12月 10th, 2014 Posted 12:00 AM
私は歩けなくなったときにこの時代と私はもう共時できない、
そう思ってきました。
だから正直に言えば、現代は「変」になることをめがけて進んでいます。
駅と新幹線、列車。=列車の進化に駅ホームは不適合!
空港と飛行機。=エアポートという駅に飛行物体は不適合!
港と船舶。=港は何も変わらず、船舶の工夫進化に不適合!
この組み合わせには何の疑いもありません、が、「変」です。
高速になった列車とホーム、ホームの危険度は柵程度では駄目です。
新幹線も、これまでの汽車座席がただそのままの形式が進歩しただけ、
それが、まともだと思っていること自体がおかしいのです。
だから、列車のデザインにホームの設計要素が必要であり、
飛行機への乗降者にエアポート=駅形式は大間違いであり、
現港の沖合まで新しい港は建設し直せば、
船舶の形態デザインも変わるはず。
これが私、デザイナーとしてのアイディアです。
極論すれば、歴史の進化がすべてバラバラのままに、何が進化?
歴史的な実例をひっくり返してこそ、本当の進化のはずです。
景観の哲学に、景気も病気も「変」に除外されてきました。
景気も病気も哲学にその項目がないからこそ、「治せない」から「変」。
景気に向かう、経済と経営ではもう無理なことは明白です。
病気に向かっている医学、看護学では無理なこと分別がつきます。
前例をつくればもう前例以外はこぞって進めてはいけないらしいのです。
こんな「変」な時代、このような社会構造と共時していくには、
気づいてしまった、この不適合性を明確に問題解決する手法、
その具体化実務=デザインしかありえません。
そろそろ、「変」さを除外していく私には、
この不適合さの景観を傍観するだけの無常論に
生き着いていくそんな気がしてなりません。
Tags: ホームの危険度, 不適合, 乗降者, 傍観, 共時, 具体化実務, 分別, 列車, 医学, 工夫進化, 形式, 形式が進歩, 新幹線, 時代と私, 景気, 景観の哲学, 柵, 極論、沖合, 歴史的な実例, 汽車座席, 治せない, 港, 無常論, 現代, 病気, 看護学, 社会構造, 空港, 組み合わせ, 経営, 経済, 船舶, 設計要素, 進化, 除外, 飛行機, 駅, 駅ホーム, 駅形式, 高速
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
11月 26th, 2014 Posted 12:00 AM
科学的であることと文化的であること。
この融合性は、いや分離性、剥離しているかもしれない。
このところ私はConsilience Designを組み立てるべく、
学術的な統合性についてメモを取りながらその論理性を熟慮中です。
そして、猿がWalk manのTV-CFで話題でしたが、
今度はスマホを温泉で扱っている写真を見て、
ユーモラスであると同時にこれは進化だろうかと考えてしまいます。
つまり、「イオニアの魔力」から、日本人は全く免れていますが、
未だに、人間は猿からの進化ではないという宗教観に、
科学の実証的な解釈は否定されている科学性と文化性との乖離は
この二枚の写真、その解釈にまで至るであろうと私は考えます。
ウォークマンで音楽を聞き入るTV-CFの発想は素晴らしく、
あれから27年で、温泉で湯あそびしている猿が、もし、
スマホまでを理解しているとするなら、魔力は解かれたのでしょう。
科学の正確さは仮説があって経験としての実証性で確かめられます。
それは哲学の起源とされるタレスの「すべてが水」という言説から
認識論で鍛えられてきた科学の経験実証性に快感があると
書き残したアインシュタインから、まだ我々は離脱はしていません。
それだけに、科学の学術的言説の論理は、人文科学、すなわち文化で
ややもすれば否定されることは特に宗教性で確立していました。
私はデザインによる学際性、すなわち科学と文化を統合することに
最も意欲をもってきました。
この意欲とは、デザインだけが科学性と文化性の接着剤だからです。
コンシリエンスデザインを私は提案しています。
これまでデザインを理工学・医工学・文理学・政経学というのを
私はさらに統合化を計りたいと考えてきました。
それは「イオニアの魔力」への有効な手立てを考えることでした。
