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Posts Tagged ‘防災’


「『危機管理デザイン賞』第一回のグランプリは」


   


     3月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

第一回の「危機管理デザイン賞」の授賞式を法曹会館で3/15に行いました。
まだ、デザイン賞設立のアピールが出来ていませんが、
応募された作品は、二つにわかれました。
一つは、これまで、防災や坊犯で考えられて開発されたモノと、
3.11でこうした災害や非常事態にも間に合うというモノでした。
私は、3.11を事例としても、
デザイン変更してそれが、
レジャーやアウトドアにも使えることを提案しました。
3.11を経験したからこそ、今後の地球環境保全やエネルギー開発など、
今後、
わが国が開発し輸出できる「産業」になってもらいたいと考えています。
そしてそうしたモノを産業化するには、最初から、
デザインが主導していくことです。
大阪大学大学院・工学研究科は、
「危機解決産業の創設をめざすデザイン開発の重要拠点」と
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を、
4月から活動を開始します。
3.11の復興計画を10ヶ月かけて作成し防災大臣にプレゼンしましたが、
前政権はまったく駄目だと判断したところ、
この「危機管理デザイン賞」の審査委員長を拝命しました。
そして選び抜いた「グランプリ」は、
長年、警察の鑑識用を開発してきた「ニプロ株式会社」の
現場でのDNA検体採集セットを選びました。
これはまだ開発中ですがこうした授賞によって、
これまでは都道府県毎の鑑識器具道具のセットを
「防犯という危機管理」に対して、
すべてをわが国の実用はもとより、
全世界が使えるように「産業化」を支援します。
本賞の設立のひとつの大きな目標です。
これまで覚醒剤検査セットなどもこの企業にはあります。
それは裁判用の確実証拠品になります。
検体DNA採集では、今は単なる綿棒やポリ袋ではとても不完全ですが、
このグランプリ製品こそ、
「危機管理デザイン」ということを表しています。
「危機管理」とは、「最悪の事態」にデザインが関与して、
生死を明確にするコトです。
検体DNA採集というのは、「危機と防犯」を結びつけたモノですが、
このような事態に、
即応できるということを「進化」させた知恵だと思います。
第一回目ですが、グランプリ・ゴールド・シルバー・特別賞を見れば、
わが国のこれからの技術が「最悪な状態」を「デザイン」が解決すること、
これが明快になると考えます。


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「これからの私、私が賢明で懸命になること」


   


     2月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

2月26日誕生日でした。
本年度で大阪大学大学院は定年退官が決定しました。
しかし、昨年、「危機管理デザイン賞」審査委員長を拝命し、
昨年7月2日には、前政権の防災大臣に1時間半も
プレゼンテーションをしましたが、
案の上、この「政権ごっこ」などは、
全く私の想いとはかけ離れていました。
8月1日には、弁護士会館にて、
危機管理デザイン賞」創立の講演をしました。
その結果として、
大阪大学大学院工学研究科の私の研究室に、
特任教授として、
「危機産業創成デザイン重要拠点」づくりが与えられました。
64歳にして、再度、この国難国家をデザイン主導、
大阪大学大学院を重要拠点とした、
プロジェクトリーダーになる決意をしました。
ところが、インフルエンザで阪大病院に入院するとか、
グアムに行くとか、東京でのクライアントに会うとかでした。
幸いにして元気を回復し、
博士後期課程=博士号取得者もいることから、
3月2日には「最終講義」をします。
デザイン界の恩師・平野拓夫先生や従兄弟やふるさとの伝統工芸産地から、
教え子たちも来ていただけることになりました。
今回のインフルエンザで、多分、もう本当に駄目かと思うほどでしたが、
元気になってしまい、熊本大学にて後輩の依頼で講演をしてきました。
まだ、走り続けることになりそうです。
公共政策では、制度設計論が様々な大学にもありますが、
私は、3.11があったからこそ、
国家防衛から警備警察、さらには防災・防犯などへの
新しい産業を「デザインで牽引する」というテーマを抱きました。
ようやく、新政権が本格的になろうとしてくれています。
であるならば、
デザイナーとして、デザインディレクターとして、
そして大学人として、大阪大学大学院をハブに危機産業の創成こそ、
これからの「公共」のあり方を支える、
産業構造を創出したいと考えています。
これが、これからの私が、
より賢明になり、より懸命に行学を貫く所存です。


