kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘英語’


「手習いまだまだ諦めずに・・・」


   


     5月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

私は美大ゆえに4年間、フランス語受講で単位は取得。
40年ぶりの同窓会でフランス語受講していた同期生に、
「4年やり通したよな」と言ったら、
「エッ、貴男のこと記憶に無いわ」と
一笑にふされてしまいました。
きっと、教室では存在感全く無かったのでしょう。
彼女は卒業と同時にヨーロッパに行ってしまいました。
最近、帰国したとのことでした。
60還暦から考え抜いていたのが、「60の手習い」でした。
ある経営者は60から中国語をすぐにマスター、
最も彼は、英語もドイツ語も堪能でしたので、
とても敬服していたことを思い出し、
62歳、昨年からフランス語やり直しを始めました。
そこで当然、私は「かたち」=モノから入ります。
ラジオを出張用も含めて買い直しました。
そうしたら、ラジオの進化にびっくりしました。
今ではパソコンにも連動するなど、
性能は格段にラジオでは無いのです。
これも精微な出来映えですが、あまり知られていません。
というわけで、
今年に入ってからもまだやり続けてやろうと企んでいます。
英語も未だまともで無いのに自分でも「なぜ?」なんです。
ただ、学生には言ってきました。
私の世代は英語だけでなんとかだったが、
君たちの世代はもう3カ国語ぐらいは絶対に必要だと、
教師として教条主義を発揮しています。
ベトナムからの留学性には、
日本語以上に多言語をやりなさいと伝えています。
おそらく私はリタイアしても
フランス語で読書程度はと思います。
今、イヴ・サンローランの原書は絶対読破と思っています。
4年もフランス語をやっていたのに、
最初にパリに行ってまったく駄目だというトラウマでした。
さてあらためてここで暴露することで、
自分に喧嘩を売っているのです。
それにしても、今は外国語習得の情報環境は整っています。
フランスの友人にも、
エコール・デ・ボザール(フランス芸術大学)での
ワークショップなら必ず・・・なんて
大言壮語してしまっていますシ〜ィ・・・。

目次を見る

「KAIST・韓国科学技術院での講演」


   


     11月 18th, 2011  Posted 12:00 AM

KAISTで講演をしてきました。
これまで、特にデザイン系大学は色々見てきました。
が、環境・教授陣・学生達・各プロジェクトにおいては、
やはり評価どおり、最高の大学・大学院でした。
1971年開学・1985年にインダストリアルデザインが開設、
今では、韓国のデザイン系でリーダー達を一杯輩出。
今もLG社副社長が教授兼務であり韓国デザインを牽引し、
国際貢献プロジェクト「nanum」(以後に紹介予定)や
環境デザイン領域ゆえにロボティクスデザインを研究。
日本だと環境デザインは建築系や都市計画系ですが、
企業に直結した企業デザイン戦略立案実務などは、
まさにデザイン領域を拡大させている実例ぞろいでした。
私自身も紹介したのは「PKD=Peace-Keeping Design」、
そのワクチン開発・接種方法や遺伝子検査システムで、
これまではワクチンの経皮注射を経肺接種と、
遺伝子での結核種類選別のシステムから、
経肺接種での全く新しいシリンジを紹介講義しました。
KAISTのインダストリアルデザインには、
韓国のスーパーサイエンス高校から、
飛び級で高校2年生で入学可能だそうです。
そして教授陣も日欧米での留学経験者から選別されています。
もちろん、授業はすべてが英語であり、
国際的なデザイナー養成システムが完備していました。
日本ではデザイナー志望の学生から、
時折、こんな質問が出ます。
「デザインという職能は日本では大丈夫ですか?」と。
時に私も職能として、特に企業内デザイナー志望には、
返答に窮することがあります。
しかし、KAISTの学生たちは、
「デザインの未来にこそ、未来がある」、
そのことをしっかりと確信していました。
昨年、私の研究室から半年留学生を派遣しました。
来春には、KAISTから交換留学生を受け入れます。
KAISTが育成した頭脳とセンスが、
現代韓国の産業と文化をリードしています。
そして、韓国での次世代リーダー達を素晴らしい環境で
育成していることに驚愕し、感激し感動しました。
このようなチャンスがあったことに感謝しています。