まさに、27年間で猿は音楽を聴くところからスマホ使用まで、
たとえ、話題づくりであったとしても、これは有効だと考えます。
Tags: Consilience Design, TV-CF, Walk man, イオニアの魔力, コンシリエンスデザイン, スマホ, スマホ使用, ユーモラス, 乖離, 人類の進化, 分離性, 剥離, 医工学, 学術的言説, 宗教観, 快感, 接着剤, 政経学, 文化, 文化性, 文化的, 文理学, 有効, 猿, 理工学, 科学, 科学性, 科学的, 経験実証性, 統合性, 融合性, 話題, 認識論, 論理性, 進化, 音楽を聴く, 類人猿, 魔力性
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
2月 11th, 2014 Posted 12:00 AM
東京の大雪、そして都知事選への判断結果の曖昧さでした。
二人の首相経験者老体の提言には科学的大誤解だらけです。
私は「反原発」論者ではありません。
反原発でもあり半原発でもあるから「範原発」志向です。
というよりも、電力会社は国策企業そのものであり、
私が撮りためている写真(右)を見ても明らかです。
このようないい加減な仕事で誤魔化し続けてきた電力会社は分断。
しかもこれが景観法でも無視されている電柱の配線です。
一方(左)の太陽パネルへの過信性も大間違いです。
このソーラーパネルは大量に設置しても2割程度の電力で、
何が再生エネルギーだと言うのでしょうか!大疑問です。
私は、現代生活で最も重大な電力エネルギーの社会基盤、
その手法と社会設定での大間違いに気づくべきでしょう。
電柱で、変電器や碍子、そして配線のこの乱雑さがそのまま、
実は電力エネルギーへの企業志向のいい加減さや、
私たち自身にも気づくべきことが多すぎると思うのです。
太陽パネルが出始めた直後私は、これから大誤解されるこのモノに
大反論を書いて追い詰められた経験があります。
それから徹底的にこの進化を追いかけてきましたが、
まったく進化はしていませんからこのメイン企業倒産は当然です。
現に、このパネル設置住宅でのメンテナンス企業は、
とても儲かっていて成長企業になっています。
しかし、この企業自身で働いている人たちは、決して、
自分の住宅の屋根にこのパネルユーザーでは無いということです。
私の原発への考え方、太陽パネルへの考え方は、
科学的に、そして人類のあるべき思考手法と決定論においては、
熟知結果だと自負しています。
ともかく、決定的に断言できることは、
太陽パネルであれ、この電柱の現在も「美しくありません」。
プラトンに従えば、「迷ったなら、美しい物事が正しい」のです。
【ブログの関連記事】
『講演テーマで最近もっとも多い医学とデザインの「範」』
「生きることの模範・範疇・範囲として」
「太陽・二つのアナロジー物語・その2」
Tags: エネルギー, ソーラーパネル, プラトン, 不配慮, 仕事, 住宅, 再生エネルギー, 写真, 判断結果, 半原発, 反原発, 国策企業, 変電器, 大疑問, 大間違い, 大雪, 太陽パネル, 屋根, 成長企業, 景観法, 東京, 現代生活, 碍子, 社会基盤, 範原発, 経験, 進化, 過信性, 都知事選, 配線, 電力, 電力会社, 電柱
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
2月 7th, 2014 Posted 12:00 AM
私は陶磁器には二つの歴史があると見ています。
縄文弥生にあった六古窯の歴史と、
秀吉の朝鮮征伐により日本にもたらされた家元制度の歴史です。
そして、私が陶磁器には進化が無かったというのは、
かつて革新されてつくれたモノが現代では創れなくなったモノ、
もう制作不可能だったモノが現代、なんとか再現できるモノです。
日本が貿易国家になっていった九谷焼(右)はもう再現不可能。
比して、現代、弥生時代には出来たであろう越前焼(左)です。
九谷焼は明らかに有田焼技能が北前船で伝わったであろうこと、
しかし、有田での輸出品よりはるかに技術開発されましたが、
現代、九谷でこのガラスのような磁器と絵付けはもう出来ません。
福井にいたころ、越前焼ではないと私は主張し過ぎて、
越前焼には出入り差し止めでした。
ところが、陶器である六古窯時代を再現する若手が出てきました。
