kazuo kawasaki's official blog

Archive for 7月, 2014


7月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 26th, 2014  Posted 1:30 AM

7月29日 丙申(先負)

思いつくことは、
誰にでも出来ることだ。
しかし、気づくことには才能が要る。
思いつけば、
思い込む。
思い込んだ人間は、すでに狂ってくる。

気づくこととは、
「思いやる」ことを引き出す。
「思いやり」のあるデザイン、
それは、気づくことのできる、
思いつきと思いこみのバランスである。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『ロボット学者第一人者・森政弘先生の講義 その1』


   


     7月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

会場は、いつものごとく、東大先端研4号館の一室に、
いつものごとく、ロボット学者の偉い先生方の了解で私も聴講生。
前回から、先生のロボット学、その根源的な宗教論は
単なる宗教講話を超越した講義が、先生自作の回路設計によって、
宗教哲学はその回路の実験で具体的な例証がなされました。
正直、先生の講義メモは7頁びっしりに及ぶほどの分量で有り、
特に「安全ロボット」のあり方は、
「モノの世界観」と「精神世界観」で繰り広げられました。
私は大学人になって最初に思ったことは、講義をするよりも、
大学の講義を聴講したい気持ちが強くありました。
そして、私自身はすでにもう大学は退官していますが、
こうした第一人者の先生から講義を受けるチャンスは大幸運です。
なんといっても、「なぜ、ネジは締まるのか?」という命題から、
その講義は始まりました。
聴講する先生方も、一流大学の一流の大学教授たちと、
その先生方の一部の学生達だけが受けることが可能ででした。
白板には、仏典の重要箇所が抜き書きされて、その意味から、
私たちはそれらの意味を、今回は、先生自作の回路実働モデルで
教わっていくのです。
先生の自作セットの簡単な回路図から、「七仏通戒偈」を
実働モデルから、絶対成るモノに任せ切るということを学びます。
まだまだ、先生から教えられた経典を私は読み切ってはいません。
何しろ、先生からは、私にシリーズ書籍260冊を教えられました。
それは先生がすでに読破し、そこから学んでしかも自作回路で、
その具体化を見せられてしまうわけです。
先生の講義後は先生を囲んでの夕食会がありますが、
どうしても私はその日に京都まで戻らざるを得ずに帰りました。
帰ってから、ワイフに先生からの話や自作回路の面白さを
語り尽くさんばかりに興奮していたそうです。
今、私は、先生の講義から学んだノートのメモを整理しています。
すべてを語り尽くせないとは思いますが、
ずっと懸案だったことが見事に先生から「理会」出来そうです。

『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』


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staffblog7月25日


   


     7月 25th, 2014  Posted 11:19 PM

7月25日

第13回川崎和男未来塾

発表会にむけた
織物工業組合の上層部プレゼンを
成功的に終えて、
商品の試作品をみんなで
確認することができました。


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7月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

7月25日 丙申(先負)

気づいたことは、
思い込んだことよりも
絶対に重要だと信じてきた。

だから、
私が気づいてしまったことは、
チーム全体が思い込んだことなどは
絶対に無視する生き方を選んできた。
まして、
私の気づきを無視されたなら、
徹底的に、
私は闘うことにしている。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『デザインには発明が必要だということを学んだ作品』


   


