kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘象形文字’


「田の象形から、思考の思」


   


     6月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

漢字「田」は、頭蓋骨の象形文字でした。
そして、とても大事なことは、3歳までには、
この頭蓋骨には「泉門」と呼ばれている穴が空いています。
この穴は、3歳で閉じられます。
いわゆる「三つ子の魂」と呼ばれるように、
3歳までに、たとえば理系とか文系が決まるように、
頭蓋骨の中の脳味噌には、この穴から吹き込まれる何かが、
影響しているとさえ言われてきています。
しかも、この「泉門」というのはラテン語でも同様に、
「泉」でありその出入り口として「門」と言われているそうです。
したがって、この「田」は決して田畑という文字ではありません。
だから、脳味噌が心で反応していることが、「思う」こと。
もうひとつの「想う」は、
相手に対して、すなわち、対象物に心の動きを表しているのです。
私は、「思考」の「思」を「田」と「心」、
それらの象形文字でこれまで大学でも説明をしてきました。
「思考」とは?
あるいは、「何が思考に」ということも、
詳細に検討することが、デザイン思考の基本だと想っています。
特に、女性が赤ちゃんを持ったなら、
「三つ子の魂百まで」というように、
この泉門についての重大性を語ってきました。
おそらく、私も母の胎内から3歳までの間に、
何かが影響したのかもしれません。
たとえば、米国では、死亡した乳幼児の頭蓋骨を丹念に調査し、
泉門・頭蓋骨・脳検査によって、
ロボット思考の基準すら調べられているということを、
著名な日本のロボット学者から聞いたことがあります。
叶うなら、胎児から3歳までの泉門の解剖学的な所見が必要です。
「思う」ことは、
実は、人間は生まれながらにして、
心と脳での直感的なことが大きく寄与しているのかもしれません。


目次を見る

「ハングル=表音文字・その根幹にある意味性」


   


     7月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

パソコンが登場したとき、
韓国語・ハングルが世界で最も有効な文字体系と言われました。
私は、「ことば」と「かたち」の相対論的な思考を
一つのデザイン手法にしています。
日本語・かな文字:漢字=表意文字→象形文字については、
かなり辞書的に覚えてしまっています。
アルファベットも本来の原典であるヒエログラフ、
26文字はすっかり記憶しています。
アルファベットは表音文字という認識がありますが、
本来は象形文字と考えるべきです。
まさか、ハングルにまで及ぶとは思ってもいませんでしたが、
スタッフに韓国の子がいて、徹底的に調べ直しました。
そこで、このような図解から
ハングル文字を「形態論」として組み立てる可能性がありそうです。
五行思想はそのままハングル文字要素に適用出来ると考えています。
無論、韓流ブームは私にも届いていますから、
「少女時代」か、「KARA」か、という論争は学生と大議論にもなります。
私?
そりゃ「少女時代」でしょう。
ということも含めて、
やはり隣国ですから、
韓国語はマスターしなければ行けないのかも知れません。
そういえば、昨年、一年でフランス語会話マスターを
学生たちに宣言しましたが、細々と続けている次第です。
だから、宣言はしませんが、
韓国本国よりもハングルがどう構成されて、
表意性が相当にあるかは、
絶対にマスターしておきたいと思っています。


目次を見る

「ヒエログリフにも障がい者は描かれている」


   


     6月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

車椅子生活、障がい者になって以来、
私は徹底的に歴史的、絵画的、文学的など、
その領域に登場する障がい者を
趣味のごとく収集してきました。
このヒエログリフは、
元来はヒエログリフ文字という象形文字から、
アルファベットの形態を探っているときに発見しました。
女性は、確実にヒエログリフでの説明があり、
現代医学的には筋ジストロフィーではという予想があり、
もう一つは確実にその時代にも、
小児麻痺があったことを示しています。
最近では、クロマニヨン人の時代に、
障がい者を家族が看ていたという推測もあります。
この推測の系譜を私はまだ追いかけています。
要は、人間の心情に備わっている「同情」と言う心理、
心理学的には他愛主義に結びついているでしょう。
しかし、自己主義の極点は、非情です。
この非情性に宿るのが「差別感」が入り込むのです。
結局は、人間の心理の異常性を自己認識することです。
この自己認識ができるかどうかは、
自分自身の無知性が引き込んでくるものと思います。
私は多分、車椅子にならなかったら、
ヒエログリフ世界に入り込むことは無かったでしょう。
ヒエログリフを知ることは、
無知性から開放される大きな手がかりでした。
無知性への直接的対決は、
「知識」の獲得であることは間違いありません。


