8月 10th, 2015 Posted 12:00 AM
8月10日 先勝(戊午)
「喧嘩道」が決定的には
暴力、
それはそれ以上を与える相手を
武道的に討ち果たすことを
心情と信念とする必要があるのです。
いづれ、
私は喧嘩相手には
それを与えるつもりです。
川崎和男「喧嘩道」
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8月 9th, 2015 Posted 12:00 AM
8月9日 赤口(丁巳)
暴力を絶対に防御するのは
武術である。
武術とは、
武器を、刃物を絶対に持たないこと
すなわち、
防御には、武術による防衛がある。
喧嘩は喧嘩道に、
暴力以上の力の
防御と防衛が「道」である。
川崎和男「喧嘩道」
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8月 7th, 2015 Posted 12:00 AM
8月7日 仏滅(乙卯)
「殴る」という行為には
私は
二つの原理があると想っている。
・暴力として
・喧嘩道に行為として
しかし、
もはや喧嘩道の行為である
「殴る」ことは否定されている。
川崎和男「喧嘩道」
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8月 1st, 2015 Posted 12:00 AM
8月1日 仏滅(己酉)
脳内レベルが余りに低いと、
それは
脳外レベルで、暴力化せざるをえない。
だから
脳外レベルでの喧嘩道で
暴力を非暴力化
不暴力化
脱暴力化したいのだ。
川崎和男「喧嘩道」
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7月 25th, 2015 Posted 12:00 AM
7月25日 先負(壬寅)
わがままの我慢、
この我慢が叶わなければ、
喧嘩は暴力性へとなだれ込む。
だからこそ、
「喧嘩道」という
暴力回避術という道が要る。
川崎和男「喧嘩道」
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7月 21st, 2015 Posted 12:00 AM
正直、阪大に来てからは読書を辞めようとすら考えていました。
名古屋から大阪に来るときに、蔵書はすべて処分しようかと思い、
故・恩師に電話で話したとき大学人の間は持っていなさいと言われました。
そして寝室には絶対に本は置かないとワイフに約束していた程です。
ところが、阪大では学生から、あの本とかこの本の読後感や、
論文作成などで名古屋時代以上に蔵書は増え続けてしまいました。
退官後は、なんだか上下巻を読まざるを得なくなっています。
しかし、盟友である松岡正剛はまもなく1600冊の書評を
書き続けていることには大敬意しなければなりません。
さて、「暴力論」ともなれば、
これまで数人が人間の野性として書いてきています。
60年代安保を見、警察官の息子だったことから、
学生運動に飛び込んでいた者の親が辞職することも見てきました。
70年代安保は学生運動のなかで傍観していた私でしたし
学生運動の弱さが赤軍の馬鹿さになることも予想していました。
だからこそ集団的自衛権の最も賢い手法論が語られないことを
確認するのがこの上下巻だととらえています。
まだこの上下巻は拾い読み程度ながらにも私は大ショックでした。
人類は明らかに「戦争をしないこと」と「平和でいたいこと」に
たどり着いてきたという見解に驚きました。
それは私自身が「喧嘩道」で暴力性への葛藤を抱え込んできたこと、
その大回答でした。解答にはなっていないと予想しています。
まだこの本を読み切ってはいませんが、戦争もバーチャル化と
武力の高度な技術戦では、
ISISの存在や、情報戦での悲惨さは増大している、
そんな印象はかき消されましたが、この本では未だに、
「暴力とは何であるか?」が主体的であり、
「何が暴力となっているか?」はかき消されている感が私には
強く残っているようです。
体罰も暴力とされる現代においては、「いじめ」なる暴力犯罪や、
宗教戦とマスコミが商売化している報道での演出暴力などは
これから読んでいくことで、私に確固たる読後考察が残るのだろうかと
思っている次第です。
私は今生のためには自分の暴力性は
しっかりと残存させておくことを替えようとは思っていません。
Tags: いじめ, 上下巻, 今生, 体罰, 喧嘩道, 大学人, 学生運動, 安保, 平和でいたいこと, 戦争をしないこと, 暴力, 暴力犯罪, 暴力論, 書評, 松岡正剛, 残存, 演出暴力, 葛藤, 蔵書, 読後考察, 読書, 警察官, 赤軍, 野性, 集団的自衛権
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
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7月 20th, 2015 Posted 12:00 AM
7月20日 仏滅(丁酉)
喧嘩と暴力が同一視されている。
やくざと暴力団が同一と同じ事だ。
暴力ではない喧嘩は確実にあります。
殴り合いが暴力ではないという
分別がなくなっているのです。
川崎和男「喧嘩道」
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7月 17th, 2015 Posted 12:00 AM
7月17日 先勝(甲午)
喧嘩暴力
暴力喧嘩
この二つに長ける時代は終わっている、
ようだ!
川崎和男「喧嘩道」
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7月 16th, 2015 Posted 12:00 AM
7月16日 赤口(癸巳)
喧嘩を教育で教えていない。
イジメの連続は社会問題だが、
これは’もはや犯罪である。
「喧嘩道」になれば、
喧嘩はっやもすれば暴力沙汰になり、
犯罪だが、
室町時代に
この喧嘩作法があることを知るべきだ。
川崎和男「喧嘩道」
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7月 15th, 2015 Posted 12:00 AM
7月15日 仏滅(壬辰)
喧嘩と暴力が並んでいた時期は長い。
が、
「喧嘩道」になって、
喧嘩は暴力では無いと論理化されている。
川崎和男「喧嘩道」
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