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Posts Tagged ‘美しさ’


11月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 15th, 2013  Posted 7:12 PM

11月17日 辛巳(先負)

個人の主観性の本質は、
人それぞれの感性と
その人なりの精神性である。

それを制限したり、
廃絶する権利は誰にもあるはずがない。
まして、
美への感激や感動である。

『デザインの極道論』うつくしい


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6月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 24th, 2013  Posted 11:15 AM

6月24日 辛酉(友引)

輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。

言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。

総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。

『デザインの極道論』うつくしい


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6月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 9th, 2013  Posted 12:40 PM

6月9日 丙午(大安)

個人の主観性の本質は、
人それぞれの感性と
その人なりの精神性である。

それを制限したり、
廃絶する権利は誰にもあるはずがない。
まして、
美への感激や感動である。

『デザインの極道論』うつくしい


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6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2013  Posted 12:39 PM

6月8日 乙巳(先負)

輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。

言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。

総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。

『デザインの極道論』うつくしい


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6月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2013  Posted 12:39 PM

6月7日 甲辰(友引)

輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。

言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。

総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。

『デザインの極道論』うつくしい


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5月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 28th, 2013  Posted 12:30 PM

5月28日 甲午(仏滅)

知行こそ
美しさを創る源なのかもしれない

『デザインは言語道断』知行


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5月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 27th, 2013  Posted 12:29 PM

5月27日 癸巳(先負)

知行こそ
美しさを創る源なのかもしれない

『デザインは言語道断』知行


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「デザインが根付かないままに・・・」


   


     4月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

最近わが国でも流行りだしていることには空しさがあります。
まして、それが欧米で流行っているから、とか聞くと、
私は悲しくなります。
歴史連鎖性の大きな読み違えが明白です。
確かに、パリの街に「人力の何とか」がありました。
日本でも、観光地と言われる乞食(こつじき)街に出没し、
これが今後のエコロジーとかの発言や評論を見かけました。
誰もが乗れる電気自動車も街角の風景になっていました。
電気自転車もありましたが、
カメラを向ける気にもなりませんでした。
おそらく、勘違いのエコ・プロダクトとして語られるのでしょうが、
存在に、デザインの重大な三つが欠落しているのです。
機能性から美しさはありませんでした。
性能性も慌て過ぎですから、それがデザインにつながっていません。
無論、街の景観に溶け込むほどの効能性はまだ育っていません。
おそらく、行政の成せる未来性への道程であることだけは認めておきます。
だから、根本のプロダクトデザインが大欠落しているのです。
この傾向は、全世界のきわめて先進国に見かけられる現象です。
プロダクトデザイン・インダストリアルデザインが、
悲しいかな、ほんの一部のデザイナーにしか伝わっていません。
かつて、「フランスにおける日本年」1997年に、
私はフランス在日大使館の紹介で、
フランス・トゥールーズにて、「経済と文化でのデザイン」に招かれ、
作品展示と講演をしたことがあります。
その時には、デザインの役割について話をしましたが、
あるフランス商工会の偉いさんと、結局喧嘩してしまいました。
彼らの中では、まだまだ、デザインをアート扱いしていました。
それが、残存しているのでしょう。
しかし、フランスの「デザイン都市宣言」の街や、
フランス芸術大学には、「デザインでアルツハイマー病の関係」までが、
すでに論議され、その実務活動も始まっています。
デザインがこの大都市パリに根付くにはまだ歳月が必要です。
まして、パリでも流行していたから、なんてのが出てきたら、
私は見逃さずに、喧嘩師になるでしょう。


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10月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 14th, 2012  Posted 9:30 AM

10月14日 戊申(赤口)

その美しさを設計し実現する
ことがデザインであると断言したい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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9月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 23rd, 2012  Posted 9:30 AM

9月23日 丁亥(先負)

ところが、こうしたリサイクル、
あるいは再生化された素材に
「静叔さ」
という美しさを見つけだすことは
不可能である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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