2月 20th, 2011 Posted 10:00 AM
2月20日 赤口(丙午)
悲しみと哀しみを分別することはできる。
涙を流すその意味を感情の浄化と理解して、
自分を見つめ直すことができる。
でなければ、
「美しいモノ」をデザインする基本を
放棄したことになってしまうではないか。
『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別
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2月 20th, 2011 Posted 12:55 AM
自己同一性と自我同一性
「同一性」というのは哲学や心理学的術語でした。
このことばは源流までたどれば、
アリストテレス時代にまで遡及できます。
ひとまず、心理学的な解釈と類似=アナロジーが可能だと考えます。
すなわち、人間の存在性、その「同一性」はパーソナリティの形成因です。
だから、自我の関係との対照性を企業の同一性に当てはめることができそうです。
パーソナリティは自我が二つで構成されて、
その個人が帰属する社会や文化との関係性因として見ておくことです。
特にこの二つに注目をします。
● 自己同一性=self identity
● 自我同一性=ego identity
企業にも同様に、
■ 企業の自己同一性
■ 企業の自我同一性
があると考えることができます。
しかし、企業の自我はほとんど経営者の自我に決定づけられているというのが私の体験です。
これは別稿で語り直す必要があるでしょう。
さて特に、企業という組織体の主体性・確定できる存在性の確認や、
社会や文化への帰属性は、企業の存在を表象させられる企業環境のすべてに関与しています。
この企業の表象性は、「見て分かる」、「見て分かってもらえる」ということで、
ビジュアルC.I.は不可欠になっていると考えていいでしょう。
「商品の差別化」という自我同一性は間違い
そこで、同一性、その反極には差異性があります。
この差異性の解釈には、差異性と差違性があり、
その表象的なとらえ方の一つに「商品の差別化」があります。
商品そのものの同一性を確認する手段として、
商品の判断性や商品の訴求性のテーマになっています。
しかし、差異性、差違性と差別性は全く異なっているという認識が必要ですが、
ほとんど常識的に「商品の差別化」が語られています。
これは、企業の自己確認を離れた、企業の自我同一性の一方的な押しつけであり大きな誤りです。
商品を分別してもらう企業・商品の同一性を見直すひとつのテーマになるものと私は考えています。
Tags: ego identity, self identity, アナロジー, パーソナリティの形成因, ビジュアルC.I., 企業環境, 同一性, 同一性を見直すひとつのテーマ, 商品の差別化, 存在性の確認, 差異性, 差違性, 心理学的術語, 自己同一性, 自我, 自我同一性, 見て分かる
Posted in 070 「企業C.I.とブランド」, 資本主義から逃走せよ!
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2月 19th, 2011 Posted 10:00 AM
2月19日 大安(乙巳)
確かに刃物は武器である。
「武」とは、
刃物を使わないことを意味する
象形文字であることを
知らなければならない。
「刃」を示す「かのほこ」を
止める形態を持っている。
『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別
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2月 19th, 2011 Posted 12:00 AM
ブランド戦略は同一性を創らず
まず、ブランド戦略が企業戦略第一義は不正解です。
ブランド戦略に翻弄され始めた企業戦略は、
根本的に間違っている、ということを指摘します。
理由は、簡単明瞭です。
企業は、「社会的な存在性」・「国際的な存在性」を明確に支援される必要があります。
その社会・国家・国際環境が激変すれば同一性判断を見誤ることになるわけです。
「社会的な存在性」というのは、まさに同一性が確認されていなければなりません。
それは、企業C.I.の見直しでもなくブランドという区別明示の目印作業ではないということです。
よく、ブランド戦略が企業C.I.につながっていくとか、
企業C.I.とブランド戦略がつながっているという言説、これが基本的に間違っているのです。
ブランド=焼き印という区別銘柄づけが同一性を社会に訴求していくという考え方、
この思考そのものを廃棄する必要があると私は思っています。
つまり、企業が存在する「社会観」・「世界観」が変貌し変質し変化していることの認識が
当然に十分でなければならないのです。
少なからず、政治性・企業性・国際性・投資効果性・イメージ性など、
すべての構造変革が毎日日常的に変化していることを直視する必要があるということです。
再構築という新創造
このブログも4年目に入りました。
ずばり、「資本主義」を廃棄する時代・社会の中で、
実際的な企業という構造・形式・内容・イメージすべての連関性と連鎖性を終焉させることです。
新たな「同一性」創出に向かわせる時期に入ってきたと確信をしています。
特に、日本株式会社のブランド戦略は、日本のアイデンティフィケーション=同一性を、
維新ではなくて革新する時代だと認識するべきなのでしょう。
したがって、新・日本株式会社のブランド戦略などはありえません。
まずは、日本の同一性の再確認から何を焼き印=ブランド化できるかを考え直したいと思います。
この考え方を分化すれば、日本のすべての企業に当てはまることになるでしょう。
Tags: ブランドという区別明示, ブランド戦略, 世界観, 企業C.I.とブランド戦略, 同一性判断, 国際的な存在性, 政治性・企業性・国際性・投資効果性・イメージ性, 業戦略第一義は不正解, 構造・形式・内容・イメージ, 目印作業, 社会的な存在性, 社会観, 維新ではなくて革新, 連鎖性, 連関性
Posted in 070 「企業C.I.とブランド」, 資本主義から逃走せよ!
