8月 1st, 2013 Posted 12:00 AM
デザインの歴史を語るときには二つの説があります。
人間・ホモサピエンスは、
モノづくりにデザインを考え実行が設計だったという説。
もう一つは、ロシア・アヴァンギャルド時代に、
革命という政治活動を支援する芸術手法がデザインという説です。
私は、デザイン史には、必ず後者を選びます。
デザインという職能は、当初から革命という政治手続きを支援、
まさに、国を変革する策略であったということです。
だから元来は、革命的な政治思想を具体化する手法だと考えます。
ロシア・アヴァンギャルドは、結局、ソ連が崩壊したように、
革命を政治的に成功するともに、いわゆるデザイナーたちは、
虐殺もしくは自死したとして抹消されていったのです。
その代表人物に、私は、V.マヤコフスキーをあげます。
彼の思想が見事に政治思想に転化されてしまった系譜を再考。
彼は、自死とも拷問死ともいわれ不明ですが、
「われわれに新しい形態を!・・・号泣が聞こえてくる」、
このことばを常にいだいて世の中、企業、政治を見てきました。
したがって、ロシア・アヴァンギャルドでは、
建築・舞台芸術・日常用品・ファッションはすでに完成でした。
この成功されていた手法が応用美術からバウハウスなどに
面々と連鎖していきました。
よって、この連綿たる美的な思想から逸脱している模倣や、
すでに存在していたモノのモノマネには常に非難・批判しました。
結果、私自身のデザインは、彼らの理想主義=問題解決、
そして、理想を呼び込む未来志向こそ「デザインの本質」が結論。
ソ連の崩壊は、見事に彼らの思惑通りで有り、共産主義の全否定。
私は、たとえば「グランドデザイン」や、
さらに、理想体制趣旨を「マニフェスト」はデザイン用語です。
現在、わが国は、あるいはわが国だからこそ、
この「国難」には二つの人類の理想テーマが問題です。
地球環境=自然と人類は決して調和などできないから・・・
原発事故=人類が存続する水・食糧・電力はどうあるべきか・・・
だからこそ、「デザイン」をようやく国策の実務にするべきです。
私の最期のデザイン活動には、国策への「デザイン導入」、
これが私の「行学」としての役割だと考えています。
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1月 23rd, 2013 Posted 12:00 AM
私たちは毎日、日本を地図図形で認識しています。
というよりも、子どものときから「刷り込まれて」いるのです。
確かに南北に上が北海道から南は九州です。
そして、世界地図でも日本はセンター配置になっています。
しかし、日本は「極東」と呼ばれるほど
片隅・端っこの小さな島国でしかありません。
この意識は全国民が欠落し全廃しているほど
意識には無いというのが現実です。
TVで毎日、天気予報の地図は、私たちの意識の中では、
ほとんど完全な「図形としてのわが国」は、
地図上の「かたち」として脳内に収納され焼き付いています。
おそらく、今、中国の意識には南北は水平であり、
日本海を手前に、太平洋の向こうに米国が意識されているはずです。
<右・地図>をしっかりと見つめれば、地勢的な都市位置や、
気候的な変動を確認する私たちの意識は
まったく別次元になるものと考えます。
それは、もし次の大震災・大津波なども
地図パターンの認識によって全く発想が変化するでしょう。
私は、「かたち」の専門家です。
自分がモノの「かたち」をスケッチするとき、
どこからどこを見つめながらスケッチを描いているかは、
大問題だと40年も毎日考えてきました。
だからこそ、
日本のこの国土観は地図パターンと同一で、
私たちの思考停止を招いていると断言することができます。
<右・日本パターン>を日常化すれば、
沖縄の位置も、北方四島の位置も、
もっと防衛的いや軍事的に,
考え直す時期がきているものと判断せざるをえません。
私にとって、
「デザイン」は理想主義の具体的・日常的・実務的な手法そのものです。
その根幹には「かたち」・「パターン」認識が、
感性から知性を支配していることは確実です。
このような発言そのものが「右傾」だとか、
「戦争礼賛」だとかという評判につながりますが、
そのような軽薄さを私は拒絶することを
改めて今後も発言し続ける覚悟です。
なぜなら、この日本という国に生まれ、
<左・地図パターン>こそ、日本と思ってきた自分を、
より国際的な思考世界に配置し直すことが、
実際的には本当の「自分の位置」を確認することだと思うからです。
「自分の位置」=「日本という地図図形」、この認識の一新こそ、
自分の存在性を再確認する一番の方法だと確信するからです。
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1月 1st, 2013 Posted 12:00 AM
あけましておめでとうございます。
