kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘デザイン’


『資本主義からの逃走』
「資本アイテムの再整理は、新たなイノベーションを誘発・1」


   


     3月 31st, 2010  Posted 1:40 AM

「物質」・「情報」・「エネルギー」
いきなりの世界観を提言します。
それは「物質」・「情報」・「エネルギー」が世界構成因です。
この明快なアイテムは今世紀と共時する私の確信です。
ようやく、私がデザイン対象とするモノをすべて、
これらのアイテムに包含しながら、
再度、「物質とは何か」という問いかけの変更を重ねました。
それは「何が、物質か?」ということへ、
デザイン対象を入れ直すということでした。
「物質」というのは、私には自然物ではなく、
人工物=モノと必ずカタカナ表記する物の性質性の存在です。
性質=物性の質(たち)という言葉の定義仮説を用います。
この仮説は、物性・対・物理の差異性と同値性・同質性です。
つまり、差異性を仮説化し、
同値性、それは「質・たち=性質」の価値感と、
同質性という「性質の機能性」という性能性です。
上記は、同値性・対・同質性ですから、
論理的には、物性学と物理学でそれらの背景を与えられます。
もっと短絡的に言い切れば、性能という具体性を、
理学的な抽象性をモデル化するということになります。
モデル化するというのは、記号的な処理=数理学に配置する、
そんな作業になるでしょう。
何が物質か?
仮説化という冒頭にもどれば、
「何が物質=人工的なモノ」か?という仮説は、
人工物質=モノの性能価値が「物質」になるでしょう、
ということです。
極めて自分勝手で、読み手理解を無視していますが、
それは、私がデザイン対象とする人工物質=モノ、
すなわち、自分だけの定義にしているからです。
仮説の連続性
この仮説が、何を次に定義化していくかというのは、
「何が情報=コトとなり、コトの機能性」も、
デザイン対象にすることができるのだろうか。
「何がエネルギー=源となり、源の効能性」を
デザイン対象にすることができるのだろうか。
この二つのテーゼに、
物質=人工物質=モノからつないでいく連続性を考えるためです。
デザイナーとして、常にモノの形態=かたちを想像します。
想像の中で、モノの存在を「かたち」とするとき、
その「かたち」の「たち=質」に「かち=価値」を与えたいのです。
その連続性に、「情報」・「エネルギー」を対象化する
デザインには何が可能だろうか、という仮説化です。
この仮説化が、
イノベーションをデザインするという確信を持ちたいのです。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「* 人前で喋ること、きっと得意分野ですが・・・ *」


   


     3月 29th, 2010  Posted 12:25 AM

講義・講演は大好き
「講演」は私の大きなデザイン活動だと思っています。
なにしろ、一人っ子(母違いの妹がいます)だった私は、
まったく無口すぎるほどの母と二人でした。
父は、職業上、全く家には居ない人でした。
だから、子供の時から「口達者だった」ようです。
小学時代から、弁論大会は必ず優勝していたくらいです。
中学では英語の弁論大会に出場することも大好きでした。
私は人前で「上がる」という感覚がまったくわかりません。
聴衆が少ないと「やる気」が失せるほどの性格だと思います。
したがって、大学人としての講義、
デザイナーとしてのプレゼンテーション、
講演会は、ほぼ、得意分野と言ってもいいでしょう。
苦手なスピーチ
ただし、苦手が一つ。
それは、結婚式のスピーチです。
結婚式には、使ってはいけない言葉があります。
さらに、新郎新婦の名前を決まって、ど忘れしてしまいます。
この失敗から、結婚式は電報で勘弁してもらっています。
しかし、その電報文には満身の力を込めて絶対に結婚式場に、
全く「存在」しているようにと校正と添削の限りをつくします。
だから私は「お笑い番組」が大好きです。お手本だからです。
古典落語も随分と覚えていた時期もあります。
大学の講義は、絶対に準備をします。
同じ講義は絶対にやらないことを堅持しています。
ところが、昨年後期は大変でした。
「英語」での講義を決心したからでした。
前準備は大変であり、それは海外の大学講演のごとくでした。
あとしばらく大学人を続けるでしょう。
講演会は、デザイナーの義務と思っていますし、
私を講師として呼ぼうと言っていただけるなら応えたいのです。
おそらく、そういう意味ではプロです。
次のようなアドバイスをします。
「気合を入れる」!
これは、自分の「気」と聴衆の「気」を合わせることです。
それは、聴衆の「気」の波長をいち早くつかんで、
自分の「気」の波長を合わせていくことだと確信しています。
「気負わない」!
気負ったら、聴衆の「気」に自分の「気」が、負けます。
決して気負ってはならないことが大事です。
そして、もっとも大切なことは、
「言葉」の適切な、「切り方」です。
ただし、それは私が心がけながら最も出来ていないことです。
しゃべり尽くす前に「切り上げてしまう」のが、
ここまでだ!、ということはまだまだ修練が必要だと、
充分に知りながら、これができません。
大切さと大事さ
「大切」というのは、大事さの切り方のでしょう。


目次を見る

3月26日Staff Blog


   


     3月 26th, 2010  Posted 11:59 PM

3月26日

魚大の中?小?豆。
これも
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
のお気に入り。


目次を見る

3月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 26th, 2010  Posted 12:05 AM

3月26日 赤口(乙亥)

「容姿」ということばは美しい。

しかも、
「容姿の美しさ」というのは、
モノのかたちをデザインするうえでの
目標であり目的である。

『デザインは言語道断』容姿


目次を見る

3月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 25th, 2010  Posted 9:00 AM

3月25日 大安(甲戌)

人々に体感させる
創造意図は、
命がけになる勇気まで
引き出すことができる。
それは音楽だから
できるのだろうか。

デザインにも
音楽に匹敵する可能性があるはずだ。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


目次を見る

『資本主義からの逃走』
「ケータイはツールか、メディアか、
     それは使用者・所有者の人格が決定している」


   


     3月 18th, 2010  Posted 9:39 AM

Tool or Media
私はモノのデザインをしています。
モノを所有する、使用する、いづれもユーザーと呼びます。
たとえば、ポルシェという憧れの車があります。
ポルシェを所有している人は、
その人自身は、「使用観」だけで所有しているかもしれません。
これは、ポルシェが「ツール=移動する手段具」です。
しかし、いつかはあの車を「所有」したいという人にとっては、
ポルシェは「メディア=移動具よりも顕示性表現の媒体」です。
モノへの所有観を自己表現するとき、
そのモノは「メディア」になります。
しかし、
モノへの使用観をあるいは使用感覚を軸にする人にとって、
そのモノは「ツール」です。
もっともモノが、「ツールでありメディア」になるのは、
モノの「存在性」=オントロジーになっていくと思います。
私は、きわめて「所有観・所有感」にこだわっています。
それは、自分が選んで所有していることは、告白すれば、
モノで、自分の存在性をも強く演出していることです。
たとえば、
モノへのこだわり感覚は、「所有してなおかつ使用感覚」が、
「望ましくて、好ましい」=価値観が私的であってほしいのです。
私は、これまで携帯電話が自動車用からスタートしたときから、
この感覚を、自分に差し戻して、
自分とケータイとを、「ツール」なのか、「メディア」なのか、
徹底的に考え抜いてきました。
Mobile Phone as Media
結果、
明らかに、「ケータイ」は、「メディア」なのです。
無論ツールとしての機能と性能は最高であってほしいのです。
残念ながら、私自身が「私のために」社会システム、
すなわち、生産システムから流通システムに載せて、
「製品化」から「商品」にしたモノは皆無です。
とりわけ、デザイナーにはそのことを徹底して、
自問自答してほしいのです。
結論は、モノ、たとえばケータイ、
その「ツール」であるのか「メディア」であるのかは、
ユーザーの人格の投影であることは間違いありません。
ちなみに、現在、私が愛用しているのは、
いづれもホワイト色のiPhoneとBlack berryで、
メガネテンプルのカラー毎に合わせた、
それぞれカラーのHeadsetです。


目次を見る

3月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 18th, 2010  Posted 12:57 AM

3月17日 先負(丙寅)

「美しいデザインが
デザインの本質である」
ということは白明のことだ。

「デザインの美しさ」というのは、
「意図された美の美しさ」
という制限であり、
規定された美を意味している。

『デザインの極道論』うつくしい


目次を見る

3月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 17th, 2010  Posted 2:10 AM

3月16日 友引(乙丑)

今日にいたるまで私は
「デザインは奇麗事の構想と実現」
と言い続けてきた。

『デザインの極道論』きれい


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「一般解と特殊解、どちらを選ぶか・デザイナー能力」


   


     3月 12th, 2010  Posted 12:42 AM

三つの答

答には三つあるということを述べてきました。
デザインした成果あるいは効果をデザイン解とするなら、
この三つの解は、分類ができます。
話題をデザインすれば、それはデザイン応答という解です。
課題をデザインすれば、それはデザイン回答という解です。
今、ほとんどのデザインは、この応答解か回答解だと
言い切ってもいいほど、
デザイン本来の「問題解決」を、
「解答」としたデザイン解答にはなっていません。
それを成し遂げるというデザイン力の低迷があります。
具体的には、「商品デザイン」がほぼ近似した造形デザイン、
その形態をデザイン解とするなら、
応答的な商品デザインになります。
そしてこれはほとんどが一般解です。
応答解としてのデザイン
回答解としてのデザイン

誰もが受け入れられるアイコン性のある造形形態が成立。
やや、一般解からちょっと説明、あるいはセールストークを
加えることになると、
それはQ&Aが必要となる回答的な商品デザインです。
現在ほとんどの商品は、この領域内から出られないのです。
したがって、「商品化」というのは、
一般解を特殊解にできるか、という問題意識が必要です。
しかし、この特殊解は一般的な理解が困難であれば、
どんな問題意識を持っていても、応答解か回答解からは
抜け出ることはまったく不可能です。
今、日本のデザインはこの応答解・回答解で低迷している、
というのが私の経験的な解釈です。
問題意識から問題を設定して、その解答をめざすには、
その問題解決をめざすデザインには、
大きな支援環境が必要です。
三つの支援環境
これも、三つあります。
●まず、経営的なサポートです。
「売れる・売れない」ということではなくて、これが「解答」、
特殊解ゆえに、
購買者=ユーザーへの訴求性を経営戦略のサポートです。

●次に、技術的なサポートです。
エンジニアリングの改善性から革新性、発明性での支援です。
もし、この革新性が造形に生きれば、それは特殊解であっても、
購買者=ユーザーの理解は素早く受け入れられるでしょう。

●最後は、ユーザーが、ともかく特殊解を求めている、
ユーザーの問題意識や問題解決に率直かつ簡素に「解答」、
というデザイン解答であれば、特殊解は成立します。
デザインは、一般解も当然必要ですが、
デザインという問題解決手法そのものを進化させるには、
「デザイン解答=特殊解」を導き出す能力が要求されるのです。
デザイナーの能力=デザイン才能
そして、その手法開発をmade in Japan化することが、
現況・不況への「デザイン解答」=特殊解の発見にほかなりません。


目次を見る

3月9日Staff Blog


   


     3月 9th, 2010  Posted 11:55 PM

3月9日

Dream Designer.

BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
の肩書きです。
デザインこそが
夢を具現化する唯一の手法だ!と。

Design a Dream!
このwebsiteのトップページ
もこのことばです。

人工心臓も夢、世界平和も夢、
この夢に向かって取り組む
PKD(Peace Keeping Design)の活動が
日本クリエイション大賞創造賞
をいただきました。

これからも、いのちをかけて、
いのちに向き合い、Dream Designerとして
進むBOSSのご支援よろしくお願い致します。


目次を見る