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Posts Tagged ‘経営者’


「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」


   


     8月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

戦後のデザイン教育は私の恩師・平野拓夫先生から始まりました。
私の役割は「平野メソッド」を後世に伝えることです。
デザイン系大学で教授になっている後輩たちも、
この訓練は厳しく先生からOKが出るまで受けています。
「カーペンターペンシルで欧文書体を書き順で描く」方法です。
私は、自分の手が鈍ってきたらその一つの手法に戻ります。
欧文書体の書き順は、アルファベットの構造を熟知します。
かつて欧州で「君は書き順を知っているから信用できる」とまで、
私は言われて、社名ロゴタイプのデザインを信頼されました。
阪大では、カーペンターペンシルで書体構造を教えました。
なぜなら、ディレクターになる技法知識だと考えたからです。
そこで、現代企業の社名ロゴタイプを見ると、
余りにも醜いモノを数多く発見します。
まず、デザイナーにその基本が欠落し、
経営者の歴史性認識力や知識不足を確認するわけです。
したがって、たとえ大企業のロゴタイプを見るだけで、
この企業の存続寿命は歴然と分かってしまいます。
「この企業は必ず潰れる」と思うと、結果そうなるのです。
大学人を辞めたら、そうした企業名を書き残すつもりです。
だから、今も、「あぁ!、この企業は駄目になる・・・」。
それは欧文書体で、すっきりと理解することができます。
一般的には、ヘルベチカとかオプティマが基礎でした。
特に、おそらく全世界は、標識から看板までヘルベチカでした。
ところが最近、「置き土産だったのか!」という書体があります。
レタリングからカリグラフィー=文字を美しく表現する、
この技法で自分の美学を形成した一人の男がいました。
しかも、この美学性がデジタル表現と結びついています。
だからこそ、デザイナーは今一度、レタリング、ロゴタイプ、
これらを再検証するべきだと私は提案しておきます。
そういう意味でも、私は「戦後のデザイン専門教育」を、
しっかりと残したいと考えています。
それは、「手の訓練」と「発想」が、
美学性を獲得する職能デザイナーの根本だからです。
デザイン教育でこの根幹が失われないことを歴史に残すためです。


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「正しい進化は、わが国が主導する!」


   


     7月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

本日、阪大で「3D-PRINTING」の講演会をします。
私は阪大出身の若手エンジニアリングデザイナーから依頼。
阪大出身者であり、「次世代を開花する」職能は応援します。
そして、ほとんど大疑問だった「3D-PRINTING」ですから、
光造形・ラピッドプロトタイピングから3Dを始めた私には、
「MAKERS」を読んだときに実務経験無しを全否定してました。
案の上、米国での大統領の表明から大流行には真偽不確でした。
そのまま日本もこのブームにこそ、
いわゆるベンチャー企業はこれだという風潮が起こりました。
家庭用・業務用・工業用・研究用が全てを包含したブームゆえ、
とうとう、わが国の大企業が「金型まで可能ゆえ云々」とは、
これは日本の知性の浅薄さを露呈してしまうと直感しました。
まず、ベンチャーと言って進歩した企業は限定されています。
しかも、国内の大企業、その経営者にデザイン理念がありません。
だからこそ、ベンチャーに期待をかけますから、
「誤解が蓄積」すればするほど、
いわゆる「3D-PRINTINGのイノベーション」情報は錯乱します。
そこで、阪大では3人の教授たちは「教示の姿勢」で、
このイベントを引き受けた次第です。
まず、断っておきます。
私が大学人になって掲げてきた三つの革命は当たっています。
         ●光重合革命
         ●遺伝子革命
         ●電磁波革命
この全てが「3D-PRINTING」に適合しています。
だから、「3D-PRINTING」の時代は必ず来るでしょう。
だからといって、
3D-PRINTERはインクジェット方式だけではありません。
大事なことは私が光造形システムで試行してきたことの欠落です。
それは、「何を進化させるか」です。
あたかも、これまでの進化ではなくて突然変異を起こすことです。
本日、私は専門家チームも来阪してもらいました。
「3D-PRINTING」の技術とデザインは阪大が中核になります。