目次を見る

『資本主義からの逃走』
「日本語が曖昧になって現代認識の観念化を誤るかもしれない」


   


     5月 31st, 2010  Posted 7:17 PM

曖昧さ検証へ
私は次の言葉も、「情報」のように曖昧にしていると考えてきました。
福祉
機械
環境
人間
病院
医療
科学
しかもこうした言葉は、「現代」・「現代の問題」を抱え込んでいますから、
大学や行政でも、とても重要視される言葉です。
にもかかわらず、私は、こうした言葉が曖昧になってきたのは、
おそらく三つの理由があったのではないだろうかと推測しています。

■ まず、国際的に「英語」表記が拡大し、
 グローバル用語と日本語との対照訳語、その意味性に距離観がある。
 しかし、その検証を放任している。

■ すでに日本語として確立している言葉だけに、
 現代的意味性がどれほど付加しようと、
 こうした現代性を引き出してまで検証はしない。

■ 既知の意味性、その認識がすでに常識であるために、
 最も通用する、という大錯覚があるにもかかわらず、
 ラングでありパロールとして社会的、絶対的な信用語としている。

私は、すでに日本語として既知認識となっているこうした「言葉」こそ、
その意味性には慎重でなければならないと考えてきました。
特に、現代問題の核心となっている「言葉」は、まず概念よりも観念に直結しています。
したがって、デザインワークの前提には、
「コンセプトワーク」・「コンセプトメーキング」という段階があります。
あくまでも「コンセプト」ですが、
これは必ずしも「概念」で捉えるだけでは不十分です。
私は、「コンセプト」は日本語になっていると思います。
Conceptとコンセプトには距離観があります。だから「概念」より「観念」です。
コンセプトには「概念+観念+問題意識」が不可欠だと考えます。

「環境」という言葉を事例に
たとえば、『環境』という現代、最重要な言葉においても、
「環境=Envilonment」というわけにはいきません。
それは「環境」という言葉には、
日本語になるまで中国からの連綿とした歴史があります。
なぜなら、東洋では「元史・余闕伝」から周囲論という意味、この言葉から始まります。
そして西洋ではヒポクラテスの時代に、
「空気・水・土地」から生態論へ移行して意味の集約に入ります。
この二つの文脈から、「環境=Envilonment」この等式には無理があるようです。

曖昧さの利点と欠点
結局、現代問題の核心となる「日本語」、
そして国際的な英語の訳語としての隔たりと
漢字での表記意味の正確さを対照化するべきと考えます。
そこで、私はこれを「近さの概念」=トポロジー的概念として捉え直す、
その数学的手法も熟考方法になると確信してきました。
その具現化の応用も適用し、評価を受けてきました。
あらためて、日本語の曖昧さの利点と欠点に、
実は「観念」から「概念」
そしてコンセプト・Conceptの文脈があると結論化しています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「* 人前で喋ること、きっと得意分野ですが・・・ *」


   


