kazuo kawasaki's official blog

『デザインは欲望の刺激装置ではない、ということを』



     8月 16th, 2018  Posted 12:00 AM

このブログは「資本論」から12年前から私は書き始めていました。
そこには、「デザインとアート」の話であり、
使用価値と交換価値のことを徹底的に分類するために書いてきました。
始めから、「デザインとは客観的」と「アートは主観的」を
資本主義に私はそれを論理的にしようとまとめていました。
ところが、デザイン界の先輩からは「大間違い」と言われてきました。
昨日、阪大に心臓障害での血液検査に行きました。
そのとき、院内のコンビニに、漫画で資本論がありました。
私はここでまとめてきたのはデザインは、決して「資本論」を知らない人に、
私が言ってきた「デザインは欲望の刺激装置ではない」ということを、
ともかく、漫画だったらという思いで買ってきました。
大雑把ではありましたが、「使用価値」と「交換価値」のことが、
漫画ならではの話で描かれていました。
おそらく、私が阪大時代の「KK適塾」の狙いがここにありました。
デザインは極めて使用価値だけを目指しています。
しかし、アートは交換価値を目指しているのです。
そのことをこれから「コンシリエンスデザイン」で語ることは正解でした。
さらに「レジシエンスデザイン」までが浮かび上がりました。
未だに「デザインがアート」というデザイン界の先輩には、
それなら、アートの主観性では「交換価値」が決まりません。
しかし、このごろの「資本主義をのりこえて」というタイトル類いの
そのような出版にはまだまだ資本論と資本主義の間違いすら
見つからないようだと私は思っています。
デザインとアートの区別がつかない、コンサルタントが増えています。
「資本論」と「資本主義」の違いがわからない、
そんな中で「使用価値」だけしか無いことは「発想」が増えています。
ともかく、「漫画でわかる資本論」は読んでみてほしいです。

08月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     8月 16th, 2018  Posted 12:00 AM

08月16日 赤口(庚辰)

「デザインは欲望の刺激装置」、
ではない。
「使用価値」では無く、
「交換価値」を
アートのようにしないと、
デザインの価値は無い。

 

『いろんな水彩道具がありますが、いつもこれが一番』



     8月 15th, 2018  Posted 12:00 AM

美大を卒業しているので、特に水彩画が大好きです。
最も、私は油絵は全く描いたことはありません。
水彩画は入試でもありましたが、私の能力では本当に受かるとは・・・。
ちょうど水彩画は私のクラスでは、最も下手だったろうと思います。
それこそ、連休には父が大学に呼ばれて、「このままでは卒業できない」。
父は、もう一回美大では無いところを受験しなさいと言われました。
そこで、私は主任教授・Yちんに聞きにいきました。
そのとき、彼からは夏休みに40枚描いて来なさい、と言われました。
43枚描きました。それこそ漁港では倒れました。
そして43枚を持って行くと、「君はこっちの世界でも出来る」と言われました。
<そうか!、絵の世界でもこの先生並みの絵が描けるのだ>、
それは教授の励ましだったんだと思います。
それから、水彩画はこよなく好きであり、
私が最も好きなのは水彩画のセザンヌでした。
「曇りの日こそ、色彩がはっきりと見える」というのは大好きです。
この写真は大急ぎなので存分に見えませんが、ある有名なブランド商品です。
色彩パレットは十分に認められるのですが、パレットが塗装仕上げ。
これは絶対に駄目です。
パレットはホーロー仕上げでなければいけないので、それを言いました。
そして、絵筆もブラッシュでこの絵筆が最高です。
かって絵筆は28000円一本をということを
グラッフィックデザインの教授が言ったことがありました。
それは正解です。ブラッシュ絵筆で最高だと私も言いました。
福井という所で育って来た私には、「曇りの日が、色彩が明確」という、
セザンヌの言葉が身体に染みこんでいます。
時折、私からの絵手紙を書いています。

08月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     8月 15th, 2018  Posted 12:00 AM

08月15日 大安(己卯)

水彩画は油絵より、
私は大好きです。
水彩画は、絶対に、
透明水彩に限ります、

 

『あべのハルカスを見ると浪人時代を思い出す』



     8月 14th, 2018  Posted 12:00 AM

私の自宅から、時々、大阪の街を見ます。
ちょうどあべのハルカスのあたりが天王寺駅であり、
私の浪人時代は、あの辺、阿倍野筋で下宿生活をしていました。
あのあたりで私の浪人時代を過ごしていました。
また、阿倍野筋から入るととんでもない風景がありました。
浪人時代は、下宿にも同じ分野にいくのがいて、
全然どこの大学かは知りませんでした。
当時、私が美大に入るということは私の母以外は知りませんでした。
浪人時代はなんと言っても、父の大きなプレッシャーがありました。
「赤い血を見るより、赤い絵の具が美しいから」と
私の進路は大きく変わりましたが、
これは美大へ進学するためは隠しておきました。
誰がそんなことをしているかは、全くわからないように、
母と私だけの秘密でした。
それから主であった進路のことは誰にも告げずにひたすら、
12月からはほとんど自学自習で
「これがデッサンか」というのを追い掛けました。
「鉛筆デッサン」と「水彩画」が学科試験のあとにありました。
学科試験はとても簡単でした。
そうして、今になっても見る夢が、もう一つの進路でした。
「婦人参政権の概要」はずーっと夢に出てきます。
なぜなら、この質問には福井県でも主要な人物がいました。
このことすら私は知らなかったのです。
一方、美大に進学したときには、
もう一つ鉛筆デッサンからデザイン実習が不可能でした。
自宅からあべのハルカスを見ると私がどうしても思い出されるのです。
それは、いづれも「赤い血と赤い絵の具」を両方とも思い出します。

