kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘喧嘩師’


2月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

2月28日 乙亥(仏滅)

喧嘩には、正義ではなく、
正直な正当性だけがある。
それを正義とは呼ばない。
この意義を、
日本は、日本人は
明確にすることが出来ると
私は、確信している。

この確信が
喧嘩師の第一条件である。

川崎和男「喧嘩道」


目次を見る

1月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 18th, 2015  Posted 12:00 AM

1月18日 甲午(友引)

なんとかハラスメントが流行し、
一方で、言論の自由と言い、
そして、個人情報だから、
でも、コミュニケーションをと。

これほど無茶苦茶な社会情勢だ。
喧嘩師に徹底しなければならない。

ハラスメントなど関係無い!
言論なんて不自由さがいいに決まっている!
個人情報とプライバシーに分別が必要だ。

川崎和男「喧嘩道」


目次を見る

1月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

1月13日 己丑(先負)

プロだと自称している者は
私の最も喧嘩対象である。
しかも、
そのプロ自称が偽善であるなら、
喧嘩に暴力性を加える必然すら
必ずあるはずである。

なぜなら、
喧嘩師はプロフェッショナルであるから。

川崎和男「喧嘩道」


目次を見る

11月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

11月24日 己亥(赤口)

私が喧嘩師として、
その生き様と立場は
大学空間においています。

この大学空間からの
喧嘩相手は、
学術知識体系と実務産業体系
この大学空間に生息している人間

そして
自分自身である。
川崎和男「喧嘩道」


目次を見る

『「戦争」など時代遅れであるからこそ再指摘が重大である。』


   


     7月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

「集団的自衛権」の閣議決定がされました。
私は喧嘩師であり右傾の人間と、無能な人たちに言われてきました。
今は右傾=Rising Nationalismでなければならないという立場を
私は保持し主張を拒まずデザイン力で国家経済を支援してきました。
根本的には、「戦争などを最も全勢力で拒む意志力」があります。
なぜ、右傾化を強め、排外主義を訴求するかは、
私の祖父や父、伯父叔父たちがみんな無事にも兵役を務めました。
その青春をすべて国家に捧げてもなお、靖国に眠る人への敬愛と、
全く、左傾した輩たちに、南京問題と慰安婦問題を筆頭にされ、
日本という国家を専守防衛、「ありえない防衛」大事は変です。
この有様が平和だという過ち思想への反抗思想を持っています。
父は、日華事変で第21師団騎兵連隊で兵役にて中国満州に行き、
青島で帰国船内にて大東亜戦争参画のもと、再度上陸し蒙古へ。
それから中国大陸を南下して、インドネシア解放戦線にて闘い、
ベトナムで投降後、フィリピンに抑留されました。
帰国すれば、無職ゆえやむなくノンキャリアの警官になり、
またもや国家体制側として生涯を終わりました。
父の遺言を私は守り抜きます。南京虐殺などは全く無かったこと。
インドネシア・カンボジアを独立させた日本軍の働きこそ、
アジアを植民地解放させてきた日本軍の力であったことです。
わが国が「自力で自国」をこれから最適な軍事力を果たすには、
「自衛権」を打ち立てることは当然のことです。
武士は刀を象徴とし、刀という武器=刃物を使わない道具とした、
この伝統見識を敗戦によって、左傾化した論説を批判する力こそ、
私はやっと大事になってきたと考えるからです。
あらためて均衡を知性として再構築する国家思想としての憲法論議、
これはわが敬愛する父が7年半そして30余年も国家体制に与し、
左傾的新聞論調で汚されたしまった国家思想にこそ、
今私は右傾化という重量で均衡思想としての憲法を求めます。
資源無き、そして3.11で国土喪失したこの国の安全を私は求めます。


目次を見る

「750年をタケフナイフビレッジで革新して30年」


   