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「モードからファッションへ、そして遡及する記号の再生産」


   


     11月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

ジーンズは、未だに魅力的なモノです。
そして、ジーンズにはジッポーのライターが似合っています。
いづれも、米国開拓史に登場してくるモノですが、
これを「機能的なモノ」、
あるいは「アノニマス的なモノ」と呼ぶだけでは物足りません。
私は、ジーンズとジッポーはすでに、
モードとしてラング化された記号であるにも関わらず、
ファッション、つまりモードが
すでにしっかりと定着しているモノの一つの代表だと思っています。
当然、製品記号論的には、
アウトドア・カジュアル・日常的な性能性・効能性・機能性を
完備した「記号」と考えることが可能です。
しかも、さらに重大なことは、
ローコストでただの作業服にすぎなかったモノがハイコストで、
フォーマル性も獲得してきたパロールがラングにいたっていることです。
ジーンズという形態言語は
さらにデザイナーズブランドに遡及していくことが可能です。
これは、ある意味では
「マルクスの経済的な論理」をすでに壊しているという事実です。
ジッポーは、カジュアル性に留まらず、
デコレーションデザインによって、
フォーマル的な存在性を獲得することが出来ます。
それは、すでに今では
不変的・普遍的な記号=コードとモードを兼ね備えながら、
新規な記号性を引き寄せる記号、
すなわち、
記号の再生産まで成し遂げる存在=効能性を確約した
性能と機能を有しているということです。
私自身にとってジーンズはまだ老体ながら、
身体化できるファッションとしてワードローブに、
それも選び抜いたモノをコレクションしています。
しかし、ジッポーにいたっては、
すでにタバコも吸わなくなっているために、
緊急防災備品としての発火道具というツールとして、
あるいはジッポーにあるテーマシリーズ化されたコレクションを
メディアとして所有しています。
つまり、すでにジーンズもジッポーも
「コード化された記号」を所有価値中心ということに至っています。
記号の再生産がユーザーが果たすモノになっているということです。
したがって、デザイナーズブランドになっているジーンズには、
仕掛けようとする造形言語を付着させようが、
それはパロールには決してならずにラングの中に、
ディクショナリーとしての記号性は揺るぎ無きモノになっているのです。
ジーンズ、ジッポー、この商品が記号に至ったコンテクストこそ、
明確な情報社会でのテキストになっているはずです。


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「キティちゃんにて確認できる『安全と安心』」


   


     10月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

久しぶりに、高速道路のサービスエリアに立ち寄りました。
サービスエリアには必ず、ご当地キティちゃんグッズが揃っています。
かっては、キティにまつわるグッズは相当に収集していましたが、
久々に小っちゃなぬいぐるみに引き連れられてカメラに収めました。
キティは世界ブランドであり、
日本が産み出した展開可能なガゼット・コア、
つまりこの顔であれば、無限のガゼット展開が可能かどうかです。
そして、この笑ってもいない無機質さが
「かわいい」という核心を与えたモノは無かったかもしれません。
その無機質さにも関わらず
「かわいさ」を表現している最大の理由は目です。
その目は、黒丸扁平な「黒点」にすぎません。
キティがキャラクター表現で
確実なヒットを遂げたのは、この「黒点」でした。
したがって、キャラクター表現では、
「黒点」もしくは目の表現を全くしないことが基本になっています。
私の研究室では、
「顔表情を決定づける目の配置など」を
修士論文にまとめた成果があります。
この論文は、私がこれまで大学人としては「最高の修士研究論文」でした。
私は、キティの一見無表情に近い「黒点」的目の入れ方には、
一つの大きなテーマ解を見つけています。
それは、「安全」と「安心」です。
「安全」だから「安心」できること。
「安心」だから「安全」だと納得できること。
これが、一つの解答結果ですから、
なぜ、この無表情な「黒点」目には大きなヒントがあると思ってきました。
「安全神話」を信頼するということが大きな間違いでした。
「安全ゆえに安心可能だろうかということと、
安心しておられるから安全」は、
常に相対性をもって統合されなければならないと考える訳です。
奈良にて警察署主催のイベントで講演をしてきました。
「安全で安心できるまちづくり」でした。
私は、この写真のキティをコレクションしたい想いでしたが、
取りあえず、写真撮影し、ここでひとまず、
この文章の中で、さらに熟考していかなければいけないと思っています。
「安全で安心なまちづくり」の結論は、
教育と防災と防犯をしっかりとコミュニティに育むことしかないでしょう。
「危機管理デザイン賞」の選定基準には、
「安全と安心を納得できるデザイン表現」、
その性能と効能と機能が統合されている、
そんなデザインで語ることが可能か不可能を問いかけています。


