8月 23rd, 2017 Posted 12:00 AM
08月23日 友引(壬午)
デザインとは機能主義の表現、
これは大誤解を連鎖。
デザインを機能主義とともに、
文化論に持ちこんだことが
大失敗である。
川崎和男の発想表現手法
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8月 21st, 2017 Posted 12:00 AM
08月21日 大安(庚辰)
デザインとは機能主義の表現、
これは大誤解を連鎖。
デザインを
文化論に持ちこんだことが
大失敗である。
川崎和男の発想表現手法
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8月 20th, 2017 Posted 12:00 AM
08月20日 仏滅(己卯)
機能主義の背景には、
「機械主義」があった。
これが間違いの原因、
なぜなら、
機とは機織りであり、
械とは武器であった。
川崎和男の発想表現手法
Tags: 原因, 川崎和男のデザイン金言, 械, 機, 機械主義, 機織り, 機能主義, 武器, 背景, 間違い
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8月 19th, 2017 Posted 12:00 AM
08月19日 先負(戊寅)
デザインは「機能主義」に
呪縛されてきた。
それは大きな間違いであった。
「機能的なモノ」は「美しい」、
それはデザインへの大誤解だ。
川崎和男の発想表現手法
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1月 7th, 2013 Posted 12:00 AM
私の学生時代は、「デザイン理論」の著作は数少ないものでした。
したがって、私はほとんどデザイン論理を成立させるために、
可能な限りの建築論を読みあさりました。
建築論文募集にも応募していました。
落選ばかりしていました。
そして出逢うのが、建築家・菊竹清訓の「代謝建築論」と、
「機能主義理論の系譜」は一つのバイブルでした。
特に、「代謝建築論」の「か・かた・かたち」論は、
今なおその論考を私なりに深度をもたせるべく展開を試みています。
「か・かた・たち・ち・かち・かたちは、いのち・きもち」、
さらには、「つち・とち・まち」にまで至りました。
そして、現在執筆中の「形と性能」についても、
「かたち」と「性能」を一旦分離すれば、
自ずと「か・かた・かたち」論の展開が可能です。
か=化、ち=値、かた=型、たち=質とすれば、
か+たち=化+質は、工業化によって性質を与えますから、
そのまま、化質とは工業化された性質が「性能」となります。
「性能」は使用価値性の根幹になるでしょう。
もう一方では、
かた+ち=型+値は、意匠化によって形態を与えて、
単純には嗜好的な価値観、すなわち所有価値観を訴求することができます。
私は、
「機能美」や「美しい形態は機能に従う」を率直には認めていません。
それは、自分自身のデザイン、とりわけ形態の美を目標とするとき、
必ずしも機能主義と美学性が統合されるから、
美の創出が出来るというわけでは無いという経験があるからです。
今、こうしてこのBLOGで、メモ記述しているのは、
論文作成の構成・プロットづくりを図解から求めようとしているからです。
私は、「デザインとは何か」という問いかけでは、
デザインの定義性が曖昧になって、
即、機能的デザインとか機能美にデザインが、
結合・融合・統合されることにすこぶる抵抗があります。
むしろ、まず、技術仕様による性能があり、
そのデザイン成果が社会的な存在性に効能が生まれます。
そして、性能と効能が統合されるときに
機能を宿らせることができるというのが経験値です。
「化質」こそ、性能となり、「型値」こそ、形態。
「化質」=かたち、「型値」=かたちに、
「形と性能」の構造(関係)が記号化するという思考に至っています。
Tags: BLOG, か・かた・かたち, かたち論, つち・とち・まち, デザインとは何か, デザイン成果, 代謝建築論, 価値観, 化質, 図解, 型値, 学生時代, 工業化, 建築家, 建築論, 形と性能, 所有価値観, 技術仕様, 構成, 機能主義, 機能主義理論の系譜, 機能美, 結合, 統合, 美しい形態は機能に従う, 美学性, 菊竹清訓, 融合, 記号化
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
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9月 22nd, 2012 Posted 9:30 AM
9月22日 丙戌(友引)
クラマタの「スターピース」は、
模造品からの開放を成し遂げ、さらに、
模倣を引き込むことで、いわば、
マイナス1かけるマイナス1イコールプラス1を
証明する形態を形体した素材で
発明するというデザインにまで到達させている。
倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点
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9月 21st, 2012 Posted 9:30 AM
9月21日 乙酉(先勝)
「メンフィス」は、
淫欲的かつ流行的な
デザイン現象だったとしか
記憶していない。
それは、単なる形体と色彩を
機能主義や商業主義から
開放させたいというデザイナーの
欲情的な情動活動にしか
思えなかったからである。
倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点
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