9月 26th, 2015 Posted 12:00 AM
風景の原意は、暴風雨と彗星、日食月食だと調べたことがありました。
そこで、風神と雷神、風神雷神図ともなれば、
俵屋宗達が描き、その模写は尾形光琳に至り、さらに何人かが模写。
これは、今のコピーだ,インスパイアーされている、という程度ではなく、
明らかに「模写する」という日本美術の歴然たる手法であり
盗作では無いわけです。
風神雷神図に関しては、
特に、俵屋宗達の画面をはみ出さんばかりの構図に特色があります。
そしてこの模写で尾形光琳は風神と雷神を見つめ合わせています。
創始者・俵屋宗達の下界を見下ろしている意味性を光琳は変えています。
今、私は自宅玄関に「デジタルアッサンブラージュ」を実現し、
画面表示とLED照明との一致化を実験していますが、
この「デジタルアッサンブラージュ」にて、
風神雷神図をデジタル模写と風神と雷神の眼球運動で、
宗達画と光琳画の視点移動だけではなくて、
来宅者目線を移動できないものかと考えています。
風と雷はまさに気候による風景を象徴し、しかも風景を決定づける
この両シンボル視点移動の表現だと思っています。
玄関でのデジタルアッサンブラージュは実験ですが、
やがてはデジタルサイネージを超越する技術進化になるはずです。
すでに、冬にはこのアッサンブラージュ内で焚き火が燃えています。
丁度、大阪城や好きなお城や仏像もコンテンツになるでしょう。
今は自宅玄関で、WiFiとIR、そしてLED照明に過ぎませんが、
これらは、デジタルアッサンブラージュとして、
ホーム全体の空間、ホテル、ホスピタル、訪問看護領域に多大な影響、
それらのコンテンツデザインが必要になることは明らかですが、
そのためにも、俵屋宗達の雷神と風神の視点と、
尾形光琳の雷神風神の視点をも動かせるデジタルアッサンブラージュこそ、
私はこれからのオーディオ・ビジュアルを実現する、新素材での
全く新しい空間デザインになると考えています。
デジタルアッサンブラージュは風景を風神雷神図から受け継いできた
それこそ、風景を情景化するデジタル技術表現ではないかということで、
しかも、このパッシブなコントロールはセンサーで、
アクティブなコントロールはスマホアプリで、
可能になることだと考え、提案しておきます。
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6月 20th, 2013 Posted 12:00 AM
自分の頭蓋骨はレントゲン写真で見たことがあります。
しかし、まさにこれが自分の頭蓋骨は見たことがありません。
いずれそのレントゲン写真から創ってみたいと思っています。
なぜなら、私を私ならしめているのは頭蓋骨に包まれている、
私の脳味噌だと思うからです。
他人の頭蓋骨より、もっと感動するのはクモ膜です。
いわゆるクモ膜下出血というのがここで起こります。
このあたかも真綿のような皮膜というよりも、
とても美しい繊維質とも膜質とも言い難いものが柔らかく、
頭蓋骨を包んでいることこそ、
「人間」の物質性を超越したものだと思っています。
そして、人間の器量なり、能力なり、性格も、
実は、このクモ膜に包まれた頭蓋骨は、
絶対に生きているからこそ知りおくべきだと考えています。
それは、最近、「嘘だ」!と思うことが多いからです。
たとえば、どう考えてみても、
それはありえないと正当論を発言するのです。
装飾された頭蓋骨では、その装飾コンセプトが間違いです。
私は「過激」、批判をしておきます。
だから私は、「怖い人、付き合いづらい人」だと思われます。
しかし、誰かが言わないままだと、職能責務を曖昧にし、
生きがいとか働きがいすら忘れるように時間が流れてしまいます。
時間を失えば、それは空間、つまり社会に居る自分が不在です。
いや、「非在」なのかもしれません。
この小さな島国に「生」を受けて、なんらかの役割があるゆえに、
私は徹してみたいことがまだまだあるようです。
「きっと損をする」ことかも知れませんが、
発言は止めないでおこうと思うのです。
正直、「生きづらい日常」に身を委ねていますが、
「それ、嘘でしょ」って、断言をするつもりです。
たとえば、早寝早起きが必須? 嘘でしょ!
