kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘かたち’


3月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 30th, 2010  Posted 9:30 AM

3月30日 仏滅(己卯)

私が「かたち」という表現を
用いるのは、
「形」や「容」や「態」までを
総合的に表したいからにほかならない。

『デザインは言語道断』容姿


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3月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 4th, 2010  Posted 10:49 PM

3月4日 先勝(癸丑)

デザインという
理想を追求する営みの成果物である、
モノのかたちの詳細を図面は表現する。

その詳細とは、
大きさ=寸法、材質の指定、
構成と構造などの仕掛け=
これを私は実装と呼んでいる
=である。

『プラトンのオルゴール』
デザイン「製図」はビットの時代へ


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2月25日Staff Blog


   


     2月 25th, 2010  Posted 11:29 PM

2月25日Staff Blog

2/26 「デザインで世界を変える」
チャリティー講演会@国際文化会館
のための制作追込み中の
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)

デザイナーという職能家として
何ができるのか、すべきなのか。
Dream Desinerと称し、Design a Dream!、
夢を具現化する、
かたちにするのはデザインであると
提唱するBOSSです。

モノで語り、ことばで、理論構築、
語り尽くすスタイル。
デザインの力をお楽しみください。
迫力あるプレゼも?


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2月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 23rd, 2010  Posted 2:30 PM

2月23日 仏滅(甲辰)

自分のデザインしたかたちに、
花のような、鳥のごとく、月にたとえる、
美しさの要因をどうやって
風のように仕組んでいくかということに
腐心するようになった。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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2月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 20th, 2010  Posted 9:00 AM

2月20日 先勝(辛丑)

これをテキストにして、
私のデザインで生み出すかたちが
ある種の激しさを帯びたり、
過剰なまでの意味性を加え、
それを社会に対して
突きつけることを勇気づけてくれる。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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『資本主義からの逃走』
「コスメティックデザインという印象を抹消!」


   


     2月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

デザインへの質問は収束している!
講演会でのデザインに対する質問は、
これまでの私の経験では、必ずあることに収束します。
● それは、「機能美」=機能的なことは不可欠でしょう。
● デザインはやはり「かたち」を創るんでしょう。
● しかも「格好いいこと」は機能的だからでしょう。
● その代表製品アイテムに「車のデザイン」。
● カーデザインや、ファッションデザインでわかります
● 最近では、エコデザイン、ユニバーサルデザインなどまで
踏み込んで来られる方々に、すべて「一理」あります。
したがって、私が医学博士であることや、
私が、経営から人工臓器、原子力工学の再構築、
さらには時として、
「危険物」(書けませんが)までが対象と言うのですから、
ある意味ではデザイン意味への「混乱」を
十分に与えていると自覚しています。

フランスの若いデザイナーで、
すこぶる優秀で医療ロボットや医療系抜群の子がいました。
私は、「あなたのこの素晴らしい提案はどこで見せてる?」
と、聞いたとき、
世界的にもデザインイベント最大のショーで、
と答えてくれました。
そこには、いわゆるスターデザイナーのデザインが、
デザインの核心を表現している!という大誤解があるのです。
「観衆は、興味を持ってくれる?」
「全く、全然駄目です」と。
私はすこぶる納得しました。
「食べていける?」、「全く、苦しい」。
私は断言して励まします。
大衆はついてきていないから・・・でも必ず、
「君の提案が最もデザインだよ!」と言います。
が、哀しくなります。
批判と非難を承知で書き残します。
カーデザインは
コスメティックデザインの象徴!
カーデザインを目指す学生に言います。
「車は空を飛ばないし、人を殺す」。
だから、アシモが生まれました。
航空工学や宇宙工学をやってほしい。
エコを越えるデザインのためのことや、
地球物理から生物工学をマスターしてほしい。
造船をやってほしい。
ロケットをやってほしい。
人工臓器の世界に入ってきてほしい。
もう家具や照明器具、カーデザイン程度を超えてほしい。
「それらはすでに、コスメティックデザイン」に、
成り果てているのです。
CGや3D-CAD以上のツールをデザイナーが、
すでに開発する時期が来ています。
デザイナーは、さらに「未来学」を先取りするべきです。