これら陶磁器はいづれも日本の伝統工芸です。
私は恩師から、伝統工芸にデザインを向ける時のまず知識、
その蓄積を教えられました。
そして、革新的な「造形」の新製造生産システムづくりです。
したがって、伝統とは継承ではなくて「革新」です。
ところが、日本のモノづくりの大誤解が最近まかり通っています。
それは、日本の伝統工芸への美的なセンスの全く無い、
プロデューサーを自称する輩に「産地」が騙されているのです。
伝統工芸の革新づくりには勿論、現代生活への適合性が必要です。
だからといって、安易な手法での商業主義では台無しになります。
こうしたモノを見たときには、徹底的に非難します。
問題は、もはや再現できなくなった技術の復権である高度化と、
再現が可能になったなら、過去になった伝統性への裏切りです。
デザインにとって、日本の伝統工芸には未来があるのです。
【ブログの関連記事】
『磁器お皿・三つのパターンと料理手法に進化無し』
『陶磁器産業地を視察して・伝統産地は県行政を決定する』
「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」
「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」
「自然から学んだはずだった・・・のだが?」
Tags: ガラス, センス, デザイン, プロデューサー, 九谷焼, 伝統工芸, 六古窯, 六古窯時代, 北前船, 商業主義, 大誤解, 家元制度, 弥生時代, 技術開発, 日本, 有田焼, 朝鮮征伐, 歴史, 現代, 産地, 知識, 福井, 秀吉, 絵付け, 縄文弥生, 蓄積, 貿易国家, 越前焼, 輸出品, 進化, 陶磁器, 革新, 革新づくり
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
2月 6th, 2014 Posted 12:00 AM
この数年、陶磁器に深く関わってきました。
子供の頃から陶磁器については最良品が私の生活にありました。
そして、大きく気づいていることには、
これまでお皿・器の絵付けと磁器素材と料理盛りつけに対して、
陶磁器づくりと料理人の間には、
全く工夫どころか革新も無く既成概念がそのまま商売の無慈悲。
西洋料理をベースにすれば、現代料理は、
真っ白=ボーンチャイナだけに料理を配膳してきたことです。
それは、磁器への絵付けパターンに最も技術集約をしてきたモノ、
九谷焼は日本料理界でも料理の盛りつけを際立たせないことで、
九谷焼そのものが残念にも市場性を失ってきたのです。
産地もそのことを知って、九谷焼然を如何に表現するべきか、
現代料理との整合性を図ってきたようですが無駄です。
私はこのお皿と料理の関係性で、見失っていることを指摘します。
まず、料理人がボーンチャイナ=真っ白器に頼り過ぎだったこと。
これは料理人能力が備わっていないことを明示しています。
私の見捨てがたいコトには、現代料理と称する和洋折衷様式です。
西洋料理・日本料理・中華料理の「器選び能力」の有無を見ます。
したがって日本料理で九谷焼を最適合させれる能力を評価します。
無論、高価でもいい加減な九谷焼も増えていますから、
これらは論外ですが、ボーンチャイナの白背景での日本料理、
これは最悪のお皿と料理の関係です。
ミシュラン評価もこれが出来ていませんから無視すべきでしょう。
陶磁器づくりと料理づくりの関係は至極大事です。
しかし、陶磁器産業と料理の関係を、活性化策ということで、
行政や能無きプロデューサーの提案実施は随分みてきましたが、
これまで全て失敗していることは明らかです。
その最大の理由は、磁器づくりと料理づくり、
それぞれのあるかと思わせているが能力無しが増えています。
確かに料理道具は進化しましたが、進化せず。
比して、磁器づくりは全く進化していないと私は判断しています。
【ブログの関連記事】
『陶磁器産業地を視察して・伝統産地は県行政を決定する』
「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」
「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」
「自然から学んだはずだった・・・のだが?」
「陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない」
Tags: プロデューサー, ボーンチャイナ, 中華料理, 九谷焼, 和洋折衷様式, 商売, 子供, 市場性, 技術, 整合性, 料理づくり, 料理人, 料理手法, 日本料理界, 最良品, 現代料理, 産地, 皿, 真っ白, 真っ白器, 磁器, 磁器づくり, 絵付け, 能力, 行政, 西洋料理, 進化, 陶磁器, 陶磁器づくり, 革新, 高価
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
1月 16th, 2014 Posted 12:00 AM
巷では何を間違ったのだろうか、
安易なPCメガネが一時的に流行しました。
LCDモニターは可視光線の青色が目に悪いということで、
PCモニターには必須のメガネアイテムが登場しました。
これはとても安易な発想ですと私は発言を繰り返しました。
と同時にすでに6年前の発想で一度は商品化した「ドライアイ」対策、
その再商品化を試みました。
PCを凝視すると、極端に眼球が乾燥することの方が問題です。
「ドライアイ」、つまり、眼球の角膜には三つの層があります。
油層・水層・ムチン層があり、眼球層が凝視を連続して乾燥することが、
最も角膜を痛めることにつながります。
私自身、当初はモニターの凝視がドライアイを促進すると考えていました。
だから、モニターを時々シャットさせる実装を考えていましたが、
モニターが故障している印象があるということで、
眼鏡に液晶をシャットダウンする方式でアクセサリー化を考えました。
それが、安易なPCメガネで登場したとき、
これらのメガネでは単に青色カットだけではドライアイを防げないという、
その結論に達しました。
すでにPCメガネは100円ショップにもあるぐらいです。
青色カットもそれなりの理由を認めないわけではありませんが、
PCモニターとの関係性は「ドライアイ対策」が本当に必要な効能性です。
この性能を実装で解決をして、身体・眼球・角膜との効能を果たしてこそ、
PC眼鏡レンズの機能性が効用をもつ機能性になるのです。
最近はようやくそのことが認められ始められたようです。
若者雑誌に登場するようになりました。
「ドライアイ」を防御する機能性はさらにここから進化させられそうです。
そのような技術は、液晶モニター特性・ドライアイ症因防止効能、
そしてより未来あるヘッドマウントへの進歩を導くでしょう。
すでに、そのメガネデザイン開発に入っています。
しかし、「ドライアイ」が角膜を痛めることの防御効能を性能化し、
その機能的でファッション性のあるデザインが求められ始めました。
そのデザインの効用と効能を日本の技術で国際化させたいと考えます。
Tags: 100円ショップ, LCDモニター, PC, PCメガネ, PCモニター, アクセサリー化, シャット, シャットダウン, ドライアイ, ファッション性, ヘッドマウント, ムチン層, メガネアイテム, メガネデザイン, モニター, モノ, 乾燥, 効能性, 可視光線, 商品化, 問題, 国際化, 巷, 故障, 未来, 水層, 油層, 発想, 発言, 眼球, 眼球層, 眼鏡, 若者雑誌, 角膜, 進化, 進歩, 防御, 青色
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
11月 10th, 2013 Posted 12:00 AM
カメラはデザイン対象であり、なおかつ収集の一つですが、
このモノの進化は、アナログ(フィルムカメラ)時代には、
素晴らしいデザインの進歩がありました。
しかしデジタル化したカメラのデザインは鈍化・退化しています。
私は、ミノックスの精緻なデザインのアナログカメラを
常に持ち歩いていた経験があります。
海外で、入国審査時に冗談で「スパイカメラ」と答えたら、
別室に入れられて尋問されるということもありました。
デジタルカメラとして、ミノックスが登場すると、すぐに、
私は手にいれました。しかし、そのデザインは相当な劣化でした。
久々に想い出して、このカメラを使い始めていますが、
アナログ時代の素材感と仕上げ感からは退化しています。
さて最近はスマホにはかなり上等な技術仕様のカメラ付きが氾濫。