このブログは5年目に入ります。
そして、私は今春17年の大学人生活を終えます。
3月2日に大阪大学発祥の豊中キャンパス・大阪大学会館にて、
「最終講義」をします。
その後は、これまでどおりデザイン活動は続けていくでしょう。
大阪大学の私の研究室が新たな拠点になります。
いくつかのミッションが今年からのデザインテーマになります。
なんといっても、
3.11以後のわが国は、3年3ヶ月の政治的な悪夢の中にいました。
先般の選挙も、
日本の選挙制度が
民主主義の根本ではありえない制度だということを露呈しました。
私は、政治よりも、
デザイン実務が理想主義を日常的に構築する本質だと確信しています。
徹底的に、また自分の中にある「美学」と対峙していくつもりです。
基本的に、このブログは「毎日書くこと」ですが、
時には、「休筆すること」も勘弁して下さい。
私はデザイナーですから、「かたち」が表現主体ですが、
「ことば」との相対論化をめざして生きてきましたから、
書き続けることは約束します。
脳内では「ことば」から「かたち」を創出しますが、
「かたち」も言葉的な言語性を持っています。
昨年から、
私は「造形言語」と「形態言語」の両輪にデザインを乗せてきました。
おそらく、この思考を一旦、大学人を離れ、大学という場の研究室から、
まだまだ国難の最中にあるわが日本の復興と再構築で、
私なりの行学に身を投じる覚悟は
さらに強化されているものと自負しています。
読者諸兄の皆さんの幸運と幸福をここから願っていることを伝えます。
Tags: 3.11, かたち, ことば, デザイナー, デザインテーマ, デザイン実務, ブログ, ミッション, 大学人, 大阪大学, 大阪大学会館, 形態言語, 復興, 政治, 最終講義, 民主主義, 理想主義, 美学, 豊中キャンパス, 造形言語, 選挙
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12月 24th, 2012 Posted 12:00 AM
世界大戦は暗号解読という知恵比べがありました。
暗号解読に関わった人たちは生き証人として、
次のようなことを述べています。
「戦争を終わらせたい平和な時代のために私たちは関わった」、と。
私は、現代生活においてパソコンが不可欠のものになっていましたが、
その根本的な源流には、戦争=暗号解読=論理演算があったからです。
その最初が、ドイツ・ナチスが開発した「エニグマ暗号機」がありました。
このことはコンピューターの歴史ではそれほど重要視されていません。
そして、ナチスからの暗号解読に苦心していた英国のMI6は、
アラン・チューリングたちがこの解読に関わり、
その結果が、論理演算→二進法につながっていくのです。
私自身がパソコン、
特に、MacとEWSにデザイン手法を乗せてきた背景には、
「論理演算」の知恵に最も興味があるからでした。
これまでこのブログでこのことを書き忘れていたと気づきました。
暗号解読の世界とパソコンの歴史は
どこかで分断されてきたと私は感じています。
つまり、パソコンの歴史の源流、インターネット歴史の源流には、
「戦争」があったということです。
しかし、「戦争」に対して、たとえば暗号解読に関わった数学者たちも
「平和」を懇願していたからです。
人類の最大悪と言われる「戦争回避=平和希求」は、
今日のSNSに至るまで、
「平和」を祈願する人類の理想主義があることを
銘記しなければなりません。
日本が右傾化するというアジアでの評判は、
きわめて偏向した観察だと考えます。
それこそ、自衛隊の幕僚長が語っていた言葉に、
「最も戦争をしたくないのは我々です」ということに表れています。
私は、
平和希求で生まれてきたコンピューターの背景にある「論理演算」にこそ、
理想主義への論理演算という手法が
埋め込まれていると確信しているからです。
だとするなら、
理想主義の実務的手法にある「論理演算」には、
デザイン手法=記号化手続きがあるのだということも、
デザイナー、大学人として、
そろそろ明快にテキスト化すべきだと考えています。
まだまだ書き残すことがいっぱいあると思っているわけです。
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6月 23rd, 2012 Posted 12:00 AM
なんとしても風邪を治さなければ、
この想いを実現できました。
KAISTの先生お二人を招いて阪大での講演。
Prof.Kim Myung-Suk先生とはすでに20年来の友人であり、
Prof.Bae SangMin先生は、New York留学中に、
私の講演を聞いてもらったこともあるという仲です。
KAISTはおそらく、全世界的にみても、
最高級の大学・大学院であり、デザイン系でも筆頭です。
Kim先生は「環境デザインとしてのロボット」を
Bae先生は「国際貢献としての製品デザイン」、