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『資本主義からの逃走』
 「*棒鞘の日本刀・日本の美学*」


   


     2月 17th, 2010  Posted 1:00 AM

棒鞘
1300年中期、南北朝の時代です。まさに、戦国時代。
後に始まる鉄砲、それが無い時代ゆえ、武器は日本刀のみ。
日本刀といっても、まだ、洗練される以前の形態。
北陸には京からドロップアウトしてきた刀匠がいました。
その中に、千代鶴国安(二人説もあり)がいました。
「越前打刃物」の祖です。
草刈り鎌の発案者と言われています。
さて、刀は作っても作っても戦国の世では消耗品でした。
刀より、それを納める鞘が間に合いません。
そして、生まれたのが、棒鞘でした。
生木を漆にドブ付けしただけのモノでした。
ところが、北陸で打たれて作られた刀は、
太く切れ味は抜群でした。折れなくて重量がありました。
だから、
棒鞘を下げている野武士はそれだけで威嚇できました。
まさに、棒鞘の刀は「切れ味」武器そのものでした。
この棒鞘の刀が後世残ったのは新撰組の近藤勇の刀です。
日本刀が洗練されていくには、二つの要素が必要でした。

● 機能性=性能性が素材の革新によって、高質軽量になる。
● そうした機能性が「象徴」化されて美的効能性となる。

日本刀

やがて、サムライにとって、刀が、
「武士の魂」と呼ばれる「美学性」に高められるのは、
言い換えると、
「イノベーションとシンボル化」です。
つまり、
モノの存在性が、「美学性」を獲得するには、
こうしたコンテクストが不可欠であり、
さらに、シンボル=象徴によって、
あらためて、モノと心=魂=いのちの核心が、
一体化しなければならないのです。
「かたち」という存在と「いのち」との結合が、
日本人の「美学」だと、私は考えます。


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1月25日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 25th, 2010  Posted 8:11 PM

1月25日 仏滅(乙亥)

デザインは、
大量生産と大量消費システムに乗って、
最大多数の最大幸福を、
かたちとして実現することが
目標の一つであった。

『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義

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1月22日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 22nd, 2010  Posted 9:00 AM

1月22日 先勝(壬申)

しかし、時として、いやしばしば、
私には市民の欲望に対抗して
暴力的なデザインで、
私のデザインした「かたち」によって、
禁欲と倫理を日常化することで
あなたが幸福になるのだと
主張したいことの方が多い。

『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義


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『資本主義からの逃走』  
*「かたち=デザイン、
   このことばでつないでいます」*


   


     12月 24th, 2009  Posted 10:00 AM

デザイナーになって以来、
かたち」こそ、私には「デザイン」です。
●「いのち」に「きもち」を、
●「きもち」を「いのち」に、



だから
かたち「に」きもちを
かたち「を」きもちに、



あるいは
かたちにいのち「を」
かたちをいのち「に」ということを、
まるでこの闇の中でつないでいる時もあります。
光の中でつないでいる時もあります。
しかし、私にはこの時々に、
生体的な病で押さえこまれる「しばらく」があります。
「しばらく」は、光と闇の時空間です。
やむなく、
私は時空間で「たたづんでいる」と判断します。

「化」という言葉があります。
「花」という言葉を支えています。



人と刃物=鳶口との関係です。
そしてもう一つは、「祈る」という「化」です。
かたち」が「花」のごとくというのが、
私の祈りと言うのは、ややはばかりますが、
やはり、
私は、「かたち」=デザインに生体で祈り続けて、
時々、「たたづむ」ことを余儀なくされるようです。
私は、先般、このことを強く認識できました。
そういう才能と実践に出逢うと、
まさに、「鏡」に自分が映るように自覚させられます。
これが、感動であり、感激です。
そうした才能と実践に感謝するばかりです。
「きもち」が確実に「かたち」、
その世界を浮かばせてくれるのです。


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