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「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」


   


     1月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

ここ数年、私が注目している日本人アーティストは、
海外、欧米を活動拠点にしていることが実に多くなっています。
これは、一方では、日本人アーティストのグローバリズムであり、
もう一方では、
日本で現代美術の制作を認知する文化、
芸術批評評価土壌が無毛地帯化していると思わざるをえません。
残念なことです。
写真をベースにした杉本博司を知ったのは、
金沢21世紀美術館にて、
私の個展後、親友・サイトウマコト展になり、その後、杉本博司展。
サイトウマコト氏は、本当に才能ある人間については語ります。
だからまず私はサイトウマコトから一杯彼の話を聞きました。
気づいたら、私が認めていた「白熊とアザラシ」の写真、
白熊もアザラシも剥製である写真の作家でした。
写真の写実主義を逆手にとったロケハンスケッチの写真化は、
私が講演でも使ってました。
いわゆる現代アーティストの眼差し、
その視野に何を芸術理念としているのかは、
私がデザイナーである立場とは相反を成すものだと考えています。
それだけに、現代アーティストを見つけ出すことは、
自分の感性をテストする重要な転機づくりになります。
そして、私が敬愛してやまないアーティストは、
科学者よりもいち早く世界の問題に対して前衛です。
だからアーティストだと言えるのです。
ただし、
この前衛たるアーティストは世界でも10指の人程度でしょう。
今、地球は悲鳴を上げていますが、その声を聞き、
アポリアを乗り越える実験アートは科学を超えています。
現在科学以前に、
原始的な人間界から引き出して見せることができるというものです。
彼がオーストリアの廃墟となった発電所にインスタレーションされた電気。
その初源はアボリニ人の民族的な民話と神話の世界にも
雷神(ブノワ)と風神がいたらしいのです。
まさに雷神とは電気の神であることは、わが日本も同様です。
彼のオーストラリアでインスタレーションされた
「ファラデー・ケージ」には、
どのような再生エネルギーを科学的に生み出そうとする知見は
決して及ばないでしょう。
アーティストやデザイナーの直感=DIVINATIONは、
決してエンジニアやサイエンティストには降りてこないことは確かです。
まして、経営者や政治家などにはこうした発想は決して起こりません。


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「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」


   


     12月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

大阪大学大学院での大学人として、デザイナーとして、
最終的な結論に至ったことは、
「商品デザイン」・「コミュニケーションデザイン」、
あるいは、モノのデザイン・コトのデザインはすでに、
「記号論・意味論としてのデザイン」に決着しました。
来春3月に阪大を退官するにあたって、
一つの焦点を決定づけておきたいと考えています。
学生たちには、
「デザイン」と聞けば、
手法・実務・問題解決・美学的存在性の具現・問題提起と方向決定が
身体化してくれればと願って講義をしてきました。
それは、現在の日本の経営者やリーダーには、
特に日本の美学・能狂言から伝統工芸、
さらには宗教哲学や思想への統合的な見方など、
そうしたことが欠落しているから、
日本人のリーダーたちが考える
グローバリズムすらゆがんでいると判断しているからです。
特に、アジア近辺からの留学生には、
第二次世界大戦後の自分の国と日本の関係を
自学してほしいと訴求してきました。
そこには、あの世界大戦時に日本は必ずしも、
帝国主義に徹していたわけではなく、
日本の武士道やその美学性を発露していたことも講義では語ってきました。
最も、その講義は最近では
日本人学生は居眠りしがちだったことも告白しておきます。
今年は、特に、
「記号論」を先端的統合的な学際化としてのデザイン解説にしてきました。
その論理化には、二つの方法がありました。

 ・最大公約数的思考 The greatest common divisor theory
 ・最小公倍数的思考 The least common multiple theory