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「商店街・地下街は壊れていくのかもしれない」


   


     9月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

大阪に来て以来、京都の地下街は私の遊び場になっています。
しかし、日本全国、地方の商店街、そして地下街も,
年々、その活性度を失ってきていると思います。
この京都の地下街は、来る度に商店の入れ替わりが多く、
大きな店舗である書店や洋品店などは縮小されていくのがよく分かります。
私は、フリーランスになって地方のデザイナーとして活動をしてきました。
だから、当時から地方都市と大都市比較を様々に調べてきました。
当時、大都市の条件を決めていたことがあります。
地下鉄があること、
地下街があること、
そして、著名なチェーン店舗があることや
競合しあうデパートがいくつかあることでした。
そこで、地方の商店街も
それなりの「地方色や伝統性」などの存在価値観の有無、
これはかなり重要な要因でした。
そんな大都市の商店街・地下街と
地方の商店街はすでに同等に寂れ始めていると言っていいでしょう。
これはデパートの存在価値が失われてきていることとも連鎖しています。
結局は、ようやく21世紀でのすべての街存在のパラダイムが
大変革し始めていると考えるべきでしょう。
大阪も最近は、デパートの新築や新たな駅前開発がありますが、
私は未来性を見通していないことを残念に思って見ています。
さて、先月、この京都地下街はいくつかの店舗が改装中でした。
今回新装開店されていたのは、
100円ショップやマッサージ店やネイルサロンなどでしたが、
大きなアクセサリーショップなどは店仕舞いされていました。
社会風潮がそのまま地下街に反映しています。
京都は観光都市ですが、
その観点からは金沢の地下街のような「京都らしさ」は皆無です。
地下街には絶対に店舗を構えないというブランド店舗があることは、
ある種のブランド・アイデンティティ・デザインポリシーです。
それでも、
この地下街から寺町通りへの観光プロセスが全く思慮されていません。
そして、今、最も恐れることは、
地下街にまでおよぶかもしれない天災への
防災対策デザインがあってほしいということです。
商店街・地下街は今世紀には大変革してしまうことを想像しています。


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「自然との喧嘩・調和などありえない」


   