     7月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

大学時代、デザインと造形の関係において、
造形によって、問題解決の解答を造形で答えることを学びました。
「発明がない!」と、故・柳宗理先生はよく言っていました。
私は東芝で最初にびっくりしたのはチューナーのデザインでした。
ST-910(左上)は、まだFM局が日本には2局しかないのに、
ガラス面にセンサー技術での選局システムが上司のデザインで、
すでに完成していくデザイン進化を技術とデザインで見ました。
そして、上司の指導というよりも、
「思い切った発明で選局」のシステムST-720(左中)づくりを
アシスタントデザイナーとして詳細な設計を技術指導できました。
そして全面的には、通常なら選局パネルがすべて上を真下に提案、
ST-420(左下)、上司は大賛成で、それなら、メータも変えなさい、
もう毎日が楽しくて、事細かにデザインで生きている実感でした。
そして、最も普及タイプのデザイン ST-220については、
パネルに、選局名を入れ、鏡面に針を映し出すことで、
普及タイプを仕上げて、ヒット作にすることができました。
しかし、これには深い思い出があります。
この製品企画で数枚の会議用のレンダリングを仕上げてから、
秋葉原に行きました、
そうしたら、すでに、チューナーは激戦状態で、
新製品を見て、大驚愕したのです。
すでに、レンダリング(完成予想図)で準備していたモノが
他メーカーから新商品で、秋葉原の大店舗では、
そのキャンペーンが始まっていました。
私は、すぐに会社にもどり、徹夜で、あらためて新商品企画を
やり直しながら、気づいたことは「どこにも発明」が皆無でした。
決して、他メーカーでは不可能なことをやり遂げるという想い、
会議前日に、必死で取り組んでいました。
私は、今でも、その頃の思い出を抱いています。
「このデザインには、発明があるだろうか」という自問自答です。
今ではチューナーはインターネットラジオになってしまいましたが
チューナーでのこの代表機種全てに「デザインによる発明」です。
だから、あきらかに言えることは、
「デザイン=造形が必ず発明」は必要十分条件だと思っています。

「ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり」


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7月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

7月24日 丙申(先負)

本当に、実力が無いのに、
あるふりをして、
感謝もしない輩には、
喧嘩をして、嫌な奴に自分がなっていい。

ところが、
「いい人」ぶるのは、
「どうでもいい人」だということに
気づいていないことは、哀れだ。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』


   


     7月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

車イスで海外に出てからは様々な対応を体験してきました。
これは、パリでも有名なホテルですが、
この車イスで、ある壁面を押すとこの小部屋がありました。
それこそ、30代後半の頃に、この対応に驚いたことがあります。
まだ、バリアフリーとかユニバーサルデザインなどが未登場でした。
ヨーロッパゆえに、自動ドアや自動昇降もゆっくりでした。
しかし、この小部屋があることは知る人ぞ知る、そんな雰囲気で、
私は、この小部屋から突然、ホテルの鏡面の壁面ドアから
飛び出すことにとても快感だったことを思い出します。
そして、このホテルに限らず、有名ブランドショップには、
ほぼこれに似た仕掛けが、壁面、柱などが必ず鏡面になっていて、
そこを開けると、このエレベーターが仕掛けられていました。
あれからもそれほど変化はしていませんが、
残念なことに、海外の有名ブランドショップにはこれだけの設備、
にもかかわらず同ブランドの国内ショップには全く無設備でした。
今なお、国内のショップにはこの展開はなされていません。
有名ホテルなどでは、従業員通路やキッチンを通り抜けます。
私には、こうしたいわゆる裏道的な抜け道が面白いのですが、
私一人なら、この裏道は面白いでしょうが、大勢になったら?
と、心配になってしまいます。
したがって、私が車イスになって、空港、飛行機、ホテル、ブチック
などなどのこうした設備や設備無く裏道は随分体験してきました。
今でこそ、成田にしても、新幹線にしても裏道は無くなりました。
しかし、私が満足している設備は不十分です。
最近は、急速充電の電動車椅子への対応が、航空機や鉄道については
全く考慮されていないと判断しています。
だから、もし私がデザイナーだと知られれば、必ず、嫌がられようが、
私は真正面化からコメントをそのお店や企業にメールします。
なぜならやがて、街中に車イス使用者が増加することは明らかです。
だから、今から準備してほしいのです。

 「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」


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『歩道と車イスの対応性は?』


   