この思考方法を積み重ねて、結果と効果、
すなわち、それが意図ある造形のかたちと
意味される造形としてのかたちに「成っている」という論理でした。
私は、この考え方が、
現代どこにたどり着いたのかということを見直してみると、
それは、論理演算として
コンピューターに繋がってきたものと断言することができます。
ある概念集合の様々な要素や要因から、
その素数的な共通項を積み重ねると、
この画像の α・β・γ・ζ が最大公約数的な構造になります。
そして、その集合体の残存して集合が ζ という
最小公倍数的な構造になっているということです。
したがって、その ζ にこそ、
「記号論・意味論としてのデザイン」結果・効果が、
デザイン造形の「かたち」であり、
「かたち」に結実しているデザインだったということです。


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「負けて当然・企業のロゴタイプだけでは勝てない」


   


     11月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

日本の家電メーカーが国際戦略に負けるのは当然です。
経営者たちには、まったくデザインセンスが大欠落しています。
黙秘しようと思っていましたが、
教え子たちがこうしたメーカーで苦しんでいるのをみると
経営者たちに告げざるをえません。
経営者は「自社ブロンドのCI」を「戦略として凝視」したでしょうか?
私もある企業で、強く強くうるさくこのことを具申しました。
結果、「うるさいヤツはいらない」、ということになりました。
日本のこの企業はすべてロゴタイプと、センス無きコピー。
企業イメージに「マーク」が大欠落しているのです。
勝てる訳がありません。
このロゴタイプたちをじっくりと見つめて下さい。
ロゴタイプにすら、
「夢」も「希望」も「期待」も浮かんでくるわけがありません。
これらすべてのメーカーのインハウスデザイナーは、
気づいているでしょうが、
企業マークを創ろう、なんて発言する環境も権限も無いのです。
外部から、真剣に企画提案しても「たかがデザイナー扱い」です。
このような経営者が日本経済を引導できるわけがありません。
業績発表の数字をこのロゴタイプの下にレイアウトしてごらんなさい。
如何に海外メーカーが「マーク+ロゴタイプ」だけで、
企業イメージを見事に商品展開していることに気づいて下さい。
「マーク+ロゴタイプ」をバカにしてはいけません。
「マーク+ロゴタイプが経常利益」を生み出しているのです。
経常利益の本質的な利益構造に「マーク」がある、
そんなことは経営学の教科書にも全く理論化されていません。
知っているのは、デザインやアートの価値を知っている経営者だけですが、
日本では絶滅種になったのでしょうか。
40余年も日本のモノづくり現場と流通、
国内外との利益構造とデザインを見つめてきた私は断言できます。
ロゴタイプをマーク化するには相当のデザインセンスが必要ですが、
そこに投資する経営者はいるのでしょうか。
眺めてみて下さい。
なんと企業ロゴに付け足してあるコピーの未来無き展望は無念の限りです。
インハウスデザイナーよ、
センス無き大企業に将来はやってこないでしょう。
家電商品アイテムから、TVもスマホも台所機器も、もう捨てるべきです。
日本の技術がやるべき「商品アイテム」を緊急に発明すべきです。


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「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


   