したがって、写真を撮ることが日常化しています。
それは食べ物をすぐにシャッターチャンスにする人が増えました。
何をカメラに収めるのかということは、
実は、現代性の記録がジャーナリズム化=日常記録化しています。
となれば、そのカメラは選び抜いた技術とデザインの総和が必要。
ところが、その総和感は大きく二つに分けることができます。
デジタル感:アナログ感の対称性です。
そこで大きな問題となってくるのが、技術とデザインが、
この対称性にどれほど組み込まれているのかを確認することです。
私は、ミノックスのデジタル技術進化が、
かえってデジタル鈍化、あるいは退化していることから、
アナログ感がどれほど精緻で精微であったかということを見ます。
結局、たとえば、腕時計のアナログ感は、
決して、デジタル感の腕時計をまだ凌いではいないことを
明白に示しているとさえ思ってしまうわけです。
Tags: アナログ, カメラ, カメラ付き, ジャーナリズム化, シャッターチャンス, スパイカメラ, スマホ, デザイン, デザイン対象, デジタル化, フィルムカメラ, ミノックス, 仕上げ感, 入国審査, 写真, 収集, 対称性, 技術, 技術仕様, 日常化, 日常記録化, 氾濫, 海外, 精微, 精緻, 素材感, 腕時計, 進化, 鈍化, 食べ物
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
11月 1st, 2013 Posted 12:00 AM
かつて、新人デザイナーの頃に、
冷蔵庫の背面がすっきりと整理が着いたときに、
「デザイン上の最大問題を解決できた」という朝礼を受けました。
当時はそれほどピンとこなかったのですが、
私は自分がデザインしたテレビでは「背面デザイン」を、
放熱口も開けずにすっきりとしたデザインを設計しました。
先般偶然、私は福井駅のホーム建築の裏側には、
空調機の窓外機がある意味では見事に並んでいましたが、
「空調機設計とそのデザイン」は未だにこの状態は酷いです。
なんとしてもデザインとして「問題解決」すべき現実問題。
いつまで、窓外機と室内機をペアでというコンセプトから
外れたデザインをしていくべきだと考えます。
おそらく、室内機のデザインはデコレーションで、
様々なシリーズ化はしているとしても、窓外機については、
まったくデザインそのものが進化はしていないことは明らかです。
窓外機を見て、室内機がどこのメーカーのモノなのかは
まったく分からないほど、窓外機はなるほど完成なのでしょう。
ところが、自宅でもベランダに窓外機がありますが、
この窓外機を日照から保護するカバーをかけたら、
室内機の性能が格段にアップしました。
結局、空調機のデザインにおいてはデザイナーの担当部分は、
まったく進歩も進化もしていないことは真実です。
あえて、デザイナーの空調機に関するリ・デザインは当然。
建築家にしてみれば、いつまで工業デザインは、
空調機デザインをこのままにしているのかと思っているはずです。
可能であるなら、窓外機のデザインコンペをやるべきです。
空調機のデザインはいい加減新たなコンセプトから、
新存在の空調機デザインは必至のはずです。
Tags: カバー, コンセプト, シリーズ化, デコレーション, デザイン, デザインコンペ, テレビ, ペア, ベランダ, ホーム建築, リ・デザイン, 冷蔵庫, 問題解決, 建築家, 性能, 放熱口, 新人デザイナー, 状態, 現実問題, 福井駅, 空調機デザイン, 窓外機, 背面デザイン, 自宅, 進化
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
10月 18th, 2013 Posted 12:00 AM
これは、長年私が温めてきた企画展のタイトルです。
したがって、箪笥を所有し使用するのも拘ってきました。
一番に拘ってきたのは、かつて母の実家の蔵にあった箪笥です。
日本の箪笥は平安時代から江戸時代には格段の進化をします。
そしてこれが壊されるのは明治期に欧州の家具や、
敗戦直後からGHQにデザインを依頼されて米国流になったこと。
したがって、日本に有った「船箪笥」は優れたモノづくりでした。
船が難破しても沈まないとか、桐箪笥は水をかければ燃えない、
このような話がまことしやかに語られました。
