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『メルクリンの世界も私の憧れのコレクションだ!』


   


     11月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

鉄道模型には子ども頃から心惹かれていました。
しかし電車の運転手になろうなんてことは一度も思いませんでした。
鉄道模型が欲しくて、祖父なら買ってくれるだろうと思って、
祖父にねだったことがありました。
はっきりと言われました。「大きくなったら自分で買いなさい」と。
大人になってわかったのは、メルクリンはとても高額でした。
ところが、東芝に入社して、上司がメルクリンに凝っていました。
いつかは自分も買い求めて部屋中をジオラマにしたいと思ってます。
だから、それなりにメルクリンを収集してきましたが、
とてもジオラマを創り上げる時間はまだありません。
「ハッカー」というのは、今ではコンピューター用語ですが、
本当は、MITの鉄道模型クラブのジオラマを、こっそりと、
一夜にしてやり替えてしまう連中を呼んでいた言葉でした。
鉄道模型、ジオラマの世界観は、とても優れた高度な知的趣味です。
そして、これまでメルクリンに憧れて、私なりの基準の収集性は、
実は大きな変化がきていたのです。
それはアナログだったジオラマが、すっかりとデジタル化しました。
それこそ、メルクリンクラブがありましたが、もう無くなりました。
これまで鉄道模型なら、なんとしてもZゲージ!
そうした人が激減してきた気がします。
メルクリンショップも、本当に少なくなってしまいました。
だから、毎月メールでの案内に心が躍ります。
私は、オーディオの世界もメルクリンの世界もやはり、ここには、
明確なダンディズムがあると確信しています。
そして、かつてはアナログ世界ゆえに面白くてたまらなかったコトが
デジタル化によって失ったコトがなんだか多い気がしてなりません。
Zゲージの世界は、やはりとても高額であり、
この世界観を楽しむのには、おそらくビジネス世界でも、
相当に成功しなければ、この世界は手に入らないのかもしれません。
メルクリンの世界観は、やや「鉄ちゃん」ということとは、
大きな違いがあるのかもしれません。

「遠くへ行きたいからという本能」


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「遠くへ行きたいからという本能」


   


     2月 20th, 2012  Posted 12:16 AM

男の子は本能的に動き回りたい本能があると思います。
「運転手になりたい」とか、
あの自動車を運転してみたいとか、
これは男の子が少年になる前に必ず思い描く公約数的な夢です。
男は常に居場所を求めることがプログラムされているのです。
これは人間に限らず、動物的な野性と言っていいでしょう。
ともかく遠くへ遠くへ行きたい。
この精神・心理・野望の野性は秘められています。
おそらく心の心底・奈辺にあると思います。
それが、移動する機械に換喩されるのです。
自転車・自動車・船・飛行機という
トランスポーテーションマシンに必ず心惹かれます。
私は、その中の一つが機関車=鉄道にあるのではないだろうかと考えます。
しかも、鉄道には線路という道筋が決定されています。
移動することに規程があるというわけです。
社会的にはこの規程を管理し、あるいは自由に出来ること、
その換喩を実現できるモデルとして、
鉄道模型とジオラマがイメージに広がるのです。
私はこの野性的な遠くへ行きたい願望が
鉄道模型に集約していると自己判断しています。
素直に率直にあることを自認しながらも、
毎日どこかで押さえています。
だからこそ、より小さくて精密で精緻な鉄道模型が、
メルクリンのZゲージです。
6.5mm幅、220分の一、という縮約された世界こそ、
実際の鉄道がそれも歴史性をもって、
大きく、大きく象徴されていることを時折確かめることにしています。

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2月17日 staffblog


   


     2月 17th, 2012  Posted 8:05 PM

2月17日

本日訪問した企業にて、
Nゲージ(鉄道模型)のレイアウトを前に
説明を受ける
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

これはれっきとした営業ツールで、
取引のある鉄道会社の担当者ごとに、
走らせる車両をその会社の物に変えて、
こころをつかむことで、
商品の売り込みを円滑に進めるとのこと。

鉄道模型は
BOSSの趣味の一つでもあります。
担当者の方と、本日のプレゼン後の
しばしの歓談です。


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「来年の手帳は選びましたか?」


   


     12月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

iPhone、iPad以前、PalmTopの時代にも、
「手帳を持ち歩く」ことは辞めようとしてきました。
しかも学生時代・就職後も毎年毎年「手帳選び」には
悩んできました。
iPadで、すっかり手帳を辞めると決意しました。
しかし、どうしても手帳はなんとしても必要と判断しました。
私のスタッフ・学生も全員、iPadを使っていますが、
昨年、私から、自分がこの人からのメモという場合には、
絶対にノート、手帳、メモ形式、筆記具も含めて選び抜くこと。
このようなルールを作りました。
それは、手書きメモの重大さと文字を美しく書くという身体化を失う。
私自身、iPadでの手書き文字に美しさが無くなると判断したからです。
最近は、スタイラスの進化ですっかり「草書体」・「楷書体」まで、
iPadでは可能になりました。
この季節=歳末年末には、書店・文具店始め、websiteでも
様々な「手帳」が膨大に店頭やお知らせが満載です。
11月に入ると、私は二つの手帳を注文しました。英国製と日本製
これまで、日記帳・手帳はどうしても迷い抜いて、
「一つ」に決められませんでした。
これは不幸です。
「手帳で望みがなんでも適う」という類いの書籍もあります。
それはその人だけの自己修練、
男ならダンディズムが決定した人の特権。
私は、ようやくそろそろ人生引退の季節になって、
二つの手帳に出会いました。
いづれ、私の使っているモノを紹介したいと思っています。
しかし、これはやっと私がたどり着いただけに、
極めてプライベート、プライバシーのことかもしれません。
なにしろ、デザイナーとしてのSketch BookやMemoなど
膨大に悩み膨大に収集までしてしまっているというわけです。
筆記具、絵の道具、書道具からデジタルペンまで、
この収集は、ワイフから「また買ったの」と言われる始末です。
万年筆・硯と筆・和紙、そしてデジタルペンも、
語り尽くせない私の世界です。
オーディオ・鉄道模型から、デジタルペン、青い小物、
だから「手帳」もほとんど世界的な歴史や伝統性を
自分自身にも照らし合わせて考え。選び、使いこなして、
いや手帳に限っては「使いこなしてきた」とは言えないのです。
しかし、ここ数年、手帳は決定したモノを使ってきました。
2011年、わが国は多くの同胞を失い、国家が破壊しました。
なんとしても、来年に向かって、
この「国難」に対する自分自身のジャーナリズムツール、
それは「手帳」でしょう。
ジャーナリズムとは「日々の記録」です。
そして、「手帳」と「手帖」は日本の記録ツール、
明確な伝統性があります。
あらためて「手帳」、
来年の「手帳」への態度を決めたいものです。

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