kazuo kawasaki's official blog

Archive for 12月, 2009


『資本主義からの逃走』
  「花綵を断ち切った、都と鄙
           けれどもNetwork社会に希望」


   


     12月 8th, 2009  Posted 10:00 AM

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米国に従属してしまった日本は分断された。
戦後生まれの私には、
米国のあらゆるモノが眩しかったのです。
大きな冷蔵庫、自家用車、電化製品、・・・
そして、「アイビースタイル」で、ファッションを、
それこそネクタイの結び方まで学びました。
正直、60年代の「安保闘争」を田舎のTVで見つめる時、
日本が壊れていく、そんな東京でのデモ行進の異様さは、
とても、悲しかったのを覚えています。
70年代には、まさに、私も大学生になっていました。
完全なる「ノンポリ」でした。
むしろ、学生運動に走る連中を殴っていました。
それよりも、音楽やデザインに、心惹かれていました。

やがて、知るのです。
三島由紀夫の切腹が訴えようとしていたことに、
私は目覚めました。「日本が壊れていく」と・・・
明らかに、東京一極集中は日本を分断していきます。

私は、北陸の地方都市から東京を「対象化」しました。
そして、「雛美人文化論」を心底にしながら、
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伝統工芸産地に、「デザインの導入」に関わります。
やがて見えてきます。
「鄙」と「都」の関係です。
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明らかに、唯一の「都」=「東京」には、
「クロノフィリア(時間偏狂者)」が集中していきます。
一方、日本全国の地方都市は「鄙」と化します。
そこでは「トポフィリア(場所偏狂者)」で、
「土地自慢」こそ「地方の活性化」だという偏狂さです。
今なおこれは歴然とした、
「資本」としての「土地」感覚そのものです。
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「都」での金融資本と、「鄙」での土地資本が意識分断、
すなわち「花綵の国」は、金融資本も土地資本も、
価値を喪失して、私たちの心まで分断しました。

ところが、
情報時代=ネットワーク社会」は、この分断を、
新たな「花綵」にしてくれるのかもしれません。
すでに、「都」も「鄙」も、
ネットワーク社会=意識社会によって、
「bit資本」が、金融・土地・資材・食糧に至るまで、
「花綵ネットワーク社会」が創出されるでしょう。
私は「逃走」します。
それでも明らかに私の「希望」は、
このネットワークが、再び「花綵の国」へと、
デザインが導いていくものと確信している次第です。


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12月07日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 7th, 2009  Posted 10:29 PM

12月07日 赤口(丙戌 )

戦乱の地域で、
美しいデザインによって
人間らしさをどう伝えていくことが
できるのだろうか。
私は、ヒューマニズム的な奇麗事を
デザインで語りたいとは
決して思わない。
そんなヒューマニズムなら、
堂々と喧嘩を仕掛けるべきだ。
それでもデザインは奇麗事を語る
唯一の職能であるということを
全面的に心服しているわけだ。

『デザインの極道論』こわい


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12月07日Staff Blog


   


     12月 7th, 2009  Posted 5:51 PM

12月07日

BOSS(川崎和男)所有の
スター・トレック
レーザーポインターとリモコンは、
以前に、ご紹介しました。

今回は、「バッチ」です。
大きな「バッチ」は音が出ます。
隊員同士の信号音だそうです。
小さな「バッチ」は、
なんと18Kでプレゼントされたとか!

