚えてしまうのです。
そしてお母さんが玄関の外に画板をたてかけておくと、
その画板の文字が夜露で消えて、朝になると画板の文字が消えていて
それを持って、学校に行き、しかもまた石ころをひろうのです。
その子が言いました。「将来はお医者さんになるんだ」と。
日本に生まれてまさに現代人の私が文房具や筆記具にはなんとしても
特別の感情があるのは、石ころと画板です。
でも画板には肩紐があり。それはお母さんの見事な刺繍紐です。
画板とその民俗的な刺繍の肩紐、このコンビネーションこそ、
私のモノの存在感=効能性の審美眼はここにあります。
現代の最新鋭のスタイラスは、おそらく、これが最高峰でしょうが、
私のモノへの審美性は、はるかチベットの山奥の子どもたちの
刺繍肩紐と画板があり、毎日、チョーク変わりの石ころは
多分毎日、彼は迷って大急ぎで探して学校に持っていくのでしょう。
筆記具である石ころもこのスタイラスと同等のモノだと、
私は思っています。ともかく自分思考の出入り口にすぎません。
が、それだけにとても重大で大切なモノだと私は思っています。
ある意味では、画板もPadも、石ころもこのスタイラスも、
全く同じモノにすぎません。
それだけに、現代文明の最先端のモノとしては、相当なる
完結された「かたち」に至る完成度が必要だと思っています。
間もなく、今年度の日本文具大賞の審査が始まります。
画板と石ころで思考を磨いたあの子が成長してドクターに、
なんとしてもなってもらいたいと思います。

4月20日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     4月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

4月20日 仏滅(丙寅)

悪口は喧嘩の手段である。
手段は
隠して使うものではない。

真正面で
正眼の構えで言うが極意である。

悪口だけに面と向かって言うがいい。

川崎和男「喧嘩道」

4月19日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     4月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

4月19日 先負(乙丑)

悪口
わるぐち

悪口を言い争うこと、
これは喧嘩に一つの手法である。
が、
わるぐちには、
可能なユーモアを、と、
これが、喧嘩本道かもと思う。

川崎和男「喧嘩道」

『手の消毒、そんな時代になっている?』



     4月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

私は幸いにも花粉症ではありませんが、まさかという人までが
最近はこの病ブームにやられています。
そして、このところみかけるのが、企業、レストラン、ホテル、
もちろん医院や病院の入り口には消毒薬が置かれています。
手を洗うことは、小学生の頃から、かなりしつこく教えられました。
外から帰ってきたらうがいと手洗いは強要されてきたと思います。
しかし、今や強要ではなくもはや義務です。
しかも消毒薬次第で、防ぎきれないノロウィルスなどどころか、
さらに手洗いでも防御不可能なウィルスも登場し始めています。
またさらにこの消毒薬で、手荒れになってしまったりとか、
人間の体質も変わってきています。
私自身、除細動器を体内に埋め込んでから、アレルギー体質です。
しかもやっかいなことに、「甲殻類アレルギー」です。
これは北陸生まれの私にはなんとしてもカニはとなれば、
抗アレルギー薬を飲んででもカニは食べています。
花粉症に対策どころか、地球全体の温暖化、気候変動は、
感染症の増大は人智を超えだしているようですが、
人智を最大限にするためには、私は四つの対策を決めるべきと
それをデザインの問題解決の対象にしています。
● 環境の異変原因へに対策デザイン
● 人間・人類の抵抗力、その対策デザイン
● こうしたことを危機とする基本デザイン
● 危機解決デザインの具体的な解答デザインの制度化
これが、私がめざしている「危機解決デザイン」であり、
こうしたデザイン=問題解決を図ることがコンシリエンスデザイン。
このところ、この四つに具体例を、講演や企業提案をしています。
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の準備に
走り回っていますが、いたるところで、この消毒セットを見ると
ともかく、自分の役割が明確になってきています。
出張中はどうしてもこのブログ休筆になりますが、元気です!