     9月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

私は車倚子生活でふるさとに戻りましたが、
私を支えてくれた越前打刃物に取り組みました。
正直、これで「喧嘩師」を国内外にやってきたのかもしれません。
本当は5年が10年で「共同工房」を、
今は亡き建築家毛綱毅曠氏(1941~2001)との格闘で建設しました。
それが第二世代に引き継がれて20年です。
結局、私のデザイン活動の中核でもあり、デザイン成功例です。
第一世代:10名は、第二世代:15名にもなりました。
世代が変わっても、基本コンセプトを変更する意味はありません。
また、私のデザインはすでに30年もナイフの基本を創ったという、
強い自負がありますが、それだけに、
第二世代からの新作依頼は、とても苦しくて悩み抜いてきましたが、
私は、「伝統」=裏切りですから切羽詰まってデザインしました。
新たな産地の新活性化は、さらに世界的な刃物産地になります。
あらたなテーマでの研究をしてもらい始めました。
新素材も検討をつけていますし、刃物だからこそを成し遂げます。
おそらく、タケフナイフビレッジを始めた頃は、
私も30代ゆえにともかくこれが出来なければ、
デザイナーという職能を諦める覚悟で取り組みました。
それを支えてくれたのが、タケフの刃物職人のみんなでした。
産地はこれまでの経済危機にはほとんど揺るぎませんでした。
刃物作家はすでに国際的なビジネスマンにもなり、
産地には高級車もあるようになりましたが、
私は、決して「先生」ではなくて、仲間です。
私が負けそうになっても、彼らの厳しいモノづくりに励まされ、
「私たちは美しい切れ味を鍛えてます」というテーマは、
「次に私たちも美しい切れ味を鍛えていきます」という、
また「生きがい」を私に与えてくれています。
次は、第三世代を集めて、もっと未来を置き土産にする覚悟です。


目次を見る

「喧嘩道には制度的なサンクションが作動する」


   


     9月 24th, 2013  Posted 12:33 AM

私は自称も「喧嘩師」となっています。
だから、すこぶる怖がられます。
結果、初めて出会うと「全然怖く無かったです」とか言われます。
喧嘩道は室町時代の武士道制度に当時規範が伝統的になりました。
喧嘩師には、現代流行で風潮の「倍返し」は全くありません。
刀を使わない喧嘩=口喧嘩=ディベート最良のサンクションです。
サンクションでマニフェストを論述したこともあります。
サンクションとは、制度的な賞罰を社会が自然決定する常識です。
常識に血は流れるはずもなく、賞罰・罪罰・顕彰での実力決定。
このところ、Nゲージにやたらに心惹かれて和やかな気分の私に、
盗作盗用でサンクションを資本主義的財力で制御する、
まるで仲良しクラブなら大丈夫の流行イベント、
その統括周囲の知性無き虚偽の実像を知りました。
負のサンクション裁量をすることにしました。
軍事拡大に蒸気機関車をナチス政権は「速度向上」をめざし、
一方では、赤十字が負傷者医療看護に蒸気機関車を創りました。
負のサンクションと正のサンクション。
私の趣味は、喧嘩道を明らかに支えているようです。
なぜなら、武士に刀はシンボルでしかなく、
それは正と負の決定をあくまでも厳正中立にも瞬間的な、
正と負のサンクションを明盛に決定づけることです。
私はこれを厳格な明解なる名辞的な大決定だと思っています。
せめて盗んではならない、盗んだもので過飾してはなりません。
しかし、風潮は、見て見ぬふりを温存し、
虚飾の中で自分を誤魔化す、そんな輩に厳格な少なからず、
「美」は創れるはずは無いのです。
美無くして、真も善も成し遂げることはできないでしょう。
M.ウェーバーで強化された資本主義偽善を容認だとするなら、
私は、この中核人物に「負のサンクション」を与えます。


目次を見る

「春日部での桐工芸産地とのこと」


   


     10月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

春日部といえば、「クレヨンしんちゃん」の住処です。
今では、春日部が、
桐タンスなど桐木工の伝統工芸産地であることを
知っている人は少ないでしょう。
1980年代は、
「地方の時代」や「第四次全国総合開発計画=四全総」が施行され、
「地方の活性化」が盛んになっていました。
バブル経済を迎える寸前だったと覚えています。
私は、ふるさとに車椅子でもどり、
福井県内の伝統工芸産地に「デザイン導入」を試みていました。
幸いにも「タケフナイフビレッジ」は有名になりました。
そして、そうした産地への「デザイン導入手法」についての講演も
随分と引き受けていました。
この本には、春日部で中心となっていた影山和則氏が、
公的機関からのデザイン活動をまとめた「デザイン史」になっています。
私が、影山氏に、
いかに厳しく接していたかも描かれていて赤面ものですが、
私は、全力で伝統工芸産地、その職人さんや、流通と闘っていました。
もっとも、牙をむいていたのは「四全総」を背景にし、
権威を振りかざしていた官僚や
その身内的なデザイン・プロデューサーたちでした。
おそらく、「喧嘩師」と言われ始めたのもその頃だったと思います。
しかし、この本に記録されているとおりに、全国各地の伝統工芸産地は、
デザイナーを引き入れて懸命でした。
あれから25年後の今日、
生き残っている産地はほとんど無いと言ってもいいでしょう。
私は、「タケフナイフビレッジ」は今も健在であることを自負しています。
この本に描かれた全国それぞれの産地活動は
一つのチェックリストになっています。
「あの産地はどうしたかな?」という具合です。
私は、この本には80年代、
少なからず理想的な国家体制の中で、
伝統工芸という
日本文化をデザインが引き受けようとしていた事実史があります。
是非とも、次世代デザイナーには読んでもらいたい「デザイン史」本です。
その理由は、
国難となっている日本が再生するためのヒントが
当時の全国各地の産地での懊悩する姿がいっぱいあるからです。


