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Posts Tagged ‘信頼’


02月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

02月25日 大安(癸未)

デザイン成果は
性能・効能・そして機能が
価値観である、
安心・信頼・安全が
必要である。

川崎和男の発想表現手法


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02月08日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

02月08日 赤口(丙寅)

アナログであれ、
デジタルであれ、
信頼と信頼性の差異性
安全・安心という
望ましさと好ましさが
価値である。

川崎和男の発想表現手法


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『「天然物」?という価値観を確認する』


   


     2月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

街が街らしくその活気を最も感じるのはこうした回転焼き屋さんです。
小学生時代はよくのぞき込んでその作業を長く見ていたものです。
私が今最もよく知っているのは新大阪駅の「御座候」という今川焼きと、
月に一度は必ず映画を観に行く京都寺町の鯛焼き屋さんです。
改めてこのブログに取り上げたのは、
鯛焼きでも、これは「天然物」という名称があると知ったからです。
確かに鯛焼きゆえ、その鯛も回転焼きにすぎないにもかかわらず、
「天然物」?、この名称に心惹かれました。
そして思い起こすと鯛焼きでもこの寺町で月に一度は食べるのですから。
先般京都で確認してみると回転鯛焼きのその道具で明解に分かりました。
(そうか、天然物だったんだ)と凄く嬉しくなったのです。
つまり、鯛焼きの型はすべて一匹一匹を回転させるのです。
これは労働量は相当なものですがあんこが確実に鯛焼きの尻尾までです。
店先にはなんと「天然物」と銘記がありました。
なんだかとても嬉しくてしかもこの「天然物」とした商売にとても喜び、
流石、天然物だから凄いというほど、自分を納得させたのです。
「鯛焼きは天然物に限る」というもはや私の理念が決定してしまいました。
このアナログ性は生き残ってほしいと思います。
それこそ、最近はご当地名物がEコマースや「ふるさと納税」で入手出来ます。
この便利さは淘汰されるはずでしょうし、そうあってほしいのです。
それは商品価値の問題です。
価値とは「望ましいコトと好ましいコト」です。
しかもこの価値には信頼と安全と安心が必ずなければなりません。
それは人間という不完全な存在だからこそ、
人間のしかもアナログな手づくりには、
信頼性・安全性・安心性では不足していることを
デザイナーは再考すべきと考えています。

* 「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」
* 『PPMはすでに図表表現が異なっている=KK適塾』
* 『ゲームコールセットの信用と信頼にある価値』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


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12月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

12月23日 大安(己卯)

安全・安心
そして
信用・信頼
これらが「価値」に直結する。

川崎和男の発想表現手法


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『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』


   


     12月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

またまたスマホを買い換えました。
iPhoe7のそれもジェットブラックです。
理由は簡単です。こうしたガジェットはともかくいつも新製品。
よく、新製品は故障するかもしれないからとか言われますが、
そういうことには自分は一切気にしていません。
私は「どうせ人間自身が完璧ではないのだから、その製品が故障する」、
このことでは、リコールを容認する立場でしたが、
信頼・安全性工学である宇宙工学を
いとこから知ってから「完全な製品づくり」、そのデザイン、
これが工業製品の大目標でなければならないと考えています。
故障やリコールを絶対に皆無にするということ、
それは信頼し信用し安全であり安心が
工業的モノづくりの最終決定であること。
人間だからこそ、工業製品とのあり方の根本に今頃再決定したのです。
確かに宇宙工学や医療工学に対する信頼・信用・安全・安心、
この完全で完璧さが最適解答だと認識しています。
そこでとりあえず持っていたApple WatchとiPhone7を完璧な使い心地を、
ということになると、かねてから私の連載や本づくりの編集者N氏の
この解説本で詳細を確かめようということになりました。
腕時計としてはいわゆる機械式のそれなりの時計、
全く新たな盲人用時計(デザイン出来なかっただけに無念なり)、そして、
Apple Watch(HERMES)をファッション性としても選んでいます。
そして、iPhone7との新しい連携、
この信用・信頼・安全・安心を再確認してみようということです。

* 『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 『宇宙開発の信頼・安全性工学からデザインが学ぶこと』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 「デザインすることの勘違いは大間違い」


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『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』


   


