3月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 19th, 2021 Posted 12:00 AM
3月19日 友引(丙寅)
『黙示としてのデザイン』
そうすれば、
マイクロプロセッサーの
回路設計図を
マンダラに見立てて、
その図像の上に
十字架を立てた形態としての
コンピュータに、
技術信仰の黙示録を
書き上げることが
できるだろう。
そうすれば、
マイクロプロセッサーの
回路設計図を
マンダラに見立てて、
その図像の上に
十字架を立てた形態としての
コンピュータに、
技術信仰の黙示録を
書き上げることが
できるだろう。
3月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 18th, 2021 Posted 12:00 AM
3月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 17th, 2021 Posted 12:00 AM
3月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 16th, 2021 Posted 12:00 AM
3月16日 大安(癸亥)
『黙示としてのデザイン』
たとえ妄想であったとしても、
精神世界に、
モノとしてのコンピュータを
形態化させるデザイン言語は
手にいれることが
できるはずである。
たとえ妄想であったとしても、
精神世界に、
モノとしてのコンピュータを
形態化させるデザイン言語は
手にいれることが
できるはずである。
3月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 15th, 2021 Posted 12:00 AM
3月15日 仏滅(壬戌)
『黙示としてのデザイン』
科学技術が排撃した闇に
木霊するこうした言語を、
もし、
デザインが
レコーディングすることが
できたとしたなら、
その再生を
コンピュータに
載せることができたなら、
これは妄想だろうか。
科学技術が排撃した闇に
木霊するこうした言語を、
もし、
デザインが
レコーディングすることが
できたとしたなら、
その再生を
コンピュータに
載せることができたなら、
これは妄想だろうか。
3月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 14th, 2021 Posted 12:00 AM
3月14日 先負(辛酉)
『黙示としてのデザイン』
たとえば、
密教的コンセプトとしての
真言=マントラへの信仰や、
旧約聖書観にある
啓示神語は、
人間の欲望を制御する、
制度としての記憶
ではなかっただろうか。
たとえば、
密教的コンセプトとしての
真言=マントラへの信仰や、
旧約聖書観にある
啓示神語は、
人間の欲望を制御する、
制度としての記憶
ではなかっただろうか。
3月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 13th, 2021 Posted 12:00 AM
3月13日 友引(庚申)
『黙示としてのデザイン』
むしろ、芸術が、
その表現に対象化した
観念や神話、
寓話、宗教などの
荒唐無稽さこそ、
言語の持つ自由奔放さと
言語への畏敬を
整理していたのではないかと
評価したい。
むしろ、芸術が、
その表現に対象化した
観念や神話、
寓話、宗教などの
荒唐無稽さこそ、
言語の持つ自由奔放さと
言語への畏敬を
整理していたのではないかと
評価したい。
3月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 12th, 2021 Posted 12:00 AM
3月12日 大安(己未)
『黙示としてのデザイン』
結局、
科学的な論理にだけ導かれた
テクノロジーの正体は、
我々の認知の体系を
言語化できるまでには
進歩はしていない。
結局、
科学的な論理にだけ導かれた
テクノロジーの正体は、
我々の認知の体系を
言語化できるまでには
進歩はしていない。
3月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 11th, 2021 Posted 12:00 AM
3月11日 仏滅(戊午)
『黙示としてのデザイン』
言葉の魔力や
言語の神秘性は
排除されたまま
めまぐるしく商品としての
コンピュータが
登場しているわけだ。
言葉の魔力や
言語の神秘性は
排除されたまま
めまぐるしく商品としての
コンピュータが
登場しているわけだ。
3月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 10th, 2021 Posted 12:00 AM
3月10日 先負(丁巳)
『黙示としてのデザイン』
技術の成果が、
観念的に
人間の精神性の解放や
社会の倫理観の認識、
すなわち、
知性の進化に寄与する
「道具」として
認知できる存在へ
開発がめざされたわけでは
なかった。
技術の成果が、
観念的に
人間の精神性の解放や
社会の倫理観の認識、
すなわち、
知性の進化に寄与する
「道具」として
認知できる存在へ
開発がめざされたわけでは
なかった。