08月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     8月 14th, 2018  Posted 12:00 AM

08月14日 仏滅(戊寅)

浪人時代には、
二つの進路があった。
「赤い血」と
「赤い絵の具」だった。
そして、その二つに進んだ。

 

『デザインには応答・回答・解答の商品創りがある』



     8月 13th, 2018  Posted 12:00 AM

私の子供の頃は「ズック」と言っていました。
が、最近では「スニーカー」と呼びます。
多分、2001年頃に日本がこのメーカーに、
随分と細々したオーダーを決めて、自分用を決める仕組みをつくりました。
というのは、これをEコマースの新しいやり方として、
Gマークのグランプリ候補にしました。
その時のディレクターは、とっても若かったのでよく覚えています。
ところが、このメーカーのデザイナー達が韓国にいて、
阪大の頃には、ここからインターン生を招きました。それが16名もいて、
幸いにも私のスタッフに韓国人がいてくれたので、
デザインの発想法を韓国語で講義をした経験がありました。
そして、そのメーカーからほしいスニーカーを言ってほしいと言われました。
私はそれほど詳しくなく、ワイフがこれがほしいというモノがありました。
それをプレゼントしてもらいました。
それから3ヶ月間一人のインターン生を受け入れていました。
まず、日本で発案されたEコマースの手続きは、
米国ではどこまでもオーダーを受け付け、それをやった以後も、
太平洋から渡ってくる間も詳しくメールがきました。
これはインターン生を入れて、私が望む詳細なオーダーで創りました。
これはもう20年前に、
インターネット・オブ・シングス=IoTが出来上がっていました。
このメーカーはスニーカーでトップメーカーですが、
国際的なデザイナー達を世界各国でやりあげ、
そしてEコマースも、すでに大きなテーマになっていたことです。
そしてデザインの大きな課題は、製品開発での供給と需要は、
「答」であり、それには応答・回答・解答,
この三つの商品開発が必要ということです。

08月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     8月 13th, 2018  Posted 12:00 AM

08月13日 先負(丁丑)

半世紀も生きてくると、
商品の「名前」が
変わります。
そして、
性能としての機能性も
大きく変化します。

 

08月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     8月 12th, 2018  Posted 12:00 AM

08月12日 友引(丙子)

登山用品は進化している。
というよりも、
スポーツ、
全ての用品は進化している。

 

『「キスリング」で夢中の頃から登山用品が進化している』



     8月 12th, 2018  Posted 12:00 AM

今ではリュックサックと言えば「縦長」であってその形式に私は驚いています。
高校時代には山岳部にいました。
高校ではまず福井県内の石川県と岐阜県の境の山々はすべて踏破しました。
大学に入ると空手部に入りましたが助手の先生が藝大の山岳部だったので、
ともかく、空手部では退部試合に出て、それは全員から殴られました。
が、それがあるから今でも空手部時代の先輩には、信用があります。
大学ではロッククライミングや縦走が主でしたし、
当時は入山手帳に記入をするなんていうのは臆病者でした。
かっては「岳人」という雑誌が最高でした。
ところが今ではそんな雑誌などはワンダーフォーゲルという連中だけです。
そして、決まって「キスリング」というリュックサックでした。
私は、まず、これには段ボールで形を整えて、
両方には、水とガソリンとお餅を入れていきました。
さらにアルミの背負子はとても良かったと思っています。
大学では、常に剣岳の長二郎谷雪渓と源治郎谷雪渓で、
金沢美大、京都芸大、東京藝大と一緒に4年間は40日余り、
最後には個人個人で縦走でした。私は40日の針ノ木岳から直降すれば、
大町からの鉄道で戻ってきました。
なんといっても、この「キスリング」は非常に危険でした。
それこそ、私も白馬岳から不帰岳では、
リュックに重さをとられて、落ちそうになりました。
しかし宇奈月から早月連峰を4日で剣岳のベースに着くには便利でした。
今や車倚子になっても、
登山ツールやホェブス(知らないでしょう)の進化、
テントやツェルトなど、新しいモノが次々と開発されています。
なんといっても、登山靴などの進化は、
これで夏山はいいかも知れないが冬山では絶対に無理だろうと思います。
それくらい、登山用具の進化は進んでいます。