     8月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

私はずーっと「自然との調和」などありえないと考えてきました。
3.11は1000年に一度、
現代を共時共有している私たちにとめどないショックを与えました。
今でも、あの大津波の映像を見ると胸がつまります。
昨日、中川防災大臣が「南海トラフ大震災」の予測を発表しました。
私は「までい-Project」を3.11直後からデザイン計画を書き上げ、
石巻市にプレゼンもしました。副市長は派遣された若手官僚でした。
この計画は相当に壮大ですが、やり抜かなければなりません。
石巻プレゼン後、中川防災大臣にプレゼンしたとき、
すでに、中川防災大臣直轄での
「南海トラフ予測会議」は20回目に及んでいました。
「南海トラフ大震災」は予知ではなくて、
すでに予測値が最大死亡者32万3000人までがシミュレートされています。
私自身も大阪市民の一人ですから、大阪市は7700人の死亡者予測です。
私の自宅マンションも8Fまで津波水害があると言われています。
結局、大震災が南海トラフという地震断層に、
東海・東南海・南海と三連続・同時ということです。
日本列島はコンニャクのような地盤です。
この地盤の上の自然と私たちは共生していく運命にあります。
「自然との調和」などはありえないのです。
ということは、自然との喧嘩が待っているのだ、とすら私は思っています。
自然相手に喧嘩なんて不可能かもしれません。
だから、私は、減災・防災・救災というレベル設定をしています。
私が考えている「までい-Project」では、
「人工地盤デザイン計画」と
「制度設計としての医療環境デザイン」を進めています。
「危機管理デザイン賞」の創設もその一貫でした。
自然相手の喧嘩は、喧嘩への志と態度です。
この志と態度に「知恵としてのデザイン」で
立ち向かいたいと考えている次第です。


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「サバイバルの方法・手段を軍事から語る限界」


   


     7月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

英国・米国のサバイバルマニュアルを読むと、
これらは、軍事から語られています。
確かに軍事が最も「生き残る方法論・手段論」、
これはとても理解しやすいと思いますが、
スイス政府のマニュアルとの差異を確認できます。
軍事の前に、アウトドアでの行動範疇知識を知ることが良いと思います。
私は高校・大学と山岳部だったことや、
父が警官だったことで、ロープの使い方はマスターしていますが、
こうしたことの様々が必要だと思っています。
ヨットやスキューバダイビングなどのスポーツも、
ナイフの使い方、ロープ操作などは基礎知識です。
私は「復興計画」のデザイン計画では、
「減災・防災・救災」というコンセプトをまず厳密化しました。
したがって、こうしたマニュアルもこの観点で読み比べると、
軍事的なマニュアルは、その一部でしかないと思いました。
韓国は徴兵制があることで、
青春時代に軍事的サバイバルをマスターしています。
徴兵制に賛同しているわけではありません。
国防の日本的方法を早く制度化すべきだと考えています。
最近は、アウトドア・キャンプや、まして冒険ごっこすら、
危険視されている風潮があります。
ラジオ放送で天気図を書くことや、季節毎の星の名前、
野花や樹木の名前、昼夜でも東西南北を知ることなど、
本当は、このような知識獲得を子ども時代には不可欠です。
私は、こうしたマニュアルを読みながら、
サバイバルの根本というのは、
まず、自然との付き合い方から始まること、
そこに、自然との関係での知識ではなくて、
「知恵」をどう自分で身体化していくことだと思いました。


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「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」


   


     7月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

永世中立国家を維持しているスイスは私には謎国家です。
永世中立によって「平和」のために、
全国民皆兵制、全ての住宅にシェルター設置は義務です。
スイスの防災マニュアルを読みました。
文字だけではなくグラフィックデザインとして、
本当に素晴らしく美しい本になっています。
まず、祖国ということ、
国の自由・国民の自由を定義しています。
これこそ「愛国」の基本でしょう。
あらゆる災害・戦時体制・原爆から死刑にまで、
国民がどう平和で安全に、
「いざ」という場合がとても懇切丁寧に、
おしゃれなイラストとともに編集されています。
国家転覆への情報対処・情報戦を
国民の認識方法まで述べられています。
「平和憲法」の文言にだけ頼っているわが国との違いを
あらためて、見直す必要があると思いました。
これは、憲法の具体的な行動規範です。
国民が平和で安全を確保する基準とは、憲法で制定していますが、
その具体的行動を「日常生活」でどう認識し、
しかも国民皆兵制ゆえに、成人は女性も武器訓練があります。
特に、私は、国家転覆の情報コントロールと死刑の記述は、
これなら国民全員が納得できると思いました。
スイスには死刑はありませんが、
国家維持を破壊する者や国家転覆者には、
絶対死刑というのは、説得制があります。
日本は、天災が一段と厳しい環境下にあります。
政党の嘘だらけの「マニフェスト」など不要です。
だれでもが分かりやすい、憲法を読むのではなくて、
具体的に、自分・家族・コミュニティ、そして国家が、
平和と安全を維持していく具体的な行動規範こそ、
安心国家の安泰性を確約するものと考えます。