歩けば健康になる? 嘘でしょ!
自分を「治めること」、
それは自分が滅茶苦茶だから「治めます」。
きっと、「政治」=政って滅茶苦茶だから「治める」のです。
さらに、「治療」=病って滅茶苦茶だから「治める」と思います。
なお、3D-Printingでの頭蓋骨参照
http://www.etsy.com/shop/shhark
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11月 13th, 2012 Posted 12:00 AM
この本の出版を知った時、
私はとても困惑し、この哀しみと向き合えるだろうかと思いました。
そして、最初の書き出しから涙になりました。
10年という月日が過ぎたからということを
蓮池さんは淡々と記述していますが、
これは日本人全国民が読むべき必読本だと断言します。
ノンフィクションにあらず
レポートにあらず
ドキュメントにあらず
手記などという軽さなどありえず
私たちが、どう嘆き、どう同情し、どう憤慨しようが、
あまりにもアポリア過ぎる問題です。
このような生涯を強いられた人たちが現実に存在し、
そして、私たちが何もできないことをまず知ることが重大です。
日本は、自然災害問題・領土問題・沖縄問題から、
敗戦処理問題の全てを、拉致被害者に覆い被せているのです。
日米安全保障条約はあってしかるべきものかもしれませんが、
この問題解決には何も効力がありません。
だとするなら、政治判断・政治決着を超越してやるべきことは、
北朝鮮との対話や支援などしても、あの国は狂っています。
となれば、もはや政治決断が必要でしょう。
そういう意味では、
10年前、小泉首相はともかく蓮池さんやご家族を取り戻しました。
そのことこそ、国のリーダーの義務だったと思います。
私たちには「何もできません」。
それだけに、まず、蓮池さんのこの本を克明に読了することが必要です。
私は、「本」というメディアの力をあらためて再確認しました。
そして、これほど胸が締め付けられて泣きました。
私も交通被災で車椅子になるという人生を余儀なくされましたが、
それに比べたら、
拉致された方々、そのご家族の想いは想像を絶しています。
未だに、特例法案が決まらず、大学には交付金は来ていません。
地方交付金も届かない現政権を、
「政権交代」と歓喜したポピュリズムに二度と巻き込まれてはなりません。
現在、最大の政治課題は「拉致問題」の解決であり、
この解決が成されなければ、
私たちは同胞を見殺しているということを再認識すべきです。
この本は失礼な言い方になるかもしれませんが、
宗教書であり哲学書であり、
そして、何よりも政治学の教科書であり、
私の感情は押しつぶされています。
蓮池さんがここまで書いていただいたことに深く敬意と感謝をし、
そして、「祈る」ことしかできないことを謝ります。
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7月 18th, 2012 Posted 12:00 AM
祖国への憂国はずーっと心にありました。
特に、海外に出ると比較することができます。
良いところ、ダメなところ、必ず心に残ります。
それでも日本は素晴らしい祖国、
それなのに憂いは拭い去ることができませんでした。
当然です。
人は、生きていることが死に向かっている不安を、
そのまま祖国への愛着と重ね合わせることができる、
そんな知性と感性を人は持っているからでしょう。
友人・松岡正剛氏は「連塾」最後に25冊の書籍を紹介してくれました。
その中に、エドマンド・バーク「崇高と美の観念の起源」がありました。
本棚にありました。読んだ記憶はありましたが再読しました。
彼の近著「3.11を読む」をテキストに、
私は、この三冊を憂国のパロール、
いやナラティブ・セラピーとして選んでいます。
松岡正剛は、ポール・ヴィリリオ「情報化爆弾」を紹介しています。
私は「民衆防衛とエコロジー闘争」を挙げたいと思っています。
そして、ウルリヒ・ベックの「危険社会」と「世界リスク社会論」を
まずテキストにしておくべきと考えます。
「憂国」はすでに「対立」も「衝突」も
超越した思想の創出でなければなりません。
その思想らしきことに近接するデザインを
祖国=日本のためにと考えています。
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5月 18th, 2010 Posted 4:33 PM
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