しかし、火災になっても現代は高温になることや、
船箪笥・桐箪笥は沈み、燃えます。
しかし、現代もなお「岩谷堂箪笥」のモノづくりには、
日本の箪笥、船箪笥・桐箪笥の詳細で緻密さが息づいています。
たとえば箪笥は移動体だったため箪笥車が台輪についていました。
これはドイツの収納箪笥同様に移動が簡単でした。
さらに、泥棒よけや、隠し引き出しがあることなどの細工です。
私が、生きている伝統文化としての箪笥には、
木材の頑丈さや狂いよけの細工、仕上げの漆塗り、金具工作です。
そうして、これらがすべて完成度を持っているのは、
「岩谷堂箪笥」です。
おそらく、日本の箪笥をデザインで「岩谷堂箪笥」までの復興を
私はまだ見いだしていません。
昨今は、伝統工芸品として、木工工作の箪笥を認定していますが、
私には肝心要の素材・引き出し工夫・金具・仕上げの漆など、
こうした技術が継承されなくなってきています。
それだけに、新素材・新仕上げ・新金具、そして工夫木工が大事。
私は、自宅では「岩谷堂箪笥」を大事に所有し、
「箪笥・小タンス・ダンシング」展を考えています。
Tags: GHQ, タイトル, ダンシング, デザイン, ドイツ, モノづくり, 企画展, 伝統工芸品, 伝統文化, 台輪, 完成度, 実家, 家具, 小タンス, 岩谷堂箪笥, 平安時代, 敗戦直後, 明治期, 木材, 桐箪笥, 欧州, 母, 江戸時代, 泥棒よけ, 漆塗り, 火災, 現代, 移動, 箪笥, 米国流, 細工, 自宅, 船箪笥, 蔵, 進化, 金具工作, 隠し引き出し
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
9月 5th, 2013 Posted 12:00 AM
「スタートレック」3D映画を観ました。
1960年代のこの物語りには24世紀までがきわめて正当な風景です。
そして3Dの映画表現技術の進化をとても実感しました。
登場人物のファッション、
いづれあのようなスタイルになるかもしれません。
最近、私自身、本当にネクタイ大好きですが、
ネクタイをすることが無くなりました。
そしてワイシャツも襟が高めになり、第二ボタンには、
このような開襟スタイルを補助する加飾ボタンを選んでいます。
友人にも、時折、プレゼントしたりしています。
これまで、どれほど夏が暑くても、夏期用のネクタイ選びは、
それなりに楽しかったものです。
また、ノーネクタイは、どこか拍子抜けスタイルでしたが、
特に、今期の猛暑ともなると、開襟のスーツスタイルに対して、
全く違和感が無くなってきました。
そういうこともあってか、この加飾ボタンは一つのファッション、
そのスタイリングです。
ファッションへの価値感はほとんどが、
「好きー嫌い」だけでの商品選びに頼っていることだけや、
ファッションブランドへの好み性に寄りかかっています。
私はファッション商品の価値感をさらに価値感アップするべき、
ということをファッション企業にも発言しています。
私がワイシャツメーカーがこの加飾ボタンを提示してきたとき、
ある種のささやかな感動をしました。
ファッションの大前提は、
装飾性・加飾性が存在演出の効能になっています。
ファッションデザインは「効能性」表現、その価値提示です。
したがって、「好きー嫌い」だけでは、
企業の商品づくりは間違っています。
昨年から、ふるさと福井の繊維に取り憑かれていて、
確実に、織物や編み物、繊維の新素材開発へ発想を向けるとき、
「加飾」効能が、
ファッションデザインの要機能だと思っています。
多分、今世紀からネクタイの効能は薄れていくのかもしれません。
スタートレックのファッション予知、理解可能です。
Tags: 1960年代, 24世紀, 3D映画, スタートレック, スタイル, ネクタイ, ノーネクタイ, ファッションスタイル, ファッションデザイン, ファッションブランド, ふるさと福井, プレゼント, ワイシャツ, ワイシャツメーカー, 価値感, 加飾, 加飾ボタン, 友人, 商品づくり, 夏, 好き, 嫌い, 存在演出, 感動, 新素材開発, 物語り, 猛暑, 発想, 編み物, 繊維, 織物, 装飾性, 襟, 進化
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る