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「情報化への入り口は記号論or記号学だった」


   


     11月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

農業革命?工業革命?情報革命は三つの波に喩えられました。
しかし、この三つの波だったという認識は、
教養になっているだけです。
そして、現代の学生たちには詳細に伝えなければなりません。
農業革命によって農場は失われ、
工業革命によって工場は失われ、
日本はアジアに振り分けて、肝心な工場も失いました。
情報革命がもたらしのは社会が劇場化したことです。
あらゆることが社会現象という劇場化になっています。
にも関わらずこの実感の認識は,
下意識にしている社会的なリーダーは限られています。
私は一刀両断的に、
「商品づくり」=「工場の劇場化」が必要だと主張します。
さらに突っ込んだ言い方をしてしまえば、
「商品づくり」を終わらせて、
「記号づくり」に向かうべきだと教示せざるをえません。
なぜなら、記号化とは、
コードとモードを混在化しながら、この記号はコードなのか、
あるいはモードとして意識化しているのか、
すでに下意識に入りこんでいるのかも不明な大衆意識を
「文化」だと言い出すジャーナリズムすらあるわけです。
いやはや、
ここまでの前段は読解困難なはずだと知りつつ続けます。
しかし、メガネや車やジーパンやジッポーを取り上げてきました。
それぞれの事例によって、
「これが記号になっている」と説明してきました。
ひとまず、佇んでみてください。
あなたは、商品選択をしているのではなくて、
記号選別をしていることに気づいていただきたいのです。
たとえば、ブランドモノのツールを使用していれば、
たとえば、ポルシェを所有していれば、
それらは、すべてツールではなくて、
明らかに所有している貴方自身を
社会に表現しているメディアになってしまっているということです。
だから、商品ではなくて、
当初から「記号づくり」を産業経済に組み込む時期になっています。
0と1という記号そのもので「情報」が組まれ、
記号は「情報」で書かれたテキスト・聴覚映像・画像が背景です。
私は、もはや、わが国が先導していくには、
「商品」を捨てて、当初から「記号」と「情報」にこそ、
国際的にこの知識と意識を集中させることでこそ、
この国難から脱出できるものと推測しています。
ツールはデザインによってメディアとなり、
商品はデザインによって記号になるでしょう。
そして、記号の背景あるいは記号が構築する
環境、情報環境がこれからの世界観だと確信しています。


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「商品価値の読み違いだった」


   


     11月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

英国作家のアーサー・ヘイリーの代表作に「自動車」があります。
1971年の超大作と言ってもいいでしょう。
この本は、まさに「自動車」が主人公であり、
当時の自動車産業界が
「商品としての自動車」をどのようにみていたのだろうか、
そのことが克明に描かれています。
はっきりと言えば、アーサー・ヘイリーは、
「商品価値」としての自動車を語り過ぎていて、
少なからず、特に米国の自動車産業が、
次の情報化社会から情報社会で変革されてしまうことに、
全く気づいていませんでした。
まさに70年代、
米国が日本の自動車をどれほど
見下していたかということが歴然と描かれています。
「竹と紙でできた住居そのままの自動車なんぞ」
という表現に象徴されているわけです。
ところが、この出版からすぐに日本の自動車産業は、
米国自動車産業界との「貿易摩擦」にまで追い込み、
経済的な戦争が開始されました。
それは、小型車が圧倒的な性能によってその商品性を高め、
欧州車であっても、
小型自動車や排出規制での性能合戦に
「商品価値戦争」へと巻き込んでいきます。
そして、
自動車産業は未だにこの「商品性」に縛られたままだと言っておきます。
ところが、ユーザーの消費行動は、
確実に「記号的存在としての自動車」に特に所有感を置いています。
ハイブリッド車はそのまま、
地球環境をことのほか大事に考えているという「記号としての自動車」
まさに記号選択を明言しています。
米国の子どもたちの
自動車の絵が変貌してしまったことが報告されています。
彼らは今すでに、
「自動車のかたちは三角形のおむすびに四輪がついている」のです。
すなわち、子どもたちにとって車の記号は、
すでにハイブリッドカーである
「プリウスのかたち=形態言語」になってしまったのです。
したがって、アーサー・ヘイリーのその他の作品においても、
記号論的な意識レベルがありながらも、
消費社会の題材は、
未だにかつての社会的な価値論に呪縛されています。
それは
まさに、わが国の産業経済でのリーダーたちの意識レベルそのままだと
断言しておきます。
「商品というモノはすでに存在していません」
「記号=コードとモード」から
産業的な経済効果に私たちは取り囲まれていることを熟知すべきなのです。