目次を見る

「竹刀か、木刀か、喧嘩の手段にも剛柔あり」


   


     8月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

一人っ子の少年は、
兄弟のいる少年たちにしばしば「虐め」られていました。
大抵は、兄たちがその少年を虐めて苛めるのです。
少年は、とても力で対抗はできませんし、
泣くわけにもいかず、仕返しを考え抜き決意をしました。
(そうだ、よし夕食時に殴りこもう)と考え、
自宅にあった父の剣道用の木刀を夕方時に持ちだそうとしました。
母が必ず、木刀を持ってどこにいくのと聞いてくれるだろう。
そうしたら、理由を言えば、母は止めてくれるし、
いじめられていることも告白できる、と。
木刀を持ち出そうとすると、
その母は、言いました。
「木刀だと、本当に怪我をし破壊をするから竹刀にしなさい。」
そう言って、木刀を取り上げられて、竹刀を渡しました。
少年は行かなければならなくなりやむなく兄弟の家に行きました。
そして夕食時にテーブル上のお皿というお皿を割りまくりました。
大変な騒ぎになりました。
以後、その少年は、
「何を仕返しするかわからない男だ」という噂になりました。
完全な自己防衛ができる身分になってしまいました。
帰宅すると、母が言いました。
「やるだけのことはできたの、気がすんだの」
少年は「・・・・・ん」とだけ答えましたが震えていました。
当然、その家族は血相を変えて怒鳴り込んできました。
母は、
「弁償をさせていただきますが、
兄弟そろって息子をいじめるのは辞めていただきたい。」
少年は震えが止まりませんでした。
母は父にその出来事、事件を告げました。
父は、
「やっつけるにも手加減がいる。
竹刀で物だけ壊したから許してやる。人には竹刀を向けるな」と。
その少年は喧嘩のやり方の手段ということを考えるようになりました。
竹刀は柔らかい、木刀は剛過ぎる、
だから喧嘩の手段は論理的にも柔が剛を制するということでした。
やがて、その少年は「喧嘩師デザイナー」と呼ばれるので、
「デザイナーは喧嘩師であれ」までを出版しました。


目次を見る

「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


   


     8月 12th, 2012  Posted 12:12 AM

人形の収集には「ダンディズムがある」。
これは私のオーディオ恩師であるS先生から教わりました。
しかし、私にはどうも「人形」までという興味は
なかなか自分に持ち込めませんでした。
しかし、ワイフにはそれがあったようで、
今回は彼女のコレクションを借りて紹介してみようと思います。
感心するのは、
この趣味は必ずコレクション価値が
投資効果につながっていてオークション価値が高くビックリします。
さて、このコレクションは、VISIONAIREに登場したシリーズです。
VISIONAIRE TOYS、44と45すべてです。
最近は地震対策もあって、
室内に展示し配置していませんから、久々に取り出してみました。
すべてが有名ブランドを象徴しています。
一目瞭然のモノもありますが、
ブランドイメージを彷彿させるだけのモノもあります。
すなわち、「ブランド・イメージ」を
決定的な人形アイコンに装飾するだけで認知可能を考えてみるべきです。
私は、日本のあらゆる業種の企業には「ブランド・イメージ」こそ、
企業存在が「社会的認知」を国際的に確立することが出来る。
そして、この「ブランド・イメージ」だけが、
実は「決定的なビジネスモデル」であるということが分かっていません。
残念ながら、そこまで、この資本主義経済の根底を理解している経営者は
日本では皆無になりました。
かつては何名かが存在していました。
いづれ、ブランドイメージに対して、
どれほど無知な「これほどの経営者」を書き残すべきと考えています。
この12体の人形の表面でも、
すでに「認知」されている「商品への信頼性」こそ、企業美学です。
企業美学無き企業は、
断言すれば、世界を汚し、世界の夢を破壊しているのです。
私の喧嘩師としての「闘争」を再確認するには、
ワイフの収集している人形を見るだけで信念になります。
まさしく、「人形という形態の表皮装飾」でも、
企業、そのブランドの社会的な存在性・効用性は
きわめて明確だということを主張しておきます。


目次を見る