目次を見る

「松岡正剛『ち』の根源=漢意による決定」


   


     5月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

松岡正剛は「連塾」のみならず、
ことばの定めとして「漢字原意」をよく語ります。
私も常に追い求めてきたのは「漢字の系譜」でした。
小学校時代に、藤堂明保博士の講演を聞きました。
しかも、藤堂博士は何度も福井にみえていたようです。
私は転校した小学校でも、また、講演を聞いたのです。
そして、父からも書における、
たとえば「月」という漢字の書形には、
形(天体)と容(身体)があることを教えられました。
書家であってもこうした表現への無知が増えてます。
私は40代になって、ようやくなぜ、
藤堂博士が福井での講演をし回っていたのだろうか、
その理由を推測できるようになりました。
漢字の解釈、甲骨文字から説文解字や金文体解釈などにおいて、
藤堂明保と白川静は正面衝突する解釈論議の真っ最中だったのです。
二人の対決は学者域を超えるほど凄まじいものであったことを知りました。
そこで、藤堂明保は白川静の出身地・福井で、
小学生に向けてまで彼の自説をアジテーションしていたのでしょう。
私は当然、ふるさと福井の偉人である白川静をこよなく敬愛し、
彼の著作はほとんど読破し収集していると思います。
そして、中国の象形文字解釈にまで自説を展開した白川静説こそ、
「漢字の原意」だと盲信してやみません。
松岡正剛氏も、結論として「漢意・古意」として、
その基盤を白川静説を確信しています。
そして、白川静についての著作、
漢字解釈の入門「白川静」決定論を書き上げてしまいました。
松岡正剛氏と「白川論議」は、
幕末論に至り、特に「橋下左内」にまで及びます。
なぜなら、白川静氏は「橋本左内」についても、
相当な研究者であり、橋本書簡の収集もされていたということです。
さて、今や中国語の漢字は省略形になってしまい、
「漢字」に込められた思想の根源を完全喪失しています。
私自身はそう思わざるをえません。
象形文字に込めらた思潮の根源は、
すべからく「白川静説」をもってこそ、
これは「東洋の思想・哲学」の根本を決定していると断言します。


目次を見る

3月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 25th, 2011  Posted 7:41 PM

3月25日 仏滅(己卯)

象形文字は、
シンボル化された継承に原意があり、
そこから新たな解釈や意味の文脈が
ひろがってくる。
その想像力の整合性が美しいとすら思う。

『デザインは言語道断』際限


目次を見る

3月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 17th, 2011  Posted 9:50 PM

3月17日 友引(辛未)

「言」という漢字は、
象形文字として、
本来、口に刃物を入れて
はっきりと発音するという
原意を持っている。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


目次を見る

2月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 19th, 2011  Posted 10:00 AM

2月19日 大安(乙巳)

確かに刃物は武器である。
「武」とは、
刃物を使わないことを意味する
象形文字であることを
知らなければならない。

「刃」を示す「かのほこ」を
止める形態を持っている。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


目次を見る

『資本主義からの逃走』
      「もう一度、漢字と『書』へ」


   