スター?トレックのメカ類は、
デザイナーにとって魅力的です。
来春に発売予定の
ヘッドマウントディスプレイも、
そんなスタートレックの
メカ類を超えるデザインです。

携帯電話の基本が、
スター・トレックというのを
教えられているのは、我々だけでしょう。
BOSS(川崎和男)の
この徹底ぶりに感心します。

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『資本主義からの逃走』
  「花綵の国のことばには「ち」、
            土地と価値がある」


   


     12月 7th, 2009  Posted 10:00 AM

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日本は、花、その美しさが遺伝子にあります。
無論、花への想いは、どのような民族でも伝統美です。
すでに、忘れられた言葉に、
日本は「花綵の国」と自称していました。
華緤・花綵、まさにこの島国は春には花で絆がり、
四季の花々への愛惜と作法は、日本美の伝統です。
そして、花の美しさとともに、
「日本語」の美しさにも、愛惜と哀惜があります。

私は、「いのち」・「きもち」・「かたち」を
海外でも常にその成り立ちや言葉の要素を語ります。
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それは、「ち」という言葉で決定づけられていることです。
「ち」は、漢字でも、血・智・値・地・・・・と、
いっぱいあります。
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そこから、ち+から(空)=力があり
(空)から+た(田)=体が成り立っていると紹介します。

そこで、
資本論にもどれば、
重要重大なキーワードに、「土地」と「価値」があります。
いずれにも、「ち」があります。
それは、
「土地」と「価値」に資本関係が強く連関しています。
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「土地」=「場」と「価値」=「貨幣」の体系が、
「日本語」では資本主義を借用したり引用するまでもなく、
伝統的、民族的、国家的に、息づいていたのです。
何も、「資本論」も「資本主義」も不必要だったのです。
「花綵の国」の「土地」と「価値」との体系には、
花への愛惜のごとく「思想」だったのです。


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12月06日Staff Blog


   


     12月 6th, 2009  Posted 11:17 PM

12月06日

Aurexブランドロゴは、
BOSS(川崎和男)のデザインです。
東芝に入社早々のコンペで決定されました。
以降Aurexの
数々の製品をデザインしています。

オーディオは、マニアの方々のおかげで、
30年以上経った今でも本体はじめ部品や、
パンフレットまでもが
オークションに登場します。
だから時々、
BOSSはその取引に醍醐味があるとか。

BOSSの作品もうれしいことに、
現役の実働製品が多く取引されています。
これは、「カートリッジシェル」です。
当時、加工がもっとも難しい素材であった
マグネシウム合金で「一体化」。
世界最初のシェルだったそうです。

さらに、世界初のモバイル型PCも、
マグネシウム合金という
素材でつくられました。
MoMAに収蔵されている
「GRID」だそうです。

フリーになって、BOSSデザインは、
今は無い「ナガオカ」のカートリッジや
シェル、パッケージは、今なお、4,5万で
取引されていますから驚きです。

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『障がい者へのデザイン』
  <間違いだらけの、 バリア・フリーデザイン>


   


     12月 6th, 2009  Posted 11:55 AM

私は、28歳、交通被災で、車倚子生活になりました。
それでも、健常者よりも活動的かも知れません。国内外への旅行(出張)を厭いません。
だから、車倚子での行動、そのために、自分で様々な工夫をしてきました。
デザイナーだから、自分自身をバリア・フリーにしてきました。
そして、
様々な経験・差別や、そして、思いやりで感謝をいっぱいしてきました。
ようやく、新幹線でのトラブルもありません。もっとも、駅員で人格的におかしな人もいます。

最近は、航空会社でのトラブルが増えました。
なぜなら、
「障がい者や高齢者対応」、そのマニュアルが、国際的には、間違いだらけです。
ホテルに至っては日本は、国際的には全く駄目です。

やはり、そうしたことや、私の工夫、デザイン・設計の基準を書きとどめたいと思います。

まず、ホテルです。
「障がい者対応」、いわゆるユニバーサルデザインとは、ここから始まります。
 ●「ドア」です。
「ドアには二つのスコープ」が「当然」必要なのです。

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すでに、韓国でのホテルでも見かけます。

日本はすでに立ち後れています。


 ● 背の高い人も、
 ● 車倚子の人も、
 ● 子供も、

「のぞき込むスコープ」は無くてはならないのです。
日本のホテルは、全くこのことを「知らない」のです。
「建築家も知らない!」ということです。


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12月06日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 6th, 2009  Posted 3:22 AM

12月06日 大安(乙酉 )