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2月 18th, 2011 Posted 12:30 PM
2月18日 仏滅(甲辰)
肯定もできなければ
否定もできない。
折衷ではいい加減すぎる。
だからいつでも懐疑し、
不可知だといって背を背ける。
情報が高密度になればなるほど、
プライバシーを守るという
名目だけが一人歩きして
「自分の中に籠る」ことに
なってしまう。
それは「人権」とは呼べない。
否定しなくてはいけない。
『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別
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2月 18th, 2011 Posted 10:45 AM
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2月 18th, 2011 Posted 1:37 AM
日本株式会社のリストラ
企業C.I.より、現代はブランド戦略です。
私はこの現象に日本企業の混乱をみます。
それは、日本企業の国際的立場が揺らいでいることです。
しかし、これには二つの理由があると私は考えています。
■ 日本企業はそのまま日本の政治程度を体現しています。
つまり、日本の政治力が不安定になっていることに起因していることは間違いないでしょう。
無論、それは日本人すべてがその選択をした責任を自覚しておく必要があります。
さらに今や「政治」あるいは「政治家」という職能そのものが崩壊していることです。
三島事件の予知は当たっていたと私は思っています。
日本が敗戦で背負いこんできたトラウマや、敗戦での成功体験に囚われすぎて、
そこから解放されてはいないことをもっと自覚すべきだったのでしょう。
■ 日本の資本主義が、再検証を受けているということです。
これまでの日本独自の資本主義だけではなくて、
特に、先進国家すべての資本主義に終焉期が来ているともいえます。
これらも国際政治基盤の「富の分配」その再考に先進国家すべてが怠惰だったのです。
揺らいでいる世界観といってもいいでしょう。
結局、この二つの理由がウロボロス状態となっていること、
これがデザイナーとしての観察結論であり、職能的見解です。
日本が背負い込んできたトラウマから解放される
このままでは新たな企業理念は創作されないと断言をしておきます。
あらためて、日本企業の国際化や文化再構築を企業理念化すべきといっているのではありません。
もっと、事態は深刻です。もっと、大きな問題解決前に佇まされているわけです。
この状況を、日本株式会社、
その資本主義から解放させるべきだと問題提起にしておきます。
「企業」そして「企業理念」を書き直す時代だと自身を問い詰めることだと考えます。
Tags: 「政治家」という職能が崩壊, ウロボロス, トラウマ, ブランド戦略, 三島事件の予知, 企業C.I., 富の分配, 政治程度を体現, 敗戦での成功体験, 敗戦で背負いこんできたトラウマ, 日本の資本主義
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2月 17th, 2011 Posted 11:24 PM
2月17日 先負(癸卯)
「四区分別」という
道元の哲学である。
日本人は、
「肯定」
「否定」
「折衷」
「懐疑、不可知」
という四区を
自然に分別する力を
失ってしまったのだ。
『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別
Tags: 不可知, 分別, 否定, 哲学, 四区分別, 川崎和男のデザイン金言, 懐疑, 折衷, 日本人, 肯定, 道元
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2月 17th, 2011 Posted 12:38 AM
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2月 17th, 2011 Posted 12:00 AM
企業理念という組織想念
理想は現実と対語になっています。
ということは、理想は過去と未来の狭間にあるものです。
すなわち、理想という想念が重合してやっと理念なのでしょう。
企業は、帰属する人たちがつま先立って、
未来を人間が背負っている業を見つめる組織体だと考えることができます。
理想は未来への理ある想像力であり、
想念は、対象に想いを念じる力といっていいでしょう。
私は、これまで接してきた企業には、
次の五つに分類できる企業理念があると分類しました。
■ 理由信念
企業をどうして起業し、何を果たしていこうと念じているかです。
それは、商売・経営の資材を社会に役立てる理由への確信です。
■ 道理概念
そのために、そこで働くはたらきがいの概略を記述し確認します。
そこには、社会への道理が道徳観に見事でなければなりません。
■ 条理入念
つまり、教条とも思える約束事への信仰を約束することです。
企業に帰属する人たちの信念を入魂していることを示します。
■ 理論観念
あくまでも、経営での投資効果として獲得した利益、
その富の配分は社会還元することを誓約する抽象的な思考結果を記述します。
■ 理解通念
その組織集合体の存在には、同一性・アイデンティフィケーションを共有します。
簡潔に言い直せば、
「かけがいのない大切さ」を共有するという統一感を同一性と定義していいのでしょう。
そして通念化するというのは、社会に支持されて理解を集めることになるわけです。
同一性=「かけがいのない大切さ」
企業での「働きがい」が「いきがい」=「かけがいのない大切さ」になるということは、
企業理念では極めて常套的な記述であって、
資本主義という理念・理想の制度になっているということです。
Tags: アイデンティフィケーション, はたらきがいの概略, 信仰の約束, 信念, 同一性, 対語, 帰属する人たちがつま先立つ, 常套記述, 想いを念じる力, 想念, 教条, 条理入念, 現実, 理念・理想の制度, 理想, 理由信念, 理解通念, 理論観念, 社会に役立てる理由, 約束事, 背負っている業, 過去と未来の狭間, 道徳観, 道理概念
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