kazuo kawasaki's official blog

Archive for 12月, 2012


「想定外ではないはずだ・ボルトは必ず緩むモノだ!」


   


     12月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

トンネルの天井が崩落したとは何事だろう。
あの設計をみると、設計の杜撰さが明らかだと思います。
なぜなら、「ボルトは必ず緩むモノだから」。
私の体が証明しています。
交通被災=胸椎圧迫骨折、その補強的な手術を私は受けました。
手術後、私はドクターに噛みつきました。
「私は専門家です。
このボルトは二重ナットでもなく
ワッシャーすら入っていません。必ず緩みます」、と。
ドクターは言いました。
「緩むはずがない!」と怒声でした。
「ふざけるな!、機械工学の基本ぐらい知ってから手術するべきだ」。
それから2年後に、レントゲンのごとく緩んでいます。
これは、今年10月にICD埋め込み手術後の映像です。
見事な緩み方と、
もっとデザインされた補強材であって欲しかった、この思いゆえに、
私は、
体内への人工物埋め込み医療機器へのデザインをテーマにしています。
痛ましくも9名の同胞を私たちは失いました。
彼らの死をもって、
ようやく、日本全国のトンネル、その点検が開始されました。
そして、最も忌むべきことは、
トンネル土木工事設計のあり方が大変更されるでしょう。
されるべきです。
土木工事としてのトンネル設計に、
私はデザイン手法の導入が不可欠だと大声で主張しておきます。
天井がアーチ状の頂点から、
たった一本の鉄棒でコンクリート材の天井をつり下げている。
これほど、
フェールセーフのない工学的な設計、
そのものが大間違いだと言っていいでしょう。
まず、強固であること、工事が容易であること、
点検が常に可能なことなど、
設計条件を整えるべきです。
そして、もっと正確無比な安全性の確保が前提でしょう。
私は、デザイン領域の拡大のために、
「危機管理デザイン賞」を創設し、その審査基準づくりをしました。
危機管理産業を創成し、
それを今後、
貿易立国であるわが国のmade in Japanにしたいと考えています。
3.11直後から、復興計画をデザイン実務として企画計画してきました。
現政権ではとても困難だということだけが分かりました。
次期政権では必ず「実行・実現」したいと願っています。
そうしたらこのトンネル事故です。
わが国の、高度経済成長時の国土基盤が崩壊し始めていることは確実です。
ともかく、機械工学でも「ボルトは緩む」事は想定内だったはずです。


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12月04日Staff Blog


   


     12月 4th, 2012  Posted 6:47 PM

12月04日

韓国科学技術院(KAIST)
産業デザイン学科の金先生と
博士課程の学生さんがお二人、
ご見学に来られました。


KAISTは韓国における科学技術研究の
中心的役割を担う国立大学のひとつで
今は世界に人材を送り出している
大学となりました。


研究発表会では
ロボットと機械とのインタラクションや
人間のボディーランゲージを応用した
ロボットデザインについての
研究発表がありました。


また、お土産もいただきました。
韓国の伝統パターンを用いた
カレンダーです。
本当にありがとうございました。


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12月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 4th, 2012  Posted 9:30 AM

12月4日 己亥(赤口)

私は、
デザイナーの造形能力ということに
ある種の神秘性を感じざるをえない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン


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「公私の形象概念・再認識するための手法が選挙」


   