     8月 12th, 2012  Posted 12:12 AM

人形の収集には「ダンディズムがある」。
これは私のオーディオ恩師であるS先生から教わりました。
しかし、私にはどうも「人形」までという興味は
なかなか自分に持ち込めませんでした。
しかし、ワイフにはそれがあったようで、
今回は彼女のコレクションを借りて紹介してみようと思います。
感心するのは、
この趣味は必ずコレクション価値が
投資効果につながっていてオークション価値が高くビックリします。
さて、このコレクションは、VISIONAIREに登場したシリーズです。
VISIONAIRE TOYS、44と45すべてです。
最近は地震対策もあって、
室内に展示し配置していませんから、久々に取り出してみました。
すべてが有名ブランドを象徴しています。
一目瞭然のモノもありますが、
ブランドイメージを彷彿させるだけのモノもあります。
すなわち、「ブランド・イメージ」を
決定的な人形アイコンに装飾するだけで認知可能を考えてみるべきです。
私は、日本のあらゆる業種の企業には「ブランド・イメージ」こそ、
企業存在が「社会的認知」を国際的に確立することが出来る。
そして、この「ブランド・イメージ」だけが、
実は「決定的なビジネスモデル」であるということが分かっていません。
残念ながら、そこまで、この資本主義経済の根底を理解している経営者は
日本では皆無になりました。
かつては何名かが存在していました。
いづれ、ブランドイメージに対して、
どれほど無知な「これほどの経営者」を書き残すべきと考えています。
この12体の人形の表面でも、
すでに「認知」されている「商品への信頼性」こそ、企業美学です。
企業美学無き企業は、
断言すれば、世界を汚し、世界の夢を破壊しているのです。
私の喧嘩師としての「闘争」を再確認するには、
ワイフの収集している人形を見るだけで信念になります。
まさしく、「人形という形態の表皮装飾」でも、
企業、そのブランドの社会的な存在性・効用性は
きわめて明確だということを主張しておきます。


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「手習いまだまだ諦めずに・・・」


   


     5月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

私は美大ゆえに4年間、フランス語受講で単位は取得。
40年ぶりの同窓会でフランス語受講していた同期生に、
「4年やり通したよな」と言ったら、
「エッ、貴男のこと記憶に無いわ」と
一笑にふされてしまいました。
きっと、教室では存在感全く無かったのでしょう。
彼女は卒業と同時にヨーロッパに行ってしまいました。
最近、帰国したとのことでした。
60還暦から考え抜いていたのが、「60の手習い」でした。
ある経営者は60から中国語をすぐにマスター、
最も彼は、英語もドイツ語も堪能でしたので、
とても敬服していたことを思い出し、
62歳、昨年からフランス語やり直しを始めました。
そこで当然、私は「かたち」=モノから入ります。
ラジオを出張用も含めて買い直しました。
そうしたら、ラジオの進化にびっくりしました。
今ではパソコンにも連動するなど、
性能は格段にラジオでは無いのです。
これも精微な出来映えですが、あまり知られていません。
というわけで、
今年に入ってからもまだやり続けてやろうと企んでいます。
英語も未だまともで無いのに自分でも「なぜ?」なんです。
ただ、学生には言ってきました。
私の世代は英語だけでなんとかだったが、
君たちの世代はもう3カ国語ぐらいは絶対に必要だと、
教師として教条主義を発揮しています。
ベトナムからの留学性には、
日本語以上に多言語をやりなさいと伝えています。
おそらく私はリタイアしても
フランス語で読書程度はと思います。
今、イヴ・サンローランの原書は絶対読破と思っています。
4年もフランス語をやっていたのに、
最初にパリに行ってまったく駄目だというトラウマでした。
さてあらためてここで暴露することで、
自分に喧嘩を売っているのです。
それにしても、今は外国語習得の情報環境は整っています。
フランスの友人にも、
エコール・デ・ボザール(フランス芸術大学)での
ワークショップなら必ず・・・なんて
大言壮語してしまっていますシ〜ィ・・・。

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「キャナルシティ博多での二つのショップ、二人の経営トップ」


   