それぞれが実現されているプロジェクトを語っていただきました。
私もKAISTで講義をしましたが、
この大学が世界からも注目されている「未来創生の発想」は、
いくつかの重要なキーワードでした。
Why・なぜデザインを、なぜ生きるのか、
Implement・必ずデザインを実現させて未来を創る、
Evolution・常に進化は「融合」=Consilienceを、
Donate=Sharingを、Passionを、と、
重大なキーワードを沢山いただきました。
しかも確実にコンセプトは製品形態に集約化されていました。
私は、3.11以後、デザインによる復興をと考え続けてきただけに、
改めて、デザインの理想主義を語る二人の教授に、
支え直してもらった気持ちでいっぱいになりました。
たとえば、家電は当然ながら、
造船もどれほど韓国は進歩させたか、
その事実を知っているだけに、韓国の勢いを体感しました。
日本も韓国もアジアの小国です。
これからはお互いの交流をさらに深めて、
世界の先導国になっていくべきだと思い直した次第です。
お二人に励まされたようで、すっかり、風邪から立ち直ったと思います。
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6月 21st, 2012 Posted 1:40 AM
手術・入院は仕方なく「休筆」を告知して、
このブログを休んでいました。
どうしてもデザイン活動の主軸は「東京」です。
東京での仕事をなんとか責務を果たし、
帰阪すれば、というのも、結局は寝込みました。
なんとしてもふるさと福井でも責務を果たしましたが、
戻ってからもまったく回復せずでした。
ひたすら点滴治療やどうも防御不能の発熱という「風邪」は大変でした。
ようやくFBでコメントを入れたら、
皆さんがこれほど心配していただいたことは、
私の日常性がほとんど破壊されていたことを思い知らされました。
「風邪は万病の元」、
これは古来、日本大衆民族の警句でしたが、
元来は、「風邪は死病の元」を再認識しました。
「死病の元」というのは、
風邪を引いて下痢は、消化器系で老病死になり、
咳き込めば、これは呼吸器系の老病死を象徴しています。
私は、まだ、
命がけの手術をしなければならないのかも知れませんが、
改めて、「もっと時間が欲しい」とつくづく思いました。
デザイナーとして、理想主義と美学、
この「綺麗事に生きる」決意は、もう少し時間が必要です。
私のふるさと福井県は小さな県ですが、
「幸福度」や「子供たちの教育水準」、「働き者いっぱい」です。
サンダーバードという、鉄道マニアとしては、
それほど名車ではなく、浮動タイプゆえ「揺れ」が大きいですが、
これにあと何回乗るのでしょうか?
しみじみとふるさとを感じました。
親友たちは手放しで歓待してくれます。
いづれ、ふるさとへもう一度戻ることはないでしょうが、
この穏やかなふるさとも、経済的な厳しさにさらされていますから、
私は、私の信念で、率先させるべき日常性を維持し続けます。
ご心配をおかけしました。
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1月 15th, 2012 Posted 12:00 AM
「TV電話システム」は登場初期から種々使用してきました。
福井から名古屋に移住していた頃には、
鯖江市で毎土曜夜の社会人のためのデザイン講座、
SSID(Sabae School of Intelligence Design)を
名古屋からTV電話システムで講義をしていました。
このSSIDは17年間やり遂げました。
約250名の修了生が今も一つのローカルコミュニティになっています。
そして今はUstreamやSkypeがとても役立つツールになっています。
Skypeの使用機器も様々に試してきて、
現在はこれらを使用しています。
映像も音も随分と進化したと思います。
したがって、研究室とデザインスタジオはいつでも会話が可能です。
国内外とも図面や企画書も見ながら会議を済ませることが可能です。
パソコンを核として映像と音響、
それは電話方式や放送形式を簡便なことに変貌することが、
ネットワークの進展によって可能になったわけです。
そこで、私たちはこの簡便さが、
まさしくグロバーリズムのツールと思われています。
しかし、私はグローバリズム、
この世界観的な経済主義の正当性を疑っています。
グローバリズムがあたかも理想主義、
その一つの形式ということを再熟考する必要があります。
TPPもグローバリズムへの推進論と慎重論でとの対決で語られています。
これは国家論としての今後の方向を決定づける一大事です。
私はSkypeを使うときに、
きっと次のような幻想が取りついていると考えます。
Skypeのカメラに自分が写り、
そしてネットワークは限りなくグローバルに広がった世界が映っている、
そんな想いが、確かに現実感ですが、