     11月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

甲骨文の象形文字
私の思考には二つの文字・記号があります。
一つは漢字です。もう一つは記号です。
デザイナーですから、designare=de+sign=do+signです。
そのまま私の思考の源には漢字があり、それは甲骨文の象形文字から始まります。
私は日本人ですから、文字=漢字が大好きです。
漢字とともに思考も文字的思考に覆われてきたと理解しています。
甲骨文に表れる文字=漢字は殷代の記号です。漢字は記号だと思います。
それが金文になってくると、明確に漢字の形態が装飾化していきます。
図象文字は「書かれる造形的な審美性」になり、「美しい文字」が求められます。
『書』
幸いにして、私は子供の頃から硯と筆と紙は大好きだったようですから、
今なお、「書」は大好きです。
私は「書道」という感覚で「書」と向き合っているわけではありません。
「書道」というのは、やや息苦しさが正直残っています。
和紙と書体
さらに幸運なこと、それは、ふるさと・福井県には越前和紙産地があります。
日本の和紙は、この地から1500年前に広がったと言われています。
したがって、和紙についても私は現場で30代後半には「紙漉」を経験しました。
これは最高に幸運だったと思います。楮・三椏・雁皮の区別は触って舐めればほとんどわかります。
残念なことに、和紙は和風紙になってしまっているのは残念ですが、大きな理由もあります。
どうしても和紙は紙粉があって印刷には不向きなことでしょう。
話が和紙に言及してしまいましたが、
私は、メールの時代にあっても手紙を書くなら、和紙に筆をとります。
日本人であることの幸運さとしかもデザイナーである幸運さがあります。
地域主義の象徴は美しい文字
デザイナーとしては「スクリプト体」というトレーニングを受けました。
それは「カリグラフィ」が書けるテクニックも身体化できたことです。
「カリグラフィ」というのは美しい文字を書くという意味ですから、
「書道」と同等かもしれません。
私は、「書」・「書体」の歴史には、文化の基本としての地域主義が息づいてきたと考えています。
私はあらためて、「書」は、世界各地にあるそれぞれの国家文化の基本、
それこそ「美しい文字」を見詰め直す時期が来ていると判断しています。
それは、グローバリズムを支えるローカリズムの基盤としての文字であり、
「書」と呼ばれる「文字を美しくする」営為を再考することです。
この再考こそ、地域主義からグローバリゼーションへの手法の一つだと評価しています。


目次を見る

10月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 4th, 2010  Posted 12:17 PM

10月4日 仏滅(丁亥)

私は、漢字の由来が大好きである。
特に、象形文字は、
シンボル化された形象に原意があり、
そこからあらたな解釈や意味の文脈が
広がってくる。

その想像力の整合性が美しいとすら思う。

『デザインは言語道断』学際


目次を見る

『資本主義からの逃走』
「製品要素としての新素材開発で性能性を高度化する」


   


     3月 1st, 2010  Posted 10:00 AM

新素材開発
「新素材開発」、これはデザイナーにとって、
いや、私にとっては最も興奮するテーマです。
ところが、デザイナーが「素材開発」に参画するため、
素材への科学的、特に化学的な知識へ近づくことは、
ほとんど不可能だと言ってもいいでしょう。
したがって、それこそ無知識なままに、
頼るのは、こんな素材だったら、こんな形態や、性能で、
どれほどのことが可能になるかを感覚、野生、野性という
ほとんど直感を働かせるだけです。
原始的には、軽い・薄い・頑丈とかから始めます。
やがてどの程度という度・量・衡の世界観を提示します。
そして、それを実現してくれるエンジニアに出会うと、
もうそれは神様です。
神様が与えてくれた贈り物です。
M
MaterialはMotherやMedicineやMusicなどと
共通の「M」という文字を持っています。
母や海=生むや振動を表すヒエログラフ=象形文字です。
だから素材=Materialからのデザイン発想は重要です。
素材は製品要素として「性能性」そのものの母体です。
私のデザイン手続きには、常に、第一段階が素材開発、
無理なら、素材選択と素材選別が最重要課題です。
ところが、これまでのようには新素材、
とりわけ、化学的な合成で産まれた素材は、
「常に懸念はないか?」という問題意識が不可欠です。
環境ホルモンの問題、
エコロジーの問題、
リサイクル性の有無や
廃棄後の安全性と安心性をどこまでも想像力で、
「おもいやる」必要性があります。
佇んで考え込みながらも、やはり、新素材の開発は、
デザイナーにとって、わくわくするテーマです。
2000層のフィルムで、現状素材の様々なテクスチャを再現、
しかも、静電タッチから荷重センサー、圧電素子、
さらに、化学的にはまだまだ困難なボロンまでが、
今、私の野生を突き動かしています。


目次を見る