     3月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

「マクドナルド」と「フランフラン」、二つのショップ。
キャナルシティ博多でも活況を呈しているショップであり、
「今現代」を企業存在・企業活性・企業展開、
この三つを最も体現している超優良企業です。
私自身、街中で散策するということはほとんどありません。
出張先でのショッピングも時間的にはむずかしいのですが、
キャナルシティ博多では、
なんだかワクワクしながらいくつかのお店を見て回り、
ワイフのショッピングに付き合って楽しむことができました。
特に、この二つの店舗とその経営母体については、
両方とも経営者とは知人でしたから、
ことのほか、現実の店舗を実体感できたことは面白かったのです。
マクドナルドの時代共時性ある商品開発での躍進ぶり、
またフランフランの徹底的な豊富な商品アイテムでのブランド展開ぶりは、
TVの経営番組でも必ず紹介されていますが、
自分で店に入り、実体験してみればすべからく納得してしまいます。
この二つの企業、そして経営者は、もう30年ほど前に出会っているだけに、
二人ともスゴイと絶賛評価です。 
マクドナルドのH氏とは、
Apple時代は、営業本部長で本社副社長だったと思います。
その時代にも彼の決心スピード=意思決定度や詳細な行動力には、
何度も何度も感服していました。
だから、現在、彼がリーダーであり、
すべてが成功していることには納得可能です。
彼がアップルからマクドナルド社に変わった直後に、
彼と会って話をしましたがいくつも教えられることがありました。
フランフランのT氏は、なんと同郷です。
しかも彼は福井のある家具製造企業で東京営業所長時代に、
私もこのメーカーで
デザインと企業戦略やスタッフ教育に関わっていました。
当時の彼への印象は、ハンサム無口でしたが、
肝心肝要な発言ぶりで、将来はこの企業を率いると思っていたところ、
起業し現在ではこの領域業界でもリーダーです。
フランフランを知った時、彼が社長だと聞いて驚きましたが、
「なるほど」と一辺に納得しました。
二人に共通していることは、
「デザイン」にとても精通した経営者であること、
「時代把握感覚の鋭敏さ」です。
そして、「デザイン」と「時代感覚」は現在を知り尽くしているからこそ、
「明日を創る」という能力は天分であり、
無論、努力ということがあったとすれば、
彼ら自身の意見を実行していく中では、
様々な障害が他からストレスとなっていたことだと推測します。
しかし、結局は、こうしたストレスは自分自身に突き返し、
自分を常に今日より明日のために「自分自身への修練」、
まさしく精進の成果を連続させるエネルギーだったのだと断言できます。
本当に今は、こうした人物が激減していると私は思っています。
私は、こうした人物たちとも
人生のある時期に懸命になれたことは幸運だったと思っています。

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「想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず」


   


     1月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

1994年にギャラリー・間で個展をすることができました。
「プラトンのオルゴール」という個展をしました。
その個展の作品・インスタレーションは、
2006年に金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。
その個展で一つの作品を提示展示しました。
「東京ラリア」という名のラジオです。
これは災害用を意図して、電源無し・振って発電し、
NHKだけが聞こえるラジオ=受信機能と
発信には笛をつけました。
その笛の吹き方は、表面に触覚マークがついています。
「・・・ーーー・・・」というだけのものですが、
これはモールス信号のS・O・Sを表しています。
フッ・フッ・フッ・フー・フー・フー・フッ・フッ・フッで
SOSになります。
これを個展と同時に草月会館での講演でも見せました。
そうしたところ、東京消防庁と東京都から具体化の話になりました。
しかし、様々な経緯で可能にはなりませんでした。
そして翌年1995年に阪神・淡路大震災が起こりました。
(来るべきことが起こった!)
私の想像力と直感が当たった気がしましたが、
咄嗟にこの「東京ラリア」が出来なかったことを悔やみました。
こうした体験を何度してきたでしょう。
新潟県中越地震前に「佳設住宅プロジェクト」を
ある住宅メーカーと進めていましたがトップが倒れてストップ。
この「夢」も本当に間に合いませんでした。
中越地震直前にあった出来事も書き残したいと思っています。
この時は、日本の原子力技術学会・大学人と大喧嘩しました。
これは、本当に今回の原発事故での原子力専門学者、
特に御用学者の態度をすでに私は体験していました。
いづれも、デザイナーという職能の悲しさです。
デザイナーはデザイナーでしかなく、
具現化する投資やその具体化推進の経営者がいないのです。
だから、私自身の経済的な投資力を持たなければなりません。
製品開発のアイディアは「夢」となる想像力と直感ですが、
これは「夢」というより必然的などうしても実現を急務とする義務です。
残念ながらその力量が私に無いことが悔しくてたまりません。
先般、Facebookでこのラジオのブログを紹介したら、
覚えておられた方、やがて私の連載の編集者さんが
詳細に説明を投稿していただきました。
そこであらためて、ブログアップしておくことにしました。
まもなく、私は昨年の3.11から取り組んできた「夢」というより、
デザイナーの義務としての「復興計画」の企画提案をします。
万一、これが受け入れられなければ、
それは私に「説得力」というデザイナーとしての基本能力不足だと判定し、
残された時間の使い方を再熟考し直す覚悟でいます。
たとえ、想像力と直感でデザイン対象を見いだしたなら、
それはそれなりに「社会化」することが、
デザイン職能の義務だと考えます。
これは私自身の存在証明ですから、それが無くなったなら、
私の存在価値は自分で決定する必要があるでしょう。
「東京ラリア」の基本的な動機とその考え方は、
iPhoneアプリ「HELP CALL」に連続させていることを追記しておきます。