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「USBからワイヤレス化と電磁波空間」


   


     9月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM

明確に記憶していますが、
レガシーインターフェイスからバスインターフェイスが汎用化される。
こんな情報を1993~4年頃に、
当時、EIZOモニターをデザインしていましたから、
私はとても興味と期待を持って待っていました。
USB=Universal Serial Busになって、
本当にPCはじめデジタル機器のコードコネクションは便利になりました。
最近は、miniUSBやmicroUSBでコード・マネージメント、
これはEIZOブランド商品で私が提示しましたが、
おおよそ、この写真にあるようにほぼ5種程度でいいようです。
無論、
私にとってはオーディオ用のUSBコードの進化に最も注目しています。
USB性能の進化は、転送速度と機器間の相性問題があります。
だから、安易なコードがUSB3.0といえども、私自身は信用していません。
オーディオ用のUSBケーブルが、miniやmicroになり、
しかもノイズ対策が完備してほしいと思っています。
機器設計デザインの立場だと、
microUSBが基盤実装上でも効率的なレイアウトが可能です。
つまり、データー転送の信号ケーブルと電源コード、
ローパワーデバイスとハイパワーデバイスだけでなく、
さらに、
各種機器間のコネクションケーブルになってほしいと思っています。
しかし、将来は、USBコネクションもワイヤレス化が望まれますが、
これも空間の電磁波問題は、まったく見通しもついていません。
私としては、このUSB進化の系譜が
そのまま「医療機器」のコードコネクションをまず完成させ、
そのワイヤレス化、当然電力デバイスへの進歩であり、
この時の電磁空間が与えるであろう人体への影響です。
私には、ICDが身体に埋め込まれていますから、
電磁波空間は生死に関わっています。
明言すれば、
電磁波空間も放射能空間も同次元・同位相なのかもしれません。
考え過ぎかもしれませんが、
それでもUSBは大きな進化だったことは間違いありません。


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『資本主義からの逃走』
「#時代思想としてのファッションにするためにダイナミックスへ#」


   


     4月 19th, 2010  Posted 12:01 AM

連鎖系・構造系へ
ファッションは「モード」の話に収束しています。
ところが、モードは即、流行として軽んじられる傾向があります。
しかし、モードと景気は相補的なパラメータで連鎖しています。
モードは確実に、「イノベーション=景気循環」だと思います。
そして、確実なパラメータの設定なら、それはコードです。
そしてコードは体系が限定されたシステム内でしか機能しません。
モードの自由度に比べてコードの限定性の間で、
大欠落があることは指摘されてきませんでした。
私は、モードもコードも、
もし「体系=システム」論ならば、
次の指摘による、「連鎖系」と「構造系」が思考軸となって、
ダイナミックス」論への展開が必要だと野生的に感じています。

Dynamics
結局、行政政策での「モード仕掛け」が常に失敗するのは、
「モード」だと思って取りかかる毎に、
政策という「コード」に変質してしまうことに気づいてこなかったことです。
実例とした「コンテンツ産業」も、
モードとなる要素と要因が、コード化しています。
結局、モードはあくまでも、
時勢や流行、さらには風評という「自然な社会生理現象化」、
それはダイナミックス化です。
端的に極論すれば、システム時代は終わりつつあるのでしょう。
いや終焉したのかもしれません。
これは資本主義の終焉とのパラメータになっているのかも知れない、
これが私の推測であり、予知、予測でもあるわけです。
システムはあきらかにコードとして「限定された体系」にまとめられます。
ただし、集約や収束ではありません。
単なる蓄積体系でしかありません。
ただし、この「コードの体系」は、運用と維持のパラメータとしては、
大変、便利で活用は創造的に使いこなすことが可能です。
だから、教育は、ある意味では「コードの体系」、
その蓄積を読み解いていく手続きを指導すればいいだけのことかもしれません。
けれども、デザインは、無論「コードの体系」を入れ替えたり、
あるいは引用することが出来ます。
当然、コードなのかモードなのかを選定したり、
その入れ替えや策動も可能です。
私は、ファッション思想 思想ファッションが、
コードへのプロセスを作動させる装置だと思っています。
それだけに、ファッションを現代思想としていくには、
明解に、コードの体系、コードの蓄積を破壊する発想が必要です。
そして、それが出来るのは唯一、デザインでしかないと私は思っています。


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