     11月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

「やさしい」という日本語には観自在性があります。
それは「優しい」と「易しい」であり、
この峻別が曖昧にされていた時代がありました。
これは道元的な「四句分別」が必要と行き着いたことがありました。
観自在=思考闊達な想いと思いに、ある意味ではYesかNoかについて、
日本人にはどちらか明確にという世界的な風潮がのりかかりました。
しかし、私はこれを日本の仏教、特に禅宗的な道元思想の中で、
観自在に潜む曖昧性への積極化を「的」という表現に込めたことがありました。
その当時には、思想界においてもこの論理を中村雄二郎先生に
徹底的教えていただいたという幸運がありました。
安全だけども安心はできないことと安心だけど安全だとはいえないこと。
信頼はできるけど信用はできないことと信用はできるけど信頼はできないこと。
主観的だけど客観性があること、客観的だけど主観性が入り込むこと。
私は日本の、YesだけどNoでもあることは、NoではあるがYesということ。
おそらく、日本独自の哲学だから、白か黒かと迫られても、
グレーが存在すること。
こうしたことから、「やさしい」ということにおいては、
優美という決して目立ってはならない優しさある美と、
容易だから易しいだけで美も無視されていることにおいても、
日本人にはこの思考思潮、この重要性を見つけました。
自分の生涯での思考だと、未だに迷っていると言わざるをえません。
けれども「四句分別」で乾坤の生と死を見詰めていると判断しています。

* 『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』
* 『思考の「考」は思うことを経験が判断する』
* 『コンセプトから逃走してほしい・・・』


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『ゲームコールセットの信用と信頼にある価値』


   


     11月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

水鳥や小動物を呼び出すための呼び笛です。
10種類の「音」をドイツでセットにした「ゲームコールセット」。
多分、米国のアウトドアショップで手に入れたモノです。
果たして、それぞれの呼び笛の音がそれぞれの動物に適応しているとは、
正直には試したことはありませんが、「価値」が備わっていると考えます。
あらためて「価値とは売り手が隠しもっている値段のことが原意」です。
自分は価値とは次の三つで成立していると定義しています。
 ● 好ましいコトやモノ
 ● 望ましいコトやモノ
 ● 信頼と信用されているコトやモノ
以上のように考えることが出来ます。
問題は、信頼は出来るけれど信用はされていないこと、
信用は出来るが信頼はさせられないこと、
このいずれにも価値という効能性は存在しないということです。
ゲームコールセットと名付けられているそれぞれの呼び笛は、
カラス、ウサギ、鳩、カッコーなどの鳴き声を笛で呼び出して、
観察をしたり写真撮影をするのです。
このゲームコールセット(フーベルタス)は、
信頼された鳴き声が信用されているという価値があるということです。
万一、その鳴き声が実際の動物と一致しなけれは、
信頼と信用が無いから、好ましくも望ましくも無いということです。
自分のデザイン価値観には、このゲームコール、それぞれの音が
いつも耳鳴りしていることを想い出します。

* 『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』
* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』
* 『サスティナブルであるための原意と欠落点』
* 『最高級品=最高価格であるべき万年筆の登場の意義』


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『三人称電動車椅子デザインの超軽量性能・完全な収納機能』


   


     11月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM

「スニーカーのような車椅子・CARNA」は、
走行性能と身体保持性能が軽量化と収納性の機能を満足させました。
そして、「電動車椅子」においては、
超軽量化と収納機能性を完全にしていくことを目標にしています。
軽量化性能を目的にするなら、次の三つの方法があります。
・部品それぞれを半分の重量にすること
・部品性能を残したまま部品点数を最小にすること
この二つを満足させるには加飾性を無くすことです。
収納性には、タクシーや飛行機での収納性を最小にしなければなりません。
CARNAは飛行機収納では決して海外でも壊れないことを立証してきました。
走行性能部は飛行機収納されても全く壊れないことです。
そして身体保持シートも折り畳んで、飛行機内に収まります。
車椅子は決して、それを収納するために新たな構造体は不必要です。
そして、絶対に収納においての折り畳み=foldingは不可欠であり、
看護ではなくて介護である医療的な配慮に徹しなければなりません。
理想は人間が車椅子に乗っていても浮力性が必要だとさえ思っています。
軽量化+収納化を完全に果たすには信頼・安全性が必要だということです。
現在、ここまで完成している車イスは全くありません。
そして、インドアユースなのかアウトドアユース、
さらにはフォーマル性とカジュアル性までが求められているのです。
現在その可能性を持っている電動車椅子は「たった一点」しかありません。
そのことを二人称デザインとすれば、
自ずと三人称デザインが簡潔と完結するでしょう。