     7月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

ヨーロッパでは、中世の頃にはすでに歩道は石畳でした。
現代は、磁器タイルが歩道を平面で滑らかな仕上げになっています。
正直、私のように車イス使用者にとって、
今の車イスでは石畳歩道は大変に不便で有り、時には疲労困憊です。
ただ、最近、私は電動車椅子の進化によって、
自由行動が楽になりましたが、結局はゴムタイヤが、
歩道面との接触面であることや歩道の段差や溝にはまだ不完全です。
願わくば、現代の平らな歩道面が理想的ですがまだまだです。
したがって、この二つの歩道面に対応させるには、
車イスそれも電動であり歩道の傾きにも対応させることが必至です。
そして最も大きな問題はゴムタイヤの径や素材性能に対する
新しい解決策が求められていると判断しています。
なぜなら、これまでは手動の車イスでも体力がありましたが、
今は、急速充電のリチウム電池電動の車イスを使っています。
とても行動範囲は広がったと思っていますが、やはりこれまでの
ゴムタイヤでの限界を思い知らされています。
希望では、完全に浮かび上がっているのが理想ですが、
現代の浮遊式駆動はまだまだ映画の世界の話です。
しかし、浮遊式の新エネルギーでなおかつ周囲に迷惑をかけない、
そのような車イスが必要であることは見えていますが、
そこまでの技術進化にはまだまだ開発研究が必要でしょう。
そうなると、石畳、現代タイル歩道、さらにこの両方に対応する
接触面での理想的な駆動方式が求められています。そして、
私には少なからず、これは自転車の延長上にある問題解決ではなく、
新規な発想が車イスに求められていると思っています。
結局、私たちは新たな移動体、それも下肢障害者を支援する、
そんな新しい乗物がこれからますます必要になるということです。

「石畳の街、その文明と文化」
『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』


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7月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

7月23日 乙未(友引)

デザイン実務は
決して「慣れ」てはいけない。
「慣れ」、
すなわち、経験を消滅させること。

未体験がデザインに立ち向かうこと。
もし、「慣れ」たことが
デザインに入り混むならば、
私は
その「慣れ」をまず見つけ出して
抹消させることから
実務に入るべきだと考えている。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『ピクトグラム表記のアイデンティティ・デザインの不備』


   


     7月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

街中でピクトグラムは本当に目にすることができます。
かって、日本がピクトグラムに対する認識が生まれてきたのは、
大阪の万国博覧会1970年からでした。
この記憶はもう無くなってしまいましたが、その当時に、
トイレの表記が男と女のピクトグラムは、一般的な認識が無くて、
そのピクトグラムの上に「男・公衆便所」「女・公衆便所」と、
手描きでそのピクトグラム表記の上に貼られたという話です。
あれから、街中では多くのピクトグラムを見かけます。
しかし、たとえば、この「車倚子ピクト」は万国共通ですが、
このピクトグラムのデザイン自体の稚拙さは、
かえって、身障者イメージを貧弱にしていますから、
世界的にも見直しがされています。特に、鉄道車両やホテルでは、
やり直しされた美しさで改良されています。
私自身もこのピクト表現の貧弱差には納得できずに、
私が関わるピクト表現デザインは地道に変更をしてきました。
そこで、あらためて確認するには、これはあるデパートでの
その表現を見れば、一目瞭然としています。
ベビーカーの人間表現は円形と身体が車倚子の人間表現と違います。
たったこれだけの差異が、私はデザイン表現の進化だと思います。
ユニバーサル・デザイン、インクルーシブ・デザイン、
そしてデザイン・フォオールというデザイン論にも差異があります。
ユニバーサル・デザインが招いた誤解や、
インクルーシブ・デザイン論理の根本的な論理構成は大誤解です。
デザイン・フォオールという統合性での大雑把さにそろそろ、
しっかりとした決着をつける時期がきたと私は認識しています。
その最大の理由は、これらのデザイン論理から創出される、
デザイン意図=造形言語とデザイン内容=形態言語を、
その表現母体のピクトグラムにアイデンティティが必務だからです。

「車イス」ピクトグラム


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