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「講演会でも感じ取ってしまう近頃!」


   


     11月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

先日の市長選、そのTVドキュメントを見て、
最もビックリしたのは、元府知事がトイレ使用を
ある場所で拒絶されていたシーンでした。
「独裁者に!、トイレなど貸せるか!!!」、
この横暴な選挙民になり果てた一部の大阪人は情けない存在です。
今回の選挙戦での幼稚な闘争を見ると、
本当に潔い日本人が居なくなったようです。
同様なことを最近、講演会や講習会で感じます。
特に「サラリーマン」しかも大企業の社員たちです。
比べて地方や中小企業、
さらに海外の中国や韓国には礼節と熱心さがあります。
遠慮無く質問は多様にわたり、時には講演時間以上になります。
大企業の社員に限って、
日常的な学習と自己修練が欠落し始めているのか「質問無し」。
最も大企業の経営者能力が日本人らしさを失っているから、
社員に日本人の無礼節さが伝染しているのでしょう。
地方や中小企業では、講演が終われば「質問攻め」です。
大企業の社員は、仲間内の手前もあってか照れ故か「質問無し」です。
もっともそれは私の講演内容に問題があったものと自己反省します。
が、少なからず2画面で16:9、PinPスタイルなど、万全を期しますから、
「質問無し」はショックです。
けれども最近は、
大企業の社員のレベルが低いのだと判断することにしました。
そして正社員しかそうした講演に出席出来ない、
この企業組織問題に連関しているのかもしれません。
企業で、当然ながら専門知識があるはずなのに、
ある質問では、私は本当に驚いてしまいました。
その程度の知識を知らずになぜ「商品化」しているのだろうか、
こんな思いにかられました。
経営者の利益独占に感染しているのでしょう。
これまで、大企業での講演やコンサルを経験してきました。
大学人から解放されたら地方行政から、商店街、
中小企業、宗教界、そして大企業、大学まで、
私が生きた証として、能力性・倫理性・美学性、
さらに礼節性を書き残したいと思っています。
そういえば、大阪市主催の講演会は本当にわずかです。
大阪市活性化を懸命に訴求してきましたが、
「具現化プラン」に向かったことは、
この6年、一度もありませんでした。
大阪市役所も大企業なので、
サラリーマン的症状に冒されていたことは明白です。
福井時代も市や県に向けて批判すれば、
必ず「仕打ち」にあってきましたが、今はまったくなくなり、
よく私の提案やアイディアを受け入れてもらえます。
さて、このブログでの大企業サラリーマン向け発言も、
「トイレは貸さない」というようなしっぺ返しにあうかも?です。
構いません、それは大企業のサラリーマンとして、
「生きていない」ことを自己証明しているのです。
まったく、東北の市町村にはリーダーがいっぱいおられます。
ところが、東京の政治集団はもちろんのこと、
政府・官僚・経財界にリーダーは皆無です。
これが日本の現状です。
地方、中小企業が、日本を再生することは間違いないでしょう。

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