* 「モードからファッションへ、そして遡及する記号の再生産」
* 「日本のモノづくりが構築すべきこと」
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』
* 『「真善美」をプラトンに教えられたから生きてきた』
* 「『まさか』=想定外をめざす詳細造形」


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『応答では移染と呼ばれるから真の解答が必要だ』


   


     10月 24th, 2016  Posted 12:00 AM

「復興オリンピック」というタイトルを耳にしても、
なんともやりきれない気分が自分には残ります。
2012年の除染マニュアルと2013年の確実な除染、この2冊を暗記するようにと
読み直していますが、未だに、除染は移染とまで現地では呼ばれています。
先日は自宅も震度3ながらも鳥取での地震に相当ゆれました。
今、「問題解決」というテーマを掲げれば、
人間社会、日本が抱えている問題は余りにも多すぎるほどです。
除染で確実な実績を上げている実例を読み直しながらも、
デザイン、あるいはデザイナーには、何も期待などされていないでしょう。
しかし、いつもこの解決を懸命に考えているデザイナーはいます。
地震大国どころか、地球異変での明確なサスティナブルも見返しています。
それは、たとえ自分のデザイナー世代では間に合いそうがなくても、
「確実なデザイン手法論」は、せめてこうして書き残しておきたいのです。
次世代デザイナーが真にデザインとは問題解決ゆえに、
この除染などは完璧な「解答」がいるのです。
現在の国家的な除染が移染とまで揶揄されているのかは応答だからです。
自分が読んでいるマニュアルも回答ではないだろうか?と、
思えてなりません。
信頼・安全性工学では、決して、「リコール」はあってはならないのです。
まる一日、この2冊の「除染」可能性のマニュアルとプロスペクタスを
読み込んでいました。

* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 「民主主義との思い違いと資本主義の日本化を急げ!」
* 『宇宙開発の信頼・安全性工学からデザインが学ぶこと』
* 『次世代デザイナーへの手本になりたい事例を発表予定』
* 『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


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『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


   


     5月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

美大生時代には徹底的に「作品の暗記」をさせられました。
海外のデザイン誌に載っている作品を覚えました。
自分のデザインが決して誰かの作品に似てはならないことを
体に叩き込まれました。
あるときテーブルのデザイン依頼があり、図面化しました。
しかし、なんともどこか喉に引っかかっている気がしてならず、
ひょっとしたら、自分の記憶にある造形をしてしまったのでは?
この思いにとらわれてしまいました。
そこで、デザイン誌を積み上げて再チェック。
ほぼソックリなテーブル造形がありました。
それを見つけ出した喜びがあり、続いて、自分にがっかりしたものです。
それでクライアントにその誌面と自分の図面を持っていって、
気づいたら真似でしたと告白して締め切りを延長してもらいました。
クライアントからは
「もっと凄い造形が期待出来る」と言われ、
結局実現はできませんでしたが、信頼された思い出があります。
ところが、最近では、亡くなってしまったデザイナーの作品が
登録されていないからとか、
すっかり忘れられているからいいだろうということで、
物真似、あるいは盗作と呼ばれる事態が起こってきています。
その評判によって、日本のデザイン界全体が非難され、
デザイナーなんて、その程度、と言われてしまう状況です。
確かに、工業意匠登録は20年ということですが、
著作権となれば、それは永久に道義的な責任が問われます。
デザイナーは、知財権での権利保有とともに、
著作権としての道義的なデザイナープロ意識を毅然と持つべきです。
どういうわけか、
国際問題になりかねない盗作に対する訴えが自分に集まります。
しかも自分のモノ真似を「不細工」と発言すれば、
自分自身がSNSで非難されるそんな時代に直面しています。

*『ジェネリックデザインは模倣=犯罪である!』
*『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
*『不細工なモノは不細工である』
*『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』
*『知財権は意匠権によってコンシリエンスデザインとなる』


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