     12月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

日本人はその体質から性質まで変容したのかもしれません。
確かに、3.11では被災地の東北の人々には、
一致団結してまさに「絆」というべき連帯力が世界から称讃されました。
しかしながら、モンスターペアレントやモンスターペイシャントなど
その自分勝手さは「権利」の主張が、
自由権の表現だという大誤解が蔓延してきていることは事実です。
「私」という漢字と「公」という漢字には、
しっかりと「厶(し)」という形象が入っています。
私の「禾」は、稲穂を表し、公の「ハ」は、家屋の空間を示しています。
そこに「厶」は、腕を曲げて手を胸に当てる形象であり、
その意味はこれは自分のものという欲望の記号と言われています。
「私」は「稲穂を抱き上げてこれは自分のもの」という
形象になっています。
ところが、「厶」を家屋の空間の中に入れることで、
私欲望を公共的にするという意欲・意志を形態化していると解釈可能です。
そこで、「滅私奉公」と「背私向公」には、
社会的に私事の行動を公共化していく姿勢を明示しています。
「私」の領域は、公的な構造では職業があり、
その能力としての職能があると考えます。
よって、「私」の公的な欲望は、決して私欲としての姿勢は、
職能への「背私向公」でなければなりません。
以上が、
「私」と「公」のきわめて正道な日本的な本質構造だと断言しておきます。
しかし、この構造転換も新たな
ようやく、この国難の中で私たちは次の政権を選びます。
前回、私は「政権交代」という風潮が高まれば高まるほどに、
冷静冷徹に判断をしました。
結果、私は「民主党」の人的能力、交渉力、制度設計能力など、
代議員という職能の専門集団には力量無しと断定することができました。
やはり、結果には3.11からさらに天災の連続、
国際的な経済動向に対する議会制民主主義そのものが破滅したわけです。
となれば、今回の選挙においては、
「滅私奉公」足る人物を代議員職能に選ぶべきであることは自明です。
この国難にあって、
その前提である「拉致問題解決」を第一義にしていないことこそ、
「国民の生命と財産を護る政治」の根本が欠落していると見なすのは、
私だけでしょうか。


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11月30日 staffblog


   


     12月 3rd, 2012  Posted 11:32 PM

11月30日

多摩美術大学にて特別講義を行った
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)


東日本大震災から企画と計画の話
製品記号論など、
様々な内容について語りました。


講義前には作品展示や実習室を訪問し、
教授の方々や学生達との交流を楽しみました。

BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
ブログのエントリに、
本特別講義で説明した内容に関する
記述があります。
こちらも合わせて御覧下さい。
「情報化への入り口は
記号論or記号学だった」

「モードからファッションへ、
そして遡及する記号の再生産」

「言語系は、
聞くことと見ること・その相対論」


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12月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 3rd, 2012  Posted 7:14 PM

12月3日 戊戌(大安)

私が敢えて「Minuit」という作品を
事例として意図しているのは、
デザイン意図というデザイナーの内面、
精神的あるいは知的、
文学的、美学的な観念の世界観、
その反映がデザインとして結実していくことの
重大さを再認識しておきたいからである。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン


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「デザイン理念は造形言語と形態言語の形素で未来を招来」


   


     12月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM

私は、形態=言語という定義である形素に固守しています。
そして、私はデザイナーゆえに、
デザイン言語による表現が形態と呼ばれていると考えます。
そして、デザイン言語=造形言語+形態言語、
すなわち、
デザイン言語=デザインする意味(意図)+デザインされている意味、
だと思っているわけです。
昨夜は、BMW i8が、
今世紀の車はここから始まるという事例を紹介しました。
ところが、BMWの未来へのデザインは、
さらにその次を予感して、
アドバンスデザインとしてモデル化は終わってます。
それは、車もやはり回帰すべき素材を纏っているのです。
「布」=fabricsを纏うという
想像力を技術的実現性へと向かわせていることです。
私は、
織物は「布(ふ)」であり、「膚(ふ)」であることにたどり着いて、
ファッションを評論し始めた経験があります。
「布」は、まさに皮膚のごとく身体を護るがゆえに、
機で織られて発明されました。
文明を指示する「機器」は、寒さから護る布ゆえに機があり、
飢えから護るために器ありの世界観です。
文明の最先端を車は、
その表現形態=技術言語として語られる必要があります。
その語り部としてデザイナーがいるとするなら、
車に「布」を纏わせた言語には、造形言語と形態言語によって、
近未来へアプローチする企業理念です。
こうした企業理念を言語化=形態化するには
デザインは必要不可欠な表現手法です。
私は、
その造形言語の形素に「布」を選んでいることにまた感服しています。
多分、欧州では「布」の感性的要素に、
・「しなやかさ」
・「きしみ」
・「ふくらみ」
・「しゃり」
・「こし」
・「はり」
・「ぬめり」、
この七つの形素が下敷きだからでしょう。
理念を形成すること、いや、創成することには、
言語要素、ソシュール的には音素と彼は呼んでいますが、
私は、言語としての形態には「形素」があり、
造形言語・形態言語の形素には、
造形・形態の要素足る素材への感性が評価軸であらねばなりません。
おそらく、BMWのこのアドバンスデザインの形素には、
七つの感性的要素が明快であるからこそ、
未来を招致するデザイン理念=企業理念が発言する、
造形要素と形態要素が確約していることを感受することができます。
わが国の企業に、企業理念の再構築には、
デザイン言語の音素と形素を
是が非でもデザイナーにこそ準備させてもらいたいと願っています。