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「瓦礫に祈りを・・・デザインによる復興計画を」


   


     3月 31st, 2012  Posted 12:00 AM

コンニャクのような私たちの日本列島。
地震列島に津波、
だから「防潮堤を」という発想には俄然反対です。
私はこのきもちを抱いて10ヶ月、復興デザイン計画書を書き上げました。
ひとまず、すでに現地に復興実施をしている企業の口添えで、
まず石巻でプレゼンをしました。
とちを、つちを、だから、まちを!という発想です。
とち・つち・みち・まち、そして東北は「通り」があります。
人工地盤には、上水道・中水道・下水道。さらに電力と情報によって、
インフラの整備をすることで、
ようやく「スマートグリッド」の基盤整備が可能になります。
政府は未だに「防潮堤」の計画を進めようとしていますが、
美しい海岸線を
高さ10m以上の壁面で取り囲むというこの智恵無き発想にあきれます。
まして、この防潮堤の土木工事は
これまでの建設関連既得権益と強固に結びついています。
被災地の人たちには未だに瓦礫が山のように立ちはだかっています。
そして遠方には何事もなかったがごとくの穏やかな海が広がっています。
毎日、津波で無くなった方々への鎮魂の祈りを捧げておられるようです。
私は、減災・防災・救災、そして安泰という
海面からの地盤高を考え抜いた人工地盤計画を持ち込んでいます。
リアス式の美しい絵画から、あの巨大な津波は、
女川の集落をすべて飲み込んでしまったのです。
それでも現地の人々は、
毎日、穏やかな海、荒れ狂う海を見つめて暮らしていく、
この日常性での安全+安心=安泰の地盤計画が必然と考えています。
帰阪後、風邪気味なので眠りに眠りました。
あらためて、津波でおそいかかった海に、
今、生きる人間の最大の智恵で、
「生活のつち・とち・とおり・まち」を創生させたいと考えています。

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「減災・防災・救災のために」


   


     2月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

日本が地震大国ゆえにその予知報道に翻弄されます。
そして3.11は私たちの価値観を変えてしまいました。
私は10ヶ月かけて「復興計画」企画書を書き上げました。
これからその計画書では企画・戦略だったので、
本格的な計画の推進をめざしたいと考えています。
大震災直後に、情報の集約化をめざして、
このwebsite内に放射能のことなど情報を集め発信してきました。
そして、減災・防災・救災というレベル設定をして、
もし、天災に見舞われたらどうするべきか、
「ふだん」と「まさか」に峻別した情報集積をしています。
そのwebsiteのトップ画面です。
3.11で学んだことを集積し集約して、
まず「自分の命を守る」こと。
そのためには避難するにも「手ぶらで逃げる」こと
これが基本だということです。
防災グッズは様々なモノが市販されていますが、
それよりも、「手ぶらで逃げて命を守れば」、
減災と防災が適います。
そうすることで、救災ということばで、
「助け合う」ことの主役になるということが大事という考え方です。
「手ぶら」といっても、
最低限はいつも身につけておくことが肝心です。
それは、「財布・ケータイ・ハンコ」ということです。
財布とケータイにハンコを加えたのは、
3.11で「避難所生活」で必需品だったことです。
「ふだん」と「まさか」に、
日頃から準備していくモノややっておくべきコトを、
このsiteに集めたいと思っています。
衣・食・住に対して、私は医・職・趣を付け加えています。
医は救急医療、
職は職能の保持、
趣はたとえ天災に遭っても、
自分やみんなが励まし合うエンターテイメントです。
そして、水・食料・電力というエネルギーを
どうしていくべきかは、日本の宿命的課題です。
私は、ともかくなんらかのエネルギー確保を、
さらに改良し、進化させるデザインが必要だと考え、
そのデザインと開発のフィーザビリティに取り組んでいます。

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