9月 12th, 2010 Posted 12:00 AM
A as B, B as A
「AとしてのB・BとしてのA」という連語考察は、
その相対論となり、
『A as B, B as A』は、AとBを深く洞察し、
その「核心さ」を明確にする手法だと考えています。
「・・・としての・・・」という連語で、
デザインと実力を考えてきました。
まず、実力について考えることは、「何が実力?」という自問です。
実力、それは「実行力・実現力・現実化力」などを
一言表現にしていることばでしょう。
その前に、「力」というのは、こんな風に習ったことを思い出します。
「力」の定義
「作用点・大きさ・方向」で定義づけられたベクトルだということです。
つまり、どこから始まり、
どの方向に向かって、どの程度の大きさがあるのだろうか、
ということが「力」、それも古典的な力学の定義でした。
だから、「実力としてのデザイン」というのは、
実行力や実現力がデザインの方向やその大きさを示しているのでしょう。
また、「デザインとしての実現力」といえば、
それはデザインが実行力で現実化させる作用点・大きさ・方向を確実に、
デザインで決定づけることだと考えます。
そして、「デザイン」と「実現」を相対化することができる
思考を幾たびも繰り返しながら、
結論は、デザインに何が出来るのか、ということと、
何がデザインに出来るのかということ、
この再考に再考をしていく工程を
自分の中に組み込んでいくことになるでしょう。
それは、作用点にデザイン、
あるいは実行力を配置するのかということにもなります。
もともと、デザインの大きさや方向を
実行力で照らし合わせることも可能になります。
結果は必ず、「デザインの実力」あるいは「実力のデザイン」、
いづれかが浮かび上がってくるわけです。
「自分の実力」は義務を確認する勇気
それは、「自分の実力」とデザインの関係を常に、
ループ状で思索し続ける「自分自身」を見詰め直すことになるはずです。
とりわけ、デザイナーとしての自分、自分が実行し実現していく「義務」を確認できれば、
自分を最も勇気づけられます。
私が最も意識化してきたは、「・・・としての・・・」職能思索手法です。
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9月 11th, 2010 Posted 12:10 AM
・・・としての・・・
私が、「かたち」の考察方法を学んだのは、現代美術論と建築論でした。
美大時代、「デザイン」に関わる書籍は、当時本当に僅かでした。
したがって、最も、設計・造形・思想などの思索方法は、
自分で掴み取る必要がありました。
大学ではひたすら「造形実習での実技習得」でした。
実技をさらに活かしていく思想・思索は独習しなければと考えていました。
建築論、特に、日本では数名の建築家の著作、
その中で引用されたり、再検討される国内外の建築評論や建築論を読みあさりました。
一方で、正直、美大生なのに「絵画」や「彫刻」、
さらには「現代美術」との接し方すらまったく無知でした。
ところが、衝撃を受けたのは、宮川淳氏がちょうど登場し、
その論文で、「いかに芸術、特に、造形を捉えるか」という方法論の提示は、
建築論にも適用され大きな影響を残しました。
したがって、今なお私の大切な思索方法になっています。
彼は夭逝し、三冊の著作を残してくれました。私の思考に影響力を与えた支柱的な人物です。
その中で、「・・・としての・・・」という表現があります。
それも、「AとしてのB・BとしてのA」という連語考察は、その相対論となり、
『A as B, B as A』は、AとBを深く洞察して「核心さ」を明確にする手法だと思います。
それは、「としての」ということばは、
格助詞「と」、あるいは助動詞「たり」となるサ変動詞「す」の連用形「し」に、
「て」が連結されています。
「として」という一語となって、助詞的になっていることばです。
私は、この方法論が、禅宗の現成公案にもあることを知って以来、
この思索方法を自分流にしようとしてきました。
まず、連語が助詞的に、二つの概念・観念が双方性から相補・相関・相対思考を支援することを、
私はいつも意識しています。
これは、古来の「金剛界曼荼羅」、「マトリックス思考」に見事につながっています。
「デザインとしての実力・実力としてのデザイン」をこの連語考察に持ち込みたいと考えています。
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Posted in 048「デザインの実力」, 資本主義から逃走せよ!
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9月 10th, 2010 Posted 12:00 AM
デザイン職能効果
私はこの40年間、ひたすら主張してきたことは、
「デザイン」という職能の果たす役割、
つまりその実力効果です。
その実力を話す前に必ず了解と理解を求める前提があります。
それはまず、「外観づくりでは無いということ」です。
しかし、デザイン造形無くして、最終形態として可視はできません。
そのことの区分けはなかなか伝わらないという経験は
今なおひきづずっています。
さらに、デザインは「かたちづくり」だけでは無いということを
さらに強調しなければなりません。
受け手は混乱し、認識の断絶が起こります。
結局、
この連鎖性そのものを理解してもらうことの困難さはこの上無しでした。
なんと言っても、デザインの実力というのは、
「絵に描いた餅」という話につながります。
つまり、「絵に描いた餅」は食べられないということになります。
けれども、
私自身、「絵に描いた餅」で「食べてきました」=生きてきました。
その絵は、簡単に言ってしまえば、
「紙の上にえんぴつ一本の線」で描かれた餅です。
さらには、餅というモノでは無い、食べるコトのデザインもあります。
モノづくりとコトづくりです。
そして、このモノとコトの連鎖性を「文脈」と呼んでいます。
デザインする対象が包含している「文脈」の効果こそ、
デザインの実力と言い切ってもいいでしょう。
そこで、その実力を発揮するために、
私は、デザイン手続きとして、
● 発想の文脈
● 表現の文脈
● 伝達の文脈
この三つをさらに「包含と統合の文脈」として
提案と提示をしているということです。
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