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12月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 2nd, 2012  Posted 9:30 AM

12月2日 丁酉(仏滅)

作者の意図がどの程度まで
達成されているのかを
調査するには、
使用時や有用時ではない、
まさに使用されるための
「存在させてみる」という
ことにデザインの本質があると
考えることの方が正解だと思う。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン


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「BMW i8が実現し始めた新たな造形言語と形態言語」


   


     12月 2nd, 2012  Posted 12:02 AM

造形言語と形態言語は、
ソシュールの「一般言語学講義」をテキストにして、
デザインが果たす言語=形態への適応と応用を私は試みています。
そして、私自身が現在、
造形言語と形態言語を製品開発の実例から見いだそうとすると、
正直、造形言語 – 形態言語の構造を持っているモノは、
ほとんど国内メーカーには不在であることが無念でなりません。
「ミッション・インポッシブル」にBMWの車が登場します。
映画ゆえ、それはコンセプト・カーと言ってもいいほど、
まさに「カッコいい車」が登場するわけです。
ところが、この車は2014年に発売されることになってしまいました。
無論、いくつかのスペック・ダウンというか、
アドバンス的なことは実現されないかもしれません。
しかし、このプロモーション・CFを見ていると、
ここまでの車がとうとう世の中に存在する時代になってしまった。
私は感激し、感動してしまいます。
車、それは「移動の手段としてのツール・マシン」でした。
しかし、21世紀を方向付ける情報ツールであり、メディアであり、
しかもこれこそ「電気自動車!」という
言語性を持って登場してきたわけです。
私の「製品記号論」講義の事例・実例として紹介し、
まさに言語=形態を「読み取ってほしい」のです。
たとえば、プロモーションCFですら、一つのドラマであり、
ドライバーの運転、すなわち制御性能は、
「情報操作性能」とそのマン・マシン系はやはり、20世紀に終焉して。
ほら、21世紀は、メディアツールというモードは、
これだけのコードとのインタラクションなんだよ、
とBMWは発明しているのです。
「ミッション・インポッシブル」が、
ひょっとするとあの「007」を超えるストリー性と
登場するガジェットの様々さを超えたかも知れません。
そんな印象があっただけに、
BMW i8 はメディアとしての車であり、
情報処理としての運転性能の技術表現内容を
デザインは造形言語の意図性は見事です。
そして、デザインされたこと、意味されている形態言語には、
21世紀は、電気自動車ゆえ、
「移動手段=目的地に着く」という以上のことを恣意しています。
すなわち、ソシュールにもどれば、造形言語が意味することと、
形態言語が意味していることの「恣意性」を
技術進化をデザインが果たしていることは明白だということです。


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12月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 1st, 2012  Posted 9:30 AM

12月1日 丙申(先負)

デザインの本質で考えるなら、
機能するモノの形態は、
使われているときではなく、
使われようとするための
存在感に他ならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン


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