実は大きな幻想・幻覚・大誤解のweb、
すなわち蜘蛛の巣に現代人は呪縛されてしまったのでしょう。
あらためてネットワークとグローバリズムを
Skypeという現実ツールを前にして再考する方法がありそうです。
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8月 15th, 2011 Posted 12:11 AM
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4月 24th, 2011 Posted 12:00 AM
自由・平等は市民生活の基本です。
そして、平和で健康を実現するという理想主義。
17、18世紀、英・仏・米ではこの理想主義を
連帯して、政治への抵抗と擁護を図ろうとし、
それが市民革命という経験となり、
市民運動の原型だったと考えます。
現代になると、この経験は巨大に拡大します。
「市民的自由」という概念的武器は,
言論とデモ行進とハンガーストライキ、マスコミ支援など、
暴力性の否定が世論を味方にすることができました。
私はこうした歴史から市民運動家という職能が生まれたとき、
市民運動は自由権と生存権の訴求が、
国際的から地域的へと展開するとともに、
その連帯性をさらに資本主義体制の背後支援によって、
その「市民運動家」を変質させたものと考えています。
特に、日本での市民運動の展開は、
大正デモクラシーなど文化性がありながら、
資本主義否定があったことから弾圧され、
以後、市民運動展開は大幅に立ち遅れたと思っています。
日本での市民運動は、その指導者のイデオロギーによって、
そのすべてが「反体制運動」となり、
時には、住民運動や学生運動と重なりその利得配分での連帯性を隠避し
すべからくが「反体制的」よりも「反権力的」な性向を有してきました。
したがって、この市民運動家からの代議員職能は、
あたかも市民の代表者であって、
市民の声を代弁しているという幻想が張り付きました。
しかし、この幻想こそ、
その市民運動が暴力的イデオロギーを臭わせていても、
偏重した資本主義に擁護されているものがほとんどです。
結果、市民運動家という存在が、
民主主義をその根本で破壊しているものと考えています。
したがって、市民運動家からの国家的リーダーには、
国家的な政治実務能力があるわけがありません。
そして、市民運動や住民運動で語られる「反権力性」は、
こうした人たちが体制側になったとき、
決まってより強固な「権力武装」をなしとげてきたことは、
人類の歴史に明らかだと判断しています。
これまで、市民運動が主張の核心としてきた、
「反戦・反核・差別・情報公開・自然保全」には、
スローガン性やアジテーション性はありますが、
それ以上の実務的な理想主義実現企望は欠落しています。
これまで私が市民運動家で、首相や首長となった人物に、
思想的共鳴をしたことは全くありません。
正直なところ、政治家としては、
嫌悪と軽蔑感を持っていることを述べておきます。
市民運動家こそ、民主主義を破壊していると考えています。
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4月 22nd, 2011 Posted 12:00 AM
議員制民主主義は近代憲法の賜物。
真っ直ぐな理想主義だと思います。
そして、この制度は英国から始まりました。
政治という支配構造の根底には、
「声なき声を」代理で議論する人が代議員です。
この英国式議員制もすでに限界がきていると想像します。
そういう意味では「民主主義も終焉」しています。
かって、英国での代議員には二つの条件がありました。
「教養と財産」がある人物によって議員制民主主義が出発しました。
わが国の議員制民主主義を司る代議員には、
教養は学歴となり、財産は代議員という商売での蓄え財産贈与。
このようなことが明確になってきたのが、
日本の議員制民主主義を「声ある声が」取り囲んでいます。
だとするなら、代議員が為すべき責務は放棄されていることです。
明確なことは代議員にあるべき「教養」と「財産」を
再度検分し直すことでしょう。
すでにこの事などは幾たびも日本の「声なき声」の中にあります。
教養が学歴ではありません。日本人全ての了解事項です。
今回露呈したことは御用学者の卑しさだったと言えるでしょう。
建設族、原子力族、電力族とよばれていた代議員たちが、
多数決=票集めに、学歴を教養と読み間違えていた無能さです。
大学人としてこのような学者たちをどれだけ見てきたでしょうか。
Tags: 主主義も終焉, 声ある声が, 声なき声を, 多数決=票集め, 建設族、原子力族、電力族, 御用学者の卑しさ, 教養と財産, 理想主義, 英国式議員制, 議員制民主主義, 近代憲法
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