デザインは、
尊いことを具体的にモノの形態に
集約させていく職能である。
コミュニケーションの
最良の方法として、
「デザインという知恵」が
求められている。

『デザインの極道論』とうとい


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12月05日Staff Blog


   


     12月 5th, 2009  Posted 11:55 PM

12月05日

モデルを整理しました。
シルモに参加した
Kazuo Kawasakiモデルを発見。
ディスクヒンジ、通称ドーナツヒンジを
開発、採用したプロトタイプ。
この機構を、製品として展開すると、
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このような製品になります。
これはMP-901。
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BOSS(川崎和男)私物を撮影。
Kazuo Kawasakiのメガネは、
すぐにわかります。
メガネをかけられている方と
お会いすると、ついくぎづけに。
ブランドロゴや、
宝飾ではモノ語っていないので、
「機構」ですぐにわかります。
この「機構」開発が醍醐味!
BOSSが、
「脳みそが汗をかく!ほど考え抜いた結果」
なのです。


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『資本主義からの逃走』
  「政教一体と政教分離は民主主義とは無縁」


   


     12月 5th, 2009  Posted 7:54 PM

戦後の日本は、
金科玉条のごとく「政教分離を遵守」してきました。
その意味と意義、機能性と効能性はあったのでしょうか。
私は、まったく無かったと思ってきました。
政教分離を唱えつつも、
 ● 宗教団体をバックにした政党もあり、
 ● 仏教も神道もすべからく飲み込んできた政党と
 ● 宗教排撃ごとき思想によりそっている政党も存在します。
したがって、こうした玉石混淆の政教に関する論理は、
「全く社会的効能性は無かった」ものと考えるべきでしょう。

すなわち、
私は、政教一体であろうが、政教分離であろうが、
そこに公然と唱えられてきた民主主義は、
いわば先進的な資本主義国家体制の共同謀議にすぎません。
ここから、先の私の思想はペンを止めることにします。
なぜなら、
私のペンが私自身を社会的に抹殺、自死へ誘うと思うからです。

私が注目し、
「宗教」を洞察してきた対象の「宗教」は2つあります。
「禅宗」と「シェーカー教」です。

□「禅宗」は、私のふるさと福井であり、
その総本山である「永平寺」です。
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なんとも私の育った環境に大きな影響があったからです。

もうひとつは、
 □「シェーカー教」です。
ボストン郊外に何度か訪ねました。
実際にはすでに観光地化していました。
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それは、「家具」であり「車椅子デザインのためでした。
しかし、「シェーカー教」の教義とその実践である
共同生活、手仕事、労働への敬虔さ、
そのデザインに心奪われました。

そして、
この二つの「宗教哲学」とその「実践」に、
まったく、民主主義は皆無だということがわかりました。
そこから、「いのち」を支えうる「宗教」と「政治」は、
その人間個々の「いのち」の系譜は完全に断絶します。
宗教での「死生観」は、
「政治」どころではない思想が、連綿と連鎖し、
そして、「生きる人格」を決定づけています。
この断絶を受け入れられる強固な「生涯」を
私は選択しました。
結果、
私は民主主義は無効だということを認識しました。
  もっとおおらかで、
  もっと高潔で
  もっと品格のある
「集団的な意志決定=生き様」があります。
私はそれを分別しています。
だから資本主義を静観し、
決して巻き込まれない「生き方」を
デザインに配置したのです。


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12月05日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 5th, 2009  Posted 12:00 PM

12月05日 仏滅(甲申 )

デザイン界も、マスコミ界も
また、あのバブル時期のような、
思想性のかけらも感じられないデザインを、
「新時代デザインの到来」だと持ち上げている。
新世代のデザイナーには思想性の重量感が、
あたかもデザインにとっては
「罪悪である」がごとく、
低脳な発言をする者を見てしまう。
これには反省と、さらなる学習を
求めなければならない。
こうしたデザイナーのモノは、
デザインではありえない。

『デザインの極道論』とうとい


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