     3月 29th, 2010  Posted 12:25 AM

講義・講演は大好き
「講演」は私の大きなデザイン活動だと思っています。
なにしろ、一人っ子(母違いの妹がいます)だった私は、
まったく無口すぎるほどの母と二人でした。
父は、職業上、全く家には居ない人でした。
だから、子供の時から「口達者だった」ようです。
小学時代から、弁論大会は必ず優勝していたくらいです。
中学では英語の弁論大会に出場することも大好きでした。
私は人前で「上がる」という感覚がまったくわかりません。
聴衆が少ないと「やる気」が失せるほどの性格だと思います。
したがって、大学人としての講義、
デザイナーとしてのプレゼンテーション、
講演会は、ほぼ、得意分野と言ってもいいでしょう。
苦手なスピーチ
ただし、苦手が一つ。
それは、結婚式のスピーチです。
結婚式には、使ってはいけない言葉があります。
さらに、新郎新婦の名前を決まって、ど忘れしてしまいます。
この失敗から、結婚式は電報で勘弁してもらっています。
しかし、その電報文には満身の力を込めて絶対に結婚式場に、
全く「存在」しているようにと校正と添削の限りをつくします。
だから私は「お笑い番組」が大好きです。お手本だからです。
古典落語も随分と覚えていた時期もあります。
大学の講義は、絶対に準備をします。
同じ講義は絶対にやらないことを堅持しています。
ところが、昨年後期は大変でした。
「英語」での講義を決心したからでした。
前準備は大変であり、それは海外の大学講演のごとくでした。
あとしばらく大学人を続けるでしょう。
講演会は、デザイナーの義務と思っていますし、
私を講師として呼ぼうと言っていただけるなら応えたいのです。
おそらく、そういう意味ではプロです。
次のようなアドバイスをします。
「気合を入れる」!
これは、自分の「気」と聴衆の「気」を合わせることです。
それは、聴衆の「気」の波長をいち早くつかんで、
自分の「気」の波長を合わせていくことだと確信しています。
「気負わない」!
気負ったら、聴衆の「気」に自分の「気」が、負けます。
決して気負ってはならないことが大事です。
そして、もっとも大切なことは、
「言葉」の適切な、「切り方」です。
ただし、それは私が心がけながら最も出来ていないことです。
しゃべり尽くす前に「切り上げてしまう」のが、
ここまでだ!、ということはまだまだ修練が必要だと、
充分に知りながら、これができません。
大切さと大事さ
「大切」というのは、大事さの切り方のでしょう。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「製品要因は、実装技術というエンジニアリングの神髄」


   


     3月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

実装という設計
Apple社でコンサルタントだった当時、
もっともプレッシャーは英語・それも会議での英会話。
デザインは常にまずfeasibilityの検討から入ります。
二つの領域の技術検討です。
電子回路関係と筐体構造や機構設計関係でした。
そこで多用された言葉がありました。
回路関係ではLayoutであり、
機構構造ではConfigurationでした。
しかし、日本では、この両方の意味を兼ね備えた言葉、
「実装」という用語があります。
なぜなら、回路でも構造が出てくるとLayoutでは、
何か不足性が残るのです。
同様に、機構といってもその配置となれば、
Configurationでは、言いきれません。
Configuration Layout
私は「実装」をConfiguration Layoutと提案しました。
以後、私は国内でも、
実装=「コンフィギュレーションレイアウト」と言って
使っています。
つまり、回路と機構、その内部配置が外観を決定します。
だから、デザインの決定要因なのです。
要因というのは、要素という静的部品ではなくて、
動的要素を要因と呼んでいます。
素材という要素をどう「実装」という要因でまとめるか、
ということをエンジニアとの議論で高めていって、
それこそ発明へ向かわせるというのがデザインにとって、
最も重大で重要というのが、
私の基本的・基礎的なデザインへの態度です。
エンジニアには、回路の話にも割り込み、
筐体や機構設計にも割り込んでいく姿勢が必要です。
まさしく、デザインと技術、
デザイナーとエンジニアの関係が一体化したとき、
私はほとんど発明であり、
それが革新への道程だと考えます。
Technologist
そして、その「実装」と「造形」ができてしまう人間が、
これからの「テクノロジスト」であって、
こうした才能の育成が、技術・実装とデザイン・造形を
統合化できる教育こそ、これからのモノづくり教育、
ということです。
製品要因=実装は、技術から造形、造形から技術を
補完的に成し遂げるテクノロジカルアートだと思います。


目次を見る