kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ことば’


11月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 11th, 2010  Posted 1:14 PM

11月11日 先負(乙丑)

私は、
デザインとは最終的には
目に見えるかたち、
あるいは
目には見えないけれども
なんらかの問題解決したことを、
かたちとして認識できるように
提示する営為だと考えている。

さらに、
常に「かたち」と「ことば」は
相対論的な関係にあると考えてきた。

『デザインは言語道断』あとがき


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11月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 3rd, 2010  Posted 10:00 AM

11月3日 大安(丁巳)

「言語道断」とは、
道元が発した禅宗の、
いわば哲学的な言説語である。

ことばでの表現が
全く不可能な世界観を示す、
「道断=言わず、道断=言わず」という
現成公案(=心理は常に
すべての存在の上に、ありのままに
はっきりとあらわれているという解釈)
の一つであった。

『デザインは言語道断』あとがき


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『資本主義からの逃走』
    「話し合う、この実体験から文脈へ」


   


     8月 29th, 2010  Posted 12:00 AM

文脈の身体化
人間は「ことば」を持っています。
初めに「ことば」ありき、ということは、
自分が母親から「ことば」を身体化していきながら、
体験・経験でその「ことば」の内容と質をさらに「身体化」していくわけです。
私は、交通被災というとんでもない状況の実体験の中で、
その事件・事象・状況の中での「ことば」を「身体化」してきたのだと考えます。
そして、見つけ出しているのは「文脈」という「ことば」の脈絡性やその順列性で、
それらの意味を獲得することを、自分なりに創りだしたり制御できるということです。
しかも、この言葉の脈略性=文脈をさらに深く詳細にしていくこと、
それはそのままデザイン=造形による問題解決までを体験から決着させたいという意志と意欲です。
そこで、次のことばを並記してみます。
●「会話・会談・談話・対談・対話」です。
つまり、ひとまとめで言えば、言葉がこうした中で、
どのような脈略=文脈を持っているかを確認しておこうということです。
「会話という談話」対「対談という対話」は、
デザインという問題解決の中で、コンテクスト=contextが必ず常駐しているということです。
私が車イスという、いわば「不幸な事態」が、実際はその逆転であって、
「コンテクストへのまなざしを得る」=幸運さにつながっているということです。
私がデザイナーであったことは、
「問題解決」にコンテクストからの解答を造形化できるという自信を「身体化」できたことです。
それは「会話:対話」に、
コンテクストを必ず位置決めをして配置しておくことが必要十分条件だということを
車イスの「身体」・「身体の精神性」体験から教えられて知ったという幸運だったのです。


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『資本主義からの逃走』
 「デザインは『付加』するものではないということ・4」


   


     7月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

距離性・距離感
私がこれまで自分自身のデザインは、
「ことば」と「かたち」で語ってきました。
それは、「ことば」と「かたち」の距離性・距離感を自分の中で昇華してきたことです。
ある意味では、人間とモノとの「隔たり」であり、
デザインは、この「隔たり」を近づける相互作用です。
「近」という日本語の表意性と英語のappro-の表意性は同様な意味を持っています。
その意味とは、人間とモノとの関係=構造はそのまま「近さ」感覚感であり、
この距離性や距離感を「付加」することではありえません。
デザインという相互作用を創出する営為ですから、
決して「付加作用」創りではありえないということです。
この関係=構造から、「付加価値」という術語は、三つの分野で発見することができます。
経営学的・工学的・法学(刑法学)的の三つの領域での「術語」としての「付加価値」、
その定義を見つけ出すことができます。
そして、まったくこの領域での定義と
「近さ」や「隔たり」の感覚感との一致性を見いだすことはできません。
つまり「近さ」感覚に「付加価値」は見いだせないのです。
だから、この相互作用は「全体性」へのまさにapproachだと考えてきました。
すなわち「全体価値」への「隔たり感覚」をどう物語るかという課題の設定です。
それは、「物語」=モノ(人工物)を口述しているかのように、という意味を込めてきました。
当然、下敷きになった思考方法は、
私が惹かれた芸術家から科学者、哲学者、数学者、音楽家、戯曲作家まで様々です。
私の「物語」=「プラトンのオルゴール
1994年に、こうした人達を12人に対しての「オマージュ」として、
「プラトンのオルゴール」展を開催しました。
それが、再度、2006年には、金沢21世紀美術館にて、
大規模な個展を開催することができました。と同時に「永久収蔵」されました。
国内で収蔵されたのは初めてでした。
しかもそれは、私のこれまでのデザインの本質的な効用と効果を「全体価値」とする,
まさに「物語」展にすることができました。
そして著作としての「プラトンのオルゴール」も出版されました。
この12人を選び出すことは本当に難しかったことを思い出します。
おそらく、この著作・展覧会・作品としてのオルゴール,
オルゴールユニットの特別発注・ビートルズ・そしてスケッチや図面も
今は金沢21世紀美術館にあります。
私は、この展覧会が私のデザイン、その「物語」になっています。
この「物語」は決して「付加価値」としてのデザインではありません。


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7月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 14th, 2010  Posted 9:00 AM

7月14日 友引(乙丑)

祝祷に列せられる「品物」は、
多種の意味を含みつつ
「品種」ということばを生みだすことになる。

その頂点的な品物=産品とは、
金・銀・銅である。

『デザインは言語道断』品格


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7月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 11th, 2010  Posted 9:00 AM

7月11日 仏滅(壬戌)

ネット上の物品は
「情報化」された「品物」である。
「物品」ということばはなくなっていくだろう。

そして、これからの価値ある物は、
「品」ある情報にくるまれた
新たなモノの世界を形成していくに違いない。

『デザインは言語道断』物品


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7月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 8th, 2010  Posted 10:00 AM

7月8日 先勝(己未)

「物」と対峙する概念が「文」である。

この相互関係は、
私がデザインについて語る際に
「かたち=物」と
「ことば=文」を
相対化する行為と一致している。

『デザインは言語道断』物品


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7月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 1st, 2010  Posted 11:50 PM

7月1日 赤口(壬子)

「物」と対峙する概念が「文」である。

この相互関係は、
私がデザインについて語る際に
「かたち=物」と「ことば=文」を
相対化する行為と一致している。

『デザインは言語道断』物品


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3月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 29th, 2010  Posted 8:50 PM

3月29日 先負(戊寅)

決して、
「形」という
月並みな感じで
形態を表現しないことを守っている。

「ことば」や
「モノ」というのも、
決まって
「言葉」とか
「物」という
具合には表現しない。

『デザインは言語道断』容姿


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2月25日Staff Blog


   


     2月 25th, 2010  Posted 11:29 PM

2月25日Staff Blog

2/26 「デザインで世界を変える」
チャリティー講演会@国際文化会館
のための制作追込み中の
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)

デザイナーという職能家として
何ができるのか、すべきなのか。
Dream Desinerと称し、Design a Dream!、
夢を具現化する、
かたちにするのはデザインであると
提唱するBOSSです。

モノで語り、ことばで、理論構築、
語り尽くすスタイル。
デザインの力をお楽しみください。